①
リッカ城は一夜にして、国王軍に占拠され、その翌日には、身分制度は廃止され、シエットたちは採掘作業から解放された。
今まで普通にあったものが急に崩壊したことで、クリアラの民の混乱は続いていたが、レガントの後任が順当にユクスに引き継がれることが分かって、少しだけ安堵したようだった。
あれから、サリファは小屋に戻り、クリアラに来た頃の生活を取り戻していた。
ナナンは変わらず、シズクの屋敷に滞在してもらうことにしたが、フィーガはサリファの小屋に命令を盾にして住み着いていた。
よほど、サリファのことが心配なのか………ライが彼を護衛に寄越したのだ。
まるで、怒涛の数日間が嘘のように穏やかに流れていた。
近所の人に薬を渡したり、常備薬を作ったり……。
たまに、謎の暇人エレントルーデが、頼んでもないのに、イエドの動向を知らせに来たりした。
そんな日常に埋没しそうになっていた数日目の朝。
突然、フィーガがセディラムに呼び出されたと言って、駆け足で外に出て行った。
「すぐに戻ってきます!」
威勢よく飛び出して行くフィーガの姿は明らかに不自然だった。
(別に、いいんですけどね……)
誰もいなくなると、急激に自分が暇であることを思い出す。
今更ながら、外が晴れていることを知ったサリファは、寒さがやわらいでいることに気がついた。
雪は、あの満月の夜に散らついていた程度で、本格的に降っていない。春は確実に近づいているようだった。
月日は確実に流れている。
そう、実感していた。
(そろそろか……)
程なく、この小屋に来客があることは、フィーガの態度ですでに分かっていた。
サリファの耳にだって、女王がルティカに帰還する情報は届いている。
(セディラムも、私を驚かせようとしているんでしょうが、バレバレですね)
分かりきっているライの訪問を、今日こそ悠然と待ち構えていたサリファだったが――。
しかし、いざ、ライが姿を現わすと、サリファの余裕は木端微塵に砕かれてしまった。
「ライ……ですよね?」
一瞬、別人かと思った。
久々に女性らしい装いになっているせいだろうか。
ライは裾まで刺繍の入った真白いドレスを身に着けていた。染めていた茶色の髪は、艶やかな銀髪に戻っていて、今日は髪を下ろしている。
薄らと化粧を施された姿は、少女と女性の中間にあるようで、独特の色気を放っていた。
サリファは無意識に高鳴る胸の鼓動に、後ろに飛び下がった。
「一体、どうしたんです?」
「それは、こちらの台詞だ。どうして、あんたは私から逃げるんだ?」
「二人きりはまずいと思ったので…………」
「今更だろう。逃げたところで、小屋に二人きりは二人きりだ」
「……そうですね。失礼しました」
「まったく、女王っぽくしろって、クリアラでつけられた侍女たちに、無理やり着せられたんだ」
「そうだったんですか?」
せっかく綺麗な装いをしているというのに、ライの口調はいつも通りぶっきらぼうで、とてつもなく機嫌が悪そうだった。
「…………ほら? 嗤えばいいだろう?」
「なぜ?」
「こんな格好、似合ってないってことくらい、自分でもよく分かってるさ」
何を言ってるんだろう。
サリファは、その自虐ぶりの方に笑っていた。
「とても、綺麗ではないですか?」
「どうやら、今日は大雪が降るようだな」
「…………今日は晴天です。そんな兆候ありませんが?」
言葉の意味は分からなかったが、とりあえず、サリファはライを椅子に座るよう訴えた。
「ルティカに帰る日が早まったんだ。セディまでここに来てしまったせいでな。まともに国が回っているか怪しいって話してたら、エレントルーデが大丈夫って念押してきたから、怖くなって今日帰ることになった」
