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レモンパイ

1~13話まで改定致しました。カットしたり挿入されたりしていますが、読み直さなくてもこの14話からお楽しみ頂けるようになっております。

 部屋の前まで戻ってきた真結まゆは、ルーチェに送ってもらったので一応例を言っておく。

 といっても、隣の部屋のサラを気にして極々小さな声でだ。分かりやすいように少し上を向いて口の動きは大きくし。気は進まないが頭も深々と下げておく。

 だが、ルーチェに物珍しい奇異なものを見たかのようにじっと見下ろされた。


 そういえば、お辞儀って日本独特の仕草だったかしら?


 もう一度、声は極力落として口パクするように「有難う」とゆっくり唇を動かしたが、まだ眠っているかもしれないサラを起こさない為のその配慮をルーチェはあっさりと台無しにする。


「お前……」


 慌てて彼の口を両手で塞ぐ。

 何をしてるんだ? と聞きたかったのかもしれない。だが特に大きな声でも無いのに彼の凛とした声は良く通るので、閑静とした廊下に響く。

 真結はそれを妨ぐように咄嗟に押し当てた手を、彼が黙したのを確認してから外した。


 もう、それくらい気づきなさいよね!


 むっとした顔で眉を寄せた彼に、真結は「隣で」「眠ってる」とジェスチャーで伝える。最後に顔の前で両手でバツを作っておいた。

 隣の部屋を見やったルーチェは、どことなく呆れたような視線を真結に戻し、ふぅと深く息をつく。


 何だそれは、ため息ですかか。


 むん、と彼を見上げれば、やれやれとでも言うように組んでいた腕を片方外して真結の部屋を指差した。入れ、という事だろう。


 何だ、分かってるじゃないの。


 真結はルーチェと対峙している時には珍しい、屈託のない笑みを浮かべた。彼が意図に気づいてくれたようで良かった、うんうんと頷きながら扉をそっと開け、真結が部屋に入るまで見届けている彼に手を振る。


 どうやらサラの睡眠の妨害をすることは無かったようで、日が昇ってしばらくした頃に真結の部屋に姿を見せた彼女の様子はいつもと変わらなかった。

 それにしても不思議なのは、彼女は滅多に物音を立てないということだ。優秀な侍女としてその技術は素晴らしいものだ。しかもそれは人々の目がある日中だけではない。真結は隣だというのに、彼女がいつ寝起きしているのかその物音で推し量れた事がないのだ。まぁ、お屋敷の壁が厚い、という事もあるかもしれない。






「今日はレモンパイをお作りになられるんですよね」


 調理場へ赴くとサラが期待に輝く瞳で確認するように聞いてきた。抱えるようにした腕の中には大きな籠の中から十数個取り出したレモンがある。


「サラちゃん、いったいどんなに大きなパイを何個作るつもりなんだい?」


 からからと笑う料理長が彼女の背をばしんと叩く。


「有難う。でも三個もあれば充分よ」


 張り切っている姿が微笑ましくてそう言えば、サラは心底疑問であるようにパイ皿と腕の中のレモンを見比べていた。

 ……サラさん、パイ一枚でそれ全部使う気だったんですか?

 真結は、笑顔が強ばった。調理長もそそくさと彼女の腕の中からレモンを大量に退避させている。


「ええっと、そうね、ではまずパイから焼きましょうか」


 意識を切り替える。


「釜は危のうございます。パイは別の者が焼いておきますんで、お嬢様はどうぞ他のことからお進め下さい」

「あら、そう? じゃあカスタードクリームを作りましょうか」


 クリームもパイも一から自分でするとなると時間がかかるので今日のところは好意に甘えようかと、お店で働いていた時もこうやって担当を分けていたのを思い出す。本当は釜オーブンのコツを教えてもらいたかったのだが、次回にとっておく。


 まずは牛乳を鍋に入れ、温める。好みとしてはバニラビーンズや生クリームも入れたいのだが、やはり高級食材のようなので使うのは控えておく。バターや卵なども高価なようだ。

 卵黄を取り分けたボウルに砂糖を加え、白っぽくなるまで一気に混ぜる。これはプリンを作る時と同じ理由からだ。その間に料理長に小麦粉をふるってもらい、それをボウルに加えて軽く混ぜる。

 温まった牛乳を少しずつ加えて溶きのばし、濾して鍋に戻す。


 さぁ、ここからが勝負ね!

