⑨
「…………私が若い頃の話だ」
唐突にそう切り出したレガントは、抑揚なく語り出した。
「私がユクスと同じくらいの年の頃。私はあやつと同じように、クリアラの身分階級に強い憤りを覚えていた。いつか自分が州公になった時、この理不尽な制度を撤廃しようと、安っぽい正義感を振り翳して誓いをたてていた。実際、お前の言う通りで、三十年前までは、シエットと州公はイレリアを通して、それなりに上手くやってはいた。だが、シエットという地位の中であっても、搾取する方とされる側、身分は細かく分かれていた」
そもそも、王家の血筋というだけで、シエットの定義すら曖昧だ。
今より母体数が多いのなら、当然シエット内部でも、上下関係が構築されていてもおかしくなかった。
「シエットの中には、いまだに王族の人体実験をされている者もいた。お前がシズクに飲ませた毒薬。……あれを、使ってどのような変化が起きるのか。シズクの祖母は、そうして人体実験をすすんで引き受けていた奇特な女だった」
「自分で……ですか?」
「裕福でなかったからな。家族を養いたいと話していた。そもそも、あの女は人生を諦めている節があった。あの薬の副作用でイクスのようなものも発症していたしな。当時の私は、少しでも女を助けたいと思った。……せめて、女性としての幸せを味わうことができたらと願った」
その台詞を、サリファもまた毎日のように脳内で繰り返している。
サリファがクリアラにやって来てから、この男から、どうしても直に聞きだしたかったのは、そのことだった。
「彼女は出産をしました……」
「レイリア……だ」
レガントは乱雑に本が積み重ねられ、原形をとどめていない机の上から、赤い鉱石をサリファの手に渡した。
イレリアの原石だ。
このまま宝石として使う貴族もいるが、砕いて薬として使っていた薬師もいた。そして、レガントのように毒兵器として利用する者もいる。
真っ赤で透き通ったそれは、美しくもあったが、まるで血の色のようでもあって怖かった。
「レイリアは毒だが、それを王家秘伝の薬に混ぜることで、お互いの毒性を相殺する性質があるようだ。……とはいえ、ルティカ伝来の薬と、こちらの薬の作り方は製法が違う。私が知っている作り方で、薬を飲ませたとして、昨夜の女王やシズクのような力を発揮することはできない。もしかしたら、死期を早めるやもしれぬ。私が若い頃、前の州公や一部のシエットたちが研究していたのは、王の力を引き出すための薬なんかではない。不老不死の研究だった」
ライは緩やかに成長している。
成長が止まったように見える薬ならば、不老不死に近づいた気はするだろう。
「それで、貴方様は、女王の正体にいち早くたどり着いていたのですね?」
「即位する前に、一度顔を見に行った。あの目は……外見はともかく、小娘のするものではない。まさか、あの男の娘が女王になるなんて……な」
しみじみ呟くレガントに、サリファはどうしても知りたいことを尋ねた。
「あの男とは、誰なのです?」
「叛乱の首謀者だ。利発で賢く自信に溢れている……いけ好かない男だった。あの男は、そこまでして私が大切に面倒を見ていた女を強引に妻にした。私は娘のことは諦めていたが、仲睦まじい夫婦仲を見せつけられると、女に裏切られた気持ちで一杯だった。男を葬り去りたいと常に思っていたよ」
「買い被るな……と私に仰ったのは、そういうことだったのですか」
「三十年前の叛乱の際、私は奴の企みを父に密告した。結局、私を突き動かしたのは、ただの嫉妬だった。夫を喪い、子供一人遺されてしまったら、女は私にすがらずにはいられないのではないかと計算していた。浅はかな男だ」
レガントは自身の身を切るように、過去を語ることで、懺悔をしているようだった。
「女は私を恨み、蔑んだ。私が治したと思っていた病も再発し進行した。もしかしたら、今度もイレリアが女を救うかもしれないと……。私は叛乱の際に捕えた罪人を率先して、薬の実験体に使った。しかし、そうして尽くしたところで、私に対する女の態度は変わらなかった。どうせ嫌われのるならと、私はもっとも酷いことをした。……女は私の子供を身籠った」
「その子供が、シズク君のお母様ということですか……」
「今度こそ……女はおかしくなった。私を必要以上に恐れ、私が女とあの男との間に生まれた娘に酷いことをするのではないかと、警戒するようになった。そして、当時あの薬のことについて調べるために、クリアラを訪問していた前国王のユージスに、娘を託してしまった」
サリファは、ライが話していたことを、思い出していた。
そんなに広くない家で過ごした幼少期。
ライはカーテンにくるまって、ある人が来るのを恐れていた。
つまり、そういうことだ。
