休日と予兆
あれから数日、私は巫祝に毎日通い訓練に勤しんでいた。煌熙と斎桜の桜を見上げ、こちらに来て初めて力を使えた日から、少しずつ力を発揮できる回数が増えてきている。
最近ではほとんど光の珠を出すことに成功している。麗華はその様子から次のステップに進べきと判断したようだ。
「それじゃあ次は、その光の珠の範囲を広げることに集中してちょうだい。今はあなたの周囲だけだけれど、社の穢れを祓い、浄化するのであれば、社をすっぽり覆うだけの力が必要になるわ。あなたや王の話から、どうやら中庭全体に光の珠を出すだけの力はあるようだし、社をすっぽり包みこむのも、訓練を続ければ十分できると思うの。」
私は力強く頷くと、早速範囲を広げる訓練を始めた。
力を広げていくのはなかなか難しかった。全体を均等に少しずつ広げていくのは集中力がかなり必要で、少しでも気をぬくと、一部が解れ、全てが駄目になってしまうのだ。煌熙と中庭で力を発揮したときは一気にあの範囲全体に力を出せたのだが、あれから何度やってもあの広さの光の珠を一気に出すことはできなかった。
「一度休憩に入りましょうか。」
麗華の声で、私はだいぶ時間がたっていたことに気づいた。
「もう少し大丈夫です。」
思うように力を使えず、私はまだまだと腕を捲る。これでは社の広さまで広げるにはだいぶ時間がかかりそうだ。
「無理は禁物よ。」
麗華は可愛らしく人差し指を立てて、注意する。
「でも……」
皆が私が力を使いこなせるまで待ってくれているのだ。力が使いこなせていない中途半端な状態で、社を祓うことは危険だという判断で、私が使いこなせるまで待とうということになっているのだ。私は早く力を自分のものにしなければと焦っていた。
「焦りも良くないわ。あなたは頑張りすぎるから、今日はもうお休みにしましょう。」
麗華は私の焦りを見透かすように言うと、そっと手を握る。
「あなたなら大丈夫よ。だから今日はゆっくり体を休めて。」
優しい瞳に見つめられ、そう言われると、素直に頷くしかなかった。
思いがけず休みになり、やることがなくなってしまった私はうろうろと屋敷内をさ迷っていた。すると、廊下の反対側から麗癒が手を振りながら歩いてきた。
「愛優美ちゃんも休憩中かい?」
「いえ、今日はもうお休みすることになってしまって。」
私が苦笑しつつ応えると、ならばちょうどよかったと麗癒が微笑んだ。
「今から煌熙くんの部屋にお茶をしに行こうと思ってね。愛優美ちゃんも一緒にどうかな?」
「よろしいのでしょうか?私が急に行ってはご迷惑では。」
約束をしているのであれば、常護はきっと煌熙と麗癒の人数分だけお茶を用意しているのではないだろうか。すると麗癒は私が考えていることを察したようで、大丈夫とにっこり手を振る。
「だって事前に約束なんてしてないもの。僕が行きたいから行くんだよ。」
さも当然とばかりに堂々と言われ、私は呆気にとられる。私が応えないでいると、それじゃあ行こうと麗癒は私の手を掴み、なかば引きずるように歩きだした。
「煌熙くん。お茶しましょ。」
煌熙の部屋の前につくと、ノックもそこそこに扉を開き、軽い感じで声をかける。煌熙は麗癒の顔を見ると、また来たというように頭を抱えて、ため息をついたが、私に気づくと頭を傾げた。
「今日も訓練しているかと思っていたが、休憩中か?」
煌熙にも同じ質問をされ、私はまた説明をする。私が休みになった旨を伝えると、煌熙は一つ頷き納得したようだ。
「そうか。ならゆっくり休むといい。仕方ないな、常護準備してくれ。」
「かしこまりました。」
常護は一つ頷くと部屋を出ていった。
