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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第1章 <4幕>
16/81


「また政務をさぼっているんですか?」

「ああ。レイラじゃないか」 


 エレントルーデは眠たい目をこすった。

 幻ではないだろうか?

 レイラと荒れた海で別れたのは、確か半月前。

 いくらなんでも、ぴったり半月で帰ってくるとは想像していなかった。


「何をされているんですか?」

「見ての通り、釣りだよ。まったく釣れないんだけどね。まるで、君みたいだろう?」

「わざとおどけているんですね?」

「うん」


 ルーンの森の深くにある池の水は、口に含みたいほど澄んでいるが、魚はいないらしい。

 釣竿を握る手がまだ肌寒かった。危ないところだ。

 レイラが来てくれなかったから、確実に眠りこんで風邪をひいてしまっただろう。


「殿下お一人でこのようなところにいらっしゃるなんて。無防備にもほどがあります。いつどんな危険があってもおかしくないんですよ」

「だけど、君も知っているだろう? 僕は、今回引き連れている手下には期待もしていないし、兄上の家臣は大嫌いだからね。むしろ、少し戦って痛い思いをしてもらいたいと思ってるくらいだ」

「な、何をおっしゃっているんですか!? 誰がいるのか分からないんですよ」


 慌ててエレントルーデの前に回り込んだレイラと目が合う。

 面長の相貌に涼しげな目元。

 長い茶髪を一つに縛っているが、一房の後れ毛がまた艶っぽかった。男性用のチュニックに帯剣姿だが、抜群の容姿にぴったり合った服装は、かえって女性らしさを強調しているかのようだった。


「よく戻ったね」

「ええ。さきほど帰還いたしました。南部の反乱は収束しましたよ。アルガス軍の大勝利です。はなっから、反乱勢力にやる気がありませんでしたし、大部分は逃走しました」

「兄上は、大満足だろうな。ここまでは望み通りの結果だ。兵士に犠牲も少なければ、武器も無駄にはなっていないだろう。それでも、莫大な金を要求すればアルガスは支払うんだろうね」

「……殿下。やはり貴方が?」


 刹那に、レイラの非の打ちどころのない美貌に翳りが差す。

 池を縁取る緑の草花がわずかに揺れた。


「……森の中に怒れる美女が一人。絵になる構図だね」

「………………今すぐ、切ってしまっても宜しいでしょうか?」

「もう少し生きていたいかも……」


 実際、レイラは剣を抜こうとしていた。下手したら、本気で殺されていたかもしれない。

 彼女の腕はエレントルーデ親衛隊の隊長に匹敵するのだ。


「まったく、貴方はなんてことをされたんです?」

「君の方こそ静かにした方が良いんじゃない?」

「あっ」 


 口元を押さえたレイラは、反省しながらも、早口だった。


「穏便に譲位を迫るのではなかったのですか。何があったんですか?」

「何もなかったわけじゃないけど、大したことじゃないよ。それに、穏便でしょう? 何せ兄上は今もご存命なんだから。さっさとアルガスに送り付ければ、簡単に目的を達成できる」

「荷物じゃないんですから、そう簡単にアルガスには送り返せませんよ。本人が帰りたがらないのでしょう。あの方にも家臣がおります。殿下一人で決断されるのは危険です」

「酷いもんだよね。こんなことなら薬を全部使い切っちゃえば良かった。話せる程度まで半端に回復しちゃったから、僕が大変な目に遭うんだ。中途半端に政務には引っ張り出されるし、当初予定した手で兄上に譲位を迫ろうとしても、そういう時は寝ちゃってたりするんだよね。ある種、運の良い人だよ」

「なるほど。それで鬱憤がたまって、ここに逃げてきたんですか?」

「サリファを誘ったけど断られちゃってね。彼は彼で、カテナ様の解毒薬剤作りに忙しいみたいで構ってくれないし。何だか最近避けられているような気もしてるんだよなあ……」

「ただ単に、殿下がお嫌いなだけでは?」

「前から思っていたけど、君もサリファも結構酷いことを言うよね?」


 釣竿を水中でぶらぶらと揺らして、笑う。

 しかし、レイラの顔に晴れ間は戻ってこなかった。


「良い機会です。もうやめたらいいじゃないですか?」

「何を?」 

「殿下は第二王子の立場は楽で良いと仰ってたでしょう。そのお立場は今後も安泰だと思います。今回は多くの人を巻き込み、利用してしまいました。私は個人的に、ライ様は好きですし」

「…………ライ様、ねえ」


 冷めた目で呟く。

 いきなり現れた出自不明の小娘が大人気というのは、少し悔しい。

 サリファがライの出自を教えてくれないのは、彼女を守ろうとしているからだろうし、まったく妬けてしまう。


 こんなことなら、カテナを買ったときに、近くにいたらしい、彼女もどうにかしておくべきだった。


 エレントルーデは、その時、何も知らなかったし、これほどまでに、気持ちが変化するとは思ってもいなかったのだ。

 

