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第五話

 話し合いから半月余りが過ぎました。

 西の国々では、戦の準備が着々と進められています。各国の兵たちや、戦に必要な物資などが、続々と東との境近くに集まってきます。弓矢をつがえ、矛と木楯をかかげ、鎧の音をがちゃがちゃ鳴らしている男どもが、そこかしこにあふれかえっています。

 彼らの中のある者は、しきりに弓矢の調子を確かめます。またある者は、他の兵に何度も「大丈夫だよな」と話しかけます。そうして各々、戦までの時を過ごしています。


 兵たちがそうしている間、西の国長(くにおさ)たちは二度目の話し合いを行いました。戦に向けて詳細をつめるためです。

 女の子も同席しました。女の子は身なりを改められていました。髪はきれいにとかされ、体は水で清められ、服は白く清潔な衣裳を着用しています。


 若長(わかおさ)の妻の手によるものです。若長は最初、従人(したがいびと)たちにそれをやらせようとしたのですが、彼の妻は、こういうのは我々自らの手でやったほうがありがたみが出る、と言いました。女の子に対してはそういう扱いをすべきだと言ったのです。


 若長はそれを聞いて、なるほどそういうものか、と思いました。同時に、私はこういうところがあるから結局妻の尻に敷かれているなどと言われてしまうのだと思い、少しふてくされてしまいました。

 そうして妻が女の子を清めているのをよそに、別室であぐらをかいて頬杖をつき、いささかわざとらしく明後日の方向を向いていると、娘がとことことやってきて、彼の頭をよしよしとなでます。若長が落ち込んでいるとでも思ったのかもしれません。

 若長は気恥かしくなり、しかし無下に子供の手を払うのも大人げないと思い、ふいと横を向いてしまいます。けれども、それもまた大人げないと考え、すぐにぶんと首を戻します。

 すると娘は左右に首を動かす遊びだと思い、若長の前で首をぶんぶん振るのです。おまけに若長が首を振らないのを見て、頬を膨らませます。若長は娘と二人で首を左右に振り合います。

 そこへ、清めの仕事を終えた妻と女の子がやって来て、若長はたいそう恥ずかしい思いをしてしまったのです。


 きっかけ、と言えばそれがきっかけでした。

 若長の中に、女の子にもっと話しかけてみようという気持ちが生まれたのです。

 というのも、若長が首を左右に振っていた時、妻は笑っていましたが、女の子は顔を伏せ、若長に表情を見せようとしなかったからです。恥ずかしい思いをしたのに見向きもされないというのは、かえって悔しいものがあります。

 そうして、何か一言言ってやりたいと思い、さて何を言おうかと考えあぐねているうちに、だんだんと、普段からもう少し声をかけてみるのもいいか、という心持ちになったのです。

 たとえば、いったん落ち着いた服に着替えて娘と遊んでいる女の子に対しても、これまでであれば、邪魔しては悪いではないか、などと自分に言い聞かせて何もしなかったのですが、構わずに声をかけるようになりました。

 そうして話しかけてみると、若長の中にあった罪悪感が薄らいでいきます。一度、胸を刺すような罪悪の念がやわらぐと、もっとやわらげたいという気持ちになります。さて今度はどのようなことを話題にしてみようか、めずらしい花でも見せてやろうか、などとまた考えるようになるのです。

 女の子の反応はあまりかんばしくなく、黙ってこくこくうなずくばかりなのですが、それでさえも、「まあ少しずつやっていけばいいだろう」と思うことができるのです。


 その女の子に向けて、今、国長たちの間から「おおっ」という感嘆混じりの声が上がっています。「より神秘的な姿になりましたなあ」という声も聞こえます。「独特の雰囲気もそのままですな」と言っている国長もいます。


 若長はそれを聞いて、とりわけ最後の言葉に対し、ほっと一息つきました。

 もとより、国長たちにしてみても、女の子の外見が神秘的になることに異論はありません。彼らの頭の中にはどこか、自分たちはたかが小娘の顔色を伺っている、という意識がありました。彼ら自身の強い自尊心がそうした意識を呼び起こしています。その気持ちを払拭するには、女の子がより人間離れして、より神々しくなってくれたほうが都合がよいのです。完全にぬぐい取ることはできないにしても、嫌な気持ちは意識の底に封じ込めておきたいのです。


 ですので、今後女の子をどこかしらへ連れ出す際は駕籠に乗せることにしよう、という提案を、話し合いが始まって早々に国長の一人が提示した時も、すんなりと受け入れられました。神に近しきものは、神輿のように下界の者の手で担ぎ上げて運ぶものだからです。


