鬼女現る
「うばぁっ!」
俺は口から血を吐きながら地面の一回、二回、三回と転がった。
「いっつぅ」
腕をホールドされたかと思えば、殴られる。いったい何だってんだ。
「あたいを忘れるなんてひどいじゃないか! ああ、照れてるんだね。ねえ、婿候補?」
ダーリンという言葉がやけに重い響きを持っているがそんなことは置いておこう。
鬼が仁王立ちをしていた。
比喩ではない。鬼がいるのだ。
「ハハハ、お、覚えてるにきまってるじゃありませんか。ねえ、姉御」
「姉御なんて、他人行儀な。獄中生活を共にした仲だろ? 苦楽を共にした、いや、楽はともにしてないねえ。ちょうどいい、楽を味わいに行こうか」
そう言って赤鬼の彼女は古ぼけた宿を指さした。それに従えば、天国ならぬ、地獄行きは間違いない。人生が詰んでしまう。
俺はできるだけ卑屈に下手に伺いを立てた。
「姐さん、まずはお互いのことをよく知ってからにしましょ」
「おお、それもそうか。じゃあ、ダーリンが言ってた通り旅でもしてしっぽり深めるとするかい」
ま、間違えたー!
冷や汗を拭い、何でもないように取り繕った。
「面白い顔してるよ、ダーリン」
……俺の顔芸もなかなかのようだな。
「にしても、ダーリンじゃ不都合だね。あたいはエンマ=ルビアレス。エマって呼んでおくれ。ダーリンの名前は?」
この場は適当に凌いで、逃げるか。
「俺はヤマト=スサ。まあ、適当に呼んでくれ」
「ふうん、ヤマト、ヤマトね」
そう何度か口にして、脳に焼き付けようとするその姿は俺に絶望感を抱かせる。こいつ、忘れる気がないんだと。
ま、まあ、隙をついて、消えれば関係ない。きっと関係ないはずだ。
「ま、まずは先達物が必要だな」
そう今の俺たちはほぼ無一文といっていい。もちろん、獄中での強制労働の対価が少しは支払われているが、一週間――八日間――も過ごせば無くなってしまう金額だ。だからこそ今すぐにでも動く必要があった。
無一文で身元が確かでない奴らが集う職場といえば、思いつく限りあそこしかない。