妖精の悪戯と神様、そして欲望。
「リリス・サイナーの追憶」一章から二章の閑話です
たとえば花畑で優雅に飛んでいる蝶々。幼少期なら捕まえたくなる虫。綺麗と思う人もいるかもしれないが、大体は大人になると目障りになるわけである。自分でも目障りだと思い、前を横切った蝶を握り潰してみた。
その死は直前まで輝いていたことにとても美しく、
その死は食前まで死ぬことを思わなかったことに愚かしく、凄く、気持ち悪く。
人間との既視感が耐えなくて。特に、まだ生きようと足掻いて、その羽が動いていることに、吐き気がした。これが虫唾の走るお話ということで。
それに似た妖精たちが事件を起こしたのは、女王の一言から始まった。
***
最高神が用意した黒の空間――ヴィオに基本、入れるのは、空間を作った最高神リリス・サイナーとその加護者である樋代愛佳のみだ。一柱と一人が無秩序な空間で意志を持てば、ヴィオに侵入できる者はいない。例え、瞬間移動を得意とする【空間変化】を持つ川島凛音でも、同様のことがいえるだろう。
その空間にリリス・サイナーが現れた時、まず初めに〝床〟を作った。人間の客人を呼ぶときはこうしないと、色々不便だからだ。〝床〟を作ったあとリリス・サイナーは、今は安眠しているだろう自分の加護者をヴィオに呼んだ。一瞬驚いた顔をしていたが、加護者である樋代愛佳はすぐに怒りを見せる。表情はあくまで笑顔だが。
そして今、そのリリス・サイナーと樋代愛佳は、両手で頬杖をつき、(両者とも表面的な)笑みを浮かべてそこで寝転んでいた。その笑みの裏では、快楽主義者の愉悦と、死にたがりの怒りが踊っている。
その笑みをあえて指摘せず、リリス・サイナーは無言の笑みを浮かべる加護者に言い放った。
「妖精ってどう思う?」
――――愛佳は、つい無秩序の空間からナイフを出し、思わずリリス・サイナーへ投げたが、体を逸らして避けられてしまう。舌打ちの音は揺らめいた空間の所為でかき消される。
「いやあ、妖精ね、うん、捻り潰したくなるよね」
「捻り潰されるのは我か妖精か」
「さて、どっちだろうね? ――で、憎悪を抱きながらもどこかのニヤニヤ神を殺した夢を見てなんだかんだ安眠していたところを邪魔した理由はそれかい?」
「ああ、そうだよ。今度創ってみようかと思ってね」
「へえ、不意を突かれて殺されればいいのに」
「笑顔でとんでもないことを言うな」
あはー、と笑いながら毒を吐く愛佳に、リリス・サイナーは静かに笑った。相変わらず予想の出来ないことを口にしてくれるな、と。こういう性格だとは知っているが、そもそも辛辣な言葉も新鮮で、相手が憎悪や怒りを向けてくるのは珍しい。それが故に快楽主義となってしまったのだが、他の神々は分かっているのだろうか。反女王派の相手も楽しいが、如何せん、彼は真面に口をきいてくれない。
「まあ冗談は置いといて。妖精ねえ……何、ドワーフ? 有名なのはローレライかな?」
「シルフでもピクシーでもいいな。意見がないかと思って呼んだんだ」
「ローレライを創って悠馬の枕元で毎晩毎晩歌わせるといいよ」
「お前はあの子に何か恨みがあるのかい?」
「まさか。むしろ気に入っているさ。――だから、君の快楽には巻き込まないでほしいものだけれども、ね」
「さて、どうだろう?」
神々しい笑みの裏には何を企んでいるのか分からない。だが、断言したいとはそういうことだろう。愛佳も同様に、邪気のある笑みで返した。言葉にすると去年からの友人を気にかけているように思えるが、本人にその気はまったくない。逆に、リリス・サイナーの興味を引かせ、快楽に巻き込もうとしているのだ。そうすれば、愛佳は自分も楽しめると思っているのだ。
