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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第1章 <1幕>
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「…………ライ様。そろそろ行かなければ」

「セディラム。船の準備を。目的は果たした。速やかに撤退するよ!」

「ちぇっ。何か戦利品の一つでもないのか?」

「目的はあくまでカテナ妃だ。もたつくなよ。宰宮の優秀な部下に首を持ってかれちまう」


 エレントルーデのことは、心底どうでもいいらしい。

 ……おかしい。とっくに、エレントルーデであれば気づいているはずだ。


 ―――彼らはカテナに殺意を抱いていない。

 

 むしろ護ろうとしているのだ。ならば、人質になんてならない。

 エレントルーデがその気になれば、すぐにでも捕えることが出来るのに、どうしてそうしないのか?


「つまんねえの」


 言いながらも、セディラムは背後の配下に視線で指示を送っている。

 荒くれ連中は意外にも大人しく、甲板から横付けされている船に向かって、飛んでいった。嵐の夜に、よくぞこここまで危険な真似が出来るものだ。

 ライはエレントルーデを引っ張りながら、サリファの目前にずんずんと進んでくる。


「ライ。これは一体……?」

「見て分かんないのか? あんたは三年もの間、宰宮に騙されてたってことだよ。馬鹿」

「…………ですよね」 


 今日はいろんな局面で、自分の不甲斐なさを思い知らされていたが、ライの「馬鹿」の一言が極めつけだった。


 どうして、サリファは気づけなかったのだろうか。

 エレントルーデが話す女性の話にまったく興味を抱けなかった。

 もう少し突っ込んで聞いていれば、こんな形でカテナと再会することもなかっただろうに……。


「じゃあ、愚かな私に一つだけ教えて下さい。その御方をどうするつもりなんですか?」

「どうしようが私たちの勝手だろう? あんたはそのまま宰宮に飼われていればいい」


 ライは言い捨てて、そのままレイラと共に、サリファの前を通過していく。


「ちょっ……、ちょっと待って下さい」


 このまま何もせずに、彼女たちを見逃すわけにはいかなかった。


「じゃあ、カテナ妃の代わりに宰宮を持っていけば良いじゃないですか? カテナ妃より遥かに役に立つと思いますけど?」

「あのねえ。サリファ?」


 エレントルーデがひきつった笑みを浮かべていたが、どうだって良かった。


「嫌だよ。そんな物騒な人、持っていけるか」

「ライ! 海がヤバい。急げ!」


 セディラムが次々と逃げていく仲間を見送りながら叫んだ。

 雨が降ってきた。少しずつ霧は晴れ、視界は良くなりつつあるが、風が強まっていた。


「ああ、分かって……」


 ……と。話しているそばから、強風が吹きこみ、ライは後ろに派手に尻餅をついた。


「―――っう」


 強かに臀部を打って、態勢が崩れたライを、さすがにエレントルーデも見逃さない。


「可愛い転び方だなあ」 


 エレントルーデは流麗な動きで、ライの背後に回ると、その手を後ろに軽く引っ張った。


「放せ!」

「そりゃあ、こっちの台詞だよ。結構痛かったんだからさ。もう少し上手くやってよね」


 ライの持っていた剣を奪い取ったエレントルーデは形勢逆転。

 ライを羽交い絞めにした。


「とりあえず、一回くらい僕も反撃をしておかないと……」

「うわあ、最悪。何で手間取らせるかなあ?」


 セディラムが呆れた声をあげた。


「ライ様!」


 レイラが血相を変えて、カテナを抱えたままライに近寄ろうとする。――が。


「来るな!」


 ライが一喝した。


「カテナ様を安全なところへ……」

「しかし……」

「それって、まるでカテナ妃にとって僕が安全じゃないって感じじゃない。サリファ?」

「殿下は私に何を言わせたいのですか?」

「レイラさん! 早く!」


 レイラはライの有無をも言わさない勢いに無言で深くうなずくと、小脇に抱えていたカテナを丁重にセディラムに渡し、躊躇なく海に飛び込んだ。

 セディラムはカテナを肩に抱えると、顔色一つ変えずにひょいと柵を越える。


「ま、待ちなさいっ!」


 慌てて走り出したサリファを嘲笑うように、セディラムはカテナの羽織っていたケープを風の中に放り捨てた。


「じゃあな」


 明るい声とは裏腹の暗い海底に落ちて行く。


「待っ…………!」 


 手摺から乗り出し、湿気たっぷりの強風に暴れる前髪を押さえながら、サリファは三人が吸い込まれていった黒い水面を覗き込んだ。

 闇と霧に覆われた海を煌々と照らしている小型船の灯は、激しい時化の中で頼りなく揺れていた。

 こんな所から飛び降りて、三人は無事に逃走用の船に乗れたのか?

 さすがに海原は荒れ、暗くて分からない。

 しかし、三人の生存は意外な形で知ることとなった。

 ――悲鳴だった。


「きゃあああっ!」


 傍らの兵士の持っている明かりを奪って、サリファが海を見下ろすと、荒れ狂う波に揉まれながら、筏のような小さな船に、セディラムとレイラ、カテナが乗っていた。


「おい。暴れんなよ。くそっ」


 セディラムが目覚めたカテナを持て余しているらしい。目覚めたら、見知らぬ船の上。しかも波は大荒れだ。叫びたくもなるはずだ。


「聞こえますか、セディラム! 貴方たちは無謀なことをしているんですよ!」

「サリファ。お前の説得方法は定型すぎるぞ」

「……あの。セディラム」


 レイラが冷静に言った。


「一つ提案なんですが、ここは予定変更したらどうですか。殿下と交渉してみるとか?」

「そうです。彼女の言う通りです。甲板に戻って下さい。殿下が交渉に応じますから」

「ええっ? 僕が? そうなの?」


 早口で喋ったつもりだったが、今回もエレントルーデにはティファレト語が分かっていたらしい。

 舌打ちしたサリファは、エレントルーデを睨むことで黙らせた。


「セディラム。こんな荒れた海を航行できるはずがないでしょう。貴方なら分かるはずだ。命があるうちに、こちらの船に来て下さい」

「……ったく、サリファは小姑のようだな」


 何か悪口を言われたような気がするが? 

