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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <2幕>
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  それは、今から季節が二つばかり前のことだった。

  うだるような炎天下の昼下がり。

  サリファは砂煙を舞い上げ、熱風を吹かせる少女の小柄な姿を目で追っていた。

  重いドレスを纏っているはずなのに、演舞のような軽やかさで、次々と数十人はいる敵を屠っていく彼女の神速の剣は、子供の頃まったく興味を抱かなかったくせに、今頃サリファの目に色濃く刻みつけられていた。

 返り血を浴びず、一振りで相手の動きを封じてしまう。

 相手に致命傷を与えることを避ける余裕すら持っている。

 ここまで来ると彼女の剣は、達人の域だった。


(私には、到底できないな……)


 いくら子供時代に母の言う通りに、きちんと剣を学んだところで、ライのような剣をサリファが振るうことは出来なかっただろう。人には向き不向きがある。


  けれども、彼女の保護者を気取っていたくせに、たった今、自分は彼女に守られているという現実に、居た堪れない気持ちが芽生えていた。

  ライの臣下はしっかり彼女を護ろうとしているのに、サリファはその彼女自身に護られてしまっているのだから、情けない話だ。

  戦闘において、まったく役に立たないサリファはすべてが終わった後に小姑のように、口を出すことくらいしか出来ないのだ。


「……ライ、こんなことが……しょっちゅうあるのですか?」


 気が付けば、無意識のうちに、呼び捨てにしてしまった。

 今の彼女はサリファの手の届く地位にいる人間ではないのに……。

 ライは呼吸を整えながら、背後の家臣に剣を預け、厚手の布で汗を拭いながら、サリファのもとにすたすたとやって来た。


「何だ、サリファ。久しぶりに再会したと思ったら、いきなりそんな質問か。他に気の利いた台詞はないものなのかな?」

「貴方と会うのは、春先以来でしたね」

「あのなあ、言うことはそれだけか? 異国の使節の方がよほど過剰な反応を見せてくれるぞ」

「しかし、特に貴方も私も変化がない気がしたので……?」


  ぱっと見たところライの外見は変わっていない。だが、彼女の鋭い眼光にうながされ、よくよく目を凝らしてみれば、高く結い上げた紫銀の髪は背中の辺りまで伸びていて、ほんの少しだが背も伸びたような気もする。多少の歳月を感じることはできた。


「……うん、まあ、そうですね。陛下は益々お綺麗になられたようで……」

「分かった分かった。そんな挨拶ならしない方がマシだ」

「……そうですか?」

「まったく、あんたはいつだって、本当に変わらないよ。いつも冷静で我が道を行って……」


  仄暗い感慨を込めて、ライに指摘されてしまった。

  しかし、サリファは冷静なわけではない。

  こう見えても、今、とてつもなく衝撃を受けているのだ。ただ単に顔に出ていないだけである。


(……なぜ、ライが狙われたのか?)


 現在、ティファレト国内でライを暗殺したい勢力などいるはずがないのだ。

 彼女は、ただ人形のように国王という役を演じている。アルガスに用心されないほどに鈍く、ティファレト国民に侮られないほどに聡く、絶妙なさじ加減で頑張っている最中だ。

 そんなライを襲撃する連中の動機が思い当たらない。


 ――もしも、最初から想定できていたのなら。


(……私は、彼女の傍を離れなかった)


 実際問題、ただのアルガス人として、この国に残ることにしたサリファが始終ライの傍にいることは不可能に近い話だろうが、それでも何らかの方策を講じることは出来たはずだ。

 失策だと悔いる気持ちを今は押しのけて、サリファは低い声でライに再度尋ねた。


「……確認しますけど、こんなことが起こったのは、今回が初めてではないんですよね?」

「まあ、ここのところ頻発しているかな……」

「何回目ですか?」

「……さあ?」

「つまり、分からないほど、こんな目に遭っているのですか。なぜ、貴方は私に文の一つでも寄越さなかったのですか?」

「馬鹿を言うな。ティファレト国内をふらふら放浪しているあんたを捕まえることなんて、出来やしないだろう?」

「そんなことありません。私は何処に行くのも貴方に知らせていましたし、貴方だってどうでもいいことに関しては、文を送ってきたじゃないですか?」

「どうでもいいことって何だ?」


 ライがぎろりと睨んできたので、サリファは懇切丁寧に説明することにした。


「たとえば、食事の好き嫌いや、豪奢なドレスの不満など私に訴えても意味がないでしょう。お付きの侍女にでも言った方が対処も早い」

「ちょっと待て!」


 声を荒げてからハッと我に返ったライは、小声でぼそぼそ「女心の分からない奴だ」と呟いていた。ちなみにすべてサリファに聞こえている。


「大体、くだらないって思ったのなら、読まなきゃいいだろう。それに、あんたにこの現状を訴えたところで、あんたが剣を振って撃退してくれるわけでもないんだし……」

「………………ライ、私はただ貴方が心配なだけなんですよ」


 無鉄砲で情にもろくて、自分を軽視しているライが危なっかしくて仕方ない。

 しかし、心の底からそう告げれば、途端にライは息を呑みこみ、無言になった。


(この()はまったく……悲しいほどに初心すぎるというか)