実際、リリス・サイナーは愛佳も楽しめるようにするだろう。だが、同じ力を持っているとはいえ、本当の力の持ち主は神であるリリス・サイナーにある。そのリリス・サイナーが望む舞台の終わりが、愛佳の望む最期だとは限らない。だから、愛佳はゲームに勝ちながらも、願望である自分の死を迎えることが出来なかったのだ。
それで、と愛佳が言った。
「結局、僕に意見はないわけだね。あったとしても、君に協力なんてありえると思う?」
「いつもは協力という名で加護しているじゃないか」
「それはそれ、これはこれ。君が勝手にやったと言っても間違ってないからね」
そう言い残し、愛佳はヴィオから消えた。もうすぐ、日が昇る頃だ。ヴィオからは見えないが、映像として見ようと思えば見える。穴を開けることも可能だ。
興味を抱いたこともなかったが、そういえば、一度だけ見たことがある。自分が、人間だった頃の話だ。涙を流してみた早朝の日、湧き上がる昂揚感。こんな世界でなければ、その感動を知れていただろう。希望のない世界で、真っ暗な暗闇の中、リリス・サイナーは過去を振り返っていた。
***
季節の変わり目で制服じゃ夏服と冬服、どちらにすればいいか迷ったのだろう、最近は私服の生徒を多く見る。愛神中学校に制服はあるが、着服は自由だ。それなのに、日頃私服ではなく制服が多いのは、愛神中学校の尊厳を振りまけるからだろう。神の名を持つ学校は本当のエリートしか通えないのだから。
そんな中、愛佳も私服で投稿していた。凛音が訪ねて来た時の白だらけの服だ。革製の白のポンチョのようなものに白衣を混ぜたような服装は、自分がわざわざ、力で作ったものだ。そんな愛佳の服に、クラスメイトが引いた目で見るのはまずなかった。リリス・サイナーを信仰するこの愛神市では、白色は神聖を表す。それを神の目を持つ愛佳が来ても、何も可笑しくないのだから。
雑談に賑わう教室に遅刻五分前で登校してきた悠馬も、今日は私服だった。英語と髑髏のフード付きパーカーにジーンズのラフな格好だが、悠馬の容姿がいいためか、それなりにいいように見える。
だが、その容姿も、今日は散々なものだった。目の下には薄らと熊が出来ており、顔色も悪く、いつも整えられた髪は寝癖が一つ残っている。
その悠馬の様子に、本を読んでいた愛佳が顔を上げる。
「樋代、お早うさん……」
「おはよう、悠馬。どうしたんだい、なんだが疲れているようだけど」
「いや、なんかさ昨日、寝ている間耳元でずっと歌声が聞こえてさ。いい声なんだけど、煩くて眠れなかった」
「ほう……それは面白いねえ」
「他人事かよ、マジで眠いし……」
(いやいや、それも面白いものじゃないか。あのニヤニヤ神の行動力もいいね)
口には出さないが、愛佳は内心笑っている。昨日今日で妖精を創り、冗談を本当に実現してしまったのだ。想像していた通りの困り顔に、少しの嗜虐心が疼く。溜息を吐きながらイスに座る悠馬に、罪悪感など欠片もない。
眉間を押さえ始めた悠馬の肩を叩き、愛佳は笑顔で言った。
「一時限目は寝てもいいよ。先生の目は僕が欺いてやろうじゃないか」
「樋代……お前どんだけいいやつなんだよ…………」
「ふ、ふふふ、ふふふふふ…………」
「じゃ、お言葉に甘えて寝るわー」
何も知らないが故の賛辞に、愛佳は笑ってしまった。きっとそれは、そこらへんで不気味に笑っている誰かの仕業だろう。いや、そうに違いない。
鞄を机の横にかけたあと、宣言通りに寝ようとする悠馬。それと同時に、秋名が教室に入ってきた。昨日は私服だったが、今日は制服を着て来ている。丸い黒色の目は、伊達眼鏡がかけられていた。
「おはよう、秋名」
「おはよう。悠馬、どうしたの? 寝ているの?」
「ああ。いい歌声を徹夜で聞いて寝られなかったらしい」
「趣味はほどほどにしないとね」
彼はそういうつもりではないが、秋名には自分がやりたくて徹夜したと思っているらしい。とんだ勘違いだ。もし、悠馬が起きた後、秋名が言っていたと伝えたら、どんな反応をするだろう?
