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第三話

 しばしの休憩ののち、話し合いが再開されました。

 また我慢くらべか、と国長(くにおさ)たちは思いました。

 彼らがそう思うのも自然なことでした。間が取れたとはいえ、状況は先ほどまでと何も変わっていないからです。違いといえば、部屋の隅、ちょうど兵法殿(へいほうどの)の真後ろに、女の子がちょこんと座っていることくらいです。


 ところが、どうでしょう。

 始まってみると奇妙なことが起こりました。

 まず、皆が女の子の様子をちらちらと気にします。幾度となく遠慮がちに視線を向け、女の子の姿をうかがいます。

 とはいえ、ここまでは誰もがそうなるだろうと予想していたことです。女の子はそういう、ただいるだけで気にせずにはいられない雰囲気の持ち主だからです。


 けれども、影響はそれだけにとどまりませんでした。

 最初は国長の一人、若長(わかおさ)なのですが、彼が、女の子が不機嫌そうな顔をしていることに気がつきます。ほどなくして他の国長たちも気づきます。

 すると皆が何だか、どうにかしなければならない、という気持ちになってきました。女の子をあんな表情のままにしておいていいのだろうか、という思いがわき上がってきたのです。


 無論、女の子はただの村娘のはずです。その機嫌がどうであろうが、国長たちにとっては本来知ったことではないはずです。むしろ自尊心の強い国長たちとしては「たかが童女(わらべめ)」のことを気にするのはかえって恥というものであり、そのことは皆、理屈としてはわかっています。


 だいいち、女の子が本当に不機嫌なのかも怪しいものです。

 国長たちの幾人かは、先ほど休憩を入れる手前、大人たちの安心した表情を見て、女の子が一緒になってほっとした顔になっていたことを思い出していました。幼い子供が時折そうなるように、けれども普通の子に比べていささか敏感すぎるほどに、大人たちの感情がその表情に乗り移る様を思い起こしていました。

 今、国長たちは、誰もが心の内でいらだちを覚えています。本心では、東との大戦(おおいくさ)をどのように戦い抜くかという議題について互いに論じ、遠慮のない意見をぶつけ合い、まっとうな結論を出したいと思っています。であるのに、現状それがまるでできていません。できなければ破滅があるのみ、であるにもかかわらずです。そのことに大いにいらだっています。

 女の子がいま不快そうな顔をしているのは、そんな大人たちの焦燥感が伝わってしまっているからです。国長たちの落ち着かない気持ちを、その表情に映し出してしまっているからです。


 国長らのうち、察しのいい者はすぐにそれを理解しました。

 けれども理解していたところで、わき上がる気持ちというものはどうにもならないことがあります。ましてや理解していない国長らにしてみれば、ただただ訳のわからない気持ちがわき上がってくるばかりで、なおのことどうにもなりません。

 だが、仕方がないではないか。国長の一人は思いました。あの童女はなぜだか知らぬが気になる。たかが童女と思っていても、ついつい目をやってしまう。その気になる童女が、どうにも不機嫌じみた表情をしていれば、その……何とかしないと、という気持ちになってしまうではないか……。


 兵法殿だけがその流れから取り残されていました。

 女の子は兵法殿のちょうど真後ろに座っていました。そのため、他の国長たちのように、ちらりと視線をやったり、首を傾けたりするだけでは見ることができない位置にいたのです。見ようと思えば身体ごと百八十度後ろにひねる必要があり、話し合いのさなかにそれをやることは、彼も気が引けました。

 皆の様子が何やらおかしいこと、どうやら女の子が関係していそうなことまでは気がついています。けれども、肝心の女の子を見ることができないので、いったいどういうことなのかが理解できません。


 一方、兵法殿以外の国長たちは、気持ちを共有しています。何とかしなければならない、と皆が思っています。たかが村娘の機嫌がどうしたというのだ、とは誰も言いません。そういう気持ちになってしまっているのです。

 彼らは、口をためらいがちに開きかけては閉じ、それから女の子をちらりと見てまた口を開きかけ、といったことを繰り返していましたが、とうとうそのうちの一人、細い目をした国長が意を決したようにこう言いました。

「……東の騙王(かたりぎみ)は、ずいぶんと本気のようですなあ」

 騙王とは王を勝手に騙る者という意味で、本王(もとぎみ)のことです。本王と呼ぶと、彼が王さまとして自分たちの上に立つことを認めることになってしまうので、西の国々では「あいつは王さまなんかじゃない。勝手に騙っているだけだ」という意味を込めて、騙王と呼んでいたのです。


 ともあれ、その言葉が発せられたとたん、待っていたかのように別の国長がこう言いました。

「さよう。何より、かの軍は騙王のもと一つにまとまっておる」

「そのようなことを言って、では我らも貴殿のもと一つにまとまるべきだとでも言うのですかな」

 兵法殿の隣の国長が、いくぶん皮肉がかった口調でそう言いますが、女の子の顔がさっと不愉快そうになったのを見るなり、

「あ、いや、今のは私の失言でした。忘れてくだされ」

と、慌てて訂正します。


 兵法殿はびっくりしました。謝罪の言葉こそなかったものの、国長が他の国長の前で自分の非を認めるなど、今までは考えられなかったことだからです。西の国長たちというのは皆、互いをどこかうとましく感じていて、自分が相手よりも上だと心の底では思っているものだからです。

 だからでしょう。当の国長も「俺はいったいなぜ、失言でした、などと言ったのだろう」と不思議そうに首をひねっています。けれども、女の子の顔がいくぶん穏やかなものに近づいたのを見ると「まあ仕方がないか」とつぶやきました。

 兵法殿には、いったい何が仕方ないのか、わかりません。


 若長にはわかります。女の子の顔を見て、そこにまだいらだちと焦りが残っていることを読み取ります。

「軍の指揮は島長(しまおさ)殿にお願いしてはいかがでしょうか」

 若長は言いました。

 島長というのは、島の多い国を治めている国長の呼び名です。角ばった顔に潮焼けをした肌が貼りついた、いかつい中年男です。彼の国は東の国々との境にあり、これまで何度も小競り合いをしてきました。いわば、西で最も戦経験のある男です。

 島長は少しの間黙っていましたが、女の子の顔色が柔らかなものになったのを見て、

「皆が賛成して頂けるのであれば」

とだけ短く言いました。


 不思議な感覚だ、と若長は思いました。これまでであれば、島長が失敗した時、自分も連帯責任を取らされるのが怖くて、先ほどのような発言はできませんでした。発言したところで、島長から「俺に責任を押しつけるな」と言わんばかりの、露骨に不快そうな反応をされ、恨みを買っていたことでしょう。


 ですが、今回は違います。若長が発言したことで、女の子の機嫌がよくなったのです。女の子の機嫌をよくすることであれば、許されるのです。

 国長たちも「若長め、目立ちおって」などと思ったりはしません。代わりに湧き上がってきたのは、

「いやはや、たかが童女一人に、お互い大変ですなあ」

「あの顔には、不思議と逆らいがたいところがありますからなあ」

「まあ、お互いご苦労ということですなあ」

という何とも言えない気持ちでした。

 そこには他者の発言に対する嫉妬もない代わりに、自己の発言に対する責任もなく、「まあ、童女の表情をやわらげるためなのだから、お互い仕方がないのではないですかな」という、なあなあで曖昧な感覚だけがありました。


 ともあれ、議論が活発化の様相を呈し始めたのは事実でした。

 国長たちは、兵法殿を除き、徐々に忌憚のない意見を述べ始めていったのです。


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