力の発現
私は夢でも見ているのだろうか?
だいたいあんな生物は見たことがないし、こんなタイミング良く、正義のヒーローのように、あんな美形が現れるなんて。
(そうだ……これは夢だ! 夢だわ!!)
私はそう結論づけた。だってこんなことあり得ない。
しかし、どうせ夢ならあんな怖い獣に追いかけられるのではなく、あの美形の青年のみ出てきて欲しいものだ。
少し落ち着くと、次々とそんな考えが浮かぶ。
そんなことを考えていると、青年は腰に差している刀を抜き、獣に向き合った。
(か、刀? 銃刀法違反のこの国で!? さすがは夢……)
私は先ほどまで自分が襲われていた身であったことなど忘れ、完全に傍観者に徹していた。
青年はまるで体の一部であるかのように、流れるような動きで、刀を振る。素人の私から見ても、彼は素晴らしい刀の使い手であるのだと察せられた。
キレがあり、美しく、まるで剣舞でも舞っているかのようだ。
しかし、獣も強いようで、なかなか間合いに入れない。獣が振りかざした腕が、空を切り、地面にめり込むと、ヒビが入り、円形に抉れる。
人間の力で、真正面から獣の爪を防ぐのは明らかに無理だ。しかし、青年はその爪をうまく受け流しながら防ぎつつ、攻撃の時を窺っているようだった。
青年が攻撃をかわし、遂に間合いに入ったときだった。
獣の爪があたったブロック塀の一部が、私に飛んできたのだ。私は短く悲鳴をあげつつ何とか避けたが、その声に青年が一瞬こちらに視線を向ける。その一瞬の隙に獣が腕を振りかざした。
青年は防ぎきれずに横合いから弾き飛ばされ、体を強くブロック塀にぶつけ、咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
私は急いで青年の元に駆け寄る。
「大丈夫だ。それより、こちらに来てはダメだ!」
そう言うなり、青年は私の腕をひっぱり自分の背に庇った。そこで私は青年の肩が獣の爪に切り裂かれているのを知り、はっとした。
酷い傷だ。先ほど弾き飛ばされた時に受けたものだろう。青年は荒い息を吐き、汗を流しながらも、決して獣からその視線を外さない。
「やはり一人では分が悪かったか。俺が引き付ける。その間に君はここから離れるんだ。いいな?」
「そんな…でも…」
(こんな酷い怪我なのに……どうすればいいの? 何か良い方法はないの?)
だが、私はふと思った。
(どうせ夢なんだ。だから、そんなに必死になることもない……そうだよね?)
そう思うのに、何故だかどんどん心が冷えていく。怖い。夢なのに何故私の思い通りにいかないのだ。だいたいあんな怖い獣の登場など望んでいない。
ただこの美しい青年と仲良くできる夢でよかったのに……
こんな夢ならいっそ早く覚めてしまえと、私は思い切り右頬をつねった。
「い、いたっ! えっ?……なんで……夢じゃなかったの?」
「何を訳のわからないことを言っているんだ。わかったか? わかっているなら返事をしろ!」
青年から切羽詰まった声が聞こえた。
「ちょっ、ちょっと待って。」
これが夢じゃないなら、このままここにいれば、青年諸共私もあの獣に殺されてしまうの?
(冗談じゃない! 私はこれでも華の高校生なのよ!)
やりたいこともまだ沢山ある。昨日食べ損ねたプリンも早く帰って食べないと豪兄に食べられちゃうし、明日は私の好きなドラマの放送日だ。家族と旅行の計画もたてているし、それに何より、女の子なら一度は思う、ドラマのような恋もしてみたいのだ。こんなところで死ぬのはごめんだ。
青年の言うとおりにここから逃げれば、助かるのだろうか? 例え逃げたとして、本当に逃げきれるのだろうか? 私は先ほども全力疾走したが、逃げきれなかったのだ。
青年が応戦し、多少時間を作ってくれただけで逃げきれるとは思えない。それに、このまま青年をここに置き去りにすることなどできない。私のせいで怪我をしてしまったのだ。
私とこの青年はつい先ほど会ったばかりの他人であるはずなのにどこかひっかかるのだ。懐かしいような、心が温かくなるような。この感情は何なのか?
