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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第1章 <3幕>
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「逃げろ……だと?」


 ライが放った驚くほど低い声に、サリファは瞬きをした。

 自分の半分くらいしか生きていないような、あどけない面差しの少女が発するような声ではなかった。

 ライは、懸命に沸き立つ感情を抑え込もうとしているようだ。


「貴方にとっても悪い話ではないはずです。セディラムも生きているのでしょう?」

「どうしてだよ? もっと私に訊きたいことがあるだろう。あんたは?」

「細かいことは私にも分かりませんが、貴方たちは宰宮殿下の狂言の片棒を、担がされていたのでしょう。そして、貴方はカテナ様を救うために、それを承知で引き受けただけ。私が貴方にできることといったら、今はこれくらいしかないんです。……ライ」

「あんたにできること……ね」


 ライはかみしめるように繰り返すと、こめかみを押さえて目を瞑った。


「あんたはどうする? 私を逃がしたとしたら、いくらあんただって、危ないだろう?」

「私は大丈夫です。そう簡単に殺されやしませんから」


 ライは、はあっと深く陰鬱な溜息を吐いた。そんな沈黙は不必要だった。

 ――時間がないのだ。


「ルティカ城に入ったら、貴方はナダルサアル殿下の命で投獄されるでしょう? 内乱の進み次第では処刑されるかもしれません。実際、処刑されて当然の罪状なんですから」

「そうだな。一応、アルガスの宰宮殿下に剣を向けたんだ。裏約束があったとしても、普通は処刑が妥当だよな」

「ライ……さん?」

「ライでいいよ」


 ライには緊迫感も恐怖心もなさそうだった。

 そんな彼女を見ると、腹立たしいような、居た堪れないような複雑な感情が呼び起こされる。


「こんなことを言うのは憚られますが、ティファレトを支配されているナダルサアル皇太子殿下は容赦がないお方です。宰宮殿下もそれを予想して、私と貴方を二人にしたんです。私に貴方を逃がせということだと思いますよ」

「凄いな。あんたは宰宮の気持ちが分かるのか?」

「さっぱり分かりませんよ。でも、考え方なら理解できます」 


 だから、エレントルーデを敵に回さない方法ならば、心得ているつもりだった。


「カテナ様も貴方を危険な目には遭わせたくないでしょうし」


 ライはじっとサリファを見つめている。透き通った藍色の瞳に、サリファが映っていた。


「……ディアン=サリファ」

「はい?」

「私は逃げないよ」

「…………はっ?」


 ――今、何と言った? 


「貴方、死ぬ気ですか?」

「だって、一人だからな。逃げたって仕方ないじゃないか」 


 サリファは己の耳を疑った。自分はティファレト語が分からなくなってしまったのか?

 ライの答えは、サリファの質問に関するものではないような気がする。それとも、こんなところは、年相応の子供というのか?


「貴方には、セディラムとかレイラさん……は微妙ですけど、そういった仲間がいるでしょう。どこかで合流しても構いません。別に私は止めようなんてしませんよ」

「残念ながら、私は一人だ。一緒にいたい人は、カテナ様だけなんだよ」


 ライはあっさりと答えると、森の奥を指差した。


「覚えているか? サリファ。城の裏には光草があったよな。夜になるときらきら明滅してさ。その先に王の池があった。あの池の水は綺麗だったよな。あんたは知らないだろうけど、王はあそこで王になれるかどうか試練を与えられるらしい。王家の人数が減少し、最後に虚弱な王を戴くきっかけになったのも、その連綿として受け継がれてきた儀式がきつすぎるからだっていう話だ。これはティファレト人にも極秘にされていることだよ。みんな知らないし、知られてはならない秘密だ。もっとも、王家自体が崩壊してしまったティファレトだから、もうどうだっていいんだろうけどな」

「どうして、いきなりそんな話をするのですか。ライ?」

「これはさすがに、あんたも知らないかなって思って」

「知りませんでした」

「勝ったな」

「何にです?」 


 ライは不敵な笑みを浮かべた。

 さっきサリファに嵌められたことを、根に持っているようだ。


「あんたは誤解しているだろうけど、私が最初に会った時、腹を立てたのは、あんたが光草なんて物騒な物を未だに探してたからだ。確かに、私を覚えてなかったのは悲しかったけど、でも、そんなことでいきなり剣を向けたりはしないさ」


 ライは地面に長く伸びた自分の影を見下ろしながらぼそっと言った。


「私は正直、植物について詳しくはない。だけど、光草のことはよく知っている。逃げていくカテナ様と国王陛下を祝福するように光っていた。私は駆け出していく二人の背中を見ながら光草の淡い光が二人を祝福しているようだなんて、馬鹿げたことを思っていたよ」

「貴方はその時から一緒にいたのですか? 陛下とカテナ様と?」


 つまり、彼女は少なくとも十五年以上生きていることになる。

 しかも、王とカテナの逃避行を覚えているのだから、当時、物心くらいはついていただろう。

 なのに、ライはまだ二十歳にも見えないのだ。


 ……どうして?

 ……童顔だから?

 しかし、カテナも同じ状況なのだ。


 突飛な考えかもしれないが……。

 もしかしたら、彼女たちは、年を取っていないのではないか?


