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第十五話

 祈りは届きませんでした。流行り病は一向に収束する気配を見せません。

 怨霊を怖れるがゆえに、普段は死者を粗末にはできない西の人々も、亡骸が多すぎるがために、まとめてひとつの穴に放り込んで埋めてしまう始末です。


 春の初めには季節はずれの台風が上陸します。強風が木々をなぎ倒し、大雨が川を氾濫させ、田畑をめちゃくちゃにしていきます。

 人々はこんな時期に台風が襲来したことに驚き、これもまた祟りの仕業に違いないと怯えます。民をなだめるべき国長(くにおさ)たちも、どうしたらいいのかわからず、右往左往するばかりです。



 そんな中、若長(わかおさ)だけは、落ち着いていました。冷静であったわけではありません。取り乱すための力すら、失っていたのです。


 幾月か前、冬の半ば頃のことです。

 彼の妻と娘は、二人とも病に倒れてしまいました。妻も娘も決して頑強というわけではありませんでした。あるいは若長が変わり果ててしまったことにより、二人の気持ちが沈んでいたことが影響したのかもしれません。

 若長は狂ったように看病をしました。彼の従人(したがいびと)たちが「我々がやりますから」と言っても、若長は怒鳴りつけてこれを退けました。彼はもはや、何やらわけのわからないことをぶつぶつつぶやいたり、脅えたりするのをやめました。

 ただただ、妻と娘に向けて「悪かった……私が悪かった……」と言いながら、二人の世話をしました。


 けれども、その甲斐はありませんでした。

 最初に息を引き取ったのは妻でした。

 それは、よく晴れた日の朝のことでした。陽の光が白い雪を反射し、きらきらと輝いていました。病床の妻は、何度も苦しそうな息をしていました。この日は一段と苦しそうでした。

 若長は必死で妻の名を叫び続けていました。妻は、そんな若長のほほに震える手を伸ばし、そっとなでると「ごめんなさい……」と言いました。「何を謝ることがあるのだ!」と若長が叫ぶように言うと、妻はこう言いました。

「何もしてあげられなくて……ごめんなさい……」

 手がぱたりと落ちました。

 若長は、ああ、とうめき声をあげました。妻は、若長が奇行や八つ当たりを繰り返していた時、何もしてあげられなかったことを謝罪したのです。いえ、もしかすると、その謝罪は、もっと前、女の子がいた頃にまで及ぶものであったのかもしれません。

 妻の言葉は、若長の胸の内に深く突き刺さりました。


 翌日、娘も後を追うように息を引き取りました。

 彼女は若長の手を握り、服の裾を握り、とにかく何かにしがみついているようでした。

 そうして「熱いの……苦しいの……」と言いました。

 何度も何度も言いました。

 やがて何も言わなくなりました。


 若長は茫然自失としました。彼はもはや何かをしようという気力を失っていました。

 来る日も来る日も、幾月もの間、生気のない目で、二人の衣服や飾り物といった遺品をぼんやりと眺めていました。


 春、台風が過ぎ去った頃、彼は近隣の里に向かいました。そして、従人が「長がそのようなことを」と止めるのも構わず、病の民の手を握り、励ましの言葉をかけました。ひとりひとり足を運んで、自らの言葉で元気づけたのです。

 民たちはそんな若長に深く感謝しましたが、若長としては礼を言われる筋合いはありませんでした。

 彼はただ早く死にたかったのです。当時はまだ感染という概念はありませんでしたが、病気の者の近くに行けば、その者も病にかかりやすくなるということは知られていました。若長は、女の子に対する罪悪感と、妻と娘を失った喪失感から、もはやこれ以上生きていたくなかったのです。

 また、妻や娘と同じ病気にかかることで、同じ気持ちになりたいというのもありました。きっと同じ病にかかれば、少しは心が救われるに違いないと思ったのです。


 けれども、若長が病にかかる気配はありませんでした。

 若長は叫びました。

童女(わらべめ)よ、なぜ私を殺さない! お前が一番憎いのは私のはずではないか!」

 問いかけに答える者は誰もいません。それでも若長は問い続けます。陽が暮れ、夜になり、翌朝になってもまだ言葉をかけ続けます。


 そうしているうちに幻覚が見えるようになりました。

「ああ、なんだ」

 若長は、誰もいない部屋の隅を見て、落ち着いた顔で言いました。

「そこにいるではないか、童女よ」


 若長のこうした態度は、翌日になっても、またその翌日になっても変わりませんでした。

 従人たちは困惑しました。無人の部屋の一角を指し、童女がいると若長が言うのです。

 最初は「はあ、そうでございますか」などと受け流していた従人たちも、だんだんと、もしかしたらという気になってきます。

 何しろ若長は妙に落ち着きはらっていますし、彼だけはどれほど病の者に近づこうと平気なままなのです。

「童女殿は本当にそこにいるのではないか。童女殿に敬意を払っているから、若長殿は祟りを受けないのではないか」

 そんなうわさがどこからともなく流れ始めます。


 すると、人々のうちから身分を問わず、ぽつりぽつりと若長の真似をして、見えない女の子が近くにいるかのごとく振る舞う者たちが現れ始めました。死ぬのが怖いがため、頑強な若長にあやかりたかったのです。

 そうして一度やってみると、女の子のあの気にせずにはいられない雰囲気が思い出されます。たとえ見えなくても、女の子がそこにいるかのような気持ちになってしまい、その表情に逆らえない心持ちになってきます。


 そういった心境になっている者同士が会うと、彼らはそろって見えない女の子を気にします。そして、その表情に従わないといけない気になるのです。

 女の子の表情が見えなくても構いません。想像すればいいのです。つまるところ、女の子がその顔に映し出していたのは、皆からにじみ出る気持ちであり、心情だからです。それらを察すれば、女の子がいなくても、今どんな顔をしているのかがわかります。女の子と出会う前であれば、難しかったでしょう。ですが、彼女と出会い、その表情を知った今であればできます。女の子が皆の気持ちをどのように映し出していたのかを思い起こせば、今どんな顔をしているのかが見えてくるのです。見えれば、後は互いにそれに従うだけです。

 また、もし二人のうちの片方だけしか、そういった気持ちになっていない者だとしても、相手がちらちらと何かを気にしている様子は女の子を思い起こさせます。祟りのこともあり、女の子を批判するようなことは口にできません。表だって言えない以上、相手に合わせて何かを気にしてみる振りをします。そうしているうちに、その者も女の子のことを思い出していきます。結局、別れる頃には、相手もまたそういった心持ちになってしまうのです。

 こうして、女の子は少しずつ人々の心のうちによみがえり始めました。


 流行り病が終息したのは、ちょうど西の人々の心の多くに、女の子が思い起こされた頃のことでした。

 人々は叫びました。

「われらが童女殿に敬意を払ったおかげだ!」

 その時分には、もはやこの習慣は広く定着しており、正面から批判できるものは誰もいませんでした。人々は、次なる祟りを恐れ、病がおさまった後も、立ち振る舞いを変えようとはしなかったのです。

 また裏で批判していた者たちも、今や少数派となってしまった以上、自分たちだけが異なる振る舞いをするわけにもいかず、そうして皆と同じように日ごろから女の子を気にする素振りをしているうちに、だんだんとその気になっていったのです。


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