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伸ばしません

 ぼぉっと目が覚め、身体がむずむずと疼くのでうーんと腕と足を伸ばしたらとても気持ちがよいだろうと真結まゆは思いっきり伸びをした。

 肌触りの良い生地とふわっとした枕の柔らかい感触も心地よい。

 だが伸びをしたつもりで、実際は腕を動かそうとした時点で肩が痛みぴしぴしっと鈍い痛みが身体に響く。


 うぅっ

 寝違えたのかしら?


 まるで二度寝して寝すぎたときのように頭が鈍い痛みで冴えない。

 首だけこてんと傾けて枕元に置いてある時計で時間を確認しようとしたら、見慣れたサイドテーブルではなく、一人がけのアンティーク家具のようなファブリック生地の椅子が目に入ってきた。

 それは、決して自分の部屋にある物ではない。

 真結の思考が、一時止まる。


 …………?

 えっと、ここはどこ? 


 視線を部屋の中へと走らせると繊細な彫りが施され優美な曲線を描く調度品らが据えられている。どれもがマホガニーなのか深く趣のある茶色で、磨きこまれた艶がある。壁には美しい景色の絵画や暖炉もあった。

 豪華だが品のあるそれらは一流ホテルには似つかわしいだろう。アンティークな格調高さは映画やテレビで見た貴族の屋敷の部屋、そんな趣がある。


 私、ホテルに宿泊してた……のだったかしら? 


 上体をゆっくりとベッドの上に起こす。

 固まった筋肉が悲鳴を上げ、力が入らない。

 どうにか上半身を起こすと軽快なノックが聞こえたので、とりあえず返事をするが、声が掠れていた。

 それとほぼ同時に入ってきた華奢な少女は真結と目が合うと大きなダークグリーンの瞳をさらに大きく見開く。そして亜麻色の髪をなびかせ嬉しそうに真結のベッドの枕元に縋り寄ってきたのだ。


 知り合いじゃ、ないわよね?


 少女の格好は紺色の丈の長いワンピースに、縁にフリルがついた白いエプロン。ホテルの客室係というよりはまるでメイドのようなお仕着せだ。

 堰を切ったようにどこか聞き覚えのある言葉で話しかけられる。

 その間にも彼女は真結がもたれ掛かれるようにといくつかの枕を背に当ててくれ、水の入ったグラスを差し出して真結がそれを落とさないように手を添えて飲むのを手伝ってくれる。


 真結が呆けている内に少女は安心したような笑顔を浮かべて何かを言い、軽い足取りで退出していった。


 口の中に残るミントの清涼感。

 すっきりとするように香り付けされた水は夢現に口にしたような気もして、何となく覚えがある。

 知っているようで知らない言語や衣服、調度品。

 そして、無作法にも突然開け放たれた扉から威圧感たっぷりに入ってくる人物。


 あぁ、夢じゃなかったんだわ。


 悪夢だと思っていた出来事は本当にあった事で、目覚めた今も状況は変わっていないのだと告げている。


 冷たい瑠璃色の瞳に見下ろされ、真結は唇をかみ締めた。


 



 一言も発さず真結の真意を探るように視線をぶつけてくるのは、真結を手荒に扱った騎士のような格好をした男だった。

 本当にここが異世界なのか相変わらず現実味はないが、知らない環境なのは確かなので気持ちを強くもつ。弱さを見せては駄目だ。

 警戒されているのがよく分かるが、真結も相手に対して良い印象がなかったため同じようにふてぶてしく見返した。こんな奴に怯えを見せたくはない。

 ついでに彼がするように自分もじろじろと、遠慮なく観察する。

 

 鍛えているのが見て取れる程よく引き締まった身体は均整の取れた八頭身で、扉に寄りかかり不遜に組まれた手足は羨ましいくらいに長い。コウ兄と同じくらいの高身長だ。年齢は真結と同じくらいだろうか。

 視線をぶつけ返す真結を不快に思ったのか細められた目を縁取るダークブロンドのまつげは、目元に影をおとすほど長い。


 爪楊枝が何本も乗りそうね。


 自分と同じように付け睫毛いらずのそれに、友人が評した言葉が思い出される。だが、彼の睫毛には自分よりももっと多くの爪楊枝が乗りそうだ。


 それにしても残念だわ。

 見た目は良いのに性格が悪いだなんて。


 真結は初対面の印象で勝手に性格を決めつけ、片手を頬に当てて哀れむようなため息をついた。紳士の鏡であるコウ兄を見習ってほしいものだ。


 まさかそんな感情を向けられるとは思っていなかったのだろう、何となく察したのか、彼の秀麗な眉がぴくりと上がり、言葉を発そうと引き結んでいた口が開かれたとき、可愛らしい悲鳴が聞こえる。

 男の横を素通りして慌てて真結へと駆け寄ってくるのは先ほどの少女だ。


「な、何々? どうしたの?」


 早口に何かを捲くし立てながら真結に手早くガウンのような物を羽織らせる。真結はされるがままに袖へ手を通し、少女はきちっと胸元をきつく整えてリボンをきゅっと閉めた。

 頬を染めながら控えめにちらっと男を見る彼女の目がどことなく咎めているようだ。だが真結に対しては何故か親か姉が切々と諭すかのようだ。

 親身であることが感じられるので、なんだかよく分からないがごめんなさいと言いたくなる雰囲気だ。


 そこに、くすくすと小さな笑いが響く。

 開け放たれたままのドアを軽く叩く音にそちらを見やれば、コウ兄が居た。


「コウ兄!」


 胸に広がる安堵に真結は両手を広げて彼の元へ駆け出そうとしたが身体はいうことをきかずベッドの上で傾いでしまい、それをさっと少女が支えてくれる。

 コウ兄は安心させるように優しい笑みで頷き、ゆったりとした動きで真結の傍らへと寄る。

 体調がよくなって良かったね、安心したよ。と言っているようだがその唇から紡ぎだされるのは日本語ではなかった。


 ……え? どういう、こと?


