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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <1幕>
36/81

 白い雪の中に、黒い影が佇んでいる。

 漆黒の影のすぐ横の純白の雪は、丁寧に避けられていて、灼熱の炎のような真紅の花が顔を覗かせていた。

 やけに鮮やかな色の対比に、シズクは思わず息を呑んだ。

 美しいと思ったのか、怖いと思ったのか、その時は分からなかった。

 すぐさま、黒い影が振り返ったからだ。


「ああ、君は……」


 滑らかなティファレト語を操り、薄ら目を細めた黒髪に黒服の男は、シズクを確認すると、しっかりとした足取りでこちらにやって来た。腕の中に不似合いなほど可憐な真っ赤な花を抱いていた。

 男の日課を、シズクは知っていたはずだ。

 幽霊でも魔物でもない。少し神経質そうだが、薄っぺらい体躯は恐怖の対象でもない。


(でも、なんか、ゾッとしたな……)


 首を傾げながら男を見上げると、彼は骨張った手で、シズクの白銀の頭に手を置いた。


「こんにちは、シズク君。今日は、ユクス君はいなんですね?」

「ユクス様は、今日は来られないって」

「そうですか……」


 別段感情を含ませることもなく、そう言った男は、ゆっくりとした足取りで長ったらしい外套をはためかせながら、小屋の中に入って行く。

 持ち主が死んで荒れ放題だった幽霊小屋を、いきなりやって来た異国人が修復して住み着いたと耳にしたのは、まだ本格的な冬が来る前のことだった。

 一冬だけここで過ごしたいと語った男は、ディアン=サリファと名乗った。

 アルガス人の薬師だと、丁寧なティファレト語で名乗った男は、北州からイエドに帰る際、船の転覆事故に巻き込まれ、路銀を失くし、帰る金がないのだと語った。

 珍しいことではないと、シズクは聞いていた。

 北州と現在アルガス領であるイエド国とは、深いつながりがある。北州に渡った際にスリに遭って帰れなくなり、港で働いていた異国人の存在を、兄分であるユクスが教えてくれた。

 だが、北州の城に程近いだけで、何の利もない標高の高い極寒の村に異国人が滞在しているのは、不自然なことだと、ユクスは疑っていた。

 だから、探りを入れるつもりで、ユクスと二人で近づいたのだが……。


「ああ、サリファさん。また下の子が風邪ひいちゃって、薬を作ってもらってもいいかしら?」


 わざわざやって来たらしい、村の女性が白い息を吐きながら男に声を掛ける。

 サリファはぺこりと頭を下げると、温和な表情で言った。


「分かりました。今、用意するのでお待ちください」

「ありがとう。貴方の薬はよく効くから、助かるわ」

「上がっていきます? 今なら、お茶も用意できますけど、シズク君と一緒にどうですか?」

「ううん。子供が心配だから帰るわ」


 気安く話しかけながらも、サリファは素早く、室内に入ると、すぐに掌ほどの大きさの白い包みを持って外に現れた。両手に持った花はそのままだ。

 急いで取ってきたという誠意と共に、白い包みを受け取った女性は、満足そうに自宅に帰って行った。

 今度改めて礼をすると去り際に口にしていた。サリファはそんなことはいいと返事をしたが、あの女性は絶対に礼を用意してやって来るだろう。次も彼に世話になるつもりだ。

 それだけ、彼は重宝されているし、すっかり村に溶け込んでいるのだ。

 彼の作る薬がよく効くという話は、この村に住んでいないシズクですら耳にしているくらいだった。

 ティファレトでは、病は呪いと決めつけている村も多く、薬師も不足しがちだ。

 アルガスで最先端の医術の心得でもあるのか、サリファの知識は豊富で、更にここに一時的に住むことにしたのは珍しい草があるからだと、嬉々として語っていた。


「今日の戦利品はこれくらいですけど、……まあ、雪の中では良い方ですかね」


 サリファは抱えていた赤い花を、机の上に置くと、袖の下から大量の草を取り出した。


 ――何てことはない。間者なんて、疑う必要もなかった。


「シズク君、この草を見て、どう思います?」

「どうって……」


 目尻を下げ、口角を上げてにやりと笑うサリファ。

 手中には、根に若干雪を纏った土がついた新緑の草がある。

 頬ずりでもしかねない程、上機嫌な男の言葉に嘘があるなんて、到底思えなかった。


「この草を煎じて飲むと、悪阻に効果があるんですよね。もちろん、他の薬草と混ぜなければ、強い効果は得られませんが、イエドにもアルガスにもない草なんです。素晴らしいですね」

「……そうなん……だ。……へえ」


 正直、悪阻つわりのことを口に出されても、シズクには分からない。 

 シズクは男だし、まだ十四歳なのだ。


「興味ありませんか?」

「あんまり……ね。でも、おじさんの変態さには興味あるかも……」


 正直に話して椅子に腰をかけると、サリファは冴えない表情で、おじさんですか……と呟きながら、台所の方に行ってしまった。

 あの荒れ果てた小屋をよくそこまで造りかえたものだと、シズクは感心していた。


(薬師って、家も直せちゃうものなのかな?)


