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二つの月

 視界に広がるのは闇夜に鬱蒼うっそうと茂る木々と赤茶色の地肌を見せる獣道。

 いつの間にか地べたに伏せていた真結まゆは上半身を起こすが、頭の中がぐるりと回ったような眩暈と吐き気を覚え、胸を抑えた。

 深く、ゆっくりと呼吸を整える。


 うぅ、気持ち悪い


 水を求めて無意識に手が伸びたが、土に汚れた白いグローブの指先が目に入っただけで水の入ったグラスはもちろん、それを差し出してくれるような人影さえない。

 うまく働かない思考の中、柔らかなドレスの生地ごしに伝わってくる地面の冷たさで、このまま座り続けるのは止めたほうが良いとだけ判断できた。


 だが、動きたくない。身体が鉛のように重く、できればこのまま眠ってしまいたい。

 かといって、せっかく友人の結婚式に着ていった新しいドレスがこのまま土に汚れるのは許しがたい。

 せっかく大好きなコウにいにも褒めてもらえたというのに。


 ……そう。そうだ、コウ兄。


「っ! コウ兄!?」


 前のめりだった上半身を弾かれたように正すと、真結は辺りを見回して立ち上がった。

 不調を訴えてだるく伸びていた身体が僅かに固く緊張する。

 整備された道は無く、植物が伸び放題に育ち、樹木は闇夜が所々しか見えないほど雑然と大きく空を覆っている。

 あきらかに、真結の知る場所ではなかった。

 人里離れた森の中だろうか?


「……ここ、どこ?」


 彼女の記憶では、先ほどまで彼と一緒に居たのだ。

 そして、何か景色が歪んで見えるなと思ったら引きずりこまれそうになったので、慌てて彼を突き放したのだった。


 落ちて、落ちて、引きずられて……


 真っ暗で視界が利かずに不安が煽られ、引きずられるような感覚に嫌悪感を覚え、何かを無理やり引き剥がすように振り切った。

 逃れたと感じたが、結局そのまま落ちていく感覚はとまらず身体が重たくなり、息が苦しくなり、目を瞑ったのだが気がついたら此処に伏せていた。


 …………つまり? 




「ここは、地下の世界っ!?」




 つい大声が出てしまったが、頭に響いて頭痛がする。

 真結はこめかみを押さえながらも、いやいやと自分で突っ込む。そんなはずはない。

 では視界を塞がれ、幻覚を見たり感覚が鈍くなったりして気を失うような薬を嗅がされて、何か犯罪にでも巻き込まれてしまったのだろうか?

 しかし成人を迎えた女性をただ森の中に放置して、何になるのだろう。

 色々な可能性を考えてみようとしたが、いかんせん田舎暮らしなどしたことの無い真結にとって夜の森は怖すぎた。


「と、とりあえず、人を探してみましょう」


 心細いので、自分に自分で語りかけてみる。

 ここは何処なのか、コウ兄はどこに居るのか、自分はなぜここに居るのか、疑問は尽きないがまずは身の安全を確保したい。犯罪とは縁遠そうな良心ある人に出会えたらよいのだが。

 携帯さえあれば電話ができるが、あいにく貴重品を入れていたパーティーバッグは紛失してしまったようだ。


 梟と思われる鳥の寂しげな鳴き声に、真結は身を竦める。


「お、お友達と、仲良く楽しく鳴いたらいかが?」


 森に響くその声はもの悲しく聞こえ、より怖れを抱かせた。

 獣が居るのか茂みが音を立てたのには悲鳴が上がりそうになり、だが息が止まりそうなくらい驚いてしまったので、一緒に悲鳴も詰まってしまう。


「きっと、可愛いうさぎさんだわ」


 まだ、きゃーっと叫べればストレスも怖さも軽減できたかもしれない。だが、叫んでいたら眩暈のする頭に響いて余計に具合が悪くなったかもしれない。

 幽霊? そんなもの居ません。見えません。


 目眩を堪えてしばらく歩いていると、動いた為か吐き気のせいか額に汗をかいてくる。ドレスの下のペチコートが太腿に汗で張り付き、少々暑くなってきたのに悪寒が走る。

 へたに動き回るより体力回復を図ったほうが良いのだろうが、足を止めて休めばもう立ち上がれなさそうで、せめて山道に出られればと歩みを進める。

 とりあえず人が通るところであれば、日が昇れば助けを呼んでもらえるだろう。


「きっともう少しで、道に、でるはずよ」


 独りの自分を励ますように呟き続けていたが、それは強がりでもあった。

 少しでもマイナスのことを口にしてしまえば本当になりそうで、明るい口調で自分を誤魔化していたが、風邪が悪化した時と同じような症状の身体では歩くペースも落ちてくる。

 自分の荒い息や心臓の音が、頭の中で鳴っているかのように大きく響く。

 森のざわめき以外にも何か聞こえた気がしたが、耳を通り抜ける。

 もう歩き続けることだけで精一杯だ。


 不意に足の指先に痛みを感じ、真結は次の瞬間地面に膝をついていた。

 とっさについた両手の下には自分の足よりも大きな木の根が走っている。

 おそらくこれに躓いたのだろう。


 立たなきゃ。


 下唇をかみしめたその時、頭上から低い声が落ちてくる。 


 人だ! とようやく安堵で気分が浮上し、期待を込めて見上げる。

 良かった、助かった。


「あの、わたし……っ!」


 しかし、紡ぎかけた言葉は悲鳴を飲み込む息に変わる。

 頭皮が引き連れるような痛みで、目に涙がにじむ。


 痛いっ! もう、嫌っ!! 何なのよ!?


