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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <終幕>
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 ――あの日から。

 まったく身体に力が入らず、ほぼ寝たきりの状態が続いていたシズクだが、気候が温かくなるにつれて、だいぶ動けるようになってきた。

 調子が出てきたことと、気候が良くなってきたこともあって、ナナンがせっかく散歩に誘ってくれたので、シズクは久々に外に出ることにした。

 しかし、まあ……。

 まず、ナナンには言っておきたいことがある。


「サリファさんの言いつけとはいえ、ターニャと一緒に、七日間も看病してくれてありがとう」


 シズクは、開口一番礼を述べた。

 理由は、簡単だった。

 彼女の様子が、ここ最近変だからだ。

 かいがいしく世話を焼いてくれたが、いつものように無駄口や愚痴が一切なかった。心ここにあらずのような状態で、常にぼうっとしている。

 シズクに何か問題があったかどうか分からないが、分からないからこそ、礼は必要だと思ったのだ。

 しかし、こちらの誠意も虚しく、ナナンはどんよりと重い溜息を吐くのだった。


「はあああっ」

「ナナン?」

「ああ……。私、一体何やっているのかしら」


 温かな日差しが降り注ぐ中、ナナンは正反対のどんよりとした笑みを浮かべている。

 ――まずい。

 シズクは本能的に感じ取っていた。


「……あ、そうだよね。僕なんかの看病なんかやっていて、……七日も、サリファさんに近づけなかったもんね。あ、そうだ。僕も丁度サリファさんに会っておきたかったし、あの小屋に行こうか?」


 気遣って、早口で提案したにも関わらず、ナナンはぎろりとシズクを睨みつけてきた。


「何?」

「あんたさあ、私を見て、分からないの?」

「…………僕、そこまで超人的な能力は身に着いてないよ」

「……そうよね。あんたなんかに分かるはずがないわよね。私が馬鹿だったわよ」


 ナナンは帽子の上から頭を抱えた。

 かなり失礼なことを言われているが、シズクは腹を立てることもできなかった。

 その時になって、ナナンの身に何が起こったのか、何となく察したのだ。


(……だから、何も言わなくても良いのに)


 ナナンは良くも悪くも正直なのだ。


「ふられたのよ。完璧に。木端微塵に……! 分からない?」

「えっ、うわっ……。そうなんだ。サリファさんが……」


 ここまで彼女が口にするということは、決定的な何かがあったのだろう。

 あの朴念仁なサリファが言葉を尽くして、ナナンをふったとは思えないのだが……。

 案の定、シズクの考えは当たっていたらしい。

 ナナンは速やかに違うと否定した。


「先生にはね、想い人がいるみたいなのよ。先生の片思いだったら、振り向かせてやろうと思ったけど。違うみたいだし。ちゃんとするって本人も仰っていたし。……もう打つ手なしってことよ。分かるかしら?」

「…………はあ……。なるほど」


 サリファの想い人については、察しがついている。

 そのために、サリファがすべてを懸けていることも、何となくわかっていた。


「別にいいのよ。まあ、相手が悪かったってことで。ティファレト国民として、盛大に歓迎してあげるわ」

「偉いね……。ナナンは」


 シズクは、本心からそう感じていた。

 自分には、なかなか出来そうもない。

 善か悪かはともかく、サリファやナナンのように自分の生き方には筋のようなものがない。

 まだちゃんと、受け入れることすらできていないのだ。

 だから、流されるようになってしまっている。


「何よ。レガントのこと、気にしているわけ?」


 ナナンもまたシズクの事情を知っているのだろう。

 少しだけ、大きな瞳を細めて、表情を和らげた。


「……まあ、それも、一つではあるのかも」

「レガント、何となく察していたんじゃないかって……。だから、最期に孫のあんたと話しておきたかったのかもしれないって、兄さんが先生からそう聞いたって、言ってたわ」

「そうなんだ……」


 正直、それを聞いたところで、シズクの心の中には届かない。

 レガントに関しては、他人事のように、そうだったのかと思う程度だ。


(でも、いつか……変わるのかな?)


