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第六話

 三日後の朝、陽が昇って辺りが明るくなると、本王(もとぎみ)と彼の軍勢は東西の境を越えました。そこから先は、もう西の国々の領域です。


 本王らが侵入したのは島長(しまおさ)の国でした。交通網がまだ十分に発達していなかった当時、この島で大軍を西に動かそうと思ったら、島長の国は必ず通らなければならない位置にありました。それゆえ、東の軍勢がここに攻め入ったのも自然なことでした。

 自然であるがゆえに、本王はこう考えていました。西のやつらも馬鹿ではない。我々がこの国を通ることは、重々承知であるに違いない。となれば、やつらもここで待ち構えているはずだ。


 本王の予想は当たりました。国境を越え、しばしのあいだ軍を進めると、両側を山に囲まれた平原が見えてきました。そして、そこに立ちふさがるように軍勢が待ち受けていたのです。

 西の軍です。

 中央に島長が、先鋒に若長(わかおさ)が陣取っています。

 本王の心臓の鼓動が速くなります。彼は西の国々を甘く見てはいましたが、甘く見過ぎてはいませんでした。戦とは気合の入った力と力のぶつけ合いであり、すなわちその場の勢いが影響するところ大であり、勢い次第ではどう転ぶかわからないというのが彼の持論でした。この時点で、彼はまだまだ油断してはいけないという気持ちは持っていたのです。


 ところが、徐々に両軍が近づき、互いの全容が明らかになってくると、本王のそんな不安は吹き飛んでしまいました。理由は西の軍勢の規模にありました。兵の数は、東の半分もなかったのです。

「見ろ、西の連中を」

 本王は笑いました。

「ろくに兵を集められなかったと見える。見ろ、互いの命運を決するこの大戦(おおいくさ)に、たったあれっぽっちだぞ」

 本王は嘲笑の意図を込めて、見ろ見ろと叫びながら大声で笑います。

 おおかた話し合いがうまくまとまらず、足並みがそろわなかったのだろう、と本王は思いました。足並みがそろっていれば、この大事な戦に中途半端な数の兵しかそろえられない、などということは考えられないからです。そう思うと、話し合いというやり方がいっそう愚かなものに見えてきます。ますます笑いがこみあげてきます。東の国長(くにおさ)たちや従人(したがいびと)らも、そんな本王に追随して笑います。


 ひとしきり笑いが収まったところで、本王は大きく息を吸い、こう叫びました。

「全軍、かかれー!」

 本王の一声で、彼を囲む軍勢が一斉に動き始めました。初めは矢が飛び交います。鉄やじりのついた竹の矢が、風を切る音と共に、次々と互いの陣営に降り注ぎます。

 通常の戦であれば、ここで両軍の距離が徐々に詰まっていき、やがて弓矢を使った遠距離戦から、矛を使った近距離戦へと移っていきます。


 ところがどうでしょう。近距離の戦に移る間もなく、西の軍勢はじわりじわりと後退していってしまいます。

 本王は戦の最中にもかかわらず、また笑ってしまいました。西の軍のもろさが、おかしくて仕方がなかったのです。戦の前に緊張を覚えていた分、なおのことおかしみを覚えました。

 すぐさま全軍に対し、前進して距離を詰めることを指示します。相撲と同じです。押し合いをして相手がよろめいたら、勢いをつけてさらに押すのみです。

 この時点で本王は勝ちをほぼ確信していました。彼の知る戦とは、どかんと全軍同士でぶつかり合って、力比べをしてそれで終わりというものでした。

 そして力比べとは、最初に押されたほうが負けだと本王は考えていました。

 それゆえ、彼はこの時点ですでに勝利を信じていたのです。


 本王は知りませんでした。兵法というものの存在をです。ゆえに、陽動という概念も伏兵という概念も持ち合わせていませんでした。

 ですので、両側の山から突然わっと西の軍が駆け降りてきて、東の軍の左右から襲いかかってきた時は、何が起きたのかわかりませんでした。

「な、な、なん……」

 つい先ほどまで、東の軍は、掛け声をあげながら前方に突き進むのみでした。それがほんのわずかばかりの間に、左から右から、聞きなれない、おそらく西特有のかけ声が上がっているのです。

 矢がひゅんひゅんと飛び交い、本王のすぐ近くの地面に突き刺さります。ほどなくして矛の切り結ぶ音が聞こえてきます。


 しばしの混乱から立ち直ると、本王は周囲に向けて叫びました。

「おい、何があった!」

 答える者は誰もいません。彼の従人も東の国長たちも、この短い間に、混乱のあまり散り散りになってしまっています。人は未知のものに強く脅えるものです。陽動も伏兵も知らない彼らにとって、それは妖術がごとき不気味なものであり、初めての経験に完全に心が乱れ切ってしまい、そして本王ほど精神的に強くもないがゆえに、一目散に逃げ出してしまったのです。

