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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第1章 <3幕>
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ルティカ城は、ティファレトの北西部に鎮座している白亜の城である。

港から近いということで、敵に攻められやすいという弱点はあるものの、広大な森ルーンに守られて、城は森よりも高台の崖に沿って築かれているため、難攻不落。敵の侵入も防ぎやすかった。

 有史以来、ティファレト王家はこのルティカ城から動いたことがないらしい。

 しかし、伝統と美の象徴でもあったルティカ城は、十五年前に燃えてしまった。

 サリファにとって思い入れがあるために、どうなっているかと心配していたが、驚いたことに十五年前とほぼ同じ状態で蘇っていた。

 所々内装と調度品は変わっていて、少々、華美になっていたが、部屋の間取りはすべて昔のままだった。

 ティファレトの国主・ナダルサアルは評判の悪い男だが、こういう点では少し見直した方が良いのかもしれない。


 そうだ。

 一つ良い面を発見することができたのだから、自分はきっと頑張れるはずだ。

 サリファは自らを奮い立たせ、疲れた体を引きずりながら、城内の回廊を歩いていた。


「…………行かないと」


 ――と、足を踏み出したものの、憂鬱なのは、ナダルサアルと会わなければならないからだ。

 ナダルサアルも、サリファの出自を知っている。十五年前、サリファが処刑されなかったことに不審を抱いていたため、エレントルーデがすべて話してしまったのだ。

 ナダルサアルは捕虜となったサリファに、しばらくの間、毎日のように罵詈雑言を浴びせたものだ。

 やっぱり、……会いたくない。

 だから、サリファはエレントルーデの従者である自分が国主に目通りすることなど恐れ多いこと……という言い訳もきちんと用意していた。

 今の今までそれで逃げ切るつもりだった。

 だけど、もうそういう訳にはいかない。


 ……サリファは、ライの存在に気がついてしまったのだ。


 結局、彼女は追手を返り討ちにしながらも、捕らわれる道を選んだのだ。


 ――今頃、地下牢にいるはずだ。

 まるでサリファに対する命懸けのあてつけをしているようだった。もしかしたら、拷問を受けるかもしれないし、下手すれば殺されてしまうかもしれないのに……。

 それは、解毒剤を作って欲しい。

 作らないのなら、死んでやるという意思表示なのか?

 ナダルサアルに頭を下げる行為自体、ライの身の安全を保障するものではない。

 サリファの弱点がライにあると知られたら、かえってライの立場は危なくなるだろう。

 それでも、会わなければならないのは、ナダルサアルの出方と機嫌を窺うためだった。

 ライを見殺しにしてしまったら、カテナから何て言われるか分かららない。

 最初からエレントルーデに頼んでも良いのだが、はめられているという実感がある分、借りも作りたくなかった。


「国主様がお会いになられるとのことです」


 回廊の突き当りで、煌びやかな装いの侍女が嫣然と微笑んだ。その後ろを、裸に近い梳けた衣装の女性達が慌ただしく駆けて行く。

 奥の部屋がナダルサアルの私室のようだ。

 そういえば、ナダルサアルは女癖も悪いとエレントルーデから聞いたことがあった。


「ありがとうございます」


 サリファは暗い表情で頭を下げた。


 ――やっぱり会うんだな。


 正直、どうでも良い弟なんかに率先して会うような男ではないし、私室で会うこと自体が不自然だなのだが……。

 侍女が扉を開けて、サリファを先導する。

 広い室内には、夕陽が差しこんでいた。以前も、この位置にティファレト王の部屋があった。

 王の私室のわりに、埃っぽい、書物だらけの部屋だったことを、サリファもよく覚えている。

 さすがに当時の面影はなく、整然としていたが、橙色に染まる机の色は同じだった。

 その机に頬杖をついているのがナダルサアルだろう。

 サリファもいるだけで空気が暗くなると、よく言われるが、この男も陰鬱だった。

 もしかしたら、反乱勢力との戦いに頭を痛めているのかと思ったが、そんなはずはないだろうと思い直した。

 この男に実力があったのなら、今頃ティファレトは平定できているはずなのだ。

 サリファは小さく屈んで頭を下げた。

 ナダルサアルは黙っている。

 仕方ないので仰々しく挨拶をした。


「お久しぶりです。ナダルサアル皇太子殿下。エレントルーデ宰宮殿下の命でティファレトに同行することとなりました。ディアン=サリファです。十五年ぶりになるかと思いますが殿下もお変わりなく……」

