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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第1章 <2幕>
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 黙ったままエレントルーデの背に従って歩いていると、自然と突き当りの部屋に通された。

 エレントルーデの髪と同色の派手な調度品で埋め尽くされた部屋は、聞かずともエレントルーデの私室だと確信できる。

 先にサリファを部屋に通したエレントルーデは、衛兵に人払いを命じてから、ゆっくりと部屋の中に入ってきた。


「すぐにでも海中を捜索させて、セディラムを中心とした反逆者たちを捕えようと思ったんだけど、あの荒波の中に放り出されたんだもんね。死んでいるか、生きているか。時間の無駄に思えて、やめたよ。どうせやるならもっと上手くやれって感じじゃない?」

「あの……」

「まあ、こんな悪天候のなかわざわざ誘拐なんて企てようとするんだ。何か彼らにも理由があったんでしょう。まったく兄上もとんでもない人達を先導師に勧めてきたものだよ。父上に叱ってもらわないとねえ」

「ライを先導師に勧めてきたのは、殿下の兄君だというのですか?」


 ティファレト国主ナダルサアルがエレントルーデにライを紹介したということらしい。

 てっきり、エレントルーデがサリファへの嫌がらせで、ライを連れてきたのだと思っていた。


「そうだよ。兄上のせいだ。だから、とりあえず、ティファレトのアルガス軍に港、城までの馬車道の警備を徹底するように伝えよう。雨風もおさまったし、深夜には伝達用の鳥も(ティファレト)に届くでしょう」 

「――殿下」 


 サリファは咳払いをした。


「何? 君「鳥」のことを知らなかったけ?」

「知っています。王室御用達の鳥でしょう。手紙を目的地に運ぶことができるのだと聞いたことがありますが。それをティファレトに送るのですね」

「そうそう、その鳥が……」

「殿下……。それどころじゃないんです」

「それどころじゃない……かな? どうも最近、そういう感覚が麻痺していてね」

「――あの人……、カテナ様の病は、イクス。死病じゃないのですか?」

「やっぱりね」 


 エレントルーデは、わずかに口角をあげた。


「君もそう言うと思ったよ」


 部屋の中心に陣取っている白の長椅子に腰を下ろしたエレントルーデは、優雅に足を組んだ。


「僕のような素人でも知っている有名な病気だ。だから、さっきは、そんな重病の彼女が海に落ちたと聞いて、心底、肝を冷やしたよ。君にも申し訳ないことをした」

「謝るくらいなら、説明して下さい。カテナ様の病はいつからなんですか?」

「三年前、ティファレトで保護した時からだね。上手くすれば快癒できるかなって思って、考えられる限り、色々手を尽くしてみたけれど、駄目だね。ゆっくり進行している」


 確かに、イクスに感染して三年も生きながらえているのは奇跡に近い。

 最初は空咳からは始まり、進行すると血を吐くようになる。

 そうしたら最後、次第に喀血の量は増え、ついには食べ物を嚥下すことも難しくなり、衰弱して死に至る。

 医者まがいのことをアルガスでしていたサリファなので、よく知っている。  もっとも、多く患者を診ていても、治療法は分からないし、原因の特定も出来ていない。

 分かっていることとしたら、栄養不足で弱っている人間は発症する可能性が高いということくらいだろう。


「……カテナ様は、ティファレトで、よほど衰弱されていたんでしょうね」

「君のせいじゃない。まあ、君にとっては、僕のせいなんだろうけどね。あまり深刻にならないことだ」

「深刻?」

「君にはどうにもできなかったってことだ。だって、アルガスでの君は、ほとんど軟禁生活だったじゃないか? 人を雇って探させることも困難だったし、手紙だって無理だった。ティファレトと関わりを持つことが一切禁止されていたんだから仕方ないでしょう?」

「私としては、殿下がすぐにカテナ様のことを教え下されば、色々できたと思いますが?」

「珍しく頭に血が上っているようだね。サリファ。じゃあ、カテナ妃がティファレトで困窮していたと知ったところで、君に一体何ができたのかな?」

「私は……」


 船が揺れた。雨はやんだが、まだ波は荒れているようだった。

 よろけたサリファは壁に手をかけ、エレントルーデの表情を見た。彼の顔に浮かんでいたのは嘲りだった。


「母君と逃げる? 逃げ切れると思うの?」 

「…………それは」

「君が暮らしているのはアルガスだ。アルガス国王、いや僕の庇護のもと、君はのうのうと生活しているのだと分かっていたはずだ。君は降伏したことになっている。だが、十五年前、敗戦と同時にカテナ妃はティファレト王と逃げた。本来なら見つけたその場で処刑が妥当なんだよ。君が彼女を引き取ることは不可能だ。君にはアルガス王直属の見張りがついていた。さすがの僕にも、その見張りをどうにかすることは出来ない。だから知らせない方が良いと思った。知ったところで、いつ病気で死ぬのか分からない母親を抱えて、君が苦しむだけじゃないか?」

「もしも、アルガス王にばれたら……」

「殺されるよ」


 ティファレト国王の所在はいまだに不明だ。 

 だから、きっと何処かで、カテナはティファレト国王と一緒に静かに暮らしているのだとサリファは信じていた。

 二人を逃がしたいから、自分が城に残った。

 母が幸せに生きてくれるのなら、制限つきの生活も苦にならないと思っていた。


 ――それは間違っていたのか?