愛佳が視線を向けると、隣の彼は既に寝ていた。
二年生になっても同じクラスで同じ席になったのは、愛佳が校長に申し出たからだ。後退が眩しい彼は、愛佳の信者の一人である。神の目は偉大である。その使い方は特に。
愛佳がそうした理由は特にないが、強いて言えば個人的な感情であり、悠馬の喜ぶ顔が見たかったのだ。なんだかんだで弄り遊ばれている彼に、罪悪感こそないが、好意はある。好意を向けられたなら、好意で帰るのも当然だろう。色恋には今も興味がないのには変わらないが。
唯一クラスメイトにしなかった夏名は、愛佳自身に興味がないからだ。あれは結局秋名の彼氏であって、愛佳自身はどうも思っていない。むしろどうでもいい存在と思っているのだ。
秋名に興味があるのは、他の生徒と少し違うところがあるから。
悠馬に興味があるのは、お人よしでもある性格なのに、この世界で浮いていないところに疑問を持ったからだ。
夏名には、それがない。この世界では〝普通〟なのだ。
一時間目が始まるチャイムがなる。寝ていた悠馬はその音で起きてしまい、二時間目を潰して保健室で過ごす羽目になった。愛佳が隣で笑っていたが、秋名に呆れられたことに驚いた。てっきり、君は僕と一緒に笑うかと思っていたのに。そう言うと、秋名が拗ねてしまい、会話が終わる。
そんな、日常の中の茶番。
***
ヴィオに呼んだ自分の加護者は、前回同様、不機嫌を隠そうとはしていなかった。していたならば驚きようだが、隠さないのも人間としてどうなんだ。でも、それを言ってしまえばただ矛盾点を指摘されるだけだろう。
ただ笑って、一言だけ聞いた。彼女からこれ以上不機嫌になられても、辛辣に罵られるだけで得など無いのだから。
「銀髪を覚えているかい?」
「銀髪?」
「――――いや、覚えてないならいいんだ」
加護者である前に力を使ったから覚えていないのは当然なのだが、どうも不安に思って連れてきてしまった。神が人間のように不安など、まあ、前世が人間だから仕方ないことかもしれないが。目の前の死にたがりは、どうも不快にも思える。自分に似た、快楽の駒はそんなこと少しも分かっていないだろうが。
生気がないとは、こういうことだ。自分の嫌いな死神によく似ている。そこが何よりも不快で、何よりも好ましい。これが同族嫌悪なんだろうか。
ああ、もう人間だった頃がかき回す。
そして、自害の塊を目の前に、その人間だったころの価値観が恐怖を高揚させるのだ。
「おい、ニヤニヤ神?」
「……なんでもないさ」
一方的にヴィオから自分の部屋へと移動させ、一人黒い空間で溜息を吐いた。どうも、最近は調子が良くない。快楽も暫くお世話していないじゃないか。きっと、それの所為だろう。
手を振って目の前に出した四枚羽のパックに命令を出し、静かに笑った。
***
初めは小さな被害だった。女子の髪ゴムが切れたり、男子が使っていた授業のノートがなくなったり、先生のチョックが全部なくなったり。そして、これを初級と呼ぶことにしようと思う。次に中級、上級、最上級と分けよう。
そして、今僕は〝最上級〟にいる。
「いやー、リアルで妖精かよ……」
「そんな呑気にしている君が羨ましいね」
「お兄ちゃんと呼んだらHPが上がるぞ」
「それより事態を収拾してくれないかな」
目の前で踊っている部屋。襲い掛かってくる刃物。僕と蜜音じゃなければ、既に死んでいるだろう。踊っている、も襲い掛かってくる、も比喩じゃない。
ポルターガイスト。今じゃサイナーがいてその言葉は使われていないが、それが一番ぴったりだろう。
飛んできたカッターを掴む。力を使って出したピアノ線を巻きつけて、刺さってもいいカレンダーのところに投げる。
いい音を立てて刺さったカッターに、障害物はなかった。――ハズレ。
それでも、繰り返したらきっと怯んで帰るか、本当に刺さって死んでしまうかの二択だろう。今度襲い掛かってきたのは深緑のブックカバーがされている本。本が壊れないようにピアノ線を巻きつけ、またてきとうなところに投げる。――また、ハズレ。
「俺ちょっと逃げるわ」
「蜜音って本当役立たず」
「だって怖えーし」
普段はシスコンのくせに、サイナーも文句なしで強いくせに、どうしてこの男がこんなにも臆病なのだろうか。そそくさ逃げていく蜜音を見ながら、小さく舌打ちをした。あんな風に言っているが、きっと後ろで待機しているんだろう。普通に手伝ってほしいものだ。