「僕だけのときはあんなにすんなり許してくれないのに。」
麗癒が口を尖らせ言ったことは、綺麗に無視し、煌熙は私に視線を向けた。
「麗華殿から話は聞いている。毎日頑張っているようだな。あの日から見る見る上達していると聞く。」
煌熙から手放しに誉められ、私はぶんぶんと首を横に振る。
「そんなことありません。まだまだです。」
「またまた。愛優美ちゃんは謙虚だね。僕もすごい上達だって聞いてるよ。」
さっきまで拗ねていた麗癒は気を取り直し、私の顔を覗きこむとにっこり笑った。私は二人から誉められ、頬が赤くなる。麗癒が何か思い出したように手を打った。
「そう言えば、力が使えるようになった日って、煌熙くんと中庭にいるときに急に使えるようになったんだよね?何があったの?」
私と煌熙はキョトンとして目を合わせる。
「何かあったわけではない。」
煌熙が少し頬を赤くしつつ応えると、扉がノックされ、ワゴンをひいて、常護が戻ってきた。
「でも何かきっかけがあったからじゃないの?」
麗癒がさらに追及すると、常護も便乗する。
「やはり麗癒様もそう思われますよね。私も聞いたのですが、教えていただけないのです。」
常護がつまらないという顔をしつつ、机にお茶のセッティングをしていく。
「お前らは本当にしつこいな。別にこれといって話すことがないだけだ。」
煌熙がめんどくさいという顔でため息をつくと、麗癒がいたずらを思いついたようにニヤッと笑った。
「教えてくれないならいいんだぁ。その代わり、煌熙くんの昔の恥ずかしい話や秘密をポロっと愛優美ちゃんに話してしまうかもしれないけど、いいよね?」
煌熙の顔が青くなり、麗癒に飛びかかり、必死に口を押さえようとする。
「いいわけないだろ。やめろ。」
「え〜いいじゃない別に。」
麗癒は煌熙の手をかわしつつ、楽しそうに笑っている。すると、全くマークしていなかった常護が話し出す。
「そうですよ。昔の話なんて可愛いもんじゃないですか。実はウン歳までお漏らししていたとか、夜一人で寝るのが怖くてこっそり私の部屋に忍び込んでいたとか、初恋の人からもらった髪留めのリボンを机の端の綺麗な小物入れに大事に置いているとか。」
「おい!いい加減にしろ!」
遂に堪忍袋の緒が切れたのか、煌熙は真っ赤になりながら、大声で怒鳴り、麗癒と常護を睨みつけた。しかし、二人は全く懲りていない顔をしている。私は先ほどの常護の言葉が胸にひっかかり、つい問い返してしまう。
「初恋の人ですか?」
何故だかわからないが、胸が一瞬苦しくなったのだ。
「そうだよ。大分小さい頃だけどね。まだ煌熙くんが4
6、7歳ぐらいの頃じゃないかな?どこの誰だかわからないんだけどね、再開の約束をしたときに、その女の子がつけてた髪止めを受け取ったんだって。ねぇ、煌熙くん。」
「知らん。」
煌熙はすっかり気分を害したようで、一人で黙々とお茶を飲んでいる。常護が後をついで応える。
「今やどんな人になったか、全くわからないんですけどね。遠くにいる人みたいですから。それでもずっと大切に持っているなんて意外と一途でしょ?」
「愛優美、茶が冷える。早く飲んだほうがいい。」
からかいを含んだ声に煌熙は話を代えるように私に言う。よもや話を止めようとしても無駄だと考えたようだ。
「は、はい。」
私がお茶を手に取ると、麗癒と常護はクスクス笑いながらもそれ以上は何も言わなかった。
「さぁ、そろそろ俺は仕事に戻る。」
「え〜もう少しいいじゃない。」
麗癒が駄々をこねるかのように言うが、煌熙はぴしゃりと言い放つ。
「俺は忙しいんだ!」