 あらためて見てみれば、年相応に見えないのを気にして大人っぽく額を出すように分けていた彼の前髪は昔のように下ろされていて、まるで出会った頃のようだ。

 だが落ち着いた雰囲気は真結よりもいくつか年上に感じられて、年齢不詳だ。

 はじめましてというように手を出されたので、真結も反射的に手を握り返そうとする。すると、まるで貴婦人にするかのように手の甲に唇を落とされた。


 っ!? 

 こ、コウ兄でもこんなことしないわよぉぉぉ!?


 コウ兄は奥手でお堅い日本人気質と違ってエスコート上手で甘いセリフで女性を褒め称える紳士だが、さすがに現代日本でこんなことをする人物ではない。

 と、いうことは、やはり別人なのだろうか。

 優しく耳に心地よい声で、彼は自分自身の胸へ手を当てて何かを言う。


 挨拶の後の流れでいえば自己紹介?


『もう一度、言っていただけますか?』


 英語とフランス語で繰り返して言う。イタリア語やドイツ語なども使えればよいのだが、パティシエ修行をしていた真結はフランス語で簡単な会話ができる程度で満足していたので、今となってはもっと頑張ればよかったと悔やまれる。

 英語とフランス語は日本の標準語と関西弁や沖縄弁くらいの違いしかないのだ。 


 コウ兄によく似た人物は少し考える素振りを見せると、穏やかに笑みゆっくりと話しながら自分自身に手を当て、次に真結へと手のひらを向けて首を傾げた。

 その仕草で理解する。


「こーでゅあす?」


 きっとそれが彼の名前だ。

 少し日本語っぽい発音になってしまっただろうか。

 確かめるように何度か言い直すと、彼は嬉しそうに、だが訂正をするようにもう一度名前のところだけ発音する。


『コーディアス』

「こーでぃあす」


 復唱すると、にこっと微笑まれた。


 ……私、幸せです。


 華が咲いたような微笑みというのはこういう微笑みなのだろうという甘く柔らかな笑みを向けられ、真結は必死に頭を回転させなければいけない時だというのに、不覚にも胸がきゅっと締め付けられてしまった。


 やはり、いついかなる時であろうと、美しいものにはときめくものだ。


 そう自分に言い訳する。


 はぁ、良いものが見れたわと心が弾むのを自粛させながら、真結は彼が後半のもう一フレーズを先ほどと同じジェスチャーで繰り返したので、まかせろ、と心の中で男前に返事して表面上はおっとりと微笑んで頷く。


『私の名前は真結です』


 コーディアスや少女が繰り返し使っている単語と文法からおそらく主格の「私」と思われる言葉と「です」や英語のbe動詞に当てはまるだろう動詞、「名前」も推測されたので、組み合わせてこちらの言葉のように言ってみる。

 様子を伺うとどうやらきちんと通じたようで、彼は目元を優しく緩ませて頷く。彼の後ろに控えていた少女も嬉しそうに口の中で真結の名前を呟く。


『マーユ』


 でも、ちょっと違うのよね。

 真結はもう一度自分の名前だけを発音した。


『マ、ユゥ?』


 少女が難しいのか眉を寄せながら発音するが、それも違う。

 だが良く聞き取ろうとするかのように顎に手を当てて耳を傾けていたコーディアスは何か理解したのか、ぱっと目を輝かせると真結にむかって優しく嬉しそうに言った。


『マユ』


 それは、日本語の「真結」という名前を知っているような耳に馴染む響きだった。


 っ! さすがコウ兄!

 じゃなかった、コーディアスさん! 完璧な発音です!


 嬉しくって、真結は笑顔を浮かべる。

 コーディアスはそんな真結の頭を子どもを慈しむような優しい手つきで撫でてくれ、少女は何度か真結の名前を繰り返すが『マウ、ユ』『マぁユッ』と苦戦していた。

 

 真結は、そんな彼らの様子にいつの間にかすっかり警戒を解いていた。確かな根拠はない。あえて言うなら直感だが、保護し看護してくれているこの人たちの善意を信じても良さそうだと思う。今後どうなるかは分からないが、いきなり外に放り出されることはなさそうだ。

 だが暖かな気持ちに陰を差すように、小さな声がふとその存在を思い出させる。


『マーユ?』


 違います。伸ばしません。


 扉に寄りかかって腕を組んだまま黙ってこちらを観察し続けていたあのいけ好かない奴にも、やはり真結の名前の発音は難しいようだった。


 真結の冷めた視線と自分自身でも違うと分かっていたのだろう、彼はちっと舌を鳴らす。


『俺はルーチェだ』


 真結には、そう聞こえた。でもきっと間違っていないだろう。

 ふぅん? というようにそっけない態度をとったせいか、ルーチェはむっと真結を見下ろす。


 だからその態度はやめてほしいわ。


 そう思いつつも、真結は知らないふりで「何か?」と貼り付けたような笑顔で首を傾ける。

 とりあえずまずは、言葉を何とかしなくては。

 それからこの世界のことを学んで、もとの世界に戻るにはどうしたら良いか調べなければと算段をつける。


 コウ兄は大丈夫かしら。

 早く、帰りたいわ。

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