「煩い。堅苦しい挨拶はなしで良い」

「はあ」

「私も、変わらないものなら見たぞ」


 ナダルサアルは、下品な笑いを浮かべ白い歯をむき出しにした。

 エレントルーデよりも黒みがかった金髪は肩のあたりで巻かれている。

 益々変な方向に美意識がいってしまったようだ。


「弟が大事にしている妾と聞いて顔を見てやろうと思ったら、何とあの……カテナがいるではないか?」

「……はっ?」


 思わず、驚倒しそうになった。エレントルーデは一体、何をやっているのか……。


「しかも、まったく変わっていない。さすがの私も驚いたぞ」

「そうですか。カテナ様を…………」


 サリファは、自分でも血の気が引いていくのが分かった。


「母と呼ばないのだな?」

「そういうふうに躾けられましたから……」

「お前は知らないだろうが、私はカテナのことはよく知っているぞ。まさか、お前がカテナの息子だったとは、十五年前まで知りもしなかったがな」


 出来れば、ずっと知らないでいて欲しかったが、もうどうしようもない。

 この事態をどう収めれば良いのか……。

 サリファの脳内はその一点を考えることに集中し始めた。


「あの父上が骨抜きにされた奴隷の女……。そうとは知らずにティファレトに訪問した際には笑顔で挨拶していたものだ」

「―――奴隷?」


 ……落ち着け。

 カテナはアルガスに反乱を起こした領主の娘なのだから、奴隷という表現も間違ってはいない。

 この程度のこと覚悟の上だったはずだ。


「……それで?」


 つい、いつもの癖が出てしまった 気分を害したらしいナダルサアルは、眉を顰めた。


「恥ずかしくないのか? ディアン=サリファ。母がエレントルーデの妾になっているのだぞ。三年もの間、よく耐えられたな。私だったら憤死しているだろう」


 それは違う。エレントルーデは、カテナを妾にはしていない。

 ただ対外的にその言葉を使っていただけだ。その方がカテナの身が安全だから……。

 もしも本気でエレントルーデが最初からカテナを妾にするつもりならば、カテナの存在を秘密になどせず、嗜虐的にそう脅してサリファを苦しめただろう。

 しかし、この男にそんなことを言っても仕方ない。


「十五年前に別れて以来、感情に疎くなりましてね。どうしても、あのカテナ様を母とは思えないのですよ」


 やや本音に近かった。

 サリファはまったく意識していなかったが、やはり十五年は長かったのだ。


「そうか。それは丁度良かった。下手にうるさい息子がいると面倒だ」

「どういうことですか?」

「私が直々にカテナを妾にしてやろうと思ったのだ」

「…………何?」


 とうとう、血迷ったのか? 

 いくら年を取っていないとはいえ、カテナは四十をとっくに過ぎているのだ。下手したら、ナダルサアルの母と同い年くらいである。


「残念ながら、母は病気を患っております。もう長くはないのです」

「最期の一時を私が慰めてやろうと申し出ているのだ」

「宰宮殿下は何と申されましたか?」

「お前が決めることだと言っていた。惨めな弟よ」


 ……惨めなのは、ナダルサアルの方だ。


 エレントルーデは時間稼ぎのつもりでそう言ったのだ。

 表立って楯突くとその場は厄介だから、とりあえず、サリファに委ねたのだ。

 それくらい分からないのだろうか?

 しかし、明らかにこれはエレントルーデの失敗だ。本人もそう思っているに違いない。


「よもや、不服などと言い出すまいな。お前も屈辱だろう? アルガス国王の血を引きながら、日陰者として生きてきたんだ。もしも、お前の母が男子を産んだら、今度こそ国王の子として認知してやるぞ」


 吐き気がした。不服とかそういう問題ではない。

 ――気色が悪いのだ。

 このままでは、ライの話までたどり着けそうもない。


「……ですが、殿下。今は南部で反乱も起こっているようですし、アルガス軍は交戦中でしょう? カテナ様を迎えるのはこの戦いが終わり、勝利した後でよろしいのでは?」

「馬鹿な。ここはティファレトだぞ。野蛮人、原始人ばかりが占拠している土地だ。奴らは争いごとが好きなのだ。ここにおいて反乱が起こらなかった試しなどない。私は今までその乱をすべて治めてきた。この程度の乱、あと半月で鎮圧できる。父上は私の苦労を知らず、アルガス国民にすら知らせていないようだがな」


 ――それは、頻繁に反乱を起こされている愚かな国主と噂されるのを避けるためだろう。


 ナダルサアルは机上の葡萄酒を杯に注ぐと一気に飲み干した。


「だから、別にどうってことはない。本来ならお前の許可などいらないところだが、エレントルーデが後々うるさいからな。特別に教えてやったのだ。お前の存在は嫌いだが、確かにあの女は美しい。父の気持ちが分からぬでもない。あのような女を見ていると、おもいっきり顔を歪めて泣いている様などを見たくなるものだ」


 ……殺してやろうかと本気で思った。

 しかし、サリファの殺意は現実に作用したらしい。

 突如、ナダルサアルが激しく咳こんだ。


「何だ。どう……した」

「殿下?」


 息が荒い。

 ナダルサアルは立ち上がろうとして、豪快によろけた。


「誰か! 誰か!!」


 サリファは大声を発しつつ、よろけたナダルサアルを支えた。

 そのまま放置しても良かったが、どうにもナダルサアルのも症状が気になった。

 咳が止まらない。

 嗚咽を伴う激しい咳だった。

 呼吸困難になるのではないかと思ったところで、ナダルサアルは両手で強く口を押えた。指の隙間から、鮮血が伝わっているのが見えた。


「これは……」 


 サリファは、葡萄酒を一瞥した。

 赤い色に変化もなければ、甘い匂いに異変もない。

 直後に駆け付けた侍女が医者を呼び、やってきた医者が簡潔ながら神妙に決断を下した。


「――――これは、イクスでしょう」


 馬鹿を言うな。

 指摘したいところをぐっと抑えた。

 可能性を進言したら、一番疑われるのはサリファである。


 ……とんでもないことになってしまった。


 サリファはすぐさま、カテナとエレントルーデを捜して部屋を飛び出した。

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