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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第1章 <5幕>
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 ――また何で、こんなことになったのか。

 よもや本当に城内のアルガス人が退散してしまうとは、サリファも思ってもいなかった。

 ナダルサアルがいくら嫌われていたとしても、せめて勇敢な数人くらいは何らかの行動を起こすと思っていたのだ。

 つまり、ナダルサアルのために命を差し出したくもないが、これからやって来るアルガス王が怖い。だから、みな従順に城から外に出たのだろう。


 ナダルサアルにもう少し人徳があったら?

 エレントルーデが城に滞在していたら?

 アルガス国王が来なければ……?


 ここまで上手く事は運ばなかったはずだ。

 セディラムは自分で言うだけあって、相当運が良かった。

 サリファも、ライに怪我がなくて、幸運だったと思い込むべきなのか……。

 ……しかし。問題はこれからだ。

 セディラムに、どれだけの展望があるのか?


「ああっ? 考え? んなもん、なーんもねえや。とりあえず、デニズの最低野郎を葬れる方法を探してたら、宰宮殿下に行きついた。殿下がデニズを葬ってやるから、狂言に協力してくれっていうから、乗っかった。ついでに城を占拠しようと思ったら、出来ちゃった。……んで、今こうしている。……それだけ」

「そんなことだろうと思っていましたよ」


 聞いたサリファが悪かった。

 しかし、セディラムはただの愚者ではない。彼は周囲のティファレト人を憚って、アルガス語で話しかけてきたが、発音は完璧だった。


「デニズには金の稼げる仕事が来たって伝えたけど、まさかライを連れだしたなんて知らなかったんだろうな。先導師に仕立てたライがティファレトに捕えられたと報告した時のあいつの顔と言ったら……。そんなにライを利用したかったのかね?」

「……デニズに殺されかけましたか?」

「当然、殺されかけたら、殺し返すしかないだろ? あいつ、まさか俺が自分より強いなんて思ってもいなかったんだろうな。ガキの頃は抵抗もしないで、あいつに散々殺されそうになってたからよ。いきなり泣き出すんだぜ。今、思い出しても可笑しくて腹が痛え」

「しかし、セディラム。デニズを捕えたのは理解できますが、族長補佐って? その人達はどうして、貴方について来たんですか?」

「そりゃ、もちろん。ライのためだ。これは、今回の喧嘩の重要な核よ。ライを王にするには、承認がいるからな」

「何だ。考え、あったんじゃないですか? でも、貴方までライを主にしたがる理由が分かりません。彼女がティファレト王の娘だと言い切れるのですか? デニズだって、吹聴しただけで、彼自身、信じてなかったようですよ。貴方が信じるなんて変じゃないですか?」

「……あのさ。腹を空かせた獣の前によ。肉が置いてあったら、サリファ。あんたどうする? 当然食うだろう? それが腐っているかもしれないなんて、考えもしないはずだ。だから、俺は信じてる。……じゃなきゃ、族長なんて説得できんだろうが?」


 何が悪いのかと踏ん反りかえったセディラムに、サリファは言葉を無くした。

 アルガス語だからといって、この場でライが王の娘でないなんて、言えなかった。

 うるさく喋り倒すセディラムの周囲には、セディラムの仲間の他に、適度に和んでいる族長補佐役の面々。更に縄でぐるぐる巻きにされて気を失っているナダルサアルまでいる。

 王都ではアルガス風の服装がほとんどだが、部族によってはいまだ貫頭衣の上に獣の皮を羽織っているところだったり、一枚布で体を巻いて衣装にしているところもあるのだ。

 服装だけでてんでばらばらなのだから、思想だってまとまりがない。

 サリファの言葉を、もしも分かる人間がいたのなら、不用意な一言が彼らとの関係を崩し去るきっかけになってしまう可能性もあるのだ。


「…………ライは、本当に国主になりたがっているのですか。容易いことではないことくらい彼女だって分かっているでしょう?」

「さあ。どうかな」


 自分が国主になれないことを、誰よりもよく知っているのはライのはずだ。

 彼女は、前ティファレト国王に拾われた身寄りのない孤児だったと自ら口にしていたではないか……。

 

