くすぐったい傷跡
真結がはぐれた事情を告げた後、護衛がすぐに街を警邏する衛兵に「無頼漢が転がっているはず」と報告し彼らを探したのだが、その姿は無かった。最近人攫いが頻発しているようなので同一犯ではないかと思われているそうだが、どうやら他にも仲間が居るようだ。
比較的平穏な日本で暮らしていた真結は自分の身に降りかかっていた事が体感していた以上に危機的状況だったということを後から再認識し、再び自己反省する。
しばらくは外出無しとお咎めがあったが、それも受け入れている。
「今度ラビに会えるのはいつになるのかしら?」
街に行かずとも気分転換はできるが、それが気がかりであり残念なことだ。だが勝手に抜け出そうなんてことは思いつくだけで実行しない。
そんな真結はシフォンケーキを焼いている最中の釜を覗き見ながら一心に念じていた。
ふわっふわに生地よ膨れろ~
生焼けになるなぁ~
盛り上がった生地は陥没するなぁ~
良い感じに焼けろ~
理想とする焼き上がりのシフォンケーキを頭に思い浮かべ、釜の中のタネがそう仕上がるようにじりじりと念を込めて見つめる。
真結はこれまでクッキー、パウンドケーキ、タルト、パイを釜を使わせてもらって自分で焼いたが、どれも釜焼き初心者とは思えないほど上手な焼き加減で作ることができた。料理長も驚く程の腕前だ。現代の家のオーブン電子レンジで作るよりそれは理想的で、お店の業務用オーブンで作るのと同じくらい出来が良い。
温度を設定できずに、火の具合や釜に入れる位置などで焼き加減を調節する方が難しいのに、その方がより完成度が高い。
その他にも、前回デザートの飾り付で飴細工を作ってみたのだが、今まで作ってきた飴細工の中で一番思う様に作りやすかった。まるで真結が思い描いたように指先から紡がれる繊細な飴の糸が意思をもって形作られ、薄いリボン状に伸ばした飴も面白い程こうしたいと願う形でぴたりと決まる。
そして今回、今だ! と感じて釜から取り出したシフォンケーキも理想通りの焼け具合だ。
「これは、もしかして、もしかするんでしょうか?」
真結には、思い当たることが一つあった。
そしてそれを早朝の魔法の練習で試してみる。以前から薄々と気づいてはいたが、異常に育ちの良い植物たち。それが、水を生成するつもりで見当はずれに注いでいた真結の魔力の効果だとしたら?
いつものように手を花にかざし、対象をこの蕾と確定すると身体の中の魔力を練り集める。そして釜の中のケーキが膨らむのを想像し理想通りに焼けるよう願うように目の前の膨らみかけた蕾が花開くのを想像しながら凝縮されたその力を思念にのせて花へと届ける。
「さぁ、ちょっと早いけど、咲いてみようか?」
それに応えるように、薄紅色の花びらがふわりと綻んだ。
「っ!!」
こ、これは! やっぱり思った通りじゃない!!
確かめるように範囲を広げて、両手を広げた中におさまる草花たちに語りかけてみる。大きくなってと。
すると歓喜のような力強い迸りが身体の中を通り抜けて、腕の中にぶわっと広がると同時にそこだけ花が咲き乱れ草葉が青々と生い茂った。
「やっぱり!」
どうやら、見えないものから作り出すのは難しいが、見えている物を変化させるのは出来るようだ。「新しく物を作り出すのは苦手だが改良を重ねてより良い物に進化させるのは得意」な日本人らしい性質が現れている。
樹に伝う蔓草に真結は手を向けると、飴細工を練り上げるイメージで指先に魔力と思念を込め、編むようにしてハートを形作り蔓草でリースのような物を作る。そして、それが落ちないように樹に再び蔓の先を辿らせて、メルヘンなアートを作ってみた。
なんということだろう。それは飴細工を扱う時のように真結の手に馴染み、用意に造り上げることができた。
要領をつかむと楽しくなってきて、真結は生垣の一つで昔見た映画のようにクマを作ってみることにする。
だがそれは、イメージ通りの大きさで作ろうとすると刈り込まないといけないようで上手くいかず、では、成長させる速度を部分的に変えてしまえば良い、必要な所だけ伸ばせば良いと思いついて、マジパンでケーキの飾りの人形を作るように指先で引っ張るように形成していき、初めのイメージより一回り大きなクマの生垣が出来上がった。
「楽しい!」
お菓子作りをした後のような満ち足りた充足感がある。
「いでよ、水!」
自信満々に唱えたが、相変わらず何も出現しなかった。だが真結は凹まない。くすっと笑うと朝露の光る葉を探して、立ち位置は変えずにただその葉の上の露を目で捉えながら指で狙ってぴんと弾く。
思った通り、実際に触れたわけではないのに、露は水の礫となって飛んでいった。
「やるじゃない、私!」
当初の目標は未だ届いていないが、見当外れの方向で魔法をコントロールできるようになったようだ。目に見えている物の方が真結には扱いやすいのかもしれない。
今日はこれで十分な収穫だと真結は大満足して、意気揚々と早朝の散歩に切り替えた。
所々、目に付く蕾を花開かせたり、水はけが悪い道をわざわざ通って小さな水溜りに波紋を作って遊んだりしてみる。すると、あっという間にぐったりと疲れてしまった。
これが、魔力切れが近いってこと?