 ぼうっとしているようで、動きに無駄のないサリファは、お茶もまた手際よく用意すると、シズクのもとに持って来た。

 出会った当初、遠巻きに見ているだけだったのに、いつの間にか上り込んで、茶を頂く仲になってしまった。

 淹れてもらったら、飲まないわけにはいかない。

 実際、サリファの淹れる茶は、珍しい風味で、美味しかった。

 机の上の草と花を目の隅に入れながら、シズクは甘酸っぱい香りのする茶を口に含む。


「おいしい」

「お口にあって、良かったです」


 サリファは自分に淹れた茶を飲んで、一息つく。


「ここの冬は寒いですよね。湯を沸かして温かい茶でも飲まないと、アルガス人の私には、正直辛いですね」


 椅子にどっしりと寄りかかって、油断しきった和み方は、やっぱり暢気なおじさんそのものだ。

 だったら、海を渡ってイエドか、アルガスに帰れば良いのではないかと思うが、もしかしたら、単に雪の中、港に行くのが億劫なだけかもしれない。

 冷めた目を向けていると、サリファがおもむろに赤い花を指差してさらりと言った。


「今日、君だけ来たのはこの花のためですか?」

「えっ、まあ、うん、そういうことかな」


 本当は、単純にサリファに会いに来ただけなのだが、シズクは虚勢を張って大きく首肯した。


「連日のこの寒さ、体が弱いというユクス君の妹さんもキツイでしょうね……」


 サリファは独り言のように呟くと、再び茶を啜った。

 ユクスが今日来ないのは、妹のためだと察しているのだろう。

 花を欲しいと言ったのは、ユクスの方だった。

 病弱のユクスの妹はおいそれと外に出ることが出来ない。特に寒々しいこの季節は、厳重に部屋に留められている。

 鬱々としている妹のために、何か慰めになるものはないかと、以前から思っていたらしい。

 そんな時、サリファが山の中で花を見つけてきた。

 雪の降る時期に咲く花は珍しい。

 小屋に持ち帰った花をサリファは家の前に地植えした。

 それをユクスが貰って、妹を見舞うのが最近当たり前のようになっていた。

 ユクスの妹は、真冬に咲いた真紅の花に歓喜しているという。そんな彼が今日サリファのもとに来ないのは、妹のためだと自然と想像がつくことだろう。

 ユクスは忙しい身の上なのだが、シズクはあえてそれを口にせず、にこりと笑った。


「その花、僕から、ユクス様に渡しておくよ……」

「そうして下さい」


 ユクスは、シズクがすんなり忍び込めるような場所に住んでいるわけではないが、まあ花を渡すくらい何とかなるはずだ。

 その辺り、サリファには気づかれていないようだ。

 シズクがユクスの従者だと思い込んでいるのかもしれない。


「いいですねえ。兄妹愛。ここクリアラは本当に寒い土地ですけど、寒いなりに良いところだと思います」

「……そんなことないと思うけどなあ」


 のんびり手前の草をいじり始めたサリファに、シズクはさりげなく本音をぶつけた。

 もしも、サリファが薬師ではなく、ただの不法占拠の異国人だったら、どうなっていただろう。北州公は、城から程近い場所に突如住み着いた怪しい異国人の存在を当然知っている。

 サリファは、この土地の暗部を知らないのだ。

 ……と、突然けたたましく、馬の蹄の音が響き渡った。

 この雪道を駆けることが出来る上等な馬がいる場所は限られている。

 サリファの住む小屋に鍵はない。

 一方的に扉を開け放った長髪の青年は、シズクでも初めて聞くほど張りつめた声でサリファに迫った。


「サリファ、助けてくれ! 妹がっ!!」


 いつも綺麗に一つに束ねられている茶色の髪は、冷たい空気に乱れていた。


「……ユクス君?」


 鬼気迫る表情のユクスに、サリファは飲んでいた茶をそのままに立ち上がった。


「……妹さんが、どうしたんです?」

「ユクス様……」


 シズクは、不安げに、ちらりとユクスを垣間見た。

 良いのだろうか?

 その心の声を受け取ったのか、ユクスは大きく頷いた。


「責任は俺が取る。とにかく、俺と一緒に妹の所に来てくれないか。サリファ!」

「分かりました」


 予想通り、サリファは何の躊躇もなく、身支度を整え始めた。

 戸惑ったのは、シズクの方だった。


「シズク、お前も来い」

「僕も」

「……ああ」


 意志のこもったユクスの眼差しに、シズクは目を見開いた。

 ユクスの在所に、おいそれと村民が行くことは出来ないのだ。


 ――ユクスは、北州公の一人息子なのだから……。


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