「俺に言わせれば、なりたいとか、なりたくないとかそういう問題でもないと思うぜ。資格があるのならば、やらなきゃならないし、やるべきだ。目の前に道があるのなら、行くしかないだろ。それで、こんなはずでなかったと悔やむのなら、悔やめば良い。俺はただアイツにそこの椅子を用意してやるだけだ」


 セディラムが大広間の中央に配置されている緋色の豪奢な椅子を指差した。

 資格って何だろう?

 ……乗りかかった船だから乗っていけということか?

 それこそ、嘘はすぐに露見するだろうし、そんな重圧ライに耐えられるはずがないではないか。 


「ライは何処に?」

「………カテナ様の所だろう」

「そうですか」


 サリファをここに連れて来てから、ライが消えた。やはり、カテナに会いに行ったのか。


「さすがに、私がこの部屋から動いたらまずいですよね?」


 サリファは捕虜だ。

 手足の拘束からなく、ここまで自由なのも驚きだが、さすがに移動は無理だろう。

 しかし、セディラムは何処までも適当でいい加減だった。


「ああ、ライの所に行くのか? なかなか帰ってこないから、丁度呼びに行こうと思っていたんだ。手間が省けたぜ。仕事忘れんなって、あんたの口から伝えておいてくれ」

「はっ?」


 全身の力がごっそり抜けた。本気でサリファを行かせるつもりなのか?


「…………貴方は一体?」

「何だ。おかしいか? あんたのことは気に入ってるんだよ。別に罠にかけようなんざ思ってねえよ。俺は騙すのは得意だが、奸計、策略は大の苦手でね。……だけど、そうだな」 


 セディラムは無精ひげが目立つ顎をしきりに摩りながら、珍しく真摯な眼差しで訊いた。


「カテナ様は、イクスだという話だが、あれは、飲んだ人間が皆ああなるものなのか?」

「えっ?」


 …………飲む?

 確かに、そういう表現を使っていた。


 セディラムは、ライが毒を飲んだことを聞いているのだろうか?


「あんた植物に詳しいって言ってただろう。だから訊いてみた。やっぱり知らないか?」


 そういえば、そんな話をセディラムと会った時にしたような気がする。

 だが、渦中の毒をサリファが作ったことはセディラムも知らないようだった。


「……一応、知ってはいます。毒のことは」

「じゃあ、あんたの見立ててで良いから聞かせてくれよ?」

「私が知っているのは、今のところカテナ様とそこのナダルサアル殿下の二名にイクスに似た症状が現れているということだけです」

「ナダルサアルも飲んだのか。何で?」


 セディラムは、鼾をかいて寝ているナダルサアルを睨めつけた。

 真実を話すのは、さすがにサリファも気がひけた。


「さあ。誤って飲んでしまったのではないでしょうか? しかし、今の所すぐに命の危険があるわけではありませんし」

「ふーん、今は大丈夫でも、いずれは重症化するってことか?」

「そこまでは、私には、分かりません」

「…………だよな」


 明るく一笑したセディラムは、くるりと回って大きな背中をサリファに見せた。

 サリファは軽く会釈すると、周囲の鋭い視線を無視して、廊下に出た。

 ライが光草の毒に冒されていると知っているということは、セディラムもライが成長しない体になっていることを知らされている可能性が高い。

 セディラムは、ライがアルガス国王の血をひいていないことを知っていて、デニズと同じようにライを利用しているのか。

 あの男はあれでいて、隙がまったくない。

 そんな男が偽者だと、分かり切っているライを利用しようとするのだろうか?


 何か決定的なことを自分は見落としている。

 そして、それはサリファも渦中にいることなのだろう。


 サリファはあれこれと頭を働かせたが、答えなどすぐに出るわけもなく、すぐにカテナの自室に着いてしまった。


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