第四話
陽が暮れ、辺りが暗くなってきました。
話し合いはまだ続いています。こんな遅い時間まで、しかも議論が活発化した結果により長引いたというのは、これまでに例のないことでした。
誰かが火灯りを入れようと言い出しました。準備のために従人たちが出入りし、国長たちも場所を開けるために立ったり座ったりします。
そうしていると、いつの間にか女の子の位置が変わっていました。若長のすぐ隣にちょこんと座っているのです。なぜ彼女が若長の側に来たのかはわかりません。若長が言うには「私が一番あの童女をじろじろ見ていたからだろう。娘を思い出してつい、な」とのことですが、本当のところは誰にもわかりません。
もっとも、国長たちにしてみれば、理由などどうでもよいことでした。
重要なのは、女の子が輪の中に入ったということです。輪の一員になったということです。部屋の隅にいられるより、そちらのほうがより女の子を堂々と見ることができます。より女の子の影響を強く受けることができます。
国長でもないのになぜ輪に入るのだ、などと文句を言う者は、もはや誰もいません。いえ、正確には兵法殿が一度言いかけたのですが、女の子の顔が不愉快そうなものになったこと、国長たちがそんな女の子の顔色を見て兵法殿に嫌そうな目を向けたことを受けて、慌てて口をつぐんだのです。
ここに来て、ようやく兵法殿も、皆が感じている気持ちというものが理解できました。
つまりはあれか、と兵法殿は思いました。
あの童女が不思議と気になる。だから不機嫌そうな顔をされてはどうにも皆が嫌な気持ちになる。それゆえ、機嫌を悪くさせるような言動は気に食わないというのか。
ふん、馬鹿らしい。たかが童女が、我らの気持ちや雰囲気の影響を受けて、それを顔に出してしまっているだけではないか。大人たちの気まずい雰囲気に、わけもわからず泣きだす童と同じに過ぎぬ。
いや、そこいらの童よりはずいぶんと敏感に顔に出ているようだが、だから何だというのだ。
まったく、あやつらのあの嫌そうな顔ときたら。「童女の表情を読め」と今にも言い出しそうではないか。
先ほどまで、ただひとり、流れから取り残されていたことが、兵法殿をこのような不快な気持ちにさせていました。
とはいえ、議論が活発化すること自体は彼自身も望むところです。東の本王に滅ぼされたくはありませんし、自慢の兵法の知識を生かせる機会だからです。
「戦場はおそらく島長殿の国になるはず。あそこであれば、伏兵というものが有効ですぞ」
兵法殿はそう言って、話に参加しました。
国長たちは、なるほどと言ってうなずきました。彼らは日ごろから兵法殿の中途半端な知識に基づく自慢にうんざりはしていましたが、一方で彼ら自身は中途半端な知識すらも皆無であったため、こういう場での兵法殿の発言は大層もっともに、そして頼もしく聞こえたのです。
兵法殿にしてみても、書物の知見を生かせることはこれが初めてであり、そう思うと悪い気はしません。
けれども一方で、自分だけが取り残されたという思いが、女の子に対する不快な気持ちとして、彼の中に根深く残っていました。そして、それは黒く尖った形で、彼の心の底にしっかりと突き刺さっていたのです。
無論、他の国長たちは、そのようなことなど知るよしもありません。ようやく兵法殿も童女の表情を読むようになりましたな、と思ったくらいで、すぐに気持ちを話し合いへと切り替えたのです。
こうして、かつてないほどの活発かつ建設的な議論の末、東との大戦の役割分担がまとまりました。
総指揮は島長、作戦担当は兵法殿です。
若長も積極的に発言をしていたことから、勢いを買われて先陣を任されます。
後世から見れば、その程度のことで大事な先陣を任せるなんて、と思われることでしょう。ですが、当時の西の国々は、そういうものだったのです。
何しろ、戦の専門家といえるような人物がほとんどいません。
国長たちのうち、戦経験が豊富といえるのは島長くらいです。
兵たちにしても、普段は主に田畑を耕すことで生計を立てており、秋の刈り入れが終わった時期にだけ弓を取るくらいです。当時は農耕技術が未発達なこともあって、働く時間に比して収穫できる食物の量は後の時代と比べると随分と少なく、民たちのほとんどは春から秋まで農作業で忙しくしていました。
また、この時期、この島を含む地域一帯で気候が寒冷化しており、冬は雪が降ることも多く、比較的温暖な西の国々でも、膝まで雪で埋まってまともに歩けなくなることも珍しくありませんでした。そうなるともう戦どころではありません。
結局、戦ができるのは、毎年秋の刈り入れ後から冬が本格的に訪れるまでの短い期間だけだったのです。
若長が先陣を任されたのも、そういった事情による人々の戦に対する知識と経験の不足を背景にしたものでした。
このような按配で、その他の必要な役割についてもすべて担当が割り振られました。
ただひとつを除いて、です。
実のところ、まだひとつだけ担当の決まっていない役割があったのです。
責任者です。
何か問題が生じた時、最終的に責を負う人です。
これがまだ決まっていなかったのです。
国長たちにも、誰を責任者にするか、はっきりさせたいという気持ちはありました。なぜなら、いざ実際に東との大戦で負けた場合、あるいは負けはしないでも大きな被害を受けた場合、誰が責任を取るべきかという問題は生じてくるからです。
例えば東の本王が「責任者の首を差し出せば、それで手打ちにしてやろう」などと言い出してきたら、もはやなあなあで済ませるわけにはいきません。
