⑤
どうして、こんな所に国主自らが来たのか。
しかし、普段毒舌滑らかな男が、今は何も答えなかった。
蒼白の顔で紫の唇をかたかたと鳴らしているだけだ。
「殿下。どうかされたのですか?」
「サリ……ファ。た、助け……」
「えっ?」
聞き返そうとしたら、ナダルサアルの背後に、人影を発見した。
「おおっ! 誰かと思えば、あんたサリファじゃねえか」
飄々と現れた赤髪の人物は、サリファがすっかり忘れかけていた人物だった。
「――貴方は……」
「セディラムじゃないか?」
サリファより先に、その名を呼んだのは、ライだった。
「どうして、貴方がここにいるのです?」
「サリファ。あんたとは、毎回、同じような問答してるよな。見て分かんねえのか?」
「…………あ」
セディラムは満面の笑みを浮かべて、短剣を握っていた。
その物騒な切っ先は、ナダルサアルの首筋にある。
またか……。毎回、この男は、こんなことばかりしているのか。
「悪い。遅くなったな。ライ。でも何とか間に合った」
「もう無理だと思っていたけどな。デニズは捕えたんだな」
「当たり前だろ」
「…………ライ?」
まるで、こうなることを予期していたようなライの口ぶりに、サリファは益々混乱した。
「これは一体、どういうことです。ライ?」
彼女を問い詰めようと、後ろを振り返ったはずが、しかし、答えたのはライではなく、壊れたように上機嫌なセディラムだった。
「どうもこうも見ての通り。デニズを葬る算段をしていたら、最終的にここに辿り着いたってことさ」
「あの、セディラム。私は貴方に聞いているわけではなくて。ライに聞いているのですが」
「…………私は」
しかし、ライはそれ以上、何も言わない。
セディラムとは対照的に人形のように黙っている。
だけど、それはサリファの質問に肯定していることを示していた。
――三年。
自分を虐げてきたデニズを確実に追い詰めるための策。
その最後の仕上げが、ナダルサアルへの反逆だったとしたら?
しかし、ライが牢に留まる必要はなかったはずだ。
セディラムと一緒に行動する方が、より確実だったのではないか?
「おのれ! セディラム!!」
サリファの思考を邪魔するように、再び鉄格子が荒っぽく開け放たれた。
「セディラム! お前という男はっ!?」
剣を振りかざして乗り込んできたのは、茶髪の長身女性。エレントルーデが話していた例の侍女だ。
「貴方は、宰宮殿下の……?」
「レイラさん?」
ライが小声で呼んだ。
レイラが申し訳なさそうに、ライを一瞥したが、すぐに視線をセディラムに戻した。
「悪いな。レイラちゃん。しかし、契約違反はしていないぞ。俺はちゃんとデニズのおっさんを入城してすぐに、あんたに預けたんだからな。俺の仕事はそこまでだったろう?」
「……お前の目的は国主だったのですね!? しかし、国主を人質にしたところで、意味などないはずですよ。ここには間もなく、アルガス王がいらっしゃるのですから!」
レイラが声を荒げた。
抜いた剣がかたかたと音を立てて震えだす。
形勢は長引くほどに、ナダルサアル側に有利なはずだ。
アルガス王が軍を率いてここに来れば、すぐさまセディラムは捕えられるだろう。
誰でもわかること。
……なのに、セディラムはにやにや笑うばかりなのだ。
「ああ、アルガス王ねえ。丁度、良い客じゃねえか。申し分ない賓客だ」
「セディラム……!?」
「レイラちゃん。俺のやっていることにはね、逐一意味があるのよ。深ーい意味がね。だけど、ねえ? いやあ……。ここまでとんとん拍子に事が進むとは思ってなかったけどな。一番の障壁だった宰宮殿下が不在なんて、幸運以外の何物でもないだろ。これこそ地母神レアの思し召しだね。そう思わないか? ライ」
「どうでもいいが、セディラム」
ライが冷めた瞳で、セディラムを見上げた。
「やはりレイラさんは、宰宮の味方だったんだな?」
「あっ、やべっ。話してなかったけ。レイラちゃんは、俺達の監視者として宰宮殿下から送られてきたのさ」
「私は、女友達が出来て良いだろって、紹介された記憶しかなかったが?」
「はははっ。気づかなかった方が悪い。そうだよな。サリファ」
「なぜ、私に訊くのです?」
まさに、サリファの現状がそれではないか。
「おしゃべりがすぎるぞ。セディラム!」
ライが一喝しても、セディラムは、へらへらと笑うばかりだった。
「ああ、はいはい。わかった。わかったよ。ライ様。ちゃんと本題に入るからさ」
「ひっ」
そうして、セディラムが動くと、恐怖のあまりナダルサアルは白目になった。
「国主!!」
レイラに続いて駆けつけてきた衛兵達が、その場の光景に、揃って悲鳴を上げる。
「おお。呼ばなくても、役者が揃ってきたってことか。こりゃあ、丁度いいぜ」
セディラムはにやっと口角をあげると、大声を張り上げた。
「今のところ要求は一つ! アルガス人は、即刻、この城から出て行け! ……以上だ」
「…………はあっ?」
……何だって?