 駕籠の件が決まると、議題は戦に関するものへと移っていきます。

 一部の国長たちは、また今までのように誰も発言をせず、皆が気まずそうに黙りこくっているだけということになりはしないかと懸念していました。前回女の子のおかげでうまくいったのは、偶然、あるいはまぐれかもしれないという不安があったのです。

 駕籠の話があっさり決まってからもそれは変わらず、戦のように責任が重大な話についてはどうなるかわからない、という思いが、なおありました。


 ですが、それらの心配事は杞憂に終わりました。国長たちは適宜、発言をしました。意見を述べました。誰かが何かを言った時、言ったからにはお前の責任だぞ、と言わんばかりの目を向けたりはしませんでした。

 よどみなく進行し、決めるべきことを決めた上で、話し合いを終えることができたのです。


 国長たちは、女の子を交えた話し合いというものがまだ二回目であるにもかかわらず、彼女の存在がすでに欠かせないものとなっていることを認識しました。

 女の子の表情を読み、それが明るくなる方向に話を進める分には、誰からも叩かれることはありません。皆がそうしているからです。

 責任を取る心配もありません。発言者は、ただ女の子の顔色に従っているだけだからです。

 女の子の機嫌に沿う限りは、批判も責任も気にせず、のびのびと発言できるわけです。話し合いで物事を決める彼らにとっては、この上なく重宝する存在です。


 話し合いが終わると、国長たちは各々が自国の陣営に戻りました。そして、戦の準備を再開しました。とはいえ、やるべきことは決まっており、しかもその多くはすでに進行中でした。

 十日ばかり経った頃には、どの国の者たちも戦支度を整え終えていました。彼らのうちには、やることはやったという気分がありました。

「さあ来い、東の本王(もとぎみ)!」

 どこからか、そんな声が上がりました。



 その頃、東の本王は、たくさんの国長とたくさんの兵を引き連れて、海沿いの道を西へと向かっていました。

 西の軍と異なるのは、馬上兵(まがみもの)という馬に乗って戦う兵が、数こそ少ないものの、存在しているところです。中には馬上兵ばかりを集めた本王直属の部隊もあり、彼の自慢でした。

「あと三日ほどで、西の国々に入れそうです」

 本王の従人が言いました。

「うむ」

 本王は重々しげにうなずきました。ですが、その声には、どこか明るく浮かれた響きがあります。


 事実、本王はこの時上機嫌でした。何日か前、東西の境に位置する国の国長に、西の国々についてたずねたところ、いくつか返ってきた答えの中に、彼らは話し合いで物事を決めるというものがあったからです。


 本王にとって、話し合いとはまどろっこしく、どうしようもないほどに駄目な意思決定方法でした。

 彼の治めている国も、彼が十代だった頃までは、話し合いが重視されていました。国が大きすぎて、複数の人間の利害を調整する必要があったからです。

 ですがそのやり方は、まだ若かった本王にとっては、鈍く非効率なやり方にしか映りませんでした。これでは駄目だ、と本王は思いました。そしてとうとうある時、俺が何とかしてやる、と決意したのです。

 意を決してからの彼の行動は素早いものでした。本王はその日から動き始めました。彼は利害集団を時には仲たがいさせ、時には自らの軍事力で粛清し、そうしてひとつずつ潰していったのです。

 本王が二十代半ばになった頃には、国内で彼に逆らうものは誰もいなくなっていました。彼一人の意思ですべてが望むままに動くようになったのです。


 本王の考えは単純です。群れの強さは、その長の力がどれだけ発揮できるかで決まる、というものです。それゆえ、自分の意思がすべてにおいて反映される彼の群れは、この上なく強いということになります。

 話し合いで物事を決める群れなど最悪です。誰が長だかよくわからず、力を発揮する方向はてんでばらばらで、何がしたいのだかよくわかりません。これほど弱い群れはないということになります。

 ゆえに今回の大戦(おおいくさ)は、本王の目から見れば、強い自分の群れが弱い西の群れを食い尽すだけの狩りに過ぎない、ということになります。上機嫌にもなろうものです。


 けれども、実のところ、上機嫌になっている場合ではありませんでした。この時点でもうすでに、本王にとって不利な要素が三つも存在していたのです。そして、彼はその事実に気づいていませんでした。

 第一に、本王は二十代半ばを最後にここ十年ばかり戦から遠ざかっていました。毎年のように、小競り合いとはいえ、戦を経験している西の総大将の島長(しまおさ)と異なり、実戦の感覚というものが鈍っていたのです。

 第二に、西には、大陸から遠い東には存在しない軍略書というものがあり、それを片言ながらも理解できる者がいました。本王は兵法など知らず、ただ力押しの戦しか経験したことがありません。

 そして何より本王は、話し合いをする西の国々などたいしたことがないと甘く見ていました。西の国長らが、本王には到底理解できない方法で意思統一を実現したことを知らなかったのです。


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