レガントが来ることは恐ろしいことだと、ライは母親にすりこまれていたのだ。
「………………州公様」
サリファは運命の皮肉に、口の端を上げた。
この男はずっと見えない敵と戦っていたのだ。
「女王陛下は、貴方のことなど、まったく覚えていらっしゃいませんよ」
「ユージスは、私のことを話さなかったのか?」
「前国王は、最期まで貴方のことを彼女には話しませんでした。出生など関係なかったのでしょう。あくまで、前国王は自分に何かあった時に、ティファレトを託せる相手として、彼女を養育していたのです。女王は貴方に復讐しようなんてつもりは、微塵も持っていませんでした」
「…………そうか」
レガントは上を向き、溜息と同時に頷いた。
「嗤えるな。私は……。女王は絶対に復讐を遂げに来るだろうと思い込んでいた。ノエムが暗殺者を大量に放ったせいで、女王が警戒を強めているという噂を聞いていなければ、私がやっていたことだろう。女王にとっては、意味も分からなかっただろうな」
「貴方様は死ぬほど後悔なさっていたのでしょうね。三十年前のことを」
「長い間、こだわり続けていたのは、事実かもしれないな。シズクの母親が成長した時、自分のことはもういいのだと私に言った。あの時に一度は解放されたつもりでいたのだが……」
「自分の人生を生き直そうとされて、ユクス公子とミリア様を授かったのでしょう」
だったら、どうしてレガントは、そのまま上手く人生を歩むことが出来なかったのだろう。
このまま当たり障りなく、無難に仕事をしていれば、名州公として後年評価もされたかもしれないのに……。
(いや、駄目か……)
サリファがいる。
どんなにこの男が器用に生きようが、ライとの関係を吹っ切っていようが、結局、サリファがこの男を排除することには変わりなかっただろう。
いずれ、ライには女王を退いてもらう。
近いうちに、ティファレトは戦乱に巻きこまれるだろう。
アルガスはティファレトを拠点として、更に東の大陸に進出することを企んでいる。
そして、それは東の大陸も同じだ。
そんな危険な王国の女王なんて、絶対に長居させたくない。
でも、今……彼女はこの国の女王なのだ。
現時点で生じている懸念事項は、サリファが取り払うと決めた。
レガントがライの出自を知っている時点で、この男はこの世にいてもらっては困る存在になっていたのだ。
「幸せだったはずだ。特に問題がなく妻が死ぬまでの間。ユクスが成長するまでの十数年間は……。しかし、三十年前の……あの頃の自分の年齢にユクスの年齢が近づくにつけて、私は息子の中に過去の自分を見るようになってしまった」
「公子様は身分制度に憤りを覚え……シエット達と交流がある。貴方様と似ていますね」
「おかしな話でな。私は自分の息子だというのに、次第にあれと、どう接して良いのか分からなくなった。……孫ともそうだ。近づけば、また恨まれてしまいそうで怖かった。結局、三十年前のまま、残忍で孤独な子供の心のまま、この歳になってしまった」
言いながら、立ち上がったレガントは、机上に積まれた本と本の間から、年季の入った紙の束を持ち出すと、サリファの前に突き出した。
「これがお前の欲しているものだろう。イレリアとあの毒薬の研究資料だ。今回、使用した兵器の詳細についても書き付けている」
「ありがとうございます」
探す手間が省けて、一石二鳥だ。
王家のあの薬を飲みながらにして、出産をした希少な女性がクリアラにはいた。
しかも、それはライの母親だったのだ。
イレリアが関わっているのなら、ライのために使えるかもしれない重要な資料である。
だが、素直にそれを受け取ろうとしたサリファに、レガントは顔をぐっと押しつけて念押した。
「この研究のことは、ユクスもザッハスも、近しい者でも知らぬことだ。ごく少数の者に協力をさせたが、絶対に口外はしないだろう」
「ええ。分かっていますとも……。他に当時のことを書きつけた日記とか、ありませんか?」
「馬鹿な。後々、そんなものが残って、困るのは私も同じだ。すべて処分している」
「潔い覚悟です」
「どうせ、最初からクリアラの行く末は決まっていたのだろう……。私の運命も」
鋭い洞察力だ。
やはり、人手不足のティファレトには存在していて欲しい傑物なのかもしれない。
「一つ聞かせて欲しい」
「何でしょう?」
「お前はシズクを……。どうするつもりなのだ?」
レガントは何のために、毒薬を飲ませたのか……とまでは訊かなかった。
この男なりに、孫の将来を案じているのだ。
「彼には彼の人生があります。少なくとも、あの屋敷の中で一生を終えるのは酷だと思いますけどね。広い世界を見た後で、彼自身が決断すれば良いことです」
「果たして、決断する権利は与えられるのかな?」
「女王陛下の御心によります……」
