➀
身長くらいは父に似て欲しかったものだと、エレントルーデは常々思っていた。
劣等感を抱くほど低くないし、実際サリファよりは少し高いような気もする。
……が、それでも父には敵わない。
父のアルガス王は、齢六十を目前としているのに、壮健快活だ。
背はすらっと高く、皺も少ない方だろう。
エレントルーデにとって、白髪は老いの象徴に見えるものだが、父の場合は例外で、わざわざ自分に似合う髪色に染めているような印象だった。
もちろん、カテナやライなどと違って、確実に年は重ねて変化はしている。
しかし、その変化の仕方が衰えるというより、更に威厳が深まったというか、威圧感が倍増したといしうか……。
――威風堂々。
風格でエレントルーデが父と対決したら、完全に自分が負けているだろう。
だから、心底会いたくない。勝てない相手だと認めたくなかった。
いつか勝負を挑もうとしているのに……だ。
「…………ああ、疲れた」
父は馬車の中だ。
敵が潜んでいるかもしれないから、自分が父上を先導する。
……なんて適当なことを言って、エレントルーデは馬にまたがっている。
近くにいた方が今回の父の気まぐれの原因を掴むには丁度良い。
それは、分かっているのだが、むしろ、近くにいることで、エレントルーデの隠しておきたい事柄までばれるのが怖かった。
悄然とした気持ちで、夜空に浮かぶ月を仰ぐ。
整備した舗道の両脇はすでにルーンの森で、大木の背後に浮かぶ月は幻想的だった。
ティファレト神話に夢中になったエレントルーデからすると、本当に神が降ってきそうな景色だ。
しかも、ティファレトの月は、アルガスで見る月より少し大きくて、明るい。
だから夜でも、明かりが必要なくて助かっていた。
今日は満月か?
……いや、明日か?
単純な物思いに耽っていたその瞬間に、静寂が破られた。
「宰宮殿下!」
「えっ?」
声の主はすぐに分かった。
前方に人影。
今にも泣きだしそうな顔で跪いているのは、彼が守ろうとしている娘だ。
「レイラ?」
……どうして?
「大丈夫?」
彼女の髪が乱れている。
エレントルーデはまずその身を案じた。
怪我はないだろうか?
「はい。傷つけられたわけではないのです」
よく見ると彼女に同行したらしい二人の衛兵も無傷だった。
レイラはエレントルーデを視認してから、馬から降りたのだろう。
安心したと同時に、エレントルーデは、とてつもなく困惑した。
「じゃあ、どうしたの? ここで話してたら後列にいる父上の馬車が来てしまうよ」
レイラは内乱を企てた貴族の娘。
殺されなかったのは、エレントルーデが巧妙に匿ったからだ。
アルガス国王に素性がばれたら、命がない。
「申し訳ありません。緊急事態だったので」
「緊急?」
「セディラムが仲間を率いて、ナダルサアル殿下を人質にとり、ルティカ城に立てこもりました。国主の座をライさ……、いえライに寄越せと」
「それで、皆おずおずと、城から出たわけだ。……へえ」
決して、責めたわけではなかったのだが、自分に非を感じているレイラは地面に顔を擦りつけて謝罪した。
「すべては私の責任。セディラムの本性に気づけませんでした。殿下からの手紙も、おそらくセディラムに渡っていたのでしょう。王の到着は、もう少し後だと思っていたので。私は殿下が城を留守にされたことは知りませんでした。だから、デニズを捕えたと息巻くセディラムを城に招いてしまいました」
「レイラ。別に君のせいじゃないよ。伝令代わりの「鳥」も、セディラムに見抜かれていたのかもしれないし。それに気づけなかった僕が悪い。ただの戦闘馬鹿だと、セディラムを泳がせてたのがいけなかった。それにさ。捕えようとしたって、兄上の兵もいたんじゃ、君の好き勝手にも出来なかっただろうし。 えーっと、兄上の代理を務めてる大臣はどうしてるの?」