 それは本王周囲の者たちに限った話ではありません。東の軍全体がそうなってしまっていました。


「おのれ!」

 本王は叫びました。

「おのれ、西の者どもめ!」

 彼の頭脳は理解していました。山に兵を隠していて、それで両側を突かれたのです。がっぷり四つに組んで一対一で相撲を取っていたつもりが、突然左右から二人現われて、両側から張り手を食らったようなものです。そして自分たちは、そんな相撲など考えもしていなかったがゆえに、わけがわからなくなってしまっているのです。

「ええい、くそ」

 本王は乗っていた馬ごとくるりと反転しました。そうして、なりふりかまわず逃げ出しました。

 今回は負けだ、と彼は判断しました。東の軍は混乱のあまり、もはや軍としての体裁をなしていません。皆、先ほどまで押していたのが嘘のように、わき目も振らず逃げようとしています。これでは戦いようがない、と思ったのです。

「なんというもろさだ。くそ」

 本王はいまいましそうに声をあげました。


 そのもろさが幸いしたとは、本王も気づきませんでした。

 実は伏兵はもうひとつ、東の軍の後ろにいたのです。彼らの役目は逃げる本王の退路をふさぐことです。そうして、前後左右と囲んでしまい、袋叩きにしてしまおうというのが兵法殿(へいほうどの)の作戦でした。

 ところが、東の軍があまりにも早く逃げ出してしまったので、後ろの伏兵の指揮官は退路をふさぐ時期をとらえそこなってしまいました。ふさごうとした時には、すでに本王を含め東の軍の大半は逃げのびてしまった後だったのです。

 それどころか、追撃をしようとする若長の軍と、退路をふさごうとする伏兵がぶつかってしまい、追撃の邪魔をしてしまう始末です。

 こうして、本王は無事、彼の国へと逃げのびてしまいました。



 このことが西の軍に知れると、国長たち、とりわけ兵法殿は大いに悔しがりました。

「肝心の騙王(かたりぎみ)を取り逃すとは、なんたること! ああ、なんたること!」

 兵法殿はそう叫んで、無念の気持ちを訴えました。

 けれども、退路をふさぐ任の指揮官の責任を追及するという話にはなりませんでした。


 表向きの理由は「まあ、今回は勝てたからよいではないですか。これで東の騙王は面目を失ったでしょうし、当分攻めてこようなどとは思わないでしょう」と、多くの国長が指揮官をかばったためです。


 裏の理由は、兵法殿が指揮官の責を問おうとした時、女の子が不愉快そうな顔をしたからです。


 さらに裏の理由は、島長と兵法殿が功績を上げすぎることに、若長のような謙虚な変わり種を除き、ほぼ全ての国長が嫉妬していたからです。女の子のおかげで今のところまとまってはいましたが、そういったところは、彼らは相変わらずでした。

 結局のところ、彼らは、他の国長が自分よりも上に立つことが嫌なのです。もし指揮官の責任を追及して彼が悪いということになれば、島長と兵法殿は駄目な指揮官を抱えながらよくやった、ということになってしまいます。株が上がってしまいます。そんなことは大多数の国長たちにとって受け入れられるものではありません。東の本王に滅ぼされるかもしれないという危機こそあれば、島長や兵法殿を一時的に上に立てるのもやむをえませんが、戦に勝利した今となっては、国長たちの心の内で大きく燃え盛っているのは、危機感よりも嫉妬心でした。

 それゆえ彼らは「まあ勝てたのだし、このことはみんなの責任であり、誰の責任でもないということでいいではないですか」という、なあなあの後始末を望んでいました。

 そんな大多数の国長たちの気持ちが、女の子の表情に映し出されたのです。



 東の本王は違いました。

 彼を表す言葉は「なあなあ」ではなく「白黒はっきり」でした。

 本王は国に戻るやいなや、その信念通りに白黒をつけました。真っ先に逃げだした者、混乱した者を調べ上げ、彼らを敗戦の責のある者と断じ、国長だろうが高位の従人だろうが容赦なく粛清したのです。

「戦の場で我を失うものはこうなるのだ」

 東の国の人々は、本王の面目が失われたと感じるひまもないまま、恐怖にうち震えました。

 本王はこれで終わりだとは思っていませんでした。復讐の念を心に秘めていたのです。

 けれども西側では、この件は、いたずらに本王の恐怖をあおってせっかくの勝利に水を差してはならない、という理由で黙殺されました。


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