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第十一話

 西が敗北してから、十日余りが過ぎました。

 西の軍は、島長(しまおさ)の国の里のひとつに集まっていました。そこは海に面した大きな里であり、食料の備蓄が豊富で、また交通の便もよいということで、東の軍と戦う際は、この里に集まることになっていたのです。

 散り散りになっていた西の軍は、自然とこの里に集まります。集まった彼らは、軍としての体裁を整え、敵軍を警戒し、いつでも戦えるように備えます。


 そうして五日ばかりが過ぎ、どうやらすぐには攻めてこなさそうだということがわかると、今度はじわじわと現実が思い起こされます。負けたという事実が皆の心にのしかかってくるのです。とりわけ国長(くにおさ)たちは憤り、後悔し、何より不安に思います。


 自然と話し合いの場が設けられました。ともかくも不安を語らい、今後のことを決めて安心したいという気持ちが、彼らの内にはありました。

 国長たちと女の子は、里で一番大きな建物に集まります。


 女の子は無事でした。彼女は戦場(いくさば)の後方にいて、合戦には直接加わらなかったので、護衛の兵たちに連れられて逃げのびることができたのです。

 また、若長(わかおさ)の伏兵のおかげというのもあるからでしょうか。国長たちもその多くが無事でした。若長も島長も兵法殿(へいほうどの)も無事でした。

 とはいえ、中には傷を負って動けなくなった国長や、あるいは白髪まじりの国長のように行方がわからなくなった者もいました。そういった国々は、たとえば戦に同行していた国長の息子などが代理として参加していました。代理などでは話にならん、などとここにきて文句を言う国長はいません。何はともあれ、彼らはこれから先のことを決め、ひと心地つきたかったのです。


 ところが、いざ輪を作って座ってみると、気持ちが変わってきます。

 はじめ、国長たちは安心を覚えました。見知った顔が多く並んでおり、またいつも通りの話し合いが行われるということに、ほっとした心持ちになったのです。

 すると今度は、先ほどまで不安がっていた自分が急に恥ずかしくなってきます。そんな自分を否定したくなります。嫌な自分を否定するには、誰かのせいにするのが一番簡単です。

「俺はさっきまでちょっと妙な気分になっていたが、それは決して俺のせいではない。あいつのせいで、あんなことになったからだ」というわけです。

 あんなこととは何でしょうか。負け戦です。他にありません。

 では、あいつとは誰でしょうか。すなわち、誰のせいで負け戦となったのでしょうか。


 自分だ、と若長は思いました。

 彼は総大将です。何かあったら責任を取るのが仕事です。

 無論、名ばかりの大将です。誰も彼の言うことなど聞いてくれませんでした。

 ですが、それを主張したところで、自分にとって具合の悪い話など誰も聞きやしないでしょう。あるいは、若長の伏兵のおかげで全滅をまぬがれることができたという事実もありますが、これにしたところで、そもそも負けたのは大将であるお前のせいだと言われてしまえばどうしようもありません。


 まずい、と若長は思いました。

 同時に、これはもうどうしようもない、と思いました。


 若長の脳裏を、この先の自分に対する悪い想像がぐるぐると駆け巡ります。

 初めは西の他国から、作物の上前をはねさせろだの、労役の人員をよこせだのという高圧的な要求が突きつけられる光景が想像されます。断れば、他国はよってたかって武力で脅してくるので、従わざるをえません。

 続いて、こんな国長になどついていけないと考えた従人(したがいびと)たちが反乱をおこし、国長の地位を追われてしまう姿が浮かんできます。国長ではなくなった若長と彼の家族は、民たちから嘲りを込められて石をぶつけられます。妻はこらえるように、娘は大声で泣き出します。

 そこへ他国の国長からの使者がやってきます。救いの手かと期待したのもつかの間です。「本王(もとぎみ)様。近頃、戦場で本王様を困らせていたのはこやつです。どうぞ煮るなり焼くなり好きにしてください」と、東の本王のご機嫌取りのため、いけにえに差し出されてしまいます。

 若長と彼の家族は東の牢に入れられます。牢は格別劣悪なものでした。陽が射さず、沼のようにじめじめとしていて、悪臭が漂い、いたるところに虫がわいています。妻と娘は、たちまちのうちに体調を崩します。病を得て、熱を出し、頬がこけて、肌の色が渇いた土のようになっていきます。若長は必死に二人に声をかけます。身体を抱き寄せ、声をかすれさせながら、何度も呼びかけます。何日も叫び続けます。

「お願いだ、目を開けてくれ!」

「大丈夫だ! きっと私がなんとかする! だから……」

 最後はもう名前ばかりを呼び続けます。

 けれども、妻も娘もその言葉に反応を示すことはありません。

 なぜなら、もう二人とも……。


 そこまで想像したところで、はっと若長は我に返ります。そうです。ただの想像です。ですが若長はこれを現実にはありえないことだと断じることはできませんでした。この時代、このようなことは決して珍しくはなかったからです。