 期待も込めて、微笑する。


 それよりも、むしろあの夜から会っていないユクスの方が気になっていたが、ナナンに話したところで仕方のないことだろう。いずれ、自分から城に会いに行くしかないのだ。


「さあ」 


 シズクは軽く手を叩いた。


「まっ、暗い話はここまでにしてさ。シエットの集落に行ってみようか。ロークさんたちのことが気になるし、サリファさんの小屋は別の日にでも……」

「…………ちょっと待ちなさいよ。あんた、もしかして私に気を遣っているとでも言うの?」

「はっ?」


 再び、きつく睨まれてしまった。


「そ、そんなことないよ。僕は純粋にロークさんたちのことが」

「シエットは解散。現在、集落は毒煙の調査中で立ち入り禁止よ。ロークさんたちは別の所に移されたの。これから、女王陛下の指示のもと、クリアラの正当な民として迎えられるはずだわ。中毒症状起こしている人たちは、先生の薬で症状が落ち着いているみたいだし、焦る必要なんかないのよ」

「じゃあ……えーっと」

「私はね、別に嫌なわけじゃないのよ。避けているわけでもないの。潔く、先生のところに行ってやるわよ!」

「そんな根性試しみたいなことしなくても……」

「うるさいわね! いいから、ついてきなさいよ!」

「…………はい」


 ――そうして、小屋の近くまで来てから、シズクは後悔した。

 ナナンの顔つきが分かりやすいくらい緊張感に満ちたものとなっていたからだ。


「ナナン?」

「……誰か来ているみたいね。兄様じゃないわ。一人だけね」

「一人で?」

「…………多分」


 すべてを理解したシズクは、ぞっとした。


(……ついてないよなあ。どうして、今、この時に?)


「じゃあ、後にしようか。先にこの辺りをぶらついて……」


 ――と、すかさず方向転換したシズクをナナンががっしりと掴んだ。


「別にいいじゃないの。変に気遣う方がおかしいわ。みんなで仲良くお喋りしましょう」

「いやいや、それってどうなの。よくないと思うよ」

「何で? 私はみんなのことが好きだわ」

「謎の博愛主義で、罪悪感を消そうとしていない?」


 少女とは思えない怪力を発揮されて、シズクはずるずると引きずられて行く。

 ……しかし。


「駄目だろう?」


 そんなナナンとシズクを、二人まとめて軽々と肩に抱え上げた男がいた。


「な、何よ!?」


 目を丸くしているナナンに、男は薄ら笑いで答えた。


「俺がせっかくお膳立てしてやった、栄養補給の場を邪魔しちゃ……」

「栄養補給って、一体?」

「栄養がなきゃ、人間、働けねえだろう。違うか? 坊主」


 そして、小屋からだいぶ遠ざかったところで、シズクとナナンをひょいと下ろした。

 白い景色の中に、場違いなくらい赤い髪がなびいていた。


「貴方は……」


 そういえば、紹介すらされていなかったが、ユクスがこの男のことを呼んでいるところを何度か目撃していた。


「ええっと、セディ……ラムさんでしたっけ?」

「おっ、よく覚えていたな。シズクだっけか、俺のことはセディでいいぜ」

「はい……。セディ……ラムさん」


 了承を得たところで、絶対に呼べそうもない。

 ナナンが深々と頭を下げていた。

 こういう形式ばった挨拶は、族長の娘ということもあって慣れているらしい。


「軍掌補佐……。あの晩は大変失礼いたしました。改めててご挨拶させて頂きます。私はアンソカ族のナナンと申します」

「ああ、こないだ会ったじゃねえか。意外に仰々しい奴だな」

「私……貴方の気配をまったく感じませんでした。あの晩も分かりませんでしたが、しかし、あの時は騒音のせいにしていました。でも、今回は違う。アンソカ族として、非常に驚いています」

「そうか? たまにはそういう日もあるだろうさ」

「そんなはず……」


 ナナンは心底驚愕した面持ちで、冬枯れの木に背中を預けているセディラムに目を向けていた。


 ――軍掌補佐、セディラム。


 シズクは中央の政治のことを、まったく知らない。

 けれど、そんなシズクでも、この男が上の地位にいることは感じることができた。

 その割には、薄いシャツ一枚という寒々しい格好をしてはいるが……。


「まあ……。サリファには、精々栄養を補給してもらって、女王陛下のために存分に働いてもらわないと、いけないからな」

「…………しかし、あのお方のほうは、それで良いのですか? 本当は……」


 ナナンが言いにくそうに、しかし遠回りにカナの……ライの本音を代弁している。


「今は、あいつでなければ、国は回らない。あいつだって自覚はあるはずだ。俺はやっぱり、この国が好きだからな。外国に蹂躙されていく姿なんて見たくないんだよ。そのために、柄じゃない宮仕えも耐えているんだからな。二人で好き勝手やるのは構わない。むしろ、どんどんやれってところだけど、ティファレトの王は…………あいつだけだ」

