父の日記帳 vol. 1
先日、私は父の本棚から古めかしい日記帳を見つけました。
それは全くの偶然の出来事でした。
父から借りた本を本棚に戻そうとした時、本と棚の間に少し空間があることに気づきました。
えっ!これは一体何なん?と思いました。
その空間を覗き込むと、角が少し傷んだ硬い紙のケースに入った日記帳らしきものが、人目に触れさせないようにこっそりと隠してありました。
私はその空間に手を入れて、硬い紙のケースの上に積もった僅かな埃も落とさないように息を殺して、そおっと日記帳らしきものを取り出しました。
日記帳らしきものが入った硬いケースの上に積もった薄らとした白い埃は、私が見つけるまで何年も間この本棚の中で眠り続けていた証でした。
それは明らかに日記帳でした。父の日記帳のようでした。
私は、再び息を殺して積もった埃が飛ばないよう静かにケースの中から日記帳を引き抜きました。
最初のページを開くと、少し右肩上がりの癖のある文字が目に入ってきました。
その文字は明らかに父の筆跡でした。
40年以上経った今でも、すぐに父の筆跡と分かりました。
「ふ~ん、父も若い時は日記を書いていたんだね」と私は思わず独り言を言っていました。
と、同時に私は父の秘密を知ってしまったことになりました。
父に悪いことをしてしまったという後ろめたい気持ちが私を襲ってきました。
その後ろめたい気持ちは、これ以上日記を読み続けようとする私の意識すら喪失させました。
私は日記帳を元にあった場所に同じ状態にして戻しました。
日が経つに連れて、父の日記には一体どんなことが書かれているのか?
子供ならではの好奇心が私の心の中に次第に湧いて来たのです。
私はここで大きな決断をすることにしました。
私は、父の書斎にある本棚から父には気づかれないように、硬いケースだけを元の場所に戻して、日記帳だけを抜き取り、自分の部屋に持って来たのでした。
今は何故か以前のような後ろめたい気持ちはありませんでした。
私の気持ちの中で父の日記帳が「どうか、私を読んでください。いつまでもこの本棚の中で埃にまぎれでいるのは辛いです。どうか私の表紙を開いて最初の1ページいや1行でもいいですから、読んで頂きたいのです」と叫んでいるかのように聞こえたのです。
とは言っても、そう簡単に人様の日記帳を勝手に読むわけにはいきません。
それが父親のものであればなおさらです。
私にだって僅かですが、気持ちの中には”良心”というものがあります。
そう、その”良心”があるのです。ここから私の心の葛藤が始まったのです。
今、その日記帳は私の机の上、いや私の目の前にあります。
「日記帳くん。今までよく我慢して人目に触れず辛抱してきましたね。可哀想なことをしました。父に代わって私が謝りますね。今から私が、あなたを深い眠りから目覚めさせてあげますからね」と言いつつも私の心の隅っこで、俄かに罪悪感が生まれようとしていることも事実でした。後ろめたい気持ちから罪悪感に気持ちが変化しつつあることを感じていました。
しかし、この時、私の強い好奇心は、私の右手の人差し指と親指を勝手に支配しつつありました。
この手が・・・この指が・・・私の意思に反して父の日記帳をめくり始めるのではありませんか!
こんなことをして・・・
私の心の中では、200パーセントの好奇心が100パーセントの良心に勝ってしまったのでした。
(あれ?計算が合わないですね? まぁいいじゃありませんか。大袈裟な雰囲気の方が面白いじゃありませんか・・・)
・・・と言うわけで多少は心の葛藤はありました。
こんなにも面白くて、ちょっぴりロマンチックな日記を私だけが読んで「はい、おしまい」と言って再び本棚に仕舞い込んでしまったら日本文化の損失だと思ったのです。(かなりオーバー話になりましたが・・・)
そこで、です。えぇーーい、この際、小説という形式で発表して、皆様に読んで頂こうと思ったのです。
そんな訳で、こういうスタイルになりました。
私の頭の中を整理するために、私が生まれる前の1970年って、一体どんな年だったのかを簡単に調べてみました。
主な出来事です。
3月 日本万国博覧会開催(大阪)
4月 ビートルズ解散
11月 三島由紀夫自殺
歌謡曲
「今日でお別れ」「黒ネコのタンゴ」「京都の恋」など
テレビドラマ
「樅の木は残った」「おくさまは18歳」「時間ですよ」など
父が青春を謳歌していたのは、こんな時代だったのです。この中で私が知っている出来事と言えば、万博が大阪で行われたこと位ですね。
歌と言えば・・・思い出しました。
内輪の話で恐縮ですが、京都の大学を卒業した会社の上司がひとり、うちの課に居てはるんです。その人はお酒に酔うと、本当に稀に気分が乗った時だけなんですが、カラオケで歌うんです。遠い過去の青春時代の自分を思い出すかのようにこの「京都の恋」を・・・
