うさぎさんと出会いました
「良いかい? くれぐれも一人で行動しないように」
サラに街娘の装いを整えてもらった真結は、コーディアスにそう言い含められた。それが一緒に街に行く絶対条件だという。念の為にと彼の術のかかったブレスレットも着けられる。真結はもちろんそれに承諾したが、しばらくは初めて目にする色々な物に足を止めがちだった。
「まぁ、あれは何かしら?」
使用目的の分からない派手な原色の羽や螺鈿の美しい貝を取り扱っている店もあれば、花ではなく緑ばかりを並べている店もある。ガラス越しに店内を見ているとその一つ一つにコーディアスが説明をしてくれる。
「ここは装飾品屋で向こうはハーブとお茶を取り扱ってる店だね。もう少し先に行くと市場だから、はぐれないように」
手を差し出され、馬車を降りた時から彼にエスコートしてもらっていた手をいつの間にか離していたことに気付く。ついつい目を奪われた方へ方向転換したり足を止めたりしていたが、約束を忘れたわけではない。同じく街に馴染むようにと質素な装いではあるが、隠しきれない品の良さが貴族がお忍びで街に来ているという雰囲気を醸し出している彼に、真結はひっそりと笑う。
それで身分を隠しきれているつもりなのかしら?
先程から女性達の視線がちらちらと集まるのだが、コーディアスは気にした様子が無い。
こんな風にエスコートをしてもらうと余計に目立つと思うのだが、確かに煉瓦と石造りの店が立ち並ぶ整備された道よりも露天商の方が人が混み合っていて活気があり、はぐれやすそうだ。なので真結は素直にその手を重ねて歩く。
が、それも僅かな間の事であった。
身を寄せ合って手を繋いでいるわけではない二人は周囲の人の流れの妨げになるようで、それにいち早く反応した真結はささっと身を翻してコーディアスの後ろについた。
よし、これで人の流れに巻き込まれることもないわね。
「マユ? これでは君の姿が見えなくて置いていかないか不安だよ」
真結は満足げにその背中を見つめていたのだが、彼には不評のようだ。振り返ったその顔は苦笑している。
「じゃあ、これで大丈夫です。はぐれません」
手で彼の腰を捕まえる。だが腕の長さと彼の歩幅の大きさ的にその体制は歩きにくかった。二歩目でお互いの足にぶつかりそうになり真結は前のめりになる。
「あぁ、もう。君は何してるの」
「良い案だと思ったんですが」
結局手を引かれることになり、真結はあいた方の手で頬をかいた。見下ろしてくるコーディアスの妙に温かな笑みが、手のかかる弟子だと思われていそうで情けなさを抱かせる。だがそれも一瞬のことで、老若男女問わず人が溢れかえった活気につられ、すぐに意識は目新しい露天へと移り、興味を惹かれるままに足が勝手に止まってしまう真結は自然と腕でコーディアスを引き止めるという事を繰り返した。
そして暫く街の様子を楽しんだ後、真結は広場の噴水前で一人待たされる事となった。一人といっても護衛がいるので正確には一人ではない。コーディアスは魔術師の仕事関係で一見さんお断りの店に立ち寄るようで、裏路地で待たせるのは危ないからと真結をここに残したのだ。「くれぐれも一人で行動しないように」と再度言い残して。
真結はそれを守っていた。警護の者に隣に座ったら良いと勧めて断られたり、暇なので話し相手になってもらったりしながら待っていたのだが、ふと悲鳴が聞こえた。だが彼には聞こえなかったらしい。
「ほら、聞こえませんか?」
助けを求めているような気がして真結は腰を上げたが、私には聞こえませんでしたがと座るよう促される。辺りを見回しても、それらしき様子は見当たらない。
だが、気のせいかな? と思ったその時、また、その声は聞こえたのだ。
真結は我知らずと駆け出していた。警護の人も一緒に居ることだしどうにかなるだろうと声を頼りに走る。小さな路地を横切った時、後方で荷馬車が横転して積荷が散乱し騒ぎになっていたが、それよりも声の方が気になって足を進める。
すると人気の無い狭い路地で全身を包み込むような外套をフードまですっぽり被った華奢な人物が、屈曲な男二人に袋小路へと追い詰められている所だった。
「美人さんよぉ、鬼ごっこはもう終わりかい?」
「全く手間とらせやがって、俺たちはちょーっと確かめたい事があるだけなんだぜ」
髭面の粗野な男が太い腕で華奢な人物を壁に叩きつけると、フードからふわりと真っ白な髪がのぞいた。
「やっぱこいつアンフィビーだぜ、間違いねぇ!」
「こりゃいいや。美人な上にアソコの締まり具合もイイなんて!」
「んなのただの噂だろ? でも他の奴らより高く売れるんじゃねぇか!?」