 いきなり髪をつかんで上を向かされたのだ。その上、両腕は後ろ側に拘束されている。

 何なのだろう、この状況は。

 やはり事件に巻き込まれたのだろうか。

 男が早口に冷静な声で何かを聞いてくるが、真結にはよく聞き取れなかった。だが視線が合ったことにより、彼のその姿に目が釘付けとなる。

 たて襟のジャケットにふわっとしたレースが覗く首もと。細身のパンツにブーツと腰に帯びた剣。まるで西洋の騎士のような格好をした男が真結を検分するように視線を走らせ、いぶかしむ様に目を細めていた。

 そして何か思案するようにゆっくりと、真結を引っ張り上げるようにして立たせた。

 その動きに合わせて彼の後ろで一つに纏めた長いダークブロンドの髪がさらりと揺れる。


 映画の撮影?


『私、怪しい者じゃありません』


 彫りの深い端正な顔立ちと服装から、外国の俳優さんだろうかと真結は英語で話しかけた。


『撮影のお邪魔をしてしまったでしょうか? 突然すみません、助けて欲しいのですが』


 極秘の撮影か何かで、不振人物だと思われて荒く対応されたのだろうか?

 それともテレビ番組の企画だろうか? 

 必死に色々な可能性を想定するが、そんな真結に男は相変わらず冷たい視線を向けている。

 他に人は居ないかと周囲が気になったが、彼から感じる威圧感に視線を外せない。ずいぶん高いところから見下ろされたものだ。身長差のせいなのだが治まることのない吐き気やひどくなる頭痛もあって、彼の不遜な態度に反発したくなるがぐっと堪える。

 目をそらすとより一層の危機に陥るような、そんな警鐘が真結の頭の中で鳴っていた。


 男が、問いかけるように何かを言うが、幾つかの単語を拾えただけで要領を得ない。

 フランス語と英語が混ざっているように聞こえたが、似た発音を知っている言葉に聞き間違えるなんてのは、よくある事だ。

 それにフランス語は製菓で使うものなら自信はあるが、短大の第二外国語としてとっていた講義で習得できた結果は英語ほど芳しいものではない。


『助けて。病院、警察、行きたいです』


 ひとまず、分かる範囲の簡単なフランス語で意思を伝える。相手もこちらの体調が思わしくないのは気づいているだろう。

 男の警戒が少し緩むような気配がする。


 伝わったかしら?


 少し安心しかけた時、穏やかな第三者の声が少し驚いたような色をもって響いた。

 視線をそちらへ向ければ、よく見知った姿。


「え? ……コウ、兄?」


 なんでコウ兄もここに!? 

 安堵と驚愕と混乱に、彼のほうへ駆け出そうとすれば、鈍く光るものが目の前に突き出された。

 剣だ。 

 おそらく、刃の潰されていない、本物の。


「っ!」 


 何、この人。

 やっぱり危ない人だったのかしら。


 焦る真結の首元へ「動くな」とでも言うように剣は固定され、男の目が鋭さを増す。

 男は冷たく凍えるような声で、真結へ何かを命じた。

 そして、間に入ってこようとするコウ兄にむけて、怒声を発したのだ。




 守らなければ


 


 そう思った。

 大切な大切なコウ兄。


 彼が傷つけられるなんて、あって良いはずがない。


 今まで守られてきたぶん、私だって彼を守りたい。




 気がつけば足が動いていた。

 首に熱い痛みが走るが、気にせず走り抜ける。


 ずっと冷静であった男の目が驚愕に見開かれるのが見え、溜まっていた苛立ちが、ざまあみろと少し軽くなる。捕らえようとして伸ばされた手を、身体をひねって手で払うようにしてかわす。


めないで貰いたいわね。私こう見えても、ちょっとした護身術ならできるのよ」


 日本語で得意げに言ってはみたものの、コウ兄を後ろに庇うようにして立った真結の言葉を男は理解していないだろう。

 だが、行動の意図は伝わっているはずだ。

 男は剣の切っ先を彼女へと構えたまま方眉をぴくりと上げる。まさか、真結がそんな行動をとるとは思わなかったのだろう。

 剣が月の光を受けて青白く鈍く輝く。

 先程は火事場の馬鹿力で動けたが、集中が途切れ眩暈にふらつく足を踏みしめた真結は、その光に誘われるように頭上を見上げた。



 黄金こがねに輝く、小さな満月。

 青銀せいぎんに輝く、大きな満月。


「どういう、こと?」


 自分の目で見たものが信じられず、けれど、どこかで腑に落ちる。

 張り詰めていた緊張が途切れた。

 まさか、という思いで目をそらし続けていた現実。

 二つの月が証明する事実。



 ……異世界?



 呆然としているうちに、後ろから暖かな手が真結の両目を覆った。

 当惑して視界を塞ぐ手を外そうとしたが、穏やかな気配に包まれてゆるゆると身体から力が抜けてしまう。


 もう、限界だわ。


 掠れゆく意識の中、崩れ落ちる身体を優しい腕が抱きとめてくれたことだけは薄らと感じ取れた。




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