  

 真結は両手に軍手のような厚めの手袋をはめた。それを見てサラが不思議そうに問う。


「なぜこれは必要なのですか?」


 真結も学校とは違い火力の強いお店のコンロを使っている先輩パティシエのその様子を見て、初めは違和感を覚えたが、その後軍手はカスタード作りの必須アイテムとなった。これをしないと熱いのだ。

 その話とここからは意外と体力仕事になることを面白可笑しく話したら、サラが動転して真結の手を止めた。


「まぁ! マーユ様にそのような事をして頂くわけには参りません! 私が代わりますわ!」

「でも、これはちょっとコツがいるのよ」

「ですが、力仕事など」

 

 確かに彼女が気にするように、この作業は新人に任せがちな労作業ではあった。

 大きめの泡立て器で絶えずかき回しながら焦がさないように火にかけるのだが、焦げやすのでただかき混ぜるだけでは足りないのだ。


「サラ、焦げちゃうわ」


 火が通ってきた今、こんなことをしている場合ではない。

 ひと悶着しつつも強引に泡立て器を持った手を鍋の中で回しながら譲ってもらう。


「簡単に力仕事と言っただけで、ちょっと大変なだけなのよ」


 しぶしぶとだが、納得してもらえたようだ。

 

 鍋の側面からこそぎ落とすように混ぜ、鍋底も忘れずにかき混ぜ、混ぜているうちに鍋の縁のほうについたクリームもくるっと泡立て器で落とし入れ、そしてまた同じように側面を混ぜ……しばらくこれを繰り返す。早く、手を止めずに、ひたすら繰り返す。

 利き手だけでは腕が痛くなって素早く回せなくなってくるので、そんな時は鍋を持つ反対の手と交代する。相手は待ってくれない。少しでも目を離したら焦げ付くのだ。

 そんなことを繰り返すうちにクリームに艶が出てくるので、泡立て器で持ち上げて程よい固さをもってたらたらと落ちるようになれば火から外す。目安は、落ちたクリームが鍋の中のクリームにとろとろ入り込んでしまう固さはまだで、表面にたぽんと残るくらいだ。つのが立つほどだと火の通しすぎだ。


「ふぅ。やり遂げたって感じがするわ」


 充足感に息をつき額に浮かんだ汗をぬぐったが、サラに「お手本を見せて頂いたので、次回は私が致します」と真剣な眼差しで念を押された。腕力が無いのが露呈してしまったようだ。


 クリームはバッドのように平らな器に移し、濡れ布巾をかけて冷蔵庫で冷やす。

 本来ならラップをクリームの表面につけた状態で張って乾燥を防ぎたいのだが、ビニルなど代用品になりそうな物が見当たらなかったので苦肉の策だ。


「冷めるのを待つ間に、レモンの準備もしましょう」


 それを聞いて、料理長が次の準備をしてくれる。

 お菓子を作っていて毎回思うのだが、やはり料理を作り慣れている人は次の行動も読めるのでアシスタントが上手だ。


「お嬢様が言ってたとおり、本当に作り方が違いますねぇ。ここでレモンの登場かい」


 料理長は自分の知らないレシピに興味津々で楽しんでいるようだ。だが時折ふと真剣な表情も見せるのは、料理人魂がしっかり目に焼き付けて覚えておけと騒ぐからだろう。


「せっかく料理長さんのレモンパイをこの間頂いたばかりだから、今回はメレンゲじゃなくてコンポートをのせようと思うの」

「へぇ! そりゃ美味しそうですね!」

「楽しみですわ!」


 コンポート用にレモンはパイを飾れる程度の枚数を輪切りにする。

 鍋に砂糖と水を入れて火にかけ、そのままレモンも入れて煮詰めても良いのだが、今回は効率良く釜に入れることにする。砂糖と水が沸騰したら並べておいたレモンの上にかけて、蓋をし、パイが焼かれている釜に一緒に入れてもらう。


 しばらく次回のお菓子は何にしようかと材料を見せてもらったり、希望を聞いたりして時間を過ごし、カスタードが冷えたので大きなボウルに濾し器をのせ、その上にカスタードをのせて上からヘラで押し出すようにして濾す。これも結構力がいる作業なのだ。少し背伸びをして体重をかける。

 一生懸命さが滲み出ていたのか、サラがにこぉと微笑みヘラを奪っていった。

 料理の腕が壊滅的だと推察される彼女だが、料理長と二人ではらはら見守っていたらどうやらこの作業は大丈夫そうだったので、真結はカスタード用のレモンの準備に取り掛かることにする。

 といっても残ったレモンの皮をすりおろし、二等分にして果汁を絞り、濾すだけだ。レモンの皮の白い部分には苦味があるので、そこまで擦りおろさないように注意する。


 意外にも力があるのか、真結には時間のかかるカスタード濾しをサラはあっさりと終えたので、それにレモンの皮と果汁を混ぜる。

 ヘラについたクリームを指でひょいとすくって味見をすると、程良い甘さの中にレモンの爽やかな酸味が広がって、思わずうんと頷いてしまった。バニラ抜きではあるが、上々だ。