「それよりも先に俺らで遊ばせてもらおうぜ。せっかくだってのにもったいねぇ!」
舌なめずりをしながら飛びかかろうとする男二人の嬉々とした会話に真結は身の毛がよだった。かっと目の前が赤くなる。
「やめなさいっ、あなた達!」
威勢良く声を張り上げた。とりあえず武器になりそうな物をと周囲に目をやって、警護の人が付いてきてないことを知る。う、まずい。そうは思ったがもう遅い。
「なんだぁ、このお嬢ちゃんは」
「おっと、こいつも上玉だぜ」
にやにやと下卑た笑いを浮かべた男のうち、一人が真結の方へとにじり寄る。舐めるようなその視線が気持ち悪い。
「しかもこいつぁ、どこぞのお嬢様と見た。別件になるがこいつも攫っちまおうぜ!」
特に胸を注視され不快感を感じた真結は、腕で身を庇う。
男が真結へと太い手を伸ばしてきたので流石に身の危険を感じて後ずさりして両手を構えると、ブレスレットが熱を持って淡く光った。
それと同時にパシンと破裂音が響き、光が瞬く。
「ゲスが。汚い手で触るな」
高くもなく低くもない、澄んだ声が小さく吐き捨てる。
目の前で、今にも真結へ襲いかかろうとしていた男が白目を向いて倒れかかってきたので、真結は反射的に息を飲んで飛び退いた。
僅かに遅れて、もう一人の男も呻き声を上げて倒れ崩れる。
真結は何かと共鳴するように微かに唸るブレスレットを手で押さえたが、どうやらこれが原因でないことは把握していた。
そこには、風圧に真っ白な長い髪を乱した女性が、軽く握り締めかけた手に稲妻を纏わせて立っていた。この男たちを倒したのは、彼女だ。
「……大丈夫?」
声をかけられ、目が合う。
まるで苺のように真っ赤な瞳に、真結は目を瞬いた。今まで見たこともないその瞳の美しい色彩に、返事を忘れる。
だがその反応をどう捉えたのか、彼女はぴくっと肩を震わせると慌てて外れていたフードを深くかぶり直して俯いた。そこに屈強な男を気絶させた実力者の気配はない。
「あっ…! あなたこそ、大丈夫?」
あまり見られたくは無いのだろうか? 真結は彼女のその行動に何だか悪いことをした気持ちになって、小動物を脅かさない心持ちでゆっくりと近づいた。フードを目深に被ったその表情は見えない。だが同じような背なので頬に髪がまばらに落かかっているのが見え、そっと手を伸ばす。
びくりと肩を竦められた。
「……雪みたいに綺麗な髪ね」
細いその髪を指でよけてあげると、ゆるゆると上げられた紅い瞳と出会う。
「雪?」
「ええ、雪うさぎみたい」
果敢に噛み付いたかと思えば、人見知りでどこか寂しそうな雪うさぎ。彼女は口の中で何か小さく呟くと、ふわっと嬉しそうに笑った。あまりに可愛すぎて、真結はハグしたくなるのをぐっと堪える。
「私、ラビ」
なるほど、正にうさぎさんなのね。
ブルテニア語でうさぎはラビットとは呼ばないが、なんの偶然か彼女にぴったりの可愛い名前だ。
「あなたにぴったりの素敵な名前ね」
彼女も自分の名を気に入っているのか、笑みを深くする。抱きしめたくなるような幼い笑みだ。保護欲をかき立たせられる。
「私は真結っていうの。ま、ゆ」
「マユ」
こちらでは難しい発音だと思ったのだが、彼女は心得たように頷くとあっさりと真結の名前を言えた。別にマーユでも構わないのだが、改めてマユと呼ばれるとやはり嬉しい。こちらの世界で真結の名を正しく発音できるのは、これでコーディアスとラビの二人だ。
「マユ、会えて良かった。さっきは有難う」
「いいえ、こちらこそ助けてくれて有難う。私、考えなしに飛び込んでしまって、結局何もできなくってごめんなさいね?」
人助けのつもりが助けられてしまった。それにしても、護衛の人はどこだろう。はぐれて一人になってしまったので、後でコーディアスに叱られるに違いない。
「あなた魔術師なの?」
「そう、私は魔術師。強い」
真結ににこっと笑いかけながら、ラビは俯せに倒れている男を足先で蹴って仰向けに転がす。
「力は温存すべき。あまり使わないようにしてるけど、さっさと雷をくらわせれば良かった」
そして男の腹に踵をズンと勢いよくめり込ませる。外套ですっぽりと覆われたその華奢な姿は儚げだが、案外行動は過激なようだ。
痛そう、とは思いつつも真結も止めない。
「この人たち、どうしたら良いのかしら?」
警備兵でも呼ぶべきなのか。道行く人の邪魔にならないようにせめて壁際に引っ張っていくべきかと真結は男らを見やったが、ラビがまるで汚物には触れさせまいとするように慌てて真結の手を引いて意識のない彼らから遠ざける。
「犬にも劣る畜生は、転がせておけばいい」
彼女は男嫌いなのだろうか?
