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言語学習

 コーディアスはアシュレイという家名のどうやら高い身分のある人で、ルーチェは彼の友人であり騎士のようだ。

 真結まゆは森で彼らに保護された後、コーディアスの所有する屋敷の客室で数日間高熱で寝込んでいたらしい。

 どうやらその間少女が看病してくれていたようだ。彼女はサラといい真結の侍女という役についているらしく、戸惑うほど色々と世話を焼いてくれる。

 身体が思うように動かなかったのは、ずっと眠っていて筋力が衰えているせいだろう。

 


 そして恐れ多いことに屋敷の主であるコーディアス自らが、真結の好物が果物だと知って以来度々それを部屋へ持参してくれた。

 サラは、そのようなこと使用人が致しますと狼狽していたが


『マユの喜ぶ顔がみたくってね。お役目を頂戴してきたんだよ』


 と悪戯に微笑む彼に、まぁ、と黄色い感嘆の声をもらし、何か期待するような目を向けてきた。頬が薄らと染まっているのはどうしてだろう。


 お嬢さん、彼は確かに親切ですが、その言葉は社交辞令ってものですよ?




 そして一週間もしないうちに真結の体力は回復し、今では屋敷内であれば支えを借りて自由に出歩けるようになった。

 身体の中に重たい何かが蠢いているようなだるさが付きまとい、回復が遅いと真結は感じていたが、新しい環境のせいだろうか。

 調理場を借りてお菓子作りができるのはまだまだ先になりそうだ。


『マーユ様、記録帳がもう残り僅かですね。新しいものをご用意いたしましょうか?』


 ゆったりと椅子に腰掛けた真結は、てきぱきと机上を整えながら確かめる彼女の言葉に、ええ、お願いするわと頷く。


 自分用の辞書を作りたかったのでルーズリーフのように抜き足し出来るよう紙を重ねて穴を開け、紐で一纏めにした簡易メモ帳を用意してもらっていたのだ。

 理想としてはアルファベット順に書き並べたいが、増えていく語彙はその通りにはいかないので、できるだけ事柄で紙を別にして書き分けている。

 文字はアルファベットとその上に点や括弧かっこなどの記号がついているものだったので、単語はこちらの言葉で、発音記号は英語で、意味は日本語と分かる範囲でこちらの言葉で書いている。

 英英辞書を引くことを高校の先生に習ったが、面倒な上に分かりにくいと思っていたそれは理解を深めるにはとても効果的なやり方だったので、それを思い出して真似をしている。

 幸いな事に言葉は真結の知っている物と類似性があったので助かっているが、もしやラテン語に近い言語なのではないだろうかと思っている。

 英語語源の70%はラテン語だ。

 フランス、スペイン、イタリア、ポルトガル、ルーマニアも語源はラテン語なのだから、英語やフランス語だけでなく真結が聞きかじって知っている言葉とも時々一致するのだろう。


 コンコンと丁寧なノックの音が響き、真結は今日は誰かなと思いながら扉を振り返った。

 ちなみに返事はしない。

 サラが控えている時は、それは彼女の役目なのだともう何度も繰り返すうちに学んだ。郷に入っては郷に従え、だ。

 ……実は自分のことは自分でしようと足掻いたのだが押し切られた、ともいう。


『まぁ、もうそんな時間!?』


 ベッドから起き上がれるようになってからは、昼食の後に午睡を挟み勉強の時間を設けている。

 教師はコーディアスとルーチェだが、屋敷の主のコーディアスより友人として滞在しているらしいルーチェの方が割合的には多い。


 サラは扉の向こうに返事をしながら忙しなく真結の身嗜みを整えなおし、部屋の様子を確認する。

 そして慌てていた素振りなんて少しも見せずに、ゆっくりと扉を開けて気取った声で挨拶を交わした。

 視界に入ったダークブロンドの長い髪に、真結はがっかりする。


 なんだ、やっぱりルーチェね。


 来訪を告げた声は彼の従者なのか時々付き従っているのを見かける少年のものだったので、予想はできていたが、改めて瑠璃色の瞳に見下ろされると気分は良くない。


 今日もいろいろ怒られるのかしら。

 彼に馬鹿にされると腹が立って俄然やる気がでるのは良いけれど。


『本日はユアンさんもご一緒なのですね』

『はい。何かご入用の際はお声かけくださいね』


 まだ青年というには幼さを残したルーチェの付き人は、少し癖のあるふわっとした褐色の髪やその素直さがまるで人懐っこい動物を思い出させるようで可愛い。

 無愛想な彼の主人とは全然違う。

 彼の主人は今日も憮然とした表情で真結を見下ろしている。そして眉間に皺を寄せた。


 まぁ、憮然とした表情とはいっても色々バリエーションはあるものなのねぇ。


 ルーチェの愛想のない態度に慣れた真結は、そんな感想をもった。

 彼は無愛想だとはいえ、あまり変わらないように感じられた表情も見ていればどれだけ機嫌が悪いのか、馬鹿にしているのか、警戒しているのか分かる。

 今日は機嫌が悪いようだが、どうしたのかしら? と真結には理解できないが何故かルーチェに心酔する様子をみせるユアン少年を見やれば、彼はこっそり苦笑しながら首を横に振った。