今、セディラムは何と言った?
人質を連れて、逃げるのではないのか?
この城に立てこもるより、ナダルサアルを連れて外に出て交渉したほうがはるかに、彼らにとって、有利なはずだ。
彼らの謎の目的はともかくとして。
時間が過ぎれば、アルガス国王とエレントルーデの連合軍に包囲されるだけのことなのだから……。
しかし、現時点でそこに疑問を抱いているのはサリファだけのようだった。
頭に血がのぼった衛兵たちが、一瞬の静寂の後に、激しく殺気立った。
「な、何だと!?」
「聞いたか?」
「賊が! 戯けたことを抜かしやがって!」
レイラの後に続いてやってきた武装した兵士たちが一斉に剣を抜く。
それをレイラが片手で制した。
「お待ちなさい。あちらにはナダルサアル殿下がいらっしゃいます」
「分かってる!」
衛兵たちは、渋々剣を下ろした。
「やるじゃないか。レイラ」
セディラムは鼻歌混じりの遊び半分だ。この余裕は一体どこからくるのか?
「セディラム。ナダルサアル殿下は、貴方を私室に通したのではないですか?」
「ははっ。サリファ。その通りだ。デニズ捕まえたって、城の中で、叫んでみたら、なぜかコイツに私室にまで通されちまってさ。丁度いいやって、強硬手段に訴えてみたら、あっさり、捕まえられちゃったってわけよ」
「…………ああ」
サリファは目頭を押さえた。
――嘆かわしい。
ナダルサアルは、考えなしに一人でセディラムに会ってしまったのだろう。
何しろ、セディラムはナダルサアルにとって不都合な人物である賊の親玉デニズを勝手に捕え、あろうことか城にまで連れてきてしまったのだ。
しかも、アルガス国王がやって来るという、まさにその時に……。
動揺したナダルサアルは、セディラムに取引を持ちかけるつもりだったに違いない。
レイラは、エレントルーデの不在を知らなかったのだろう。
知っていたら、策の一つも講じていたはずだ。
エレントルーデがいると信じていたからこそ、安心してセディラムを城に連れて来たのだ。
「ライは牢にいるんだろうって、思ってたからよ。ライとの入れ替わりで、国主様には是非、牢の中に入ってもらおうって、連れてきて差し上げたんだよ。あっ、レイラちゃん。後でデニズも追加するから連れてきて」
「こんなことをしてどうするのです? アルガス国王は、本当に恐ろしい御方です。宰宮殿下についていれば、貴方がたの身の安全は保障して下さったのです。それを……」
レイラが消沈した面持ちで、呟いた。
反乱を企てた家の娘だと、エレントルーデが話していた。
セディラムの気持ちが分かるのだろう。
「まっ、レイラちゃん。喧嘩っていうのは、始めてみなきゃ分からねえもんだよ。とりあえず、俺達は今回、めちゃくちゃついているから、やってみる価値はあると思うぜ。……それに、あんたの方こそ、宰宮の恐ろしさを分かってないようだな」
セディラムがレイラを、レイラの背後の衛兵達を睥睨する。
「さあ、どうする? ここで退くか戦うか。俺がちょっと腕に力を込めれば国主様はあの世行きだ」
剣の腹でナダルサアルの頬を軽く叩き、大笑いする。見事な悪人ぶりだ。
「ひっ。や、やめてくれ。私は病人なんだ。こんな仕打ちをしたら?」
「ほう。病人なんだ。じゃあ、遅かれ早いかの問題ということだよな。今、死んでみる?」
「ひーーーっ!!」
ナダルサアルは何処から出ているのか分からないほど、甲高い声を発して、目には涙を浮かべて懇願した。
こんなに暴れては、たとえ弓兵が駆け付けても、狙いを定めることも困難だろう。
「お前の望みは何だ。何でもきいてやるから、言え! 金か? 女か? 領地か?」
「だから、言っただろ。国主様。俺はこの城からアルガス人に出て行って欲しいだけだ」
「あ、ああ。そうだったな」