「それよりも、その輪が呼んでいる。早く戻った方が良い」
熱をもち淡く光っていたブレスレットはすぐに元の装飾品に戻っていたが、微かな共鳴は今も続いている。真結の危機を察知したが何もなかったようなので、とりあえず居場所だけ術者に知らせているのだろうか。コーディアスの貼り付けたような笑顔の怒りがまざまざと思い浮かび、真結は「うぅ」と小さく呻いた。
早く戻ろう。できれば何事もなかったかのように彼に見つかる前に噴水に戻っておきたい。
だが、見回しても似たような路地ばかりで自分がどこから来たのか分からなかった。
「ねぇラビ、あなたこの近くの噴水の場所ってわかる?」
きょとんと紅い瞳で真結を見つめたラビは、どこか誇らしそうに口角を上げ、手を引く。
「こっち」
どうやら連れて行ってくれるようだ。礼を述べると彼女は頬を染めて頷く。
幾つか角を曲がって人通りが多い道にでたが、真結は全くその道順を覚えていなかったので案内人がいることに安堵する。一人だと戻れなかったかもしれない。
活気ある大通りにたどり着くと、噴水が見えた。真結は早足になりそうになったが、フードをしっかり目深にかぶり直したラビが足を止め、真結にしか聞こえないような声で問いかける。
「また、会える?」
不安そうな上目遣いに、答えはすぐ出る。
「ええ、もちろんよ」
どうやって待ち合わせをするのか、どうやって街に来るのか、そもそも次の外出許可はいつになるのか、など現実的に考えることはあったが、それは後で解決すれば良いことだ。
おそらく自分と年齢が近いだろう雪うさぎのような彼女のことがとても気になる。できれば親しくなりたいと繋いだ手に反対の手も添えて、きゅっと握った。
その想いが伝わったのか、ラビは安心したようにほっと息をつく。
そして「またね」と別れを告げると人の流れに紛れてあっという間にその姿を消した。
なんだか風のような去り方だ。
真結は名残惜しくてその後姿を飲み込んだ喧騒を呆然と眺めた。
だが急に寒気を感じる。
身を震わせて振り返れば、笑っているのに怒られている気しかしない仮面のような笑顔のコーディアスが真結がはぐれた警護の者を連れて立っていた。
「おや、我が愛弟子はこんな所にいたのか」
「えっと、コーディアスさん、これには深い訳がありまして」
「どんな深い訳だろうね? 簡単な言いつけも守れないそれはそれは重大な事なんだろうねぇ?」
笑顔の後ろで吹雪が吹き荒れている。
言い訳よりもまずは反省の色を見せなければと真結は謝罪した。猛反省した。これでもかというくらい謝罪と反省を述べた上で言い訳も交えつつ警護の人の援護も受けてこれまでの経過を伝え終わる頃にはコーディアスの吹雪もやみ、彼は難しい師の顔で言いつける。
「以後、軽率な行動は控えるように」
「はい。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
真結は深々と頭を下げた。叱られる理由は十分に承知しているので要らぬ騒ぎを起した事が心苦しい。
するとふわりと暖かい手が頭に触れられる。よしよしと撫でられたので顔を上げると、コーディアスが苦笑していた。
「本当に心配したよ」
心配。その言葉に、真結の心が震える。
「見知らぬ街で一人になってしまったマーユの事を思うと、心配で心配で、君の姿を見つけるまで心が休まらなかったよ」
そう言った彼の表情は、母やコウ兄が真結を叱った後に見せる安堵と愛情に満ちた苦笑によく似ていて、胸が締め付けられる。