 気にしないで下さいという事だろう。


 さっそく机を挟んで向かいに座り、授業が始まる。


 真結は記憶喪失の振りをしてこちらの世界の常識を知らないことや身元をごまかしていた。

 その為ルーチェはよく、真結のその記憶について聞いてきた。

 言葉が不得手なのでその会話が全て言語学習になる。


『ブルテニアも知らないのか!? この国の名前だ。今すぐ覚えろ』


 真結が分からないと答えると彼は顔を顰めるが、面倒くさがらずに教えてはくれる。

 ブルテニアは大陸の中で最も伝統が長く大きな国で、隣接した属国を挟んでの隣国プロヴィンスとは度々戦争を行ってきたが、現在は友好条約をもち交流があるそうだ。


『古い国に良くあるように伝統と誇りを重んじ排他的ではあったが、今は外交を盛んにし新しい技術や芸術を取り込んでいる。この国の第一王子殿下が改革に意欲的でいらっしゃるんだ』

 

 新しく聞く単語がたくさん出てくるのでいちいち真結にその意味を聞かれて話の腰を折られるルーチェは溜まったものじゃ無いと思うのだが、彼は意外と忍耐深かった。

 一つ一つ義理堅く付き合ってくれる。

 だがやはり彼は彼だった。


『お前はこんな事も覚えてなのか。とんだうつけ者だな』


 ルーチェの言葉に、真結は馬鹿にされているニュアンスだけは伝わりむっとする。だが一応先生なので反抗的な態度はとらないでおく。

 コーディアスの友人でもあるし、ただでさえルーチェにはよく思われていないようなのに機嫌をそこねて屋敷を追い出すようコーディアスに進言されたらたまったものじゃない。


『ルーチェ様。マーユ様は記憶を失くしておいでなのですから……』

『そうですよ。騎士の中の騎士であられる、レディにお優しいルーチェ様らしくないではないですか』


 遠まわしに諌めるようなサラに、ユアンも援護する。


 いいぞいいぞ、もっとやれ!


 真結は雰囲気で二人が自分を擁護してくれているのを感じ取り、そのままルーチェをやりこんでくれればと願う。


『記憶喪失のレディ、ねぇ?』


 ちらりとルーチェから視線を向けられたので、姿勢をただし、にこりと微笑んで小首を傾げておく。


 まぁ、何かしら?

 何をお考えなのか、わたくしさっぱり分からないわぁ。


 心でおどけながらもとりあえず「両親の居ない子ども」「親戚とはいえ男性とくらしてるなんて」など陰口を言われてコウ兄に迷惑がかからないようにと身に着けた、上品な優等生の猫をいつもそうしていたように被ってみたが、ルーチェはふんと鼻を鳴らした。


『どうだか』


 ……なんだか疑われているようです。

 

 彼とは出会いからしてその思いをひしひしと感じていたし、自分でも森で倒れていた記憶喪失者なんて怪しいと思うが、やはり警戒されているのを確信して真結は反応に困る。


 記憶喪失って嘘をついてるのは本当だものね。


 かといって違う世界から来たと言えば頭を疑われるかもしれない。

 真結は親切な人々を騙すのは心苦しいなとは思いつつもどうにもできない自分と状況に、ペンをくるりと回しながら目の前のことに集中することで気を逸らす。

 ルーチェが真結ようの教本を開いたので、勉強の時間はもう始まっているのだ。


 文字を書き始めた当初は、机の上に置いてあった羽ペンを渡されたのだが、初めて使うそれは可愛いものの使い慣れず、インクを何度もつけなおさなければならない書き心地はあまりよくなかった。

 だめもとでペン先が金属の物はないかと聞いてみれば、万年筆ではないが、それに似た物を用意してくれたので、今ではもっぱらそちらを使っている。


 ルーチェがそのペンをじっとみてくるので、真結はなんだろうと視線を上げたが


『綴りが間違っている』


 あ、はい。すみません。


 修正テープがあるわけではないので二重線で消し、ご丁寧にもルーチェが空に書いて訂正してくれた正しい綴りを書き足した。

 彼はいけすかないし、スパルタでもあるが、面倒見の良い先生でもあった。

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