ごくりと唾を飲み込んだナダルサアルは、八つ当たりのように兵士達を怒鳴った。
「おい、お前たち何をもたもたしているんだ。今すぐこから出ていけ!」
「しかし……」
怪訝に眉根を寄せる兵士達などお構いなしに、ナダルサアルは叫んだ。
「出て行けと言っているだろう!」
兵士達は後ろ向きのまま静かに退出していく。レイラも慎重に距離を取っていった。サリファはただ呆れるだけだった。
「セディラムもライも……。そこのレイラ嬢が言った通り、無茶ですよ」
「あんたがそれを言うのか。ディアン=サリファ。知ってるんだぜ。十五年前、あんたがここに立てこもってたってことは……」
「立てこもるにも人手がいるんです。セディラム。大体、何人でやるつもりなんです?」
「さあな。俺も単独行動ばかりしているから分からねえなあ。ティファレトの族長補佐役の方々数十人は捕虜に混ぜて連れてきたから、確実な仲間は百人前後かな?」
「族長補佐……?」
涙が出るほど少ない人数は案の定だが、ティファレトの部族がセディラムに同行している意味が分からない。
ティファレトには数多くの部族が存在して、国のように独立している地域もある。
十五年前、窮地に陥る国王の様子を看過していた部族がいたことは知っていたが……。
「たとえ、部族を頼っても、援軍は期待できないと思いますが……」
「サリファ様。後ろっ!」
レイラに呼ばれて、ようやく振り返ると冷たい刃が首筋に迫っていて、困惑した。
「ライ?」
「悪いな。サリファ。あと少し付き合ってくれ」
いつの間にか、ライはセディラムから短剣を受け取っていたようだ。
「ライ。貴方……死ぬ気ですか?」
彼女がセディラムと同じような博打好きとは、到底思えなかった。
デニズを捕えて、もしもそれで彼女が満足してしまったのなら?
――自棄を起こしてしまっているのなら?
一体、この道の先にライは何を見ているのだろう?
「それでもいいと、私は思ってるよ」
「強がるのは、よした方がいいと思いますよ」
もし、このまま。サリファの首を撫でている刃の柄を捕えて、引き寄せたら……。
彼女を救うことが出来るだろうか。
――今なら、間に合うだろうか?
……しかし。
「どけどけ!」
サリファが聞き返そうとしたのを見計らったかのように、また煩い集団がやってきた。
「おうっ。ちゃんと来てくれたのか!」
「もちろん。セディの旦那に協力しないわけにはいかねえ」
「楽しめそうだな」
上半身裸に近い格好で、傷だらけの恰幅の良い男達がどっと哄笑する。
彼らは何処か感覚が麻痺しているようだ。斧や鉈を振り回して、衛兵を威嚇しながら牢内に入ってくる。
十数人程度だったが、この部屋には十分すぎるほどの勢力だった。
「こいつら、すっかり竦み上がっちまってよ。俺達が来たら抵抗もしないで道を開けたぜ」
「ははっ。人質なんざいなくても、城に閉じこもりの国主も兵士も俺達の敵じゃねえよ」
セディラムはまるで、宴席に親戚が来たかのような態度だった。酒臭くはないが、まるで酔っ払い同然である。
「貴方たち。怪我は? 重傷だから、傷を癒したいって、だから出て行ったのでは?」
レイラが掠れた声で呻いた。彼らと顔見知りのようだった。
「はっ! このくらいの傷しょっちゅうよ」
「酒を飲めばすぐに治る」
「残念だったな。嬢ちゃん。俺達はみーんな知ってたんだよ。あんたのことを」
男達は互いの傷口を眺めながら、やっぱり大笑した。
「宰宮殿下から、何かあれば伝えに来いって言われているんじゃないか。レイラちゃん?」
セディラムが揶揄するように、片目を瞑る。
レイラは、苦々しく唇を噛みしめているから、そういうことなのだろう。
「丁度いいから伝えてくれよ。ティファレト国主ナダルサアルは、譲位することを決められた……んで、これからは、そこのライが国王だ」