「おい。俺はいいが、あちらはそう呑気に待ってくれないみたいだぞ」
青年の固い声が、私を思考の渦から、現実に引き戻した。獣がじりじりと距離を詰めてくる。
「さっき俺が言った通りにするんだ。それしか君が助かる方法はない」
「何で? どうして見ず知らずの人間を、自分の身を犠牲にしてまで守ろうとするの?」
「もともとはこちらの不手際が原因だ。君はそれに巻き込まれただけだ。それに俺は昔から弱い者を守れる強い者になれと教え込まれているからな」
青年はまるで何でもないことかのように落ち着いた声音で話す。あんなに血を流し、苦しそうにしているのに。
「行け」
青年は短くそう言うと、獣に向かって走り出した。私は咄嗟に青年にすがり付き叫んだ。
「駄目! そんな怪我までしているのに死んじゃうよ!」
「馬鹿! 放せ! このままだと二人とも死ぬことになるぞ!」
「わかってる! でもこのまま見捨てるなんてできないんだもん」
そんなやり取りをしているうちに、獣が眼前まで迫り、その爪を振りかざした。
「クソッ!」
青年は何とか刀でその爪を受け止めた。だが刀は震え、少しずつこちらが押されている。当然だ。こちらは手負いのうえ、もともと重量が違うのだ。先ほどまでは刀で受け流していたが、今は後ろに私がいるから受け流すこともできない。
(こんなところで死にたくない。お願い神様助けて)
しかし、そんな願いも虚しく、青年の手から刀が弾き飛ばされた。獣はその隙を逃さず、二撃目を見舞おうと腕をあげた。
まるでスローモーションのように爪がゆっくり振り下ろされる。青年がこちらに振り向くと、私を庇うように、抱き込んだ。
(だめだ……死んじゃう)
「いやー!!!!」
私が叫ぶと同時に、私たち二人の周囲に、無数の光の玉が現れ、大きな球体となって私たちを包みこんだ。
獣が降り下ろした爪は私たちに届くことなく、空中で球体に阻まれるように静止していた。
「こ、これはいったい…」
青年も驚いているようで、私に視線を向けた。
「まさか……この力……君は斎桜姫なのか?」
「さいおうき?」
私はそんな名前ではないし、聞き覚えもない。
「私の名前は桜木愛優美です。斎桜姫なんて名前ではありません」
「違う。名前を聞いているわけではない。まさか君は斎桜姫を知らないのか?」
青年がとても驚いた様子で尋ねると、私は首を傾げた。
「そうか……こちらとあちらでは違うのは当然か……」
青年は小声でブツブツ言うと、獣に視線を向けた。
「それより、まずはこいつをどうにかしないと。」
そうだった。今は何故か光の玉により守られているが、この獣を倒さない限り、危険は去っていないのだ。
だが、心なしか、獣が先ほどより、おとなしい気がする。
「さて、どうするか……斎桜姫ほど、今この状況で心強いものはないが、力を知らない者が、すぐに使いこなせるとも思えない……それに肝心の刀も先ほど弾き飛ばされた……」
「煌熙さま〜」
この状況を無視したような緩い声に、視線を向けると、青年より少し歳上ぐらいの一人の男性が走ってくるのが見えた。
「やっと来たか」
青年はニヤリと笑う。
「あいつも来たからには、もう大丈夫だ。だが、もう少し力を貸してくれるか?」
青年はこちらに手を差し出しながら、尋ねた。
「わかりました。私にできることがあるのなら」
私は差し出された手を握りつつ、返事をした。
走ってきた男性は、こちらに視線を向けると驚いた様子で、一瞬動きを止めたが、すぐ獣に視線を戻した。
どうやら彼も獣を倒すのが先決と考えたようだ。
「煌熙様、私が注意を引きますので、その隙に刀を!」
「わかった!」
青年はすぐに返事を返し、私のほうを見た。
「すぐ戻る。ここから動くな。この光の玉の中にいる限りは安全だ」
そう言うと、青年は光の玉を抜け出し、刀に向かって走り出した。男性は青年が走り出すと同時に、自らの両脇から刀を抜き、獣に向かって刀を降り下ろす。
どうやら男性は二刀流の使い手のようだ。こちらの男性も青年と同じく相当な刀の使い手のようで、二つの刀を器用に使いつつ、隙を見つけては浅く切り込んでいく。
青年が一撃で深手を負わす方法なら、男性は少しずつ相手を弱らしていく方法らしい。
「常護!」
「かしこまりました」
青年の合図で、男性が獣の爪を受け止め、腕の動き抑えると、青年は袈裟懸けに獣を斬った。獣は呻き声をあげ、数歩後ろにさがる。
(凄い! これなら倒せる!)
やっとこの恐怖から解放される。
しかし、次の瞬間私は自分の考えの甘さを知った。
深く袈裟懸けに切られた獣の傷が少しずつふさがり始めたのだ。黒く蠢く何かが獣の傷に集まり、少しずつそれを吸収するごとに、傷がふさがっていくのだ。
「やはり、普通に切るだけでは駄目だな」
「ですがあれを切り刻むのはさすがに厳しいのでは?やはりここは斎桜姫様のお力をお借りするしか……」
二人はそろって、こちらを振り返った。
「君の力が必要だ。力を貸してくれ」
「た、確かに私にできることなら、協力するとは言いました。でも、私は刀なんて扱ったことがないのに倒せるとは思えません」
この平和な国に生まれ、刀すら扱ったこともない娘に何をさせる気なのか?
