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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第1章 <1幕>
2/81

 

 ティファレトは、南北に細長い小さな島国だ。アルガスの十分の一程度の広さしかない。人口も未確認ではあるが、少ないはずだ。住居よりもはるかに森林の面積のほうが多い。

 アルガスとは丸一日の船旅が必要な距離である。海を隔てた隣国にあたるが、これもまた微妙な距離間だ。


 きっとそれが両国の奇妙な関係の一因なのだとサリファは以前から思っていた。

 有史以来、争ったり、同盟関係になったり、国交を断絶したり。いろんな歴史があった。

 アルガスは、広大なラルド半島の先端に位置し、右側は海に面しているが、大陸側では強大な三国と国境を接している。いつ領地が取られるかもしれないという恐怖感がアルガスを動かし、ティファレトに対して、過干渉になっているのだろう。


 ……二十年前。

 あの時もそうだった。


 当時、隣国と一触即発の危機にあったアルガスは、援軍を頼むためティファレトに一人の皇女を妃という名の人質として送った。

 名前はカテナ。

 その従者の一人として、ティファレトに同行したのが当時十歳のサリファだった。

 まさか数年後、本気でアルガスがティファレトに戦争を仕掛けてくるとは、ティファレト王家は勿論、きっとアルガス国内の誰もが予想していなかっただろう。


 ――たった、一人を除いては……。



◆◆◆


 十五年ぶりだった。


 ティファレトを目指すのなら、一人で行こうとサリファは決めていた。

 よりにもよって、何故エレントルーデと……。アルガスの王家と同行するなんて、思ってもいなかった。

 しかも、早朝の出航時から天候は微妙で、周囲にはうっすらと霧が立ち込めている。

 海の上に広がっては消えていく泡をぼうっと眺めながら、サリファは何で自分がここにいるのだろうかと、記憶を振り返っていた。

 あの後、ライは用が済んだとばかりに、エレントルーデと共に行ってしまった。

 剣を抜きたくなるほど、酷いことを口にしたのならば是非教えてもらいたかった。そうでなければ、謝罪することもできない。


 一体、彼女は何処にいるのか?


 この船の何処かにいるはずなのに、サリファは一度もライと会っていない。

 エレントルーデの言うことを真に受けて、いかがわしい趣味の男と思われているのなら、直ちに訂正したいところだが、彼女を捜すのも億劫だった。出来れば、動きたくなかった。  

 