いったい誰がその任にふさわしいのでしょうか。
総指揮の島長でしょうか。
「俺を推薦したのは若長である」
彼はきっとこう言うでしょう。
では、推薦者の若長こそがふさわしいのでしょうか。
「いや、私はただ、あの童女が不機嫌そうな顔をしていたから、それをよくしようと思って……その……」
彼はきっとそこで口ごもってしまうことでしょう。それ以上は、罪悪感から、言葉にはできないからです。
ですが、どれほど罪悪を感じようと、責を負うのは誰であるべきか、という考えは、若長の心の底にどろりとした姿で横たわっています。若長だけではありません。他の国長らの中にも共通の認識としてあります。
それは、彼らがしきりと顔色をうかがっていた人物です。彼らが常に表情を読み取ろうとしていた人物です。
彼らの本音はつまるところ、自分たちの発言は自身の責の上でのものではなく、その人物の顔色に従った上でのものにすぎない、というものでした。
けれども、国長たちも、大なり小なり罪の意識を覚えていたのでしょう。その場で責任者が誰かをはっきりと明言することはありませんでした。結局肝心なところで、曖昧なままにしてしまったのです。
代わりに決めたのは、女の子を今後とも話し合いの場に同席させるということでした。国長一同は、兵法殿が一瞬不快な顔を見せただけで、もろ手を挙げてこの案に賛成しました。女の子がいれば話し合いが速やかにまとまることがわかったからです。
無論、嫉妬心と自尊心の強い西の国長たちのことです。話し合いをまとめあげるという自分にはできなかったことを成し遂げた女の子への嫉妬と、国長の身分でありながら一人の女の子の顔色をうかがってしまっていることを恥じている気持ちはあります。
けれども東の本王に滅ぼされるかもしれない今、そんなことを言っている場合ではないことは理解しています。だいいち、つい今しがた、女の子の雰囲気に押されて、その表情を読みながら話し合いを進めてしまったばかりです。今更どうこう言い出すのも、彼らにとっては恥の上塗りでしかありません。
国長たちは、従人らに女の子の身元を調べるよう命じました。彼らはすぐに駆け出し、さほど時間をかけずに戻ってきました。近くに住む村娘であることが報告されます。親もなく、親戚の家に厄介になっていること、それもあまり良い扱いを受けてはいないことも付け加えられます。
「良い扱いではない……」
この時、ある察しのよい国長がつぶやきました。
良い扱いを受けていない子供がいる。一言も口をきかない。その一方で、大人たちの心情に、敏感なほどに自身の表情を合わせている。それが何を意味しているか。
はっきりとしたことはわかりません。が、おそらくこんなところではないか、という推測は頭に浮かんできます。
けれども、察しのよい国長はそこで考えるのをやめてしまいました。彼がしたことは、ただひとつ、ため息をつくことだけでした。自身には関係のないことだと割り切ってしまったのです。
他の国長たちは一層現実的でした。あるいは鈍感でした。彼らが思ったのは「良い扱いではないなら、引き取るにも問題はないだろう」ということだけでした。
その日のうちに、話はつけられました。引き取り先は、少なくとも他の国長よりは懐いている様に見える上に、同年代の娘もいるからちょうどいい、という理由で若長に決まりました。
女の子はその間ずっと黙って静かにしていましたが、今日からうちで暮らすんだよ、と若長が笑って言うと、小さくこくりとうなずきました。
若長は女の子を家に連れて帰りました。
遠方から来た国長たちは、どのみち戦なのだからと、当分帰らないつもりで、兵まで引き連れてきていましたが、若長の家は話し合いの場からわずか一日の距離でした。
それゆえ一度帰ることにしたのです。
彼は、家族が女の子を受け入れてくれるか心配でしたが、妻は女の子の雰囲気をすぐに察してそれ以上は何も言わず、一方で娘は歳が近いせいかすぐに好意的な反応を示し、自分のほうが少しばかり身体が大きいのをいいことに「あたしのほうがおねえさんだからね」と言って、女の子を早速引っ張りまわしました。
その翌日のことです。
若長は、娘と二人きりで一緒に遊んでいる女の子が、その表情になんだか楽しそうな感情を浮かべていることに気づきました。最初、彼は、はて、と妙な気持ちになっただけでした。
けれども、若長の存在に気づいた女の子が、たちまち顔色を変えてしまうのを見るにつけ、ようやく気がつきました。女の子がさっきまで楽しそうに遊ぶ普通の子供の顔をしていたこと、自分が今まで見てきたのは、周りの大人たちの雰囲気に合わせただけの表情であることにです。
同時にそのことが何を意味しているのかについてもまた、察しのよい国長と同様の思考に至ります。
若長は複雑な気持ちになりました。国長として女の子を利用する上では、今のままでいてくれたほうが都合がいいのですが、それが彼女にとって良いことかどうかはまた別の話だと思ったからです。
若長は、自分の娘を基準に、子供とはその心情を思うがままに表に出すべきものだと考えていました。それゆえ、そうではない女の子に対し、なにやらいたたまれないものを感じてしまったのです。
まだ年若いせいでしょうか。あるいは比較的良心的な性格によるものかもしれません。若長はそのあたりを割り切ることができませんでした。そうして代わりに、ちくりちくりとした罪悪感を、胸に感じてしまうのでした。
2012/8/19 新規投稿
2012/8/19 誤字修正