「これはまた、自分勝手な軍掌殿じゃないか」

「…………なっ!?」


 今度も、ナナンが目を丸くした。

 セディラムが舌打ちしている。

 二人して、その男の存在に気付かなかったのだろう。

 金髪の優男がセディラムの背後に立っていた。


「軍掌殿の実に驕慢で悪趣味な主張だ。サリファが可哀想になってくるよ」


 訳知り顔で飛び出してきた男は、ひらひらした袖には金刺繍に、重そうな毛皮。見るからにど派手な装いをしていた。


(こんなに目立つ格好しているのに……) 


 シズクもナナンもこの男が声を発するまで、存在を認識することが出来なかった。


(……なんか、やっぱり一国を支配している人の傍にいる人達って色々とすごい人たちなんだろうな)


 動揺と混乱とちょっとした憧憬を抱いて、男を見上げるとにっこりと微笑まれた。

 この笑顔もまた、どこかで見たような気がするものだった。


「…………貴方は一体、どなたですか?」 


 姿は何度か目にしていたが、正体は知らない。外国の人間なのだろうが……。


「ああ、君が……シズク君か。話は聞いているよ」


 金髪男は、セディラムの横からぬっと現れて、シズクとナナンの前に立った。

 上手いティファレト語だった。とても外国人とは思えない。


「そうだな。君とはいずれ、ちゃんと会う時が来るかもしれないね」


 名前は教えてくれないらしい。


「なんかアルガスの国王から密命を受けた商人らしいけど……。てっきり、ノエムのナガラさんたちと一緒に帰ったと思っていたわ」


 小声でナナンが教えてくれたが、金髪男の耳には、ちゃんと届いているだろう。

 その証拠に、にやにや笑いながら、ナナンとシズクを見比べている。


「くっだらねえ。名前ごときで、一体何をもったいぶっているんだか。お前なんざ、とっととアルガスに帰ればいいだろう?」

「サリファが心配になってきてね。軍掌殿にこき使われるくらいなら、僕の手元に置いて大切に使いたい逸材なんだよ」

「お前、軍掌って言ったのは、これで何回目だ? 叩き切るぞ!」


 セディラムが大声で喚き立てるが、男は涼しい顔をしたまままだ。

 一国を支配する人たちの凄さというより、次第に幼稚さが際立ってきた感じである。


「うーん。もっとも、サリファはそんな軍掌殿の意図には気づいているんだろうけど……」

「ああ! また「軍掌」って言いやがったな!! 何もかも腹が立つ男だな。悪趣味はてめえの方だろうが!」

「はははっ、まあ、否定はしないけどね。サリファはこのままでいた方がアルガスにとっても都合が良いし、僕にとっても、あの子が女王の方が何かとやりやすい」

「俺の理想とお前の企みとじゃ、大きく違う。いい加減にしろよ」


 頭を抱えたセディラムは、ナナンとシズクの背後に鋭い視線を向けた。


「……ったく、おい? そこにいるんだろう、レイラ。お前のうるさい主人を連れて帰ってくれよ」

「な……なっ!?」


 今度こそナナンは、腰を抜かしてしまった。

 金髪の美女がセディラムの言葉によって、木陰から飄々と現れたからだ。


「ええ。連れて行きたいのは山々だったのですが、もう一度陛下に拝謁してからと、駄々をこねられてしまいまして……。陛下にお会いできたら、可及的速やかに、この地を去りますので、ご容赦下さい」

「……あっ、そう。だったら、間もなくだろうな。あんまり、長居させると湿っぽくなりそうだから、昼過ぎにはユクスに迎えに出るよう伝えてきた。フィーガが雪かきしていたから、道も出来てるだろうしな」