……疲れているのだ。


 先日、エレントルーデから呼びだされて都に行ったら、すぐさま船旅のお供である。

 体力のないサリファには、考えられない強行軍だった。

 甲板まで出てくればライに偶然会えるかもしれないと、のこのこと部屋から出てきたが、こんな状態でライと再会したら、かえっておかしなことを口走るかもしれない。

 景色も良くないし、少し部屋で休んでおいた方が良いかもしれない。

 荒くなった波に背を向けて、サリファは甲板から離れようとした。

 丁度、その時だった。


「おい。あんた……」


 癖のあるティファレト語で呼びとめられた。

 瞳とお揃いの赤髪と、日に焼けた褐色の肌。海上は寒いくらいなのに袖のない奇抜な服から腕を出している。衛兵のようなアルガス軍服ではなく、何処かの山賊のような格好だ。

 明らかにライの同僚。

 ―――先導師だろう。


「私のことですか?」

「そう。あんた、サリファっていうんだろ?」

「はっ?」


 いきなり名指しされるとは、思ってもいなかった。いまいち自分の記憶力に自信が持てなくなっているが、それでも、サリファはこの男を知らない。


「違うのか?」

「……ああ、はい。私は確かにサリファですけど。貴方は?」

「あはははっ。悪い、悪い。そうだな。名乗るのが先だったな。俺はセディラム」


 何だろう。いきなり話しかけてきたくせに、勝手に大爆笑している。


「俺のことは、今回の先導師ライの、まあ仲間というか、手下だと思ってくれればいいわ。ライは知ってるだろ。こう小さい娘で……」

「ああ。それは最初から分かってましたよ。とりあえず貴方が不審者ではないということくらいは」

「そう。不審者ではないな。ライからあんたのことを聞いてたからよ」

「それは、どんな評判なんでしょうか? たとえば、変態とか、気持ち悪いとか、そういう部類のものですかね?」

「面白いなあ。あんた」


 至極真面目に訊いたのに、セディラムは、大笑いしながら、サリファの背中を叩いてきた。

 ……逆に問いたい。何かサリファに恨みでもあるのだろうか。


「ティファレト語話せる奴はアルガス人にも結構いるけど、みんな命令口調な奴らばかりだぜ。あんた何で俺なんかに丁寧語で、しかもティファレト語で話してくれるの?」

「別に、私は偉くないですから。ティファレト語で話しかけられたら、返したまで。私はティファレト語、丁寧語しか知らないので」

「それでも、えらく流暢だと思うぞ。ティファレトの王族が使うような綺麗な発音だ」

「それは……、話せば長くなりますけど」


 何となく気まずい。サリファにティファレト語を教えてくれたのは、ティファレトの王室だ。

 別に隠すことではないが、そこに至る経緯が複雑だった。


「何? 宰宮と親しい間柄でティファレト語が堪能なんだから、どう考えたって、ティファレトの高貴な人間と関わりがあったって思うだけだろ? 何処が複雑なんだ?」


 ……何だ。だったら、最初からそう言ってくれれば良いのに。


(疑り深い自分が嫌になるな……)


「セディラムさん」

「セディラムでいいよ。まあ、高貴な繋がりがある割には、服の趣味は痛いけどな。全身黒って、ある意味目立つわ。ライから聞いて、実際その通りだから、分かりやすかったけど」

「ああ、ライさんが……」 


 どうやら、変態野郎と罵られたわけではなかったようだ。


「別に、単純に白っぽいと汚れが目立つと思っただけですよ。私、草いじりが趣味なんで。白じゃ汚いけど、黒なら適度に目立つ程度で済むかなって」

「うわっはははっ。益々意味分かんねえ。やっぱりあんた凄いよ。笑える!」


 真摯に答えたつもりだったのに、冗談に聞こえたらしい。笑声が耳を劈く凶器のようだ。


「こんな仕事ちょっと憂鬱だったけど、あんたに会えて少しは楽しくなってきたぜ」

「それはまあ、とりあえず良かったです」

「ほら、今、ティファレト内はごたごただからな。こんな時期に先導師やるってのも複雑だったんだけどよ」

「もしかして、ティファレトは、また荒れているのですか?」

「知らねえのか? 宰宮殿下の兄、ナダルサアル皇太子が統治されてるだろう」

「それは……、さすがに知っています」


 エレントルーデの兄のナダルサアルが自ら志願して、ティファレトの統治に向かったことはアルガス国内では誰でも周知の事だ。山奥に住んでいるサリファですら知っていた。


「皇子は駄目だな。元々、ティファレトは一つにまとまりにくい国なんだ。それを余所者がまとめようとしたって無理だ。特に軍事力をひけらかして制圧しようとしてもな」

「ティファレトでは、まだ反乱が起きているのですね」

「いつものことだろ。今回も南端のザガールを拠点に発生中だ。みんな示し合わせて起こさないから、すぐに鎮圧されちゃうけど。でも、小規模でも立て続けに起これば面倒には違いない」

「十五年経ても、そちらは落ち着きませんね」


 湿った潮風に、無精して伸びた前髪がなびいた。髪をかきわけると昔の傷が疼く。

 サリファの額の小さな傷は一五年前のものだ。


「そんな大変な時に、あなたにとって宰宮殿下の訪問は面倒なことかもしれませんね」

「何だ。あんた寝ぼけてんのか。あんただって気づいているんだろう。宰宮殿下はごたごたしているからこそティファレトに行くんじゃないのか」

「……えっ?」


 サリファが目を丸くしたことに、セディラムの方が驚いたようだった。


「そんなことも知らなかったのかよ」

「はあっ……」


 危険な場所に盾代わりとして、連れ込まれてしまうくらいなら、まだ愛妾とのお気軽旅行のお供の方がマシかもしれない。


「まあ、落ち込むなよ。俺だって、ティファレトまで来て、子守りしてんだからさ」

「ああ、そうか。ライさんのことですか?」

「……ったくよ。どうも子供相手は疲れるわ。下手に勘が良いから、益々調子が狂う」


 ――子供? そうだろうか?