 ところが、どうでしょう。

 若長の心配をよそに、国長たちは誰ひとりとして若長を見ようとはしていませんでした。

 彼らの視線は一斉にひとりの人物に向かっていたのです。


 女の子です。

 国長たちにとって、女の子は初めからそういう存在でした。初対面の時からそうでした。

 今まで彼らがのびのびと意見を言うことができたのは、女の子の表情さえ読んでいれば、何を言っても自分たちの責任にはならないという安心感があったからです。自分たちはただ童女(わらべめ)の顔色に従ってものを言っているだけに過ぎない、という意識があったからです。

 若長だけはそういう意識を忘れていました。女の子と出会った当初は、彼もまた心の底にどろりとした形でそれをはっきりと持っていました。ですが女の子を預かり、一緒に暮らし、何度も話しかけているうちに、そのような意識は心の底に沈んでしまっていたのです。

 他の国長たちは違います。国長たちも、代理で来ている者たちも皆、話し合いの場での女の子しか知りません。不思議な雰囲気を持ち、いるだけで気にせずにはいられない存在であり、皆の気持ちを反映し、話し合いの方向性を自然と定め、そして何かあった時には責任を取ってくれる。そういう存在だったのです。


 女の子は何か決意を固めたような表情をしていました。やるべきことはやらなければならない、という心情がそこには込められていました。無論、女の子自身の決意ではなく、国長たちの気持ちを映し出したものに過ぎません。


「さて」

 兵法殿が口を開きました。

「責任は取らねばなりませんな」

 彼は女の子と初めて出会った時、自分一人だけが女の子の雰囲気を感じ取れず、疎外感を味わったことを思い出していました。その時の疎外感は、今や時を経て、私だけが童女に対し、一線を置いた冷静な対応ができるのだぞ、という自己評価へとすり替わっていました。

 それゆえ、兵法殿は他の国長らが言いづらいことでも、平気で発言することができました。今こそ自分が女の子に対し、理知的な処断を下す時だと思っていたのです。

「そうでしょう、若長殿」

「え、あ……」

 国長たちの視線が若長に集中します。

 今の状況がまだ上手く受け入れられない若長は口ごもります。けれども女の子の冷たい視線を受けて、思わずうなずいてしまいます。

 そうしてすぐ、若長は思うのです。

 やはり、こうなってしまうのか……。そうだ、あの童女は何もわかっていない。大人たちが何の話をしているのか。自分をどうしようとしているのか。何もわからないまま、ただその鋭敏な感覚で、皆の気持ちを映し出しているだけなんだ……。


 ……え?

 若長はおかしなことに気づきます。 

「やはり」とはなんだ?

 考えます。はっとします。意味に気づきます。

「ああっ……!」

 とたん、若長はうめき声を上げました。同時に強烈な自己嫌悪がわき上がってきます。

 心の底に沈めていた自らの本心に、気づいてしまったからです。

 若長は、女の子が、自分に対しては気持ちを表に出すように望んでいました。

 けれども、他の大人たちに対してまで心を見せることなど、望んでいなかったのです。そんなことをされてしまっては、女の子が話し合いの場で役に立たなくなってしまうからです。自分にとって都合の悪い存在になってしまうからです。

 だからこそ、去年、女の子を初めて白く着飾らせた時、彼女の独特な雰囲気がそのままであることに、若長は「ほっと」したのです。夏の昼下がり、娘がいなくなると女の子がいつもの童女殿に戻ってしまうことに「安心」したのです。眠れない女の子をあやしている時、女の子が若長と妻以外の大人の前では、今まで通りの反応を見せることを思い出し、上手くいっていると「嬉しく」思ったのです。

 だからこそ、若長は自身と妻以外の大人に、女の子と親しくさせようとしなかったのです。彼と女の子の思い出には、話し合いの場以外、妻と娘しか出てきません。そう若長が望んでいたからです。

 その結果がこれだ。若長は思いました。話し合いの場では、童女は私にとって都合のいい存在であり続けてくれた。館にいる間は、私は童女に対し、優しい良心的な大人でいることができ、罪悪感を忘れ、いい気になることができた。そうして、いざ誰かが責任を取らなければならないとなった時、私は彼女を見捨てようとしている。はは、なんだ、それは……。いったい、私はどこまで……。


 若長は、せめて今からでも女の子を守ろうと口を開きました。今さらだと思いながらも、言葉を発しようとしました。けれども、言葉が出てきません。下手に動いて、細い目の国長のようになってしまったら、という恐怖がじわりと染み出してきます。妻と娘の顔が浮かび上がってきます。「いや、国長たちにしても童女が必要なことはわかっている。だからひどいことにはならないはずだ」と自分に言い聞かせるような言葉が脳裏に響いてきます。