レイラが言いにくそうにしていてると、背後の衛兵が神妙に答えた。
「……大臣は騒動直後に卒倒してしまい」
「あっ、そう」
話にもならないと、エレントルーデは溜息を吐いた。
やはり、兄の部下は軟弱だった。
まあ、あの兄の暴走を止められないのだから期待するだけ無駄なんだろうが……。
「じゃあ、サリファは?」
「ライ様に、人質にとられてしまいました」
「ああ、うん。そうだろうと思ってたよ」
サリファは自分のためには動かない。
その気になれば抵抗もできるだろうが、昔から自分で自分の能力を抑えつけてしまう傾向がある。
それをエレントルーデはよく知っていた。
「存外、ライに人質にとられて喜んじゃってるかもね。サリファは絶対、むっつりだから」
「はっ?」
「いや。こっちの話。あーあ。僕も怪しまれたくないから、自分の精鋭兵はアルガスに置いてきたしな」
「……殿下。これが陛下に知れたら……。いえ、もう伝えざるを得ませんが、そうしたら殿下の身が危ういのではありませんか?」
「さあね。現時点では兄上の死期が早まっているような気がしているけど?」
「もしも危うくなったら、私をお使い下さい」
「はっ?」
「私の存在に目を向けることで、王の怒りのはけ口が変わるでしょう? ティファレトに潜伏していた罪人として、私を……」
「馬鹿を言うんじゃないよ」
さすがに、エレントルーデも腹が立った。
「僕は君を利用するために、助けたわけじゃない。君を守るために助けたんだ。それだけは忘れないでいてもらいたいものだな」
「も、申し訳……」
泣き出しそうになるレイラが哀れだった。
謀反に関わった家族というだけで不当な扱いを受けようとしていたのはレイラの方だ。
エレントルーデは馬から降りて、その肩に手を触れた。
「だから、レイラ。ここは僕に任せてよ」
珍しく感情で言葉を発してしまって、すぐに後悔した。
今更、彼女の背後に、衛兵がいたことを思い出すなんてどうかしているだろう。
「ああ。ごめんごめん。君たちには意味分からない話題だったよねえ」
「えっ、いや、あの」
困惑している衛兵達に、いいから黙っておけと圧力じみた笑顔を浮かべてみせたら、すぐに静かになった。
「とりあえず、君たちは彼女を連れてこの森に隠れ……」
――あっ……。
悲鳴を上げなかったのは、むしろ本気で驚いたからだった。
急に視界が暗くなったことに、エレントルーデは内心慄いた。
背後から差し込む黒い影は、長身の人物に違いない。
エレントルーデを、すっぽり暗がりに覆ってしまうほどの大男といったら、一人しか思い浮かばなかった。
「前列で、お前が何者と話をして動かないと報告を受けてな」
「…………陛下」
別人になったつもりで、エレントルーデは素早く片膝をついて頭を下げた。
幸い、わずかの間でレイラと衛兵は逃げたらしい。
――あの衛兵。今度自分の部下にしよう。
エレントルーデは関係ないことを考えて、懸命に恐怖心を追い払った。
「誰と話していた?」
「私の密偵ですよ」
「ふむ。ネズミか?」
意味深な一言だ。
今までのやりとりを見ていたのではないだろうか?
父の爪先を睨みながら、エレントルーデは下手な役者のように台詞を読み上げた。
「陛下。緊急事態です。たった今、その密偵より報告を受けました。ルティカ城が賊に乗っ取られたとのことです」
「ほう。それは余の来訪を知ってのことか」
「そうかも……しれません」
父は眉一つ動かさず、平然と言った。
しかも、口髭の下で笑みさえ浮かべている。
……つまらない。
エレントルーデは幼い頃から一度も、この男が狼狽する様を目にしたことはなかった。
「では、早速、殲滅しなければならぬな」
「逆らう者は徹底的に……と?」
感情を殺し、静かに問うたが、父は何も言わずに、エレントルーデに背を向けた。