 セディラムが連呼するほど、ライは子供には見えなかった。


「確かに。ライさんは先導師というよりは、街中にいる愛らしい女の子な印象ですよね」

「あはははっ! アイツが可愛らしい!?」


 セディラムはやはり大声で笑って、今度はサリファの肩に腕を回してバンバンと叩いた。

 後で確認してみよう。肩が赤く腫れ上がっているはずだ。


「俺が言ったのは、そういう意味じゃないんだけどな、まあ、いっか」


 何が良いのか分からなかったが、サリファはライの話をしていて思い出した。


「ああ、そうだ。思い出しました。私はライさんを捜していたんです。彼女は何処にいるんでしょう。私は丁度彼女を捜してて」

「確か、今頃は宰宮殿下の部屋近くにいるはずだけどな」

「なるほど。ライさんは殿下の近くを警護しているんですね」

「……警護っていうのかなあ?」

「はっ?」

「……で、ライに何か用? アイツに訊きたいことがあるのなら、代わりに俺が答えるぜ」

「まあ、その。極めて私的なことなので」

「水くさいな。知りたいことがあれば、俺が教えてやるって。ライに聞くより的確だぜ」

「いや。さすがに、それは無理ですよ」


 即答したサリファに、セディラムはあからさまに眉根を寄せた。


「貴方は面白い人ですが、信用にまでは至りませんから」

「へえ。俺は駄目で、ライは信用すると?」

「いいえ。そういうわけではないのですが」


 昔どこかで、ライに会った気がするとは言えなかった。


「まさか一目惚れ……とか。あんた子供が好きなのか?」

「貴方まで何を言うんですか?」


 ちょっと……本気で声が怒ってしまった。


「私は彼女の名前が気になったんです」

「名前?」

「「ライ」とはティファレト神話で天界から追放され、魔物の奴隷となったの女神の名だったはず。そんな縁起の悪い名前を子供につけるでしょうか?」

「親が知らなかったんじゃねえか。それか望まれない子供だったとか?」

「知らないはずはないですよね。ティファレトは細かく分裂してしまっていますが、元は一つ。神話も同じです。子供の頃からティファレト神話は国民の子守歌代わりですからね。知名度は抜群です。望まれない子だったという可能性はありますが、ならば何故彼女は名前を変えないのか。つまらないことですが、一度気になってしまうと、とても気になってしまって。眠れなかったんです」

「……本当に変態なんだな。あんた」

「はっ?」


 ……なぜ、変態になる?

 しかし、セディラムに今までの開けっぴろげな笑顔はなかった。真面目に本音らしい。


「まさか、ティファレト神話もご存じとは。さすが宰宮殿下の秘密兵器だ」

「……あの。私は変態でもなければ、秘密でもなく、兵器でもないですが?」


 そこまで言ってから、サリファはセディラムの一言が皮肉であったことに気がついた。

 やはり、自分は疑り深くて、丁度良かったらしい。

 甲板はすでに薄い霧に包まれている。セディラムとやりとりをしているうちに、とんでもないことになってしまったようだ。


「……セディラム。ここまで親切に答えてくれた貴方を信頼して、一つ質問なんですが?」

「どうぞ」

「甲板にも宰宮殿下が配置したティファレト人の護衛がいるはずなんですけどね。彼らの姿が先程から見えないのですが、これは一体どういうことなのでしょうか? 私はてっきり霧のせいで視界が悪くなったからだと思っていたのですが、違うのでしょうか? それと、さっきライさんの居場所を聞いた時、貴方の答えに違和感がありました。警護ではない彼女の仕事とは、一体何なのですか?」

「分かった。俺を信頼してくれたあんたのために、比較的分かりやすく答えてやるよ」


 セディラムは、おもむろに腰から短剣を抜いてみせた。


「これだ」

「…………よく、分かりました」


 ティファレトの先導師たちは、反乱を企んでいたらしい。


 さて、どうするべきか?


 サリファは平静そのもので落ち着いていたが、特に策があるわけでもない。

 死にたくはないが、殺されたのなら、それも運命だと割り切る淡泊さは、とっくの昔から身に着けていた。


 だから、愚かだったのかもしれない。

 彼らの目的を深読みしようとはしなかった。


 その時点で、サリファは、すべてを他人事のように思い込んでいたのだった。

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