「賢明なご判断です」
ご愁傷さまと彼女に声を掛けてやりたかった。
あの二人の曲者相手に、リッカ城で孤軍奮闘していたのだろう。
「このまま帰ったら、あんたにあの晩以来会えなくなってしまうから、セディにあんたと二人で会えるよう手配してもらったんだ。あんたにはちゃんと、言っておきたいこともあったからな」
「私も、貴方とお話する機会が出来て良かったですよ」
レガントに託されたライあての遺言があった。
たいした内容でないので、そのためだけに時間を作らせる必要もないと思っていたが、何かのついでに話すには、丁度良い話題だった。
「……で、何でしょう?」
ライはすうっと深呼吸すると、一気にまくしたてた。
「あのな……サリファ!! 私は自分がいつどうなるか分からないから、後継が欲しいとは言ったけど、シズク君に薬を飲ませろとまでは言ってなかったぞ!」
「………………ああ」
「ああ……じゃないだろうが!?」
結構、昔のことのように感じてしまって、すっかり忘れていた。
ライがサリファに託した「お願い」
――自分の後継者を見つけて欲しい。
サリファはシズクがライと関係があることを、最初に会った段階で何となく気づいていた。
調べていくうちに、血縁がありそうなことも分かったが……。
(まさか、伯母と甥だったなんてな……)
レガントとシズクの出生について話すまで、半信半疑ではあったが、ライも予感はしていたらしい。
サリファが話したところ、すんなりと受け入れた。
「まあ、良かったじゃないですか? ちゃんと血の繋がりがある後継者が見つかったってことですから。これでティファレトも安泰ですよね……」
「なにを暢気な……。あの毒薬でシズク君が死んでいたら、あんたは、どう責任を取るつもりだったんだ」
「死なないように慎重を期していましたし。むしろ、薬を飲ませない選択の方が有り得なかったでしょう。貴方の立派な後継になるために、越えなくてはならない課題だったと思いますよ」
「シズク君の意志はどうなる?」
「彼よりも貴方の意志はどうなのですか? 別になりたくてなりたくて仕方なくて、国王になったわけでもないでしょう」
「……それでもだな」
「さっ! 後継も見つかりましたし、いつでもどこにでも行けますね」
「馬鹿言え……。何も知らない十四歳の子供だ。それに、私の甥なんだろ? こんな危険な仕事、押し付けて逃げることなんて、出来るはずが……」
「言ったはずです。私にはまったく関係のないことです」
「だから、また……。あんたは、いつもそんなことを言う」
「再三言っている通り、私は本気です。あれから、何度も貴方の言ったことについて、考えてみましたが……やっぱり分かりませんでした」
……アルガス国王に復讐をしようとしている。
ライの指摘は的を射ていたが、サリファは絶対に認めたくなかった。
あんな男に、これ以上人生を弄ばれるなんて、たまったものじゃない。
「サリファ……?」
机に頬杖をついていたライは、サリファの迫力に息を飲み、姿勢を正した。
「私を惑わせるのは、いつも貴方だけです」
「……えっ?」
「本当です」
サリファは椅子に座り、向かい合うライと同じ目線で見つめ合った。
「………………困らせるの間違いでは?」
「はっ?」
しかし……結構、本気を出して言い寄ってみたつもりだったが、ライはあっさりとサリファの意図を曲解してくれた。
「ええ……。そうですね。困らされてばかりいますね」
腹が立ってきた。
誰のために、サリファはいらぬ労力を使っていると思っているのか?