襲ってきた目覚まし時計を避ける。そろそろ反撃を開始しようか。
「<束縛>」
隷従を意味するServitùを叫ぶと、その空間の時間の全てがとまる。文字通り、襲ってきた物も姿の見えない妖精も、そして風すらもとまる。自分以外の全てが固まったのだ。
Servitùは相手の動きを束縛し、思い通りにすることができる力。それは対象が自然でも人間でも、そして妖精でも変わりないことだ。
「<展開>」
操作を意味するmanovrareを呟けば、止まったままの妖精の姿が露わになる。二頭身の小さな妖精は、新たに投げようとしたノートや服を手に、笑ったままだ。その中には投げるのを放棄して本を読んでいる妖精もいた。
manovrareは対象の現在の行動を映像で見ることができる。または姿無き者に姿を与えたり、本当の姿を現したりすることも可能である。
「さて、捻り潰すか」
「は、本気!?」
「おや、君は予防していたんだねえ」
「絶対何かすると思ったからな」
「何もしなかったらそれは僕じゃないね!」
自身の力を使って動けるようになった蜜音は、半分泣きそうな顔になっている。なんて顔だ、なさけないなあ。手で妖精を包み、力尽くで捻り潰していく。妖精であり実態がないため、血は出ず霧となって消えていく。それを繰り返し、最後の一体を消そうとした時、後ろから蜜音のストップが聞こえたが、問答無用だ。ちょっとグロイから、君は大人しく目を背けてればいいのさ。
そして、最後の一体を消すと、だがそれは霧にはならず、今まで潰した妖精の霧と共に、文字となった。
―――――――――《アオイサクラ》の六文字へ。
***
家で音楽を聴きながら本でも読もうかと思っていた矢先に、あれはきついだろう。それでも、とめてはやらんが。
ヴィオの中にノイズを出し、映像で見た凛音は真っ青になっていた。飛びかかってくる私物を避けながら、驚きにツインテールを揺らしている。
「仕掛けに気付くといいが」
「――未来を読まなかったのかい」
行き成りヴィオに入ってきたレイメルに、小さく微笑む。
「読んでしまっては、面白くない」
「そういうもの……?」
「そういうものだよ」
彼の青色の目は不可解だと細められているが、媒体の頭を撫でて強制的に黙らせた。今は、彼女に集中したいのだ。彼女が、愛佳と同じように文字を見た時の、その時を逃してしまう。
それにしても。
もう一つ映像を出すと、そこには文字のあった場所を何回も踏んでいる加護者の姿。その美貌は薄っぺらい笑みで塗りたくられていた。
「今度は、いつ送ろうか」
「女王、こんどは何をするつもりだい?」
「ちょっと、シナガワと飽浦に会わせてあげようと思っただけさ」
「シナガワ? 飽浦?」
「知らなくていい」
視線を純血に戻す。力の盾を使って必至に回避しているところだった。蔓で縛られ、そのまま潰された妖精。その後に残った、文字。
彼女――凛音は目を見開く。
愛佳には《アオイサクラ》を。
凛音には《アカツキ》を。
〝槍〟には《モノクロ看板》を。
赤と青と、黒と白。それが集まるならば、起こるは戦争と裏切り、そして前世を巡る復讐。最期に残るは笑みか涙か。
きっと、それを知る時は後悔しかないのだろうけど。
「女王、女王様」
「何かな」
「もう、神界に戻ろう」
「そうだね」
二つのノイズを消し、その場から、逃げるように去った。
***
飛んできた蝶々を握り潰した。死にたくないと足掻いているそれは醜くも美しく、自分と正反対だと思った。
兄が汚いものだと、潰した蝶々を手から振り払う。
それは、潰れたから汚くなったのだ。潰れる前は綺麗だと思われていたのに。死体となってしまっては、ただのパーツにすぎない。
ふと、思った。未練を残して死にたくなかったと、語った神を思い出したのだ。
この蝶々は、死ぬ直前まで死ぬことを知らなかったのだ。未練は、あったのだろうか。きっと、自分の欲望のままに生きていたのだ、ないのだろう。
――自分は、どうだろう。
世界で行動を我慢したまま、ただ好かれて生きる。きっと、いつか来るのだ。
気付いた時には、遅いことを、気付かされるときが来るのだと。
それならば、そうだ。死んでみよう!
ただ、己の欲望のままに。
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