「父上は敏いというか、抜け目ないジイサンだからね。僕だって尻尾を出すわけにはいかなかったんだよ。監視の目を盗んで、君を連れだすことは至極難しいんだ。今回はティファレトに行くからってことで、父上に頼みこんで僕が君の監視役になったんだから」

「殿下の目的は? 見返りもない人助けはしないでしょう?」

「だから、ライだよ。君が彼女を気にしていることが、僕にとってはとても興味深いんだ」


 含み笑いを浮かべるエレントルーデは、何かよからぬことを企んでいるのだろう。この男に翻弄されているのかと思うと、悲しくて涙も出ない。


「彼女が本物のカテナ妃の娘かどうか知りたいのですか?」

「知りたいね。今後の参考のためにも」

「……残念ながら、ライのことは私にもさっぱり分かりません」

「そう?」

「本当ですよ。わざわざ謀反の可能性のある娘をカテナ様の存在をちらつかせて案内役にして嵌め、私に会わせるというとてつもない嫌味な行為をやってのけられたとしても、私はそんなことを根に持って嘘はつきません」

「相当、根に持っているように思えるけど?」

「そのように思えるのなら、殿下が私に疾しい気持ちをお持ちだからではないですか?」

「どうして、そう思うの?」

「殿下は、私に隠し事をされていますね?」


 サリファは渋面のまま、座っているエレントルーデを見下ろした。


「子供騙しを仰らないでください。殿下が仰ったことは、正論ですが、それだけで母を三年隠す理由にはならない。それに、ライの存在だって、彼女が本物であろうが偽者であろうが、それが証明できないのなら、殿下にとっては、どうでも良いことのはずです」


 エレントルーデが答えないことは分かっていたので、サリファはそのままひとりごちた。


「殿下が母と私を連れてティファレトに行く理由の一つは、母が死にそうだから。母は生きていれば、アルガスでも利用価値はあったのでしょうが、もう長くない」

「息子のくせに残酷なことを言うね」

「貴方が母の最期の願いを叶えてあげようという殊勝な気持ちだけで動くとも思えない。ライの存在以前に、もっと別な理由があるのではないですか?」

「別な理由……か。君には分からないの?」

「…………分からないから、訊いています」

「そう。そこまで分かっていて君が見破れないのなら、それは君が君でいる限り分からないことかもしれないね」

「まったく質問の答えになっていませんよ」

「僕は同情しているんだよ。君が父上に認知されなかったのは、僕の母に影響力があり、嫉妬深かったせいだからだろう?」


 ……それは、明らかな嫌味だ。

 エレントルーデと同じ血が流れていることに、サリファはいまだに納得していなかった。


 ――サリファの父は、アルガス国王である。


 母カテナはアルガス国内で反乱を起こした下級貴族の娘で、罪人として扱われたところを国王に見初められたらしい。

 アルガス国王は、自分の妾にした女性を、今度は養女としてティファレトに嫁がせた。

 サリファにとって、わざわざ忌まわしい記憶を呼び覚まさなくても良いものを……。


「そもそも、貴方が命を預ける護衛の身辺調査をしないはずがないんです」

「…………えっ?」


 わざとらしく、とぼけたエレントルーデをサリファは睨みつけた。


「確か……。ライに寝返った侍女の名前は、レイラと言いましたね」

「そうだったかな。彼女も捕まえなきゃならないね。どう手配するか……」

「殿下。私はむしろ、あの人だと思いました」

「どういう意味?」

「殿下好みの女性という意味ですよ……」


 エレントルーデの表情が一変した。核心を突かれたような、気まずい顔をしている。


 ――分かっている。


 この男が侍女にカテナを人質にされたくらいで、怯むような優しさがあったのなら、サリファとて、ここまで苦労しない。

 大体、あんなくだらない芝居で、サリファを騙すつもりだったのかも怪しい。

 あえて口に出す必要もなかったが、それでも、たまにはこの憎たらしい腹違いの兄に言い返してみたかった。


「それでは、私はこれで……」


 余計な言葉を投げられる前に、とっととこの場から退出しようと扉に向かった時だった。

 けたたましく扉がノックされた。

 サリファを通り越して、エレントルーデがのんびりと扉を開ける。


「どうしたの?」

「報告すべきか、迷ったのですが……」


 衛兵はここに至っても逡巡していたが、首を傾げたエレントルーデに急かされるようにして口に出した。


「さきほど、捕えた捕虜が……」


 ――ライのことか?

 しまったと、サリファは後悔した。

 カテナを救って貰ってから、かなりの時間が経っていたのに、彼女を放置したままだった。


「どうしたのですか。話して下さい」


 それには、エレントルーデではなく、サリファが身を乗り出した。


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