勝手な行動をとり手間をかけさせ、迷惑をかけたと反省していた。だがそれと同時に心配されていたのかと改めて分かると、ふと胸の奥が熱くなる。彼は優しい人だと知っていた。とても親切で、面倒みもよく懐の広い人だ。この世界で保護してくれた人であり師であり恩を感じているが、真結はどこかでまだ他人だと境界線を引いていたのかもしれない自分の心を感じていた。そこにぐっと入ってきた温かな言葉。目頭も熱くなって鼻がつーんと痛くなったが、真結は必死に涙腺が緩むのを耐えた。
「なんて顔してるの」
「いえ、何でもないです」
でもまだ甘えることはできずに強がってしまう。
そんな真結にコーディアスは眉を下げて困ったように優しく肩を叩く。涙腺が決壊しそうなのでぐっと目に力をいれて見上げると、苦々しい顔で駆けてくるルーチェの姿が目に入った。まさか、彼までもここに居るとは。
「なんだ、見つかったのか」
見つかって悪かったわね、とつい癖のように言い返しそうになったが、少し弾んだ息と汗で僅かに額に張り付いた髪、むっと唇は引き下がっているのにどこかほっとしたように緩む目元に、何かいつもとは違った感情が見て取れて、言い淀んでしまう。
「お前、あまり心配をかけさせるな。全く迷惑なんだ。一人で勝手に行動しやがって」
そうか、彼も心配してくれていたのか。それが分かると、憎まれ口も気にならない。
真結はつい笑みがこぼれて、涙もこぼれそうになってしまう。慌てて下を向いて瞬きをし、誤魔化す。
「おい、どうした?」
「何でもない」
だがそれをルーチェに見られていたようだ。
「何でもないって事ないだろ? 大丈夫か?」
「大丈夫だってば」
「でもお前……」
「もう、しつこいなぁ!」
煩いので足を踏んでやった。彼は普段無関心なのに、時々こうやってやっかいな時に関心を示すのが困りものだ。放っておいて欲しいのに。
「しつこい男は嫌われますよ」
何でだ?! と文句を言い始めたルーチェに、コーディアスが適当に手を振って諌める。彼はいつもそのタイミングが良い。真結もうんうんと頷いて見せた。
「さぁ、では帰ろうか」
馬車も待たせていることだし、と真結はコーディアスと並んで歩き始めた。
「はい、帰りましょう」
そう。いつかは必ず日本へ、元の世界へ帰るつもりだ。だが今帰る場所、帰ろうと思える場所があることに、真結は心の底がじんわりと暖かくなる。一緒に帰る人、帰りを待ってくれている人が居る。それはとても幸せなことだ。
「おい、どこへ行く?」
「だから、帰るんでしょ」
低く固い声に呼び止められ、真結はいつかやり取りしたような返事に既視感を覚える。
「何だい? ルーチェは帰らないのかい?」
「……馬車はこっちだ」
進行方向とは全然逆を指さされ、真結とコーディアスはお互い見合わせた。
「おかしいね、どういう事だろう? 行きは確かにこっちで馬車を待たせていたはずだけど」
「そうですよね? 馬車を降りて右に曲がってずっと真っ直ぐでしたものね」
「そうだろう? だからこっちのはずなんだけど」
「私もそう思います」
二人とも同意見だというのに、ルーチェは頬を強ばらせて目を細めた。それは珍しく微笑みの形に見える。
「いいや、こっちだ」
いいから来い。と一人でずんずん進む彼に仕方なく着いていくと、確かにそこにはアシュレイ家のお忍び用の馬車が待っていた。
「そうか、待機場所を変えたんだね」
コーディアスの声に、真結も納得する。何でわざわざそんな事をしたのだろうかとルーチェを見やれば、彼は無言で横付けしていた馬に乗った。どうやら彼は馬で駆けてきたようだ。
「早く乗れ。帰るぞ」
何だか残念な子を見るような目で見られ、真結はべーと舌を出してやりたくなった。
真結もコーディアスも方向音痴。。。