この一曲だけなんですけどね。
課長の京都における青春時代に何があったのでしょう? 機会があったらお聞きしたいと思います。
私の父親のイメージというのは、加齢臭が漂って、程よく生活にくたびれて、あまり会話のない家族と一緒に暮らしていて、少し頭が薄くなった中年男性なんですよね。会社では定年まぢかで、役職は課長クラス。部長になれなかった代わりに何故か部下からは慕われている。出世コースから外れている分、人間味がある。そんな感じなんですね。
そんな父親のイメージと日記の内容は、全くほど遠い内容のものでした。
でも、それは当たり前の話かも知れません。父親も若い時があった訳ですから。
また、その当時の日記ですから当然といえば当然なのかも知れません。
この日記は、1970年5月(昭和45年)から数か月間書き綴ったものでした。
私もまだ、この日記帳を最後まで読んでいません。
今となっては、40数年前のセピア色の出来事です。
しかし、この日記を読んでいくうちに、私にそんな感じを全く感じさせない新鮮さを与えた事も事実でした。
今のように、ケータイ電話も無い時代、恋愛している男女が連絡を取り合ったのは、近所の老夫婦が営んでいる小さなたこ焼き屋さんの店先に置かれている一台の赤い公衆電話。
それと彼女と交わした数通の手紙。
そして何故かふたりの想いを夜空の月に託したロマンチックな気持ちでした。
そんな不自由な時代だったからこそ、こんなに素晴らしい恋愛が出来たのかも知れません。
純粋で無垢(自分の父親に言うのも変ですが・・・照れますな)なひとりの男子学生がひとりの同じ大学の女子学生に対して一途な愛の軌跡をたどった記録でした。
この日記は、私が今まで読んだ事のある、どの恋愛小説よりも素晴らしく興味深かったものでした。
過去にこれほどまでに不器用な恋愛ごっこをしたカップルがいたでしょうか?
こんなふたりの学生が過去に存在していたこと自体、私は深い衝撃を覚えたのでした。
日記を転記するに当たり、一応誤解の無いように念のため補足しておきます。
父のオリジナリティーを尊重して、ほぼ原文通り転記するつもりですが、一部プライバシー保護のため、登場人物、場所、大学、団体などはすべて架空のものです。類似している名前やモノはありますが、現存するモノとは一切関係ありません。
な~んて、よくテレビドラマの最後によく書いてありますよね、それをちょっと真似してみました。
そんなような事ですのでよろしくお願いします。
また、父の名誉に係わる個所や、内容が成人向けに書かれている個所については、モザイクが入りますので、小学生から上の方なら読んで頂けると思います。
でも、読んでいくうちにもっと刺激が欲しいと思われる方が多くいらっしゃれば、それなりに考えますけれど・・・(冗談です)
また、読者の皆さんには不親切かも知れませんが、書く側(私の事ですが)も面倒ですからルビは振りません。
小中学生の方で、もし自分では読めない難しい漢字が出てきましたら、お父さんかお母さんまたは自分より賢そうな、異性の友達に教えてもらってくださいね。異性の友達の方ががいいですよ。そんなひょんなきっかけから、何かが始まるかも知れませんよ。
でも大丈夫ですよ。私は難しい漢字は知りませんし、書けませんから・・・??? 父の日記にも書いてないと思います。なにせ、父の大学の専攻は英米語学科でしたから・・・
これはあくまでも、日記帳です。長く書かれている日もあれば、短い日もあります。毎日書かれている訳でもありません。その点ご理解ください。
最後に少しだけ紹介させてください。
この日記の大部分は、父である坂口圭一郎と同じ大学に通う、一つ年下の女子学生、有沢由香さんのことが書かれています。
父は当時、関西にある、とある外国語大学の英米語学科に席を置いていました。
この日記は大学生活を通して、若き日の男女が友情から恋愛に発展していく過程を縦糸に、父の当時のさまざまな変化にとんだ学生生活を横糸に、少しだけ可笑しいアクセントを添えて出来上がった”青春の西陣織”のようでした。
話の後半はどういう展開になっているのか私も知りませんが、少しだけ期待してください。
最後に書く人からの忠告です。
他人の日記帳は、非常に興味深いものです。たとえ面白くても、面白くなくても決して黙って読んではいけません。
本人に許可を得るか、絶対ばれないという変な自信がついてから読んでくださいね。
もし、ばれたら、素直に謝りましょう。私は責任は取りませんからね。
ましてや、ネットに公開するなんてことは言語道断です。
いい子は決して真似をしないでくださいね。
それでは、70年代にタイムショック ではなく タイムスリップ
※西陣織・・・ウィキペディアで調べてください。