 硬直してしまったライに、むしろサリファの方が困惑してしまった。


「あの……。実は、先ほどルティカ城に行ったら、セディラムに会って、貴方が祭祀に行ったことを教えてくれたんです」

「……そっ……そうか」

「それで、貴方の手が空いている時を見計らって、セディラムに貴方との面会の仲介を頼もうとも思ったのですが、まあ暇だったので、祭祀を行っている神殿の近くに行けば貴方に会えるかもって思っただけです。まさかこんな出会い方をするとは思っていませんでした」

「……それは私もだよ。まさか、こんな格好であんたに会うなんて……」


 ライは破れてしまったドレスの裾を気にしながら、ようやく自分のやるべきことを思い出したのか、失神している襲撃犯に、剣の切っ先を向けた。

 淡々と見下ろす姿を目の当たりにしていると、先程の垢抜けない小娘のような反応を見せた少女とは、とても同一人物と思えなかった。

 彼女が見た目通りの少女というわけではなく、サリファと年の近い経験豊富な一人の女性だということを再認識させられてしまう。

 額の汗を拭ったサリファは、彼女の視線の先に横たわる大柄の男を見下ろした。

 顔を覆ってはいるが、微かに覗く色素の薄い肌色は、ティファレト国内でも出身地が絞られてくる。


「北州の人のようですね……」

「……そうだな。俄か国主の私に、唯一頭を下げていない、北州公クリアラのレガントの地の者のようだな」


 砂塵が舞いあがった。

 その場一帯に静かな声音が凛然と響く。

 どの臣にも聞こえるように言い放った彼女の真意を、サリファだけは察しているつもりだった。


「北州といえば、今回の南端までの旅の中で色々と物騒な噂は聞いていましたが……」

「……何だと? あんた、結局南端まで行ったのか?」


 呆れた声音で、ライが言った。


「よく行けたな。あそこはアルガスとの激戦地だったところだぞ。戦いが長引きすぎて、前国主と裏取引する連中もいたけど、基本的にアルガス人に一番恨みを持っている地域だ。殺されてもおかしくない」


 言葉にされると、相当物騒な土地だったようだが、ライが心配しているような事態はなかった。多分、ライがサリファにこっそりつけた護衛の働きがあったからだろう。

 彼らがライとの橋渡し役になってくれたことは有難かった。


「……ティファレト語を話せるのが良かったみたいですね。南には少数部族も数多くいますから、誰も私がアルガス人とは気づきませんでしたし。それに、私は純粋に薬草採りと、ティファレトの神話について調べているだけの平民ですから」

「…………薬草と神話……ね」

「南は、堪能しましたよ」


 含みを込めて告げると、小気味良いくらい素早く、ライの鋭い藍色の瞳がサリファに向けられた。


「それで、あんたは、これからどうするんだ?」

「次は、クリアラに行く予定です」

「…………北州クリアラ……か」

「ええ」


 それ以上、ライは問わない。

 すべてを飲み込むように、小さく頷いた彼女は、サリファの言わんとしていることに気づいているようだった。


「今から行くとなると、到着する頃には一面の銀世界だろうな。あんたみたいなひ弱なおっさん、すぐに風邪をひいてしまいそうだな」

「まあ、そんな気はしています」

「……陛下!」


 さすがに見兼ねた年配の臣下がライの背後で大仰に膝をついた。


「城にお戻りください。時間がありません」

「ああ、うん、そうだな。分かった。サリファ、詳しい話は城で聞くよ」


 あっさりライは言うものの、実際、詳しく話している時間なんて作ってもらえないだろう。

 白い髭を聳やかした臣下がサリファに殺気のこもった視線を向けている。

 もし、ここにサリファがいなかったなら、ライは襲撃犯を自らの手で撃退しようなんて、考えもしなかっただろう。彼らに任せたはずだ。

 恨まれて当然である。

 以前であれば、このまま彼女の馬車に同乗して城に行くことも可能だったが……。


(……まったく、もどかしいものだな)


 定められた時間内でどのくらい、サリファの口から彼女に伝えることが出来るのか……。

 しかし、考え込んでいたサリファの眼前に、いつの間にかライが迫っていた。

 てっきり、体を反転させて馬車に戻るかと思っていたのに、逆にサリファの目と鼻の先まで接近していたらしい。


「あの……ライ、いや陛下、一体なんのつもりなんでしょうか?」


 動揺するサリファが馬鹿らしくなるくらい、静かにライは藍色の瞳を細めた。


「……クリアラに行くのなら、あんたに、頼みたいことがあるんだ」


 そうして、浅く呼吸を整えてから、サリファの耳元で頼りなく囁いた。


「……私の頼みをきいてくれるか。ディアン=サリファ?」


 間近で捉えた彼女の表情に、疲労と葛藤の痕跡を見た。

 白いドレスの裾と黒い上着の袖が重なり合うように、熱風に揺れる。

 どうしたって、サリファが動く理由は、ライに起因していることだ。


 ――彼女の頼みを断ることなんて、出来るはずがなかった。


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