「如何ですか、マーユ様?」


 きらきらと瞳を輝かせて、サラが尋ねる。


「美味しく出来たと思うわ。サラも味見する?」


 その言葉に弾けるような笑顔で頷いて、サラもヘラのクリームを指にとって口にする。どれどれ? と料理長も頭を寄せてくる。


「美味しいです! 全然、酸味が強く無いんですね! ふんわりと香りと酸っぱさが広がって、甘いのにさっぱりしてますわ」

「おや、後味引く甘酸っぱさだねぇ。こりゃ~次々に食べたくなっちまうよ!」

「それに舌触りがとても良くって、滑らかですわ!」

「うんうん、それにパンに塗っても合いそうだねぇ」


 サラは両手を広げてそれを動かしながら更に賞賛してくれ、料理長は「他のケーキにも使えそうだねぇ」と目を閉じて片手を頬にやる。


「気に入ってもらえて良かったわ」


 少女らしく頬を高揚させて美味しいと繰り返してくれるサラや自分でも作ってみたいと言ってくれる料理長に、嬉しくなる。甘いものが好きな女性同士の和気あいあいとした雰囲気が楽しい。


「あぁ、マーユ様。今日もこちらに居らしてたんですね」


 そんな女性特有の黄色い空気の中に気圧されず調理場に入ってきたのは、ユアンだった。彼は姉妹に囲まれて育ったのだろうか? 男性が苦手としがちなそんな姦しさにも遠ざかる様子は無い。


「何を作っていらっしゃるんですか?」


 むしろ人懐っこい笑顔で近づいてきた。剣の鍛錬をしていたのか汗でシャツが張り付いているが、爽やかな好青年は鎖骨を伝う汗までもが爽やかに輝いて見える。


「レモンパイを作っているところなの」

「とっても美味しいのです」


 真結の後に続けて、サラが得意気に答える。


「まだクリームを作り終えた段階だから、焼くのはこれからなのよ」


 何故かサラが誇らしそうに、さも美味であるパイが完成したかのように胸を張るので、真結はやんわりと言い添えた。

 ユアンは「ルーチェ様に水のご用意をお願いします」と他の使用人に頼んでから、真結たちの傍らに立ち、ボウルの中を覗き込む。彼がこちらの人にしては年齢より下に見えるのは、幼さを残した容貌と真結と拳一個分しか変わらない身長のせいだろう。若木のような身体にもまだ筋肉がつききれていない細さがある。だが心許無さは感じさせないしなやかな細マッチョで力を秘めているように感じるので、身長もまだこれから伸びるだろう。


「うわぁ、良い香りがしますね!」


 無邪気な笑顔を浮かべる彼に、真結は姉のような気持ちで心が温まる。本当に、なぜこんなに素直で可愛い子が無愛想御仁のルーチェを崇拝しているのか解せない。


「あなたも味見してみる?」

「良いんですか? やったぁ! 嬉しいな」


 そう言ってレモンカスタードを口に入れ、くりっとした褐色の瞳を瞬かせると「うん、美味しい!」と顔を綻ばせる。


 可愛い。尻尾があったらぶんぶんと振られていそうだわ。


「流石、いつもお上手ですね。私は甘い物は特に好きってわけでもないんですが、マーユ様のお作りになられるお菓子は食べやすくって大好きです」


 お世辞を感じさせない真っ直ぐな瞳と満面の笑みに、きゅんっとくる。

 真結は彼のふわふわの褐色の髪を撫で回したくなったが、そこはぐっと堪えた。先ほどからサラの視線がちらちらと彼に行くのも、やはりこのスマイル効果だろうか。


「では、ルーチェ様をお待たせしてはいけないので」


 レモンの輪切りと果汁を入れた水のピッチャーとグラスを用意してもらったユアンはそれを慎重な手つきで受け取った。そして彼のチャームポイントである笑顔と「お裾分けに預かれるのを、今日も楽しみにしていますね」という言葉を残して颯爽と去って行く。


 爽やかな一陣の風が吹いたようだった。

 真結はにこやかに彼の姿が見えなくなるまで見送ったのだが、隣で「あともう少し……惜しいわ」という残念そうな呟きが聞こえた。サラだ。

 

 まぁ、サラったら、ユアンに惹かれてるのかしら?


 彼女の気持ちを推し測って、くすぐったい気持ちになってくる。楚々とした仕事の出来る美少女と爽やか好青年はさぞお似合いだろう。

 ふふっと笑う真結にサラが視線で問うてきたので、何でもないと誤魔化した。彼女の気持ちを打ち明けてもらったわけではないので、女の子相手に邪推してからかうような野暮な真似はしない。


「お嬢様、コンポートがちょうど良い具合に煮詰まっておりますよ」

「そう? 有難う。じゃあ続きをしましょうか」


 甘酸っぱいレモンパイは恋の予感にぴったりな気がして、また笑み零れてしまう。

 後は焼いて粗熱をとっているパイにレモンカスタードを注ぎいれ、コンポートを見目良く飾るようにのせて焼くだけだ。

 料理長の言葉に促され、お菓子作りは再開された。



お菓子作りの表現がくどくないかと少し描写を減らしてはみたんですが、もっとさらっと流していいよ、などご意見があれば聞かせて頂けると幸いです。

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