 口が開いては閉じ、開いては閉じます。言葉は出てきません。


「とはいえ、童女のしたことです」

 兵法殿は言いました。

「ここは三ヶ月ばかり上牢(かみろう)に閉じ込めておくということでいかがですかな」

 上牢とは、木造の建物の室を使った牢のことです。不衛生な牢とは異なり、閉じ込めたからといって病にかかるものではありません。

 まあこのあたりが妥当だろう。

 兵法殿はそう思いながら、いつもの癖で女の子を見ました。


 ぎょっとしました。

 女の子が刺すような目で彼を見ていたからです。

 なんだなんだ重すぎたのか? 兵法殿は慌てます。

「……と言いたいところですが、これから冬です。寒さは童女にはこたえます。ひと月でよいでしょう」

 取りつくろうように、こう言います。

 女の子の目がますます鋭くなりました。


 兵法殿は困惑しました。彼は女の子にそこまで重い罰を望んでいるつもりはなかったのです。ただちょっとばかり痛い目を見て、それで兵法殿からすれば澄ましているように見えるその顔がちょっと泣き顔に変わってくれれば、それでよかったのです。

 他の国長たちも、厳罰を望まないという点では兵法殿と大して違いはありません。だいいち女の子が健在でいてくれなければ、話し合いがまとまりません。これまでばらばらだった彼らが意見を統一できたのは女の子のおかげです。戦に負けたのを女の子のせいにしたい気持ちはあっても、女の子がいなければそもそも軍がまとまることもできず、戦にすらならなかったということは理解しています。

 理屈の上では、です。

「で、では半年……」

「一年……」

「二年……」

 兵法殿が、とまどいながらも、女の子に与える罰を重くしていきます。そのたびに、女の子の目つきがわずかばかりも緩まないことに困惑します。

 とうとうやけになったように、こう叫びました。

「百年!」

 女の子の表情は変わりませんでした。



 女の子はただ今まで通り国長たちの感情をその表情に映し出していただけでした。


 ある国長は女の子の必要性を理解していました。

 けれどもその一方で、自分は「たかが童女」の顔色をうかがっているのだ、という意識がありました。それは最初に出会った時から抱いていた感情であり、彼にとって恥以外の何物でもなく、転じてそんな恥を自分に与える女の子への嫌悪感にもつながっていました。女の子を神秘的に着飾るなどして、そうした感情は普段は意識の底に押し込めていましたが、心のうちには黒くはっきりとこびりついていたのです。


 別の国長は女の子がいなければ西は滅ぶとさえ考えていました。

 ですが、ただの童女であるのに、皆をまとめるという大の男たちが誰もできなかったことを成し遂げたことに対する薄暗い嫉妬もまた心の底にどろどろと流れていました。


 それらの感情は、女の子に罰を与えることができるという権利を手にした時、国長たちの内から滲み出て、あたりに漂い始めました。そして、ほどなくして女の子の表情に憑依し、場を強い力で支配したのです。()ではありません。子供相手に、大人の唱える理など通じません。気持ちです。気持ちだけがただ女の子に伝わり、場を覆う力となったのです。


 国長たちは、いまや自分たちが目に見えない何かに束縛されているのを感じていました。そこには理屈も筋道もありません。たとえ皆が理の上では間違っていると考えていることでも関係ありません。ただそれに皆が従わなければならないという強烈な脅迫感だけがあったのです。

 その脅迫感は、ある時は西の国々を団結させ、勝利に導きました。このままでは東の本王に滅ぼされるという恐怖が場に漂っていたからです。

 その脅迫感は、ある時は西の国々の作戦を迷走させ、敗北に導きました。島長と兵法殿に対する嫉妬心と、本王を見くびりたい気持ちが場に漂っていたからです。

 その脅迫感は、いま一人の女の子にあたえうるかぎりの罰をあたえようとしていました。彼女に対する嫌悪と嫉妬心が場に漂っていたからです。



 若長は茫然としていました。なんだこれは、いったいどうしたというのだ、と混乱した頭で、どうにか考えをまとめあげようとします。

 若長だけではありません。他の国長たちもどうにかしたいと思っていました。嫌悪や嫉妬は確かにあるにしろ、理屈の上では、自分たちが正しいことをしようとしているとはとても思えなかったからです。

 ですが、誰も何も言えません。いま女の子がいなくなったら西はどうなるのか、というもっともな発言は誰の口からも発せられることはありません。

 言った途端、細い目の国長のように、その国長に対して何をしてもいいという雰囲気が生まれてしまうのではないか、という恐れがあったからです。そうなった時、自分はどうなってしまうのか、と思うと何も言うことができなかったのです。


 唯一、口から出すことができるのは、女の子への罰を重くする発言だけです。

 それでも、彼女の顔からは、なかなか険しさがとれません。

 女の子の表情がようやく穏やかなものになったのは、兵法殿が疲れ果てた様子でさんざんためらったすえに、

「……死罪」

と一言言った時でした。

 女の子の処刑が決まりました。

2012/8/26 新規投稿

2012/8/26 誤字修正

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