 自分がまさか、玉座を欲するとは……。


 我ながら呆れている。

 エレントルーデもかつては、権力なんかに執着していなかったのだ。 


「ですから、もう……」

「レイラ。勘違いしないでよ。僕は僕の意志で動いているんだ。国王になろうなんて言い出したのは、君のためじゃない。それに、万が一、あの八歳の子供に王位が転がりこんでしまったら、僕、生きてないかもしれないからね」

「しかし、やはり殿下は……」

「僕は後悔したくないし、恨み言は聞きたくない。そんなことより、どうして君一人なんだ。僕らが同志、躍進中のセディラムはどうしたの?」

「実は……。首領のデ二ズ=ターラスが逃げたのです。何かを察知したようで。セディラムが追いかけていきました。申し訳ありません」

「そう」


 何処で気づかれたのだろうか。

 デ二ズ=ターラス。

 カテナを捜していた時、盗賊の中でも最大派閥だと耳にして近づいた。

 余命いくばくもないという御墨付で、カテナを金で買った際、ちらりと馬車の中から垣間見た程度だが、その脂の乗ったあくどい顔はよく覚えている。

 存外、ああいう悪い男ほど、微妙な気配には敏感なのだろう。だから、寄せ集めの賊を束ね、形式だけでも軍隊を作ることができたのだ。


「いいよ。予想外には慣れているからね」

「セディラムからは必ず捕えて連れて行くから、もう少し待っていて欲しいと……。彼は私に残った民兵の指揮を託して飛び出していきました。しかし、裏切ったわけではないでしょう。彼が新しい勢力の首領です。個人的にデ二ズには恨みもあったようですし、念願の地位にいるのに、裏切る理由がないかと?」

「僕が怖くなっちゃったとかね?」

「笑った方がいいですか?」

「いや、笑えない冗談だったよ」


 レイラが恐ろしく冷たい目で睨んできたので、エレントルーデは思わず顔を逸らした。


「もっとも、彼が逃げたところで、何か特別なことが起こるというわけではないし、放置しておいてもいいけどな」

「殿下」


 突然、膝をついて、レイラが頭を下げた。


「ナダルサアル殿下のことが気がかりで、戻ってまいりましたが、もしご命令頂ければ、私はすぐにでもセディラムを追いかけますが?」

「それもいい。君にはこの近くで待機しててもらおう。だって、反乱勢力のみなさんも一緒なんでしょ? 近場にいるってことだよね?」

「みなさんというほど、大人数でもないですよ。そんな大所帯で歩いていたら、ティファレト軍に見つかってしまいますから。逃げるに逃げられなかった怪我人がほとんどです。とりあえず、協力者に食べ物をもらうためだと、王都の近くまで移動してきましたが」

「食べ物に訴えたわけ? よくそれで諾々とみんな君についてきたね。何か不自然じゃない?」

「これは……。私が命じたわけではなく、セディラムがみなに言い残して行ったのです。途中まで引率して欲しいと。デニズを捕獲したら合流すると言っていました」

「えっ?」


 ――あの男。

 いつもライの後にくっついていた大男だ。


 利用できると思って、話を持ちかけたつもりだったが、意外に自分の方こそ利用されていたのかもしれない。


「分からない男だね。同志を僕に捕虜として捕えさせるつもりか? いやいや。怪我人ばかりだから手当しろってことかな? まあ、セディラムっていう奴は、切れ者なんだか、馬鹿なのか、さっぱり分からない男だね」

「殺せば……、良かったですかね?」

「物騒なことを言うんじゃなよ。君はうら若き乙女だろう?」

「乙女というほど若くはありません」

「始末するなら、いつでもできるでしょう。放置しておけばいい。別に彼が何を企んでようが、僕の身が危険になるようなことはないだろう。正直、君がこれ以上、他の男の尻を追いかけていくさまは見たくないし」

「殿下。そうやってふざけながら構えていますと、思わぬところで足元をすくわれますよ」


 ――ほら。……と、レイラは頭上高く旋回している漆黒の鳥を指差した。

 大きな鳥が翼を窄めながら、エレントルーデの前に綺麗に着地する。

 よほどの訓練を積んでないと出来ない芸当だ。


「手紙か……。この鳥は何処にいても、僕の居場所が分かるみたいだね。もしも鳥が刺客だったら、確かに。それこそ命がないかもしれないな」

「王族御用達の黒鳥ですからね。その気になれば、大陸横断できる力があるのだと聞きました。王族の匂いは何処にいても嗅ぎ分けるそうですし、何処にも逃げられませんよ」

「サリファにも試してみようかな」

「ふざけたことを仰ってないで……」

「……母上のことかな?」


 レイラの説教を背後に浴びながら、鳥の脚に括られた手紙を開く。

 ……そして。


「――はっ?」


 さすがのエレントルーデも面食らった。

 計画以前の厄災がまさしく空から投下された感じだった。


「まさか……。そんな」

「殿下。如何したのです?」


 駆け寄ってきたレイラに愕然としながら手紙を渡した。


「…………父上が来る」


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