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プロとはかくありき

 体力回復の為に屋敷内を歩き回るときはシュミーズのような衣服にガウンという格好ではいけないようで、真結はその時間になるとサラに手伝われてあれよあれよという間に着替えさせられる。


『マーユ様、本日はどのドレスに致しましょうか?』


 クローゼット側へ真結を追い詰めるサラは良い笑顔だ。

 さぁいよいよ今日もこの時が来た。決戦のときだ。

 真結は戦いの火蓋が切って落とされたと同時に、今度こそと要望を通そうと強く両手を胸の前で握り締める。


『私のドレス。私が着ていた物。それが良いのです』


 お世話になっているのだからドレスまでたくさん用意してもらうのは気が引ける。真結としては着まわせる程度に質素なものを数着で良いのだ。

 だがコーディアスの方で既に何着も用意してもらっているようで、色とりどりのクローゼットの中からサラは楽しそうに毎回違うドレスを選ぶ。


『マーユ様がお召しになられていたあの水色のドレスも大変素晴らしいですが、せっかくコーディアス様がご用意してくださったんですもの。これらもお召しになられないと、ドレス達が日の目を見られず泣いてしまいますわ』


 えっと、せっかく用意してくれてるんだから着ないと勿体無いってことですね? 

 ただでさえ華やかなドレスたちは女性であれば着てみたいという誘惑にかられるというのに、なんて魅力的な魔法の呪文を唱えるのだこの子は!

 せめて一度着た事のあるものにしてほしい。

 新しいドレスばかりを着るなんて居候の身には贅沢です。


『昨日の前の紫。私は大変気に入っております』

一昨日おとといのすみれ色のドレスですね』

『オトトイ?』 

『ええ、紫のドレスをお召しになっていた日です。確かにあのドレスはマーユさまの品のよさが引き立って大変お似合いでしたわ。ですが本日はあいにく外が曇っておりますので、お召し物だけでも元気がでるような明るい色にされてはいかがでしょうか?』


 明るい色? 

 じゃあ、一番目に着たドレスにしましょう!


『私は、黄色が良いように思います』

『こちらですか?』


 真結の思惑を分かっていて敢えてそうしているのだろうか。

 サラは嬉しそうに真結が思ったのとは別のサンフラワーイエローの光沢のある生地にパールがたくさん縫い付けられ、銀の刺繍が輝くドレスを取り出す。

 

 違います。それは屋敷内を散歩するだけには豪華な気がします。


 真結の否定にサラは肩を落とすが、別の黄色いドレスを少しだけ覗かせる。


『こちらのレモンクリーム色のドレスですね? 初々しく爽やかな雰囲気がとても素敵だったと覚えております。……ですがマーユ様? コーディアス様が、マーユ様はきっとピンクもよくお似合いになるだろうから、ごらんになられたいと仰っていましたよ』

『コーディアス様、が?』

 

 そ、それは、大きな誘惑ですね。

 でもピンクといえばプリンセスラインの大きく広がったスカート。つまりスカートの中はクリノリンかパニエでかさ張り動きにくいということ。

 それは嫌だ。真結のそんな表情を察したのか、サラはご安心くださいとでもいうように得意げな笑顔で頷きながらドレスを広げる。


『ほら、ご覧ください。ブルテニア宮廷のものもございますが、お揃えしているのはほとんどご令嬢方の間で今流行のプロヴィンス式の物ですから、どれもマーユ様のお好みの形ばかりだと思いますよ』


 今まで着たものもそうだったが、取り出されたピンクのドレスも確かに真結が友人の結婚式で着ていたエンパイアラインと似たデザインで真結好みの細身のシルエットだ。

 ハイウエストのリボンから下はストンと落ちていて、ジョーゼットのような薄く透け感のあるドレープ性の生地が動かすとひらひらと舞う。だが、襟ぐりの開き具合は少し大きい。


 ガウンの胸元はきっちり締めさせられるのにドレスは胸があいているのは良いなんて……

 理解しがたいわ。


 だが薄いピンクが裾に向けて徐々に色濃くなる見事なグラデーションに真結が見惚れているうちに、サラはすでに着替えの準備を整えていた。


『お気に召されましたか? では本日はそちらに致しましょう』


 あ、あら? 

 いつの間にそういうことになったの?


『でも、あの……』

『きっと、コーディアス様もお喜びになりますわ』


 満面の笑みでその言葉を言われると、断りようが無い。

 今日もまた、負けてしまったようだ。 


 言葉巧みなサラに、いつものように朗らかな笑顔と声かけで手際よく身体を動かされあっという間に真結はドレスを身につける。

 いつも一人で身に着けれそうな物は一人で着ようとするが、サラの手腕は鮮やかなものだ。

 彼女の手にかかれば、まだ眠たいと泣いてぐずる子どものパジャマの着替えもあっという間だろう。


 プロというのは、こういうことなのね!