「……ふーん。せっかくの二人きりの時間に、制限までつけているのか。つくづく、あくどい男だねえ。制限がない方が覗き甲斐もあるだろうに…」

「うるさいなあ。別に、のっぴきならない関係になってもらっても構わないし、その方が俺には好都合だけど、今ここでは、ちょっと不味いだろう」

「…………お二人共、最低だと思います」


 レイラが秀麗な眉をおもいっきり潜めていた。


「レイラ、誤解だよ」

「何が誤解だ。貴様の方が最低だろうが。あの晩、何の躊躇もなく、レガントの娘を連れてきたくせして」

「仕方ないじゃないか。あの時はあれが一番だと思ったし、サリファが言ったんだから」

「サリファが言っても、自分に利がなければいうことなんざ、きかないだろうが?」


 シズクもナナンも口を挟む暇もない応酬に困惑していると、豪奢な馬車が雪かきされている道を、ゆっくりとなぞってやってきた。


「おっ、言っているそばから、お出ましのようだな」


 セディラムが口元に笑みを蓄えながら、大股で馬車の方に向かって行った。

 そうして、小屋のすぐ傍で止まった馬車の中から、一人の青年が颯爽と地上に下りてきた。

 ――ユクスだった。


「ユクス様……!」


 小さく見えた人影に向かって、シズクもナナンも駆け出した。


「……ああ! シズクじゃないか。どうしたんだ? お前、身体はもう大丈夫なのか?」

「うん。おかげさまで、だいぶ良くなったよ。ユクス様の方こそ……」


 大変だったね……とは言えなかった。

 セディラムやナナンの目もある。

 サリファの一存でないことは分かっていたが、ユクスにとってサリファは天敵だろう。

 顔も見たくないかもしれない。

 ユクスは複雑な顔をしていた。少しやつれたようにも見えたが、精悍になったとも思えた。

 いつも、公子としてきちんとした身なりをしていた彼だが、州公としての自覚からか、更に重そうな豪奢な外套をまとっていた。

 もう気安く、名前を呼ぶのも憚らなければならないかもしれない。


「俺は大丈夫。だけど、ミリアの方がな……。すっかり塞ぎこんでしまって、食欲もないんだ」


彼がぽつりと口にした一言に、シズクは胸を痛めた。

あの夜、リッカ城に連れていかれる彼女に、大丈夫だと頷いてみせたのはシズクだった。

他にどうしようもなかったとはいえ、責任の一端は、シズクにもあるのだ。


「ミリア様……」

「それは、心配よねえ。あっ! 私だったら、同性だし、話し相手くらいにはなれると思うけど?」


 こういう時、ナナンは垣根がない。

 思ったことを忌憚なく口にする。

 そんなナナンに、ユクスは明らかな嫌悪感を示していた。


「ふん。お前の手など借りてたまるか。今度こそ、ミリアが何をされるか分かりやしないからな」

「何ですって!」


 ナナンが感情のままに怒鳴ると、それを聞いていたセディラムがナナンの首根っこを掴んだ。


「だいぶマシになったと思ったが、まだ気にしているのか。公子様は……。ナナンは、お前の親父のこととは無関係だろうが?」

「ですがっ!! 信用できるはずがありません。ミリアみたいな……小さな子がいるところで、毒を盛って人を殺す男の仲間なんて……」

「だけど、お前……陛下は信じているみたいじゃないか?」

「そ、それは! あれは絶対に陛下の指示ではない。サリファの独断ですよ。あいつがミリアの前で父上をわざと殺したんだ」

「サリファは毒を用意してやっただけだ。飲んだのはお前の親父の判断じゃねえか?」

「飲むように仕向けたのでしょう」

「はっ、思い込みも甚だしいな。いいや。そう思うなら、そう思っていればいい。ただ一つだけ教えてやるけどよ」


 セディラムは、ユクスの鼻の先まで顔を近づけた。


「サリファがやらなければ、俺がやっていた。…………それだけのことだ」


 瞬間、金髪男を除く、その場にいた全員が鳥肌を立てた。

 しかし、セディラムは何事もなかったかのように、小屋の扉に視線を移す。

 頃合いを見計らったように、扉がぎいっと開いた。


(………………えっ?)


 ―――そこに現れたのは、純白のドレス姿の可憐な少女。

 

まるで、雪の女王のようだった。

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