「あんたが毒物について研究していたことはカテナ様もご存じだった。そして、あんたがこっそりそれを処分していたことも、カテナ様は、ご存じだったよ」


 ざわっと、言い知れない悪寒がつま先から全身に広がった。


「ライ……さん。貴方はまさか?」

「あんたは陛下のご厚意で、王宮の禁書も自由に読んでいた。王はきっとあんたには読めないとお考えだったのだろう。しかし、あんたは解読していた。更に実際に作り出していた。……で、私は後々知ったことだが、光草って随分と毒性の強い植物らしいな?」


 サリファは……。眉一つ動かさなかった。

 諦めるしかなかった。ライはすべて気づいているのだ。

 せめて、もう少し狼狽すれば、可愛げもあるかもしれない。

 ……が、サリファの口からは、いつも通り落ち着きはらった声しかで出来なかった。


「ええ。おっしゃる通り、光草は毒性の強い植物です。……それで。つまり貴方とカテナ様は、それを飲んだということなんですね?」


 ライはゆるゆると首肯した。


「陛下が亡くなられて、追っ手も次々とやって来て、ルティカ城から逃げて三年くらい経った頃かな。突然、カテナ様が口に含まれた。それなら私もと、カテナ様の後に私も続けた」


 ……なんてことを。

 しかし、責めることなどできなかった。

 そもそも、そんな厄介な代物を作ってしまったのはサリファなのだから。


「……カテナ様も私も死にはしなかった。これは毒ではなかったんだって、その時は思っていたよ。だけど、何年も経ってから異変に気付いた。私もカテナ様も年を取らなくなったんじゃないか……って。光草の毒は、そういう性質を持っているのか?」

「残念ながら、私にも分からないのです」


 強力な毒物だと本で目にして、調合法までは分かっていた。

 だが、実際それを使用した時どういった症状が起こるのかサリファはまったく知らなかった。

 書物の中にあった「緩やかな死」という文言を真に受けて、いつかティファレト国王を殺すつもりで作っていただけだ。


「嘘つけ。また作るつもりでいたんだろう?」

「……今更、そんな馬鹿なことしませんよ」

「じゃあ、どうしてアルガスで一生懸命光草を探していたんだ?」

「私は、ただティファレトが懐かしくなって、観賞用のつもりで……」

「違う。嘘だ」


 嘘ではない。しかし、己の心根の部分はサリファにも分からなかった。

 アルガスでの十五年間、見ない、聞かない、興味を持たない……を信条として生きてきた。

 サリファ自身、自分の感情に疎くなってしまっているのだ。

 今、こうして責められているのに、何処か他人事のような気がしている自分がいるのも事実だった。

 ライは怒りにまかせて、地面に落ちていた太い木の枝をサリファに向けた。

 殺気のこもった目だった。

 無理もない。サリファのせいで、ライの人生はめちゃくちゃになってしまったのだ。

 それを恩着せがましく、逃げろと言われてライが喜ぶはずがないのだ。

 むしろ、腹立たしくなって、サリファのことを殺したくなるだろう。

 観念してサリファが全身の力を抜く。


 ――しかし。


退()がってろ! サリファ!!」


 次の瞬間ライは、サリファの背中を越えて大きく跳躍していた。

 振り返れば、灰色のローブをまとった二人組めがけて、枝を振り上げていた。


「えっ?」


 ――早い。

 無駄のない動きだった。

 二人組は十中八九、サリファの監視者だろう。殺しの玄人に、ライは互角に戦っている。

 ――凄い。

 枝は剣によって弾き飛ばされてしまったようが、素早く相手方の剣を奪って果敢に攻めている。

 殺し合いを見るのは心底嫌だったが、ライの剣技は華麗な舞を見ているようで、目が離せなかった。そして、サリファはこの剣技を見たことがあった。


 ――あれは、いつだったか……。


『――剣は、嫌いなんですよ』


 サリファは何度もその台詞を使って、カテナが勧める剣術修行をさぼっていた。

 しかし、さすがに何回か運悪く捕まってしまったことがある。


『実は貴方と同じくらいの年でバリバリに剣術やっている子がいるのよ。一度会って男らしさに目覚めたらいいんじゃないかと……』


 そう……。

 無理やり連れてこられた剣術場には、カテナが言っていた、剣術馬鹿の少年がいた。


「えっ……」


 ――少年?

 少年のはずだ。サリファは、その子を少年だと思っていた。――しかし……。

 嫌々、重い剣を振っていた少年時代の記憶がライの剣戟によって、鮮烈に蘇った。

 悪態をつくサリファに、丁寧に剣術を教えてくれた年の近い少年。あれは……?


「ああっ!」


 ……サリファは、そうしてライを探しあてた。

 すぐに思い出せるはずがないと反駁したいくらい、ライはサリファにとって遠い存在だった。

 何しろ、サリファはライのことを男だと思っていたのだ。


「貴方は…………」

「ようやく思い出したか」


 ライは長剣を軽々振り回しながら、疲れた微笑を浮かべた。どう見たって、今のライは女だった。

 カテナと毒を飲むまでの期間に、成長してくれたのは、あらゆる意味で良かった。


「どうせ男だと思いこんでいたんだろう?」

「すいません。でも、今は女の子にしか見えません。大丈夫ですから」


 そう言って莞爾すれば、ライにきつく睨まれた。

 今のは誉め言葉じゃなかったらしい。困惑して、気の利いた言葉を探していると、その隙に、あっさりと二人の大男を地面に沈めたライがサリファに向き直っていた。



「……だから。サリファさん。分かるだろう? 私は、解毒剤が欲しいんだよ」 


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