「ライ……貴方は満月の夜、王家の力をユクス様の前で使ってしまいましたね。軽挙妄動も甚だしい。あんなところ、見られてレガントに報告されていたら、厄介なことになっていましたよ」
「…………まあ、それは……つい。シズク君の前だから、油断したというか」
「まったく……。おかげで、ユクス様は貴方を良からぬ目で見るようになりました。今回だって、ユクス様に州公に就くよう促したのは、貴方だったのでしょう?」
「人聞きの悪い。私は公私混同していないぞ。それが良いと思ったから頼んだだけだ」
「どうやって?」
「普通に呼び出して、ちょっと頼んでみだだけだ」
「…………ちょっと……頼んでみたのですか。ちょっと……ね。ユクス様が更に誤解していなければ良いですけど」
「するはずないだろう?」
「常々思っていましたが、貴方は無防備すぎますよね?」
「おい、それはあんたのことだろう! その自分に鈍感で、色恋について疎いから、変に女の子に気を持たせるんだろうが!? 先輩はどうするんだよ? このまま何も言わずにいるつもりか?」
「どうだっていい話じゃないですか?」
「どうでもよくはないだろう!」
ライは、はあはあと息を乱していた。
興奮して中腰になっていたが、サリファが無言になったことで、再び椅子に腰を下ろした。
「ちゃんと……しろよ。私は先輩とのこと、ちゃんとしたんだから……」
「ちゃんと……? 何をどうしたんです?」
「死んでも言うか……」
そっぽを向いてしまった。
ライの藍色の瞳は、興奮で少し潤んでいる。サリファは、レガントのことを思い出していた。
「ライは……お父上に似ているそうですよ」
「レガントの情報か」
「遺言です」
「…………反応に困る遺言だな」
ライはくすりと笑ってから、さみしげに顔を伏せた。
「レガントのことは……。良かったのかな。これで……?」
「宰宮殿下の話では、あの毒煙の兵器も、イエドの反アルガス派の貴族たちに売りつける算段だったそうです。遅かれ早かれ、アルガスが黙ってはいなかったでしょう。レガントの最期なんて、貴方が気にすることではありませんよ」
「だけど、本当は私がかたをつけなければならないことだったんだ。私はあんたにいつも……辛いことを押し付けている」
「そう思うのなら、是非一緒に逃げて欲しいものですけどね?」
「そうだな」
軽い調子で口に出したら、今度は真面目にライが乗ってきた。
「今まで、あんたの本気ばかりを求めていた気がするけど、大切なのは、私の気持ちなんだよな……」
「どうしたんです? 急に……」
「まさか……十四歳の子に教えられるとは思ってもいなかったけど、少し若かった時の感覚を思い出せたよ」
「ナナンですか?」
しかし、ライはサリファの質問には答えなかった。
顔を真っ赤にして、目を泳がせている。
「私は女性として欠けたものがあるから、下卑たジジイはともかく、魅力も何も一切ないと思っていたんだが……」
「どうして、貴方はそんなことを勝手に思っているんです?」
「あんただって、そう思っているかもしれないけど……?」
「………………私が……ですか?」
どう考えたら、そんなことになってしまうのか。
今だって、サリファは我慢しているのだ。頑張って、大人の……理性ある男を作っているが、いつどうなるのかサリファですら怪しい境界線にいるというのに……。
(……もしかして、あの晩のことを?)
思い至ってしまったら、サリファも面映ゆくなってしまった。
「すいません……。違うんです。あの時は貴方がそういう自分を気にしているから、思い余ったことをするのはよくないと……。それに、外にはレガントの監視もいたので、いくら盗み聞きは不可能だったとしても、色々とまずいのではないか……とか」
「えっ? あっ、いや……。うん、そうなのか……。でも、別に私は気にしているわけではないから」
おもいっきり、気にしているではないか?