お茶会はお開きとなり、麗癒が口を尖らせ、文句を言いながら部屋を出るのに続き、常護も片付けのためワゴンを運び部屋をでた。私もそれに続こうと席を立つと、煌熙に呼び止められた。
「あれは小さい頃の話だ。全て忘れてくれ。」
顔を赤くしながら、俯き、仕事の資料に目を通しているふうを装っている姿をみると、なんだか可愛らしく見えてしまう。私は込み上げてくる笑いを抑えて、返事をかえした。
「はい。」
夕食までの時間が少し空いているので、私は中庭に出てみることにした。ここに一人で入るのは初めてなので、少しドキドキしながら入ると、斎桜の桜が変わらず美しく咲き誇っていた。
(やっぱり不思議。この桜を見ると落ち着くな。)
ゆっくり腰をおろし、眺る。
この桜を見つめているとつい時間を忘れてしまう。ふと気づくと、だいぶ日が傾いていた。そろそろ部屋に戻ろうと立ち上がった瞬間、強い風が吹き、咄嗟に目を閉じる。風が治まるまで待ち、目を開いた。
そして斎桜の桜を見上げると違和感を感じ、幹に手をついた。決して見た目がどこか変わったわけではないのだ。しかし、何故か嫌な予感がする。何かが少しずつ這い上がってくるような、背筋がぞっとするような。
「愛優美、ここにいたのか。」
かけられた声に振り向くと、煌熙が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「顔色が悪いなどうした?」
顔を覗きこまれ問われるが、何も確証がないのに心配させることを言うのは憚られた。
「いえ、そんなことありません。大丈夫です。」
私が応えると、あまり納得はしていないようだが、そうかとそれ以上は追及されなかった。
「夕食の準備が調ったらしい。行こう。」
私は促されるまま着いていく。最後にちらりと振り返るが、やはり何も変わらず桜は美しくそびえ立っていた。
夕食はあまり箸が進まず、皆を心配させてしまい、早く眠るようにと皆から注意された。部屋に戻ってもなかなか眠る気にはなれず、ベットで横になっていたが、いつの間にか眠ってしまったようだ。
私は不思議な夢を見た。早く早くと何かに急かされるように走り、気づくと鳥居の前に立っていた。ゆっくりと鳥居をくぐり、中に入ると、白い社が見えた。
社の屋根の奥から桜の木が見え、その花びらが一面に広がっている。美しい光景に、まるで社に誘われるように近づくと、突然辺りが暗くなった。
回りを見回すと、桜の木の中央に向かって、黒い小さな何かが一気に広がる。みるみるうちに私の足下にも広がり、足下から上に這い上がってくる。私はぞっとして、その黒い何かを振り払おうと必死にもがくが、びっしり張り付き払えない。全てを覆い隠すように広がっていく。全身がのまれる、声を出し、助けを呼ぼうとしても声がでない。助けを求めて手をあげるが、伸ばした手の先には誰もいない、手まで黒い何かに覆われたる。
ばっと目が覚めた。私は酷く汗をかいており、体が冷えていた。このままでは風邪をひくかもしれないと、汗でびっしょり濡れた寝間着を着替えるため立ち上がる。さっきの夢はただの夢なのか。しかし、何故か自分の中ではただの夢ではないと、心が警鐘をならしている。あれは白い社だった。以前煌熙に教えてもらった西の社のことではないだろうか。私は頭を振り、服を着替え終えると、またベットに横になった。さっきまで眠っていたが、悪夢にうなされたせいでなんだか疲れてしまった。今度は悪い夢を見ないようにと願って、目を閉じる。
眠りに落ちる寸前、なんだか廊下が少し騒がしい気がしたが、それに反して外は虫の音一つ聞こえない不気味なほどの静寂だった。私の意識は朦朧としていて、廊下を確認することなく、ゆっくりと夢の世界に誘われていった。