 真結はたびたびそう思う。


 インナーはぐいぐい締め付けるコルセットではなく胸の形を美しく整えるビスチェのようなものだ。

 

 着てみると意外に着心地良く、そこそこある胸の谷間がさらに強調されるのは恥ずかしいが、じゃっかんウエストがくびれるのは真結としても嬉しい。


 まるでよろいのようなコルセットもサラの手にあり、一瞬思い悩んでいるように見えたが、真結は見なかったふりをしている。

 コルセットで身を縛り上げられ、信じられないくらいの総重量のドレスを着つつも軽やかに振舞うロココのお姫様に真結はなれない。拷問かと弱音を吐くと思う。


 髪は最近まではただ背に流していただけだったが、起きられるようになってからはハーフアップにしたりサイドに流したりと、何かしら手を入れもらっている。

 夜会巻きのようにアップしてもよいのだが、やはり名前の通り、髪を全てアップするのは夜にお呼ばれした時や、皆が集まって豪勢な晩餐をとる時、はたまた宮廷での夜会へ参上するときの髪型のようだ。

 使用人たちの髪型は特に決められていないようで、サラはいつも亜麻色の髪をサイドで一つに括り、控えめなリボンを結んでいる。

 紺色のお仕着せに合わせているのかリボンの色は水色や青、群青色など同系色のもので、その日の気分で使い分けているのだろう。

 

『マーユ様の御髪おぐしは、本当にお綺麗ですよね。艶やかで、上等なシルクのようです』


 髪を梳いてくれているサラが、鏡台の鏡越しにうっとりと微笑みかけてきた。


 そうでしょうとも、もっと褒めてください!

 お手入れ頑張っていましたから。


 褒められれば真結は素直に嬉しくなる。だがそれで浮かれすぎることはない。なぜなら、上には上がいることを、お手入れなんてしなくてもそのままで全てが美しい人が居ることを知っているからだ。

 神様は不公平だ。


『ありがとう。サラの髪も綺麗よ。私はとても好きです』


 真結は自分が黒髪なのでコウ兄の染めていない自然な明るい髪色に憧れ、友人らがキャラメルブラウン、ハニーベージュ、ミルクティーアッシュなど美味しそうな名前の色に染めているのを見ると羨ましくもあった。

 だが髪色の違う自分を想像してもしっくりせず、コウ兄は真結のそのまっすぐな黒髪が好きだと言ってくれていたので結局染めたことが無かった。黒髪が一番似合うのだと思っている。

 

 サラみたいに緩やかに波打つ髪にも憧れて、パーマをかけたこともあったのよね。

 すぐに落ちちゃったけど。


 あの時は悲しかった。次はお手入れが楽だというデジタルパーマをかけてみようかと思ったが、基本はストレートで気分転換したいときにはコテで巻く、ということで今は落ち着いている。


『はい、出来上がりましたよ。とてもお綺麗です』


 真結が思い出に浸っているうちに、手際の良い仕事人な少女は化粧も仕上げてくれていた。

 髪はハーフアップで後頭部を少し高く盛り、編み込みが花のように整えられている。メイクは自然にだが、まだ血色の悪い頬がチークのおかげで少し健康的に見える。

 可愛い系の明るいチークやキャンディーカラーのルージュの色はサラの好みなのだろうか。

 目元に少し見えるゴールドと茶色が、全体の印象が甘くなり過ぎなくて良い。


 さすがサラね! 

 エキスパート・オブ・侍女!

 

 大人っぽいメイクよりも、清楚に見えるメイクや、今日のように甘いメイクを施されることが多いが、基本はナチュラルでお願いしている。

 だが、ドレスに合わせて色々とメイクの雰囲気を変えられ、かつ真結が気に入るように仕上げられるサラは、やはりプロだ。


 そして、彼女は何も言わないが、髪や化粧でさりげなく真結の首にあるルーチェの剣が掠って出来た傷を隠してしまうあたり、気配りも一流だ。







『どちらまで参りましょうか?』

 

 身支度が整い、優しく問いかけるサラに、真結は歩き回った屋敷内を地図として思い描きながら考えた。


『まだ見ていない屋敷の西。私はそちらへ行きたいと思っています』

『左翼館のことですね』

『ええ、サヨクカンへ行きたいです。冒険をするの』


 サラとの会話は言葉の勉強にもなる。彼女が付き合ってくれるおかげで、真結は語彙力がどんどん伸びているのを実感している。

 廊下の大きな窓から外を見やれば手入れされた薔薇の庭の奥に、さらに色々な花が生けられた庭が続いている。茂みの向こうに続くのは草原だ。

 屋敷を囲う柵や壁なんて見当たらないが、どこまでが私有地なのか分からない。


『大きくて綺麗な庭ね。広いのが続いていて遠くまで見える』

『見晴らしが良いですよね』

『ミハラシが、良い』

『この辺り一帯はコーディアス様のお父様が治められていた領地ですが、この屋敷から見通せる辺りまではコーディアス様が所有されているものなんですよ。なんでも、見晴らしの良い開放感のあるところが良かったそうで』


 ……なにか、今すごいことを聞いた気がする。

 知らない言葉がいくつか出てきたが、つまりコーディアスさんのお父さんがとてつもなく広い土地を持っていて、ここから見える範囲はコーディアスさんのもの、ということですか!?