手で自分を煽ぎ始めているライは、自分でも何が言いたいのか分からなくなっているようだった。
そして、サリファもまたライ相手だと、どうしても調子が狂ってしまう。
「あ、だから、その……今回レガントから、貴方様のお母様が薬を飲まれた際の資料ももらいましたし、王家の薬のことは更に色々と分かってきたのです。前回、貴方に渡した解毒剤より良いものを貴方にお渡しすることもできると思います。だから、そんなことを気になさらないでください」
「うん。別にそこまで深刻には考えていなかったけど、気にしないようにはする」
「私も次の機会があったら、頑張りますから」
「そうだな。次こそはな……て、あれ?」
そこまで、口にしてみてから、二人して固まった。
(一体、何を言っているのだろう……)
サリファは、自分の言動に冷や汗をかいていた。
ライも照れくさそうに、しばらく机の縁を眺めていたが、やがて、気持ちをなぞるように、ぽつりぽつりと語り始めた。
「本当は今すぐ、逃げ出したい。女王なんてものが柄でないことは分かっているんだ。……でも、いろんな人を傷つけたからさ。少し国が落ち着いて、一区切りついたら。そしたら、一緒に……。駄目か?」
「…………そう言うと、思っていましたよ」
サリファは目を細める。
おそるおそる窺うように、顔を上げたライを無理強いするつもりは毛頭ない。
けれど、納得はしていなかった。
エレントルーデの話から、世界情勢が益々緊迫していることを聞かされている。
確実に、刻限は迫っているのだ。
(いっそ、セディラムにも黙って、お忍びで来てくれたら良かったのに)
いざとなったら、強引に奪えば良い。
しかし、今日は駄目だ。
小屋の外で、必ずセディラムが目を光らせているだろう。
あの男は、意外に愛国者なのだ。
ライが女王の座から降りることを、快く認めやしないだろう。
「では、早々に国には落ち着いてもらいましょうか」
「簡単に言うなよ」
「…………ライ。私は、少し計画を早めようと思います」
「計画って何だ?」
「貴方に忠誠を誓い、国に仕えるつもりです。セディラムが急に出世した件も気になりますし、今回、貴方が暗殺者に狙われていたことも、腑に落ちません。ルティカ城は安全ではないのかもしれません」
「あんたが私に忠誠を誓う? 絶対にあり得んな。おとなしく何処かで待っていることは出来ないのか?」
「今回の件で、私は自分が意外に短気なことを学びましたからね。一人だけ気ままに待つことなんてできませんよ」
ここまで巻き込まれて、ただライを待っている生活など送れるはずがない。
待っていたところで、ライが必ずやって来る保証もないのだ。
「よく分からないけど、あんたは、ティファレト神話を全国に広め歩いているんじゃなかったのか?」
「ええ。改変した神話を広めるのに、あともう少し猶予が欲しかったんですが、仕方ありません。フィーガにでも頼みますよ」
「ちょっと待て。あんた……神話を改変していたのか?」
「アルガス人の私が入り込みやすいように、混沌の神ミディアムなるものを出してみました。ミディアムは黒い格好をしています。ティファレト人は神話好きですから、いざとなった時、ミディアムと同じ姿形をしている私を神として崇めてくれるかもしれません」
「………………もう、何にどう突っ込めばいいのか分からないな」
ライが深くて重い溜息を吐いた。
外の様子が俄かに騒がしい。
彼女の迎えが来たのは、間違いないようだった。
「……ああ、もう行かなくちゃ。とりあえず、今日のところは行くから。またな」
ライが慌ただしく、立ち上がった。
白いドレスの裾がふわりとひるがえる。
純白の衣装は、彼女の存在を一層儚げにしていた。
遠く、届かないまま、サリファの前から彼女が消えてしまう既視感。
理性を壊してでも、この場で手に入れたい衝動に駆られて、去っていくライの腕をサリファは力を込めて掴んだ。
「……サリファ?」
「………………死なせはしませんよ。絶対に」
意味なんてない。
そんなことを言ったところで、サリファのいないところで何が起こるか分からないし、非力なサリファが彼女を護ることができるのかも分からない。
………だけど。
たとえ青臭くても、現実味がなくても、サリファは言わずにはいられないのだ。
ーーーー全身全霊を込めて、守り抜く……と。
「……ああ」
頷いたライの表情を、サリファは目にすることができなかった。
すでに彼女は、サリファの手を離れて歩き始めている。
優しくサリファの手を解いた手は、驚くほど冷たかった。
(あの夜は、温かったのに……)
後悔しても、仕方ない。
二人の距離が離れて行く。
小屋の扉を開けた途端、ライは女王の仮面をかぶり、毅然と整列して待ち構えている臣たちのところに歩き始めた。




