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第八話

 女の子の巡行は続きます。


 四日後には隣の国を訪れました。

 とある里の一角に位置する建物に入ります。建物では職人たちが布を織っていました。そこは、雰囲気が悪いということで知られている仕事場でした。


 突然入ってきた一行に職人たちが何事かと見守る中、国長(くにおさ)従人(したがいびと)らは、木組みの台を設置します。女の子が、皆から顔が見えるように、台の上にちょこんと座ります。

 最初はわけがわからないといった様子の職人たちでした。

 が、ほどなくして何やらそわそわし始めます。女の子をちらりと見て、顔を伏せ、またちらりと目をやっては顔を伏せといったことを繰り返します。

 とうとう職場の長が立ち上がると、女の子に押されるかのように、とある髪の長い若い女の前に立ちました。


 若い女は、皆とは違う布を織ることで職人たちの間では知られていました。彼女の布は丈夫で破れにくく、そのうえ滑らかなさわり心地だったのです。

 けれども、その織り方はいたって難しく、他の職人たちには真似することができませんでした。


 若い女は自己主張をする類の人ではありませんでした。

 また、国長や国長のもとで働くような偉い人たちは、布なんて誰が織っても同じだと思っていました。彼らは職人の仕事にはうとく、布織りもまたどのような仕事かよくわかっていなかったため、技術の優劣がつくほどの奥深さがあるとは見なしていなかったのです。

 そのため、若い女の技術は職人たちの他に知られることはなく、たまに非常に良くできた布があるのは天の恵みだと考えられていました。


 けれども、職人たちは違います。若い女の腕前のほどを知っています。

 もし彼女の腕が、偉い人たちに知られたらどうなるでしょうか。若い女が賞賛されているうちは、まだ構いません。直接の被害があるわけではありません。ですが、賞賛はやがて自分たちへの非難に変わるかもしれないのです。

 すなわち「あの女の織る布とお前たちの織る布と、どうしてこんなに違うのだ。お前たちの努力が足りないのではないか」などと文句を言われてしまうかもしれません。文句ならまだしも、何らかの罰が与えられてしまうかもしれません。

 実際のところ、偉い人たちがそこまでするかどうかはわかりません。案外、下々の者のすることに口出しするなどみっともない、と放っておかれるかもしれません。

 けれども、職人たちにとって、国長やその近辺にいる者たちは一線を隔てた存在であり、それゆえ何をするかわからないという恐怖心がありました。


 要するに、職人たちは若い女に対してこう言いたかったのです。

「もっと手を抜いてくれ。じゃないと迷惑なんだ」

 ですが、これまでは面と向かってそれを言うのはためらわれました。自分たちが若い女に比べて腕が劣っていることを認めることになるからです。言った本人のみならず、職人たち全員が若い女よりも腕が下であると、皆を代表して宣言するようなものだからです。


 けれども今は違います。女の子がいます。彼女の表情が、若い女をどうにかしなければならない、と言っています。


 若い女は、自分の目の前に職場の長が立っているのを見て、最初きょとんとしました。

 それからびくりとします。周りの職人たちが自分をじっと見ていることに気づいたからです。何よりも見知らぬ女の子が、えも言われぬ不思議な雰囲気を身にまといながら、自分に不愉快げな顔を向けています。

 若い女はあたふたします。何かまずいことをしたのだろうか、と困惑します。彼女はただできるだけいいものを作ろうと、一生懸命布を織っていただけなのです。いったいなぜ自分にそのような視線が向けられているのか、わけがわかりません。


 自分の置かれている状況を若い女が理解したのは、それからしばらく経ってのことでした。皆と同じような布、彼女からしてみれば出来の悪い布を織ったところで、ようやく女の子の顔が穏やかなものになり、目の前に立っていた職場の長が立ち去ったからです。

 それまでの間、彼女はずっと女の子の険しい表情と、周囲からの非好意的な目線にさらされ続けてきました。懸命に上質な布を織っていた若い女の姿はもはやなく、疲れてぐったりした女がそこにいるばかりでした。

 若い女が上質の布を織ることは二度とありませんでした。



 その五日後には、さらに隣の国を訪れます。

 そこでは、原始的な民事裁判が行われていました。

 聞くと、初めは田の境界をどうするかという小規模な争いだったそうですが、隣に住む者だの親類縁者だのが絡んできた結果、損得関係がごちゃごちゃになり、さらには本来中立であるはずの仲裁役までもがいつの間にか利害の輪に組み込まれてしまい、もはや泥沼状態だということでした。


 そこに女の子がやってきて、いつものようにちょこんと真ん中に座ります。

 ほどなくして「まあ、現状維持で手を打ちましょう」という声がそこかしこで上がります。「色々とありましたが、そのあたりはなあなあにして、水に流してしまいましょう」という声です。ここまで争っておきながら今さら何を、と自分でも思ったのか、最初は遠慮がちな雰囲気の声でした。しかし賛同の声が上がるにつれ、だんだん堂々とした調子になっていきます。