 声が聞き取りにくいのは、彼がカテナを押さえつけているせいだろう。


「……俺はさあ、いい加減頭に来てるんだぜ。ここまで準備するのに、どれだけ苦労してきたことか。……なのに、みんな言いたい放題。足並み揃わず、計画がめちゃくちゃ。俺はな、元々アルガス人と、子供は大っ嫌いなんだ」

「子供だと?」


 どうして、そこでライが絡んでくるのか。


「大体な、話が違うじゃないか。ライ。カテナ様は、話の分かる人じゃなかったのかよ?」

「それは……」


 確かに……。

 それは、サリファも気にしていたことだ。見た目は正真正銘カテナだった。

 しかし、カテナはサリファに気づいてない。

 十年の月日で、容姿はだいぶ変わっているかもしれないが、カテナがサリファを忘れてしまうなんて、絶対に考えられなかった。


「貴方、誰!? 私に触らないで。放して!」

「いてぇ!」


 どうやらセディラムの腕に、カテナは噛みついたらしい。

 そのうちに、一際強い風が頬を殴るように吹き抜けた。


「…………うわっ」


 その場にいた全員が、ほぼ同時に体に力を入れて呻いた。

 気を抜いたら、そのまま飛ばされてしまいかねない強風だ。

 しかも運悪く、どしゃぶりの雨まで降り始めている。

 だから、サリファは、びしゃんと大きな水音が響いても、雨によるものだと信じていた。

 ……しかし。


「おい、嘘だろ?」


 セディラムの呟きに、サリファは青ざめた。


「落ちた……?」


 まさか、カテナが海な落ちたのか……?

 この地獄のような海に?


「明かりを! もっと!!」


 刹那にエレントルーデがサリファのもとに駆けながら、兵達に命じた。

 ほとんど無意識に、体を動かしたサリファは、そのまま柵を越えようとする。

 ――が、刹那、その手に柔らかく温かいものが触れて、我に返った。


 ライだった。


「何やってんだよ」

「……えっ?」

「あんたじゃ無理だろう」


 いつの間にか、傍らにライがいたらしい。

 温かな感触の正体は、彼女の掌だった。


「――ライ?」

「私が助ける。待ってろ」


 そう断言し、柵の上にふわっと上ったライは飛び込む寸前、更に驚愕することを叫んだ。


「――母上っ!!」

「はあっっ!?」 


 サリファは唖然としながら、ライが消えた海中を目で追った。

 今までいたはずのライの位置には当然のようにエレントルーデがいる。


「今、彼女は何て言いましたか?」

「耳が遠くなったのかい? 耄碌するにはまだ早いような気もするけど?」

「どういうことでしょう? 宰宮殿下」

「ええっと。そうだね。彼女の年齢は十五、六歳くらい? まあ、辻褄が合わないわけじゃないよね。ティファレト国王とカテナ妃の子供として? どう? あの子、ティファレト王に似てる?」

「……つまり。殿下はご存じだったのですね。だから、彼女を先導師に取り立てて、私に引き合わせた? 随分と手の込んだ茶番劇じゃないですか。観客は私一人で良いんですか?」

「酷いな。茶番で、カテナ様を海に落としやしないよ。ともかく、今はカテナ様優先だ」

「白々しいことを」

「あっ、ねえねえサリファ!」


 エレントルーデが神経を逆撫でするように、サリファの袖を親しげに引いた。


「あそこに浮いているのは何?」 

「えっ?」 

「あそこに、明かりを当てて!」


 エレントルーデが指で示すと、配下達が一斉に燭台の明かりを海に向けた。

 二人の姿は、見つかる気配もなかった。既に死体となって浮かび上がっても、不思議ではない時間となっている。痺れを切らしたサリファも大声で叫んだ。


「カテナ様! ライ!」


 この展開は何なんだろう。

 この十五年間、自分は特に波風もなく平穏に暮らしていたつもりだった。

 それが、いけなかったのだろうか。

 カテナのことも、今現在のことも、考えが足りなかった。

 ……やはり、サリファが飛び込むべきだったのだ。

 水は苦手だったが、自分より年下の少女を海の中に送るなんて、最低だった。

 今からでも、遅くない。飛び込もうか?


 ――――――と。


「はっ……くしゅん」


 肩まで水面に浸かっている少女の姿が、薄明かりの中に照らし出された。


「ライ?」


 間違いない。ライのようだ。


「ねえっ。カテナ妃はどうしたの!?」


 エレントルーデの問いに、ライは気絶している女性を重そうに掲げて見せた。

 微かに笑っているのが分かった。

 きっと無事なのだろう。


「良かったね」

「……殿下。貴方という人は……」


 渦巻く感情を瞳にこめて、エレントルーデを睨みつけるが、まったく効果がない。

 むしろサリファが感情を見せれば見せるほど、この男は嬉しそうだ。


「……それで、サリファ。初めて会った妹はどんな感じかな?」

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