魔力が暴走してランプを壊してしまった時に似た倦怠感と眠気だ。鼻歌交じりに足取りも軽かったのに、今では一歩一歩踏みしめるように進むしかできない。
眠たいわ。んー、どうしましょう。
ちょっと休もうかしら?
近くに東屋も椅子も無いので、樹に手をついて寄りかかるようにしてしゃがみ込む。ドレスが汚れるのでお尻はつかない。
しばらくそうしていると、まだ陽が登りきっていない薄明かりのもと、ぼんやりとした影が真結の影と重なった。
「お前、今度は何してるんだ」
顔を上げないでも訝しむような声で分かる。ルーチェだ。
「休んでるの」
何だって彼はこんな時に現れるのだ。
「あなたこそ何してるの?」
以前のように「不審者を捕獲に来た」と威高げに言われるのかと思いきや、彼は面を上げない真結と視線を合わせるように膝をつくと顔を傾げて真結の目を覗き込んでくる。その瞳は芯の強い光を宿してはいるが、威圧するような鋭さは無い。
「お前が居たから、寄ってみた」
なんのついでに寄られたんだろうと考えながらも瞼が重たくってどうでも良くなり、真結は「そう」と呟きながら目を閉じた。少しこうしていたら楽になるかもしれない。
「…………部屋にたどり着けないのか?」
せっかく微睡みかけていたのによく分からない質問をされた。
いや、こんな場所で眠りかけてはいけない。
何をしているんだ自分。
「なに変なこと言ってるの? 散歩の途中だったの。でも急に疲れちゃって……」
ルーチェはぐるっと辺りを見回すと、ふうと息をついた。真結はそれを見て、むっと唇を尖らせた。何だろう、馬鹿にされているのだろうか。
「じゃあ散歩は切り上げてもう部屋に戻るだろ?」
「そうね。そのつもりよ」
「ついでだから送ってやろう」
そう言うとルーチェは真結をぐいっと抱き上げた。もちろんお姫様だっごではないが荷物抱えでもない。腕の上に真結が向かい合わせに腰掛け、もう片方の腕で抱き支えられている。
真結は抵抗せずぐったりとルーチェに身を預けた。疲れているのだ。楽な方が良い。
「有難う」
眠たいので素直にお礼の言葉が出る。
「……」
返事は無かったが、真結は力強い腕に頼りになる心地よさを感じてその首にしがみつく。
あぁ、眠たい。早くベッドに戻りたい。
真結は居心地の良さを求めて彼の首すじに頭をこてんと埋め、つい枕にすりすりするようにしてしまう。ふわふわとした浮遊感がぴたっと止まる。どうやらルーチェが歩みを止めたようだ。真結が顔を上げると彼は再び歩き出した。
道が分からないのかと思ったが、そうではないらしい。あるいは真結の作ったオブジェを見つけたのかもしれない。うつらうつらとしている内に真結の部屋まで戻ってきたようで、ルーチェが声をかけたのかサラが部屋のドアを開けてくれているのが目に入った。
荷物のように放られるわけでもなく、意外にもそっとルーチェはベッドに真結を横たえるように降ろしてくれる。ぼおっとした頭でそれを何となく見ていたら、彼と目があった。
何か言いたそうにしているが、生憎と真結は気だるい睡魔が襲ってきていて、それで目を開けているのもいっぱいいっぱいなので彼の嫌味の報酬に付き合ってあげることはできない。何か言われても言い返せないだろう。
ふわぁ。と小さな欠伸が漏れた。
「一応、すまなかったとは、思っている」
謝罪なのか何なのか判じがたい言葉をかけられた。そして首筋にそっと手が添えられる。触れられたところがくすぐったくって、真結は身を捩って小さく息を零してしまった。
「んっ……」
ルーチェの手が、さっと引っ込められる。
「っ、すまない。まだ、痛むのか?」
彼が切りつけた、首の傷の事だろう。もうただの傷跡で痛むはずはないのに、気にした様子の彼に真結は可笑しくなった。もう今更だ。変な人。
瑠璃色の瞳に見下ろされ、真結は唇に笑みを浮かべてゆっくりと目を瞑った。
あぁ、眠い。それにベッドが気持ちいい。
真結は遠のく意識の片隅で何か聞こえたような気もしたが、さざ波のように押し寄せるゆったりとした闇に誘われるまま、くったりとそこに沈んでいった。
ようやく恋愛っぽい要素を入れることができました。
といっても、やっといがみ合わない二人を書けただけですが^^;
早く恋愛にたどり着けるように執筆頑張ります。