 ちょっと歩いたくらいじゃ見回れない屋敷の大きさといい、急に一人面倒を見ることになっても好待遇で持て成せることといい、ご貴族様なんだろうなとは思っていたが真結はあまりのスケールの違いにおののいた。


 玄関ホールの吹き抜けになっている二階廊下を通り過ぎる時、階下の喧騒が気になって見下ろせば、ちょうどコーディアスとルーチェが外出先から帰ってきた所だった。

 執事や使用人たちにマントのような外套と帽子を渡している。

 お供をしていたのか、ユアンはまだ外套を羽織ったままルーチェの剣を預かっていた。恭しく大事そうに両手に拝している。


『サラ、私たちも行きます』


 せっかくだから真結も出迎えようと、上から声をかけるのは無作法なのでサラに支えられながら一階へ急ぎ足で降りる。


 コーディアスもルーチェもどこか疲れた表情をしていた。だが足音で気づいたのか顔を上げたコーディアスは真結の姿を認めると、くたびれた気配をきれいに消し去って花が綻ぶようにふわっと微笑んだ。


 どうしてこの人はこんなに美しいのかしら。

 その微笑みにくらっとくる。


 ルーチェが引き締まった体躯なので、二人が並ぶと、どちらかというと線の細いコーディアスはよけいに中性的に見えてしまうのかもしれない。

 

『そんなに慌てて危ないよ。転んでしまう』


 優雅な足取りで彼は階段を上ってくると、まるでそれが当然のことであるかのように真結をひょいと抱き上げた。服越しに伝わる体温に、真結はほっとするような心地よさを感じて頬が緩む。

 小さい頃よくコウ兄にこうして抱き上げてもらったものだ。


 だが、サラの何ともいえない生温い視線を感じて我に返った。

 

「お、下ろしてくださいっ」


 挙動不審に思わず日本語で訴えてしまう。

 つい長年接していた親しい人のように感じるが、彼はまだ知り合ったばかりの他人だった。スキンシップが過ぎるだろう。まるで外国人だ。

 いや、正しく彼は違う国の人だ。 


『ん? 嬉しいのかい? じゃあ、このまま下まで連れて行って差し上げよう』


 もちろん通じるはずもなく、コーディアスは楽しそうにヘーゼルの瞳を輝かせた。

 子どもにするように膝裏とお尻の下に腕を回して抱きかかえられていたが、コーディアスはそれを軽々と横抱きに抱えなおし、淀みない足取りでそのまま階下に降りる。


 意外に力持ちだったんですね。


 ふらつく事もなく真結の足をそっと床につけた彼に、真結はまた新たな魅力を知る。


『それにしても、似合うだろうなとは思っていたけど実に可憐だね』


 名残惜しそうに真結の肩に手を乗せたままコーディアスが、慈しむように目もとを柔らかくする。一体何の話かと思えば、ドレスのことのようだ。

 女性のドレスを褒めるのは紳士のマナーなのだろう。


『まるで花の妖精のようじゃないか。可愛らしいのに幼すぎず、大人の魅力も引き出されていて……きっと、皆が君の虜になるだろう』


 きらきらとした笑顔が眩しい。

 溶けそうです!


『ほらご覧、ルーチェ。君もそう思うだろう?』


 ルーチェに紹介するように真結へと腕を広げたコーディアスは、何と恥ずかしい同意を無愛想な友人に求めた。

 若干呆れたような雰囲気を纏わせていたルーチェと視線があい、真結は居たたまれなくなる。


『ドレスなんてものは、相手が不快に思わない程度に整っていれば何でも良いだろ』


 興味なさげな答えに、聞いた本人は不服そうにする。


『ルーチェ、君ってばどうしてそうマユには冷たいかな? 他のご令嬢方にはいつも愛想よく笑顔を振りまいて、口もよく回っているじゃないか』

『あれは社交だ。付き合いだから仕方がない』

『それにしたって君はだね……』


 コーディアスは色々と友人に難癖をつけ始めたが、真結は煩わしそうに身を引いたルーチェの横顔を凝視した。

 

 愛想良い、笑顔!?

 この顔が!?


 普段の彼からは思い描けなくて、無理矢理に頭の中の彼の映像の口元をにこっと上げさせたらニヒルで腹黒い笑顔になってしまい、ぞわっとした。


 と、鳥肌たったかも。


 腕をさする真結に何故だか察しの良いルーチェがめつけてくる。


『おい、お前。今、失礼なことを考えなかったか?』

『そのようなことは、無いです』


 保身の為にすぐそう口から出た。

 そんな真結を、彼は疑わしげに目を細める。

 まったく猟犬並みの嗅覚じゃないかと真結は脅えながらも日本人特有の曖昧な笑顔でごまかしてみたが、奇妙なものでも見たかのように彼に表情を歪められ、ちょっと傷ついた。


 


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