私が庇われていたのは、私が戦えないことをわかっていたからではないのか?
先ほど青年は自ら弱い者を守るだの言っていたではないか。すると青年は頭を傾け、少し怪訝な顔をすると、はっとした。
「そうだった。君は斎桜姫がどういうものか、知らないのだったな。大丈夫だ。さすがの俺も、刀を扱ったこともない者に、刀を持たせ、あいつを切り刻めとは言わん」
「煌熙様。あまり時間はありませんよ」
「そうだな。説明はあとだ。君はとりあえず、俺の言ったことを繰り返し言ってくれればいい」
そう言うと、青年は跪いて、両手で刀を持ち、こちらに差し出した。
さすがは美形。このような格好をすると、さながら童話に出てくる王子様のようだと見惚れてしまう。
「刀に手を翳してくれ」
私ははっとして、言われるまま刀に手を翳した。
「我は斎桜の姫に忠誠を誓うものなり。命を賭して、これを守り、従うことをここに誓う」
青年がこちらを見た。たぶんこれから先を繰り返せということだろう。
「汝を我が臣と認め、」
「汝を我が臣と認め、」
(なんだろう? 少し体がポカポカする)
「我が力の一部を汝に貸し与えることを許可する」
「我が力の一部を汝に貸し与えることを許可する」
言い終わった瞬間、先ほどの光の玉が凝縮し、青年の刀に一気に集まった。
刀は光を纏い輝いている。
(綺麗……)
その光景に目を奪われていると、一気に体の力が抜け、私は崩れ落ちそうになる。そこをすかさず、青年が受け止めてくれた。
「常護。彼女を頼む」
「かしこまりました」
私はそのまま、男性に引き渡され、そのままゆっくり地面に腰を下ろした。
獣は青年の持つ輝く刀を見ると、まるで怯えているかのように、後ずさる。
「逃がさない」
青年は態勢を低くし刀を構えると、獣に向かって走り出した。獣が腕を振りかざすと、青年はうまくそれをかわし、獣の懐に入ると、刀で獣の胸を突き刺した。獣の呻き声が響き渡り、刀を刺したところから、光が広がり、光が獣を包み込む。
全てが光の粒子にかわり、獣の姿が消えた。
「煌熙様お見事です」
青年は刀を鞘にもどしなが、こちらにゆっくり戻ってきた。
「斎桜姫のおかげだな。ありがとう」
青年はこちらに視線を向け、私の前に方膝をついて屈むとそう言った。
「いえ。私は何も」
私はただ言われたままに言葉を繰り返し、青年が刀を振るうのを見ていただけだ。感謝されるようなことをしたとも思えない。
「だか、君がいなければ、こうもすんなり、あいつを倒すことはできなかった」
「そうですとも。あなたのおかげです」
男性にもそう言われ、何だか照れ臭くなる。さっきまで獣に意識を奪われて、しっかり見ていなかったが、この男性もかなりの美形である。
襟にかかるくらいの長さのサラサラな黒髪に、優しげな印象を与える少し垂れぎみな青い瞳で、こちらの男性も青年と同じような服を着ている。
(やばい)
こんな美形二人に微笑まれながら、注目され、私の顔は今真っ赤になっていることだろう。
この顔の熱をどうおさめようかと考えていると、男性は今度は青年に目を向けた。
「煌熙様、無事で何よりです。来るのが遅くなり、申し訳ありません」
男性は申し訳なさそうに、頭を下げる。
「まったくだ。常護ずいぶん遅かったな。そしてお前にはこれが無事に見えるのか?」
青年は立ち上がり、男性のほうを睨みながら、苛立ったようにそう返した。
確かに、肩を獣にあれだけ傷つけられ、無事と言ってしまっていいのだろうか?
男性は先ほどまでの申し訳なさそうな顔はどこにいったのか、にっこり微笑むと言った。
「生きているのだから大丈夫です。それにあれだけ動けたのですから」
「お、お前な……」
どうやら男性はだいぶタフな考えかたをする人らしい。だが、あれだけ酷い傷なのだから、早く手当てをしたほうが良いに決まっている。
「とりあえず、早く手当てを……」
そう言って、立ち上がったときだった。
目の前が暗くなり、意識が遠のく。
「危ない! 大丈夫か?」
体が誰かに支えられた。この声からして、青年が支えてくれたのだろう。
返事をしなければと思うのに、体が酷く怠く、ピクリとも動けず、声も出せない。
「初めて力を使い、疲れたのだろう。暫く休むといい」
少しずつ遠のく意識の中で、その言葉を聞いたのを最後に、私の意識は途切れた。