オバハン ~ある休日の夢~
ラ○に投稿歴アリです。
私の掌編十八作目です。
朝。ジリリ――とベッドの横で暴れる目覚まし時計。そいつの頭を叩く。ぼやけた視界が捉えた時間は六時半。いつもなら、そろそろ家を出ないといけない時間だ。
だが、今日はもう少し寝よう。何たって今日は久々の休日だ。
俺――小坂井一輝は、シワの寄ったかけ布団に改めて体をうずめた。そしてぼんやりとしながら低く狭い天井を見上げ、昨日までの出来事に思いを馳せる。
……言ってしまえば、ただ働いていただけなんだが。
俺はとある田舎の柿農家に雇われている。そして季節は秋。一番忙しい時期だ。おかげで先月からちょうど一ヶ月間、休みなく収穫作業に追われていた。
ただ、作業自体は嫌ではない。家主さんも穏やかで良いオッサンだ。
「……あのオバハンさえおらへんかったら、な」
あの農家に雇われている従業員は、俺を含めて三人。
一人は家主の姪っ子の若い女性、由愛さん。短めのダークブラウンの髪を頭の両サイドで束ね、麦わら帽子を被るその姿はまるで中学生だ。俺より一つ年上だが。毎度、体いっぱいに背伸びをして柿を獲ろうとする光景には父性愛的な感情をくすぐられる。いつか絶対高い高いしてやる……。
もう一人……、これが実に厄介。初対面から俺の事を可愛い可愛いと連呼したあげく、ぼよぼよの腹を揺らしながら抱きついてきたのだ。体が軋むほどの強い抱擁と濃い化粧の臭い。そのおかげで、その日のお昼は食べられなかった。
そこからはもう毎日似たような日々だ。
オバハンの名前? 知らん。
ともかく今日が待ち遠しくて仕方なかった。やっとあれを視界に入れないですむ。
「あー、やだやだ」
せっかくの休みの日にこんな事考えたくない。あと一時間くらい寝ようかな。
俺は再び目を閉じる。
三十連勤は想像以上に疲れが溜まるもので、すぐに意識が遠のいていった。
「ウフフフ、おはよう。カズちゃん」
「な……なんで、あんたが……!」
どこまでも広がる真っ暗な世界。俺の目の前には、例のオバハンが立っていた。何故かTシャツから腹が飛び出している。うぅん、三段ある。
これは夢だ。いや、こんな世界にいる事自体ありえない事だから、それはすぐに分かった。
ただし納得いかない。
何故休日の夢にまであんたが登場するんだ……。
「今日は会えなくて寂しいから、お迎えにきたわよぉ。うふふ」
そう言って一つウインクするオバハン。お、おぇぇ……。しかも両目閉じやがった。
イヤだ。
こんな夢イヤだ。
もし夢の登場人物が由愛さんなら、どれほど良かった事か。いや、この際オバハン以外なら誰でもいい。柿についてるカメムシでも大歓迎だ。
早く目を覚まさないと……。
そう思って自分の頬を叩く。が、全く痛くない。
何度も叩く。その度、苛立ちと焦りばかりが募っていく。
「くそっ! 何でやねんっ!!」
「目覚めさせないわよ……。さあ、一つになりましょうね」
愉快に、そして実に不愉快に笑いながら、オバハンは手を伸ばしてくる。文字通り、長いホースのように両手がこっちに向かってくる。
「ひ、ひぃぃっ!!!」
早く逃げないと! いくら夢でも、オバハンのいいようにされてたまるかっ!
俺は必死に足を動かす。が、全く前に進んでいる気がしない。宙に足が浮かんでいるようだった。
そしてついに、右腕を捕えられてしまう。
「わ、わぁぁーっ!」
オバハンホースに縛り上げられ身動きが取れない。
やばい。やばいやばい。やばい!
――喰われる。
オバハンが目を怪しく光らせると、同時に俺の体が吸い寄せられていく。
彼女の三段腹の中段と下段の間に黒い渦が現れた。
「ウフフフフ……」
渦は形を成していく、やがて唇の形となる。そんなとこにまで紅塗んな!
いや、そんな事言ってる場合じゃねえ。これはどうすればいいんだっ!?
……いや、考えてみろ。どうにもできないじゃないか。
そう、オワリだ。
気づけば目の前にある唇。
ああ、まさか自分の夢でオバハンに喰われるとは思わなかったな……。こんな事なら、二度寝なんてしなければ良かった。
オバハンの口臭……(腹臭かな)に鼻腔を侵食されながら、俺の意識はヤツの胃の中へ流れ込んだのだった――
「う、うぅ……最悪な夢やった……」
目が覚める。びっしょりと濡れたパジャマが気持ち悪かったが、説得力がありすぎてすんなり受け入れる事ができた。
「もう昼やんけ……」
時計の全ての針が真上を向いていた。全く、半日で無駄に体力と精神を消耗してしまった。
ふと、ケータイがメールを受信する。すんげぇ嫌な予感がする。
だが予想に反して、それは由愛さんからのメールだった。
『小坂井くんお疲れ様。今日はゆっくり休んでる? 今日は仕事中のお菓子とかの買出しに出かけてます。また小坂井くんの好きな缶コーヒーも用意しとくから、休憩の時にでも飲んでね。ほんじゃ、また明日から頑張ろー』
「由愛さん……」
癒される……。物凄い回復力。さっきの夢とは全く正反対の感情で胸が一杯になった。
「……せやな」
たしかに、仕事をしていたら嫌な事の一つや二つはある。でもそれを乗り越えてこそ、やっと新しい自分を見つけ出す事ができるのかもしれない。
「実際、いい事もいっぱいあるしな」
由愛さんから届いた数行のメールが、そう思わせてくれた。
「よし、ちょっと昼飯ついでに散歩でもするか!」
俺はパジャマを脱ぎ捨て、Tシャツを身につける。洗濯したばかりでとても着心地がいい。そしてパジャマを洗濯機に放り込んだ後、玄関を出た。
パジャマの所々に付着した、口紅の朱に気付かないまま――
お読みいただきありがとうございました!
胸焼けされた方は申し訳ありませんでした!