適当にそんなことを言っている。
彼は貴重なライの後継者だ。
彼女の後顧の憂いを絶つためにも、最終的に国王にでも何でも収まってくれたら良いとサリファは思っている。
絶対に誰かに話すつもりもないが……。
「では、その慈悲深い女王陛下に、私からの言葉を伝えてくれ。藍色の瞳が、父親ととても良く似ている……と」
「……それ、陛下が反応に困るような伝言ですよね」
「毒煙の兵器でノエムを撃退し、最終的にルティカに対する脅しになれば良いと思っていた。しかし、女王のあの力だ。脅しにもならなかったかもしれぬ」
「満月の頃を避けていたら、犠牲者の数も甚大になっていた可能性はありますね」
「わざと満月の頃を狙ってきたくせに、よく言う?」
「女王陛下の力を当てにしたわけではありませんよ。航海するのなら満月の方が明るくて良いでしょう。船働きもしやすい」
「…………そういうわけか。何もかも嫌味な男だな」
「似たような称号は、幾つも所有しています」
「……何もかも準備の良いお前のことだ。どうせ、私の最期も想定しているのだろう?」
「……………………ええ」
サリファはうなずくと、懐から茶色と透明の小瓶を二つ取り出した。
茶色の小瓶をレガントに握らせながら、説明する。
「こちらは、貴方様に頼まれていた中毒症状を抑制し、進行を緩める薬です」
「本当に作っていたのか?」
「失敬な。作ることは出来ると、お伝えしていたじゃないですか……」
「そうだったな」
「それで、こちらが……」
言いながら、白い瓶をレガントに渡した。
「苦しまないで逝くことのできる即効性の毒薬です」
「お前という男は……。今日シズクといた時から、これをすでに懐に忍ばせていたわけか?」
「決着は今日だと分かっていましたから。貴方様は、イレリアについては詳しくても、こういった一般的な薬学の知識は少ないようだったので、老婆心ながら作っておいたのです。もっとも、あの騒ぎでいつ割れてしまうか、冷や冷やしていましたが……」
「…………あの時は、さすがにその夜にこんなことになるとは、思ってもいなかったな」
レガントは二つの瓶を眺めながら、しみじみと呟いた。
「どうぞ、好きなようにお使い下さい。私は陛下に報告に行かなければならないので、こちらを離れます」
サリファは資料を片手に、その場から立った。
真っ白な空間でランプの灯に照らされている赤い光草が残酷なまでに、美しく光って見えた。
……この景色を忘れることは、なかなかできないかもしれない。
早足で扉から出ると、外で待ち構えていたが、ミリアがサリファに飛びついてきた。
「父様と何を話してらっしゃったんですか?」
「……少し、昔話をしていました」
「どんな?」
好奇心旺盛な純粋な瞳に、サリファはそっと目を逸らす。
セディラムが子供の世話は疲れたと言わんばかりに、欠伸を押し殺していた。
「ミリア……。こいつに聞いても無駄だ。父上に直接聞こう」
ユクスがサリファに甘えるミリアの袖を引っ張った。
(似た親子だったな)
最初、レガントとユクスが並んだ時、まったく似ていない親子だと思っていた。
けれど、今はとてもよく似て見える。
一途なまでの頑固さ。不器用な生き方は、親から子に受け継がれたものだ。
「何だよ?」
「クリアラは全面降伏です。州公もそのおつもりでした。争いはここで終了です」
「そうか……」
ユクスとミリアが再び、扉の先のレガントに向けて走り出した。
ふうっと、深い息を吐くサリファの横顔にセディラムは気づいたのだろう。
「お疲れ……」
声を掛けてきた。
……そして。
直後に、背後でミリアの悲鳴がこだました。
…………後々、サリファはこちらが渡した小瓶を二本とも飲んで、レガントが絶命していたことを耳にした。
サリファは、その時の対応をひどく後悔したものだ。
(どうせ渡すなら、毒薬だけにしておけば良かった……)
二本、レガントに渡したのは、サリファの温情だった。
毒薬として手渡した白い瓶の方は、中毒用の薬だった。
そして、中毒症状の緩和薬として提供したのが茶色の瓶の方に毒薬を仕込んでおいたものだった。
もし、今回のことで毒を飲むくらいならば、もう少し生かしても良いだろう……と。
(おこがましい……)
レガントは白い瓶の中身を飲んでから、即効性にも関わらず死なないことに気付き、サリファの目論見に気づいた上で、茶色の瓶の中身を飲み干したのだ。
最期まで、ふてぶてしい男だった。
―――狸ジジイ……。
結局、レガントは子供たちのために死を選んだのだ。
クリアラの暗部を独りで背負って旅立った。
サリファの脳裏に、アルガス国王の後ろ姿が浮かぶ。
(同じ父親でも、まったく違うな……)
顔を会わせる機会もないためか、悲しいことに、後ろ姿しか思い浮かべることもできなかった。