 当初は声の大きかった強硬派の人たちも、そういった声に押されて、不本意ながらといった様子ではありますが、承知していきます。

 最後まで一人残ってしまった強硬派の男は、それでも大きな声で「今こそもろもろの問題をまとめて片付ける時ではないか!」などと叫んでいましたが、女の子の冷たい表情に遅ればせながら気づくと、とたんに口ごもり、ついには何かに押されたかのように「申し訳ございませんでした」と謝ってしまいました。

 彼は裁判が終わった後も、なんで俺が謝らなくてはいけないんだ、とぶつぶつ言っていましたが、女の子を見ると得も知れぬ気分となり、黙ってしまいました。



 このようにして、西の国々の民たちにとって、次第に女の子は馴染み深い存在となっていきました。

 民たちの反応は決して悪いものではありません。とにもかくにも女の子が来れば問題は片付くからです。どころか、女の子の独特の雰囲気と、白く清潔な身なりをしていることが合わさって、彼女のことを神々しく敬うべき存在であると見なしている民さえも少なくありません。

 得体の知れない不気味な圧力に押されているだけではないか、などと考える民も少数ながらいましたが、そういうことは言ってはいけないという圧力もまた感じているため、口には出しません。

 女の子の悪いうわさは、きれいさっぱり消えてしまいました。



 国長たちは、ほっとしました。

 妙なうわさも消え、女の子を堂々と話し合いの場に呼べるようになったからです。

「これでようやく安心ですなあ」と彼らは笑いました。

 大満足、というわけではありません。彼らはいささかやりすぎてしまったところがあり、女の子の悪いうわさがなくなった代わりに、彼女をたたえるうわさが流れ始めたのです。たとえば「童女(わらべめ)殿は神通力で、西の軍をひとつにまとめあげたのだ」などというものです。

 そういううわさを聞くと、国長たちの自尊心がちくちくとします。嫉妬と嫌悪の気持ちがうずきます。

 けれども表には出しません。これまで出さないことで上手くやってきたのです。だいいち、出す理由もきっかけもありません。

 彼らはただ「いやはや、これでほっとしましたなあ」と笑い合っていました。



 笑うような気分にはなれない国長もいました。兵法殿(へいほうどの)です。

 彼は最初の話し合いの時に一人取り残されたことを今でも覚えており、それが後ろ暗い感情となって、女の子に対して一歩距離を置いていました。

 加えて、近ごろ民たちが、まるで先の東との戦が女の子のおかげで勝てたかのようにうわさをしていることが気に入りません。童女殿が神通力で西をまとめた、などといううわさ話を耳にするたびに、むかむかとして、表情にまで出てきてしまうのです。私の作戦があってこその勝利ではないか、と言いたくなるのです。

 けれども、女の子が西の国々になくてはならない存在だという理性での理解も一方ではあり、それがゆえに文句を言うこともできず、一人で腹を立ててばかりいました。



 ただひとり、若長(わかおさ)だけが晴れやかな気分でいました。

 これまでずっと連れまわしていたせいか、女の子はこのところ疲れた様子を見せていました。そのため、かねてより、休ませるべきだと訴えてきたのですが、季節が夏を迎えて暑くなってきたこと、だいぶ女の子の存在が民たちにとって馴染んできたことから、ようやくそれが受け入れられたのです。


 家の前の草むらで女の子と娘が遊んでいるのを、若長と彼の妻は眺めます。

 この頃、女の子の背丈は、もともとわずかな差であったとはいえ、娘に追いついていました。

「あたしのほうがおねえさんなんだから!」と娘はむきになって主張します。

 女の子は首をかしげ、それから娘の頭をなでました。

「お、おねえさんなんだから!」

 娘はもう一度主張しました。


 若長は、妻と一緒にそれを笑いながら見て、久方ぶりに安心した気持ちになるのを感じました。

 何度も話しかけたのが効を奏したからでしょうか。女の子は、この頃にはもう、若長と妻が見ている前であっても、どこにでもいる子供のような表情で娘と楽しげに遊ぶようになっていました。娘がいなくなり、周りが大人だけになると、またいつもの「童女殿」に戻ってしまいますが、それでも「童はその心を表に出すべき」と考える若長の目には、喜ばしい光景に映ります。


 それが嬉しくて、また一方で安心したからかもしれません。初めて女の子と出会った時、若長の心の底にどろりとした姿で横たわっていた「何かあったら童女に責任を負わせるべきだ」という意識は、ちくちくと胸に刺さっていた罪悪感と共に、もう消えてしまっていました。

 そんな意識があったことすら、忘れてしまったくらいだったのです。


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