Phase.5-26
分かってはいた。
それでも随分と保ったと言うべきなのだろう。
魔導による誤魔化しも時々入れていたから、彼女にも悟られずに済んだ。
義務付けられている健康診断も検査機関をクラッキングして、日常生活に問題ない程度の結果と数値に書き換えたりもした。
だが、その誤魔化しもそろそろ、無理のようだ。
あくまで、誤魔化していたのだから、それが好転するという事はない。
むしろ悪化しているのが当然と言うべきである。
それでも、自分の側にいる女性を悲しませるなという姉の言葉通りに自分を誤魔化し続けた。
上司でもある姉はそれに気付いていたが、本当に辛い時にだけしか彼に手を差し伸べる事はしなかった。
彼がそれを望んだのではなく、彼女はそういう行動を取っていた。
彼のそれを認めつつも、やはり、心の何処かで認めたくないという二律背反の気持ちが存在するからだった。
そして、限界は至って普通に、当然のように、当たり前に訪れた。
◇
蒼白い瞳の男に出会ってからというもの、世界がおかしな風に映る。
実際に起きたことと、己の記憶と微妙なものから大きな差異がある。
どちらが正しいのか、それともどちらも間違っているのか判断が付かない。
付けられないと言い換えた方がいいのかもしれない。
しかし、それでも世界に大きな変化はない。
ただ、この国では軍の保有が世界から認められなくなったと言うくらいだろうか。
もともと、軍を保有はしていなかったが、抜け道のような言い分で軍隊のようなものを保有していた。
それを10分の1位に縮小する方向で決着がついた。
壊れた校舎の代わりに昔ながらの急造のプレハブで授業を受ける事以外学生には特に変化はない。
彼らが色々と暴れすぎた影響でほぼ建て替えを余儀なくされた学校関係者は資金集めに苦労し、最終的に校長や理事長が自腹を切ったとかなんとか。
そんな話は生徒には関係ないのだが、工事が済んだ後の全校集会で、
「私たちのお金で生まれ変わった校舎を大切に扱うように」
と、言われた時の生徒のなんとも言えない空気は思い返せば笑うところだったのかもしれない。
ある意味、言い換えれば、この校舎は身銭を切った私たちのものだと、告げているも同然だった。
◇
「残念ですが、私どもにはもう手の施しようがありません」
絶望的な言葉。
なんとなく、おかしいなと最近になって気付いたものの、本人の口から伝えて欲しかったと思う。
余りにも普通過ぎて気付かなかった自分を問い正したくも、すでに彼の身体は死の縁でふらついている。
医師の言葉を本人に伝えると、
「そうか」
そんな一言しかつぶやかなかった。
随分と保ったなとそんな響さえも感じられるのは彼と長い時間の共有した結果なのか。
いずれ彼との永遠の別れがあるということも少なからず分かっていたが、それが、もうすぐそこに迫っているとなると、自らの半身が引き裂かれるようなありもしない痛みが全身を走り抜ける。
「そんな顔をしなくてもいい。
俺が長く生きられないと言うことはもう分かりきっていたことだ。
それにお前もまだ若いんだから、別の出会いがあるんだ。
死別なんてそう少ないことじゃない、むしろ当たり前のことなんだ。
自分の周りの親類が死んでいないのは珍しいことであっても、ただ後回しになっているだけ。
誰にも知られずに死ぬんじゃないんだ。まだ幸せな方さ」
「……未練は、ないの?」
「ない。
ここまで生きられたんだ、十分だよ」
ベッドに横たわる彼の姿は弱々しくも、十分に生きたということを象徴しているようなそんな視線に自然と涙が溢れてくる。
どうして彼が死ななくてはならないのだろう?
医師はどうして匙を投げるしか出来なかったのだろう?
事実を淡々と告げる彼らに彼女はなんて機械的な言葉と思っていた。
そこに人間的な躊躇いや、助けられない苦しみなどが混じっていてもいいのではないのか。
そう思えない程の経験をしてきたのだろうか。
だとしても、演技でもいいから残念そうな雰囲気を出して欲しかった。
病院を後にしてある人物に連絡をする。
しかし、彼女の反応も、諦めにも似た響きの一言。
「分かっていた事だからね。
彼の魔力に対する感応性が高められた事による反動っていえばいいのかな。
薬やら暗示と言った方法で遺伝子レベルで改変されたようなものだからね。
目に見えて老化しないのが、救いなんじゃないかな?」
人間の身体であるならば、20歳を過ぎてから少しずつ老化が始まるが、見た目で分かるのはそれなり年を重ねてからだ。
話にならない。
どうして姉として自分よりも長く時間を共有してしてきたにもかかわらず、こんなにも、淡白な反応しか出来ないのだろうか。
彼女よりも短い間ではあるが時間を共有して来た自分はこんなにも悲しいのに。
◇
「ねえ、わたしはどうしたら…」
単語までは喋れない子供にそんなことを相談しても答えが返ってこないことは分かっていても、そうせざるを得ない程、追い詰められていた。
相談できるような友人は、何かの冗談だと思って話を聞こうともしない。
必死さがにじみ出ていても、あの男がそんな簡単に倒れるようなことがないというある種の認識が彼らの思考の邪魔をしていた。
確かに、自分は医師に言われるまで彼の容態が死ぬような程酷いだと気づけなかった。
不調の兆しは確かにあったが、今まで見たこと無いというより、普通の人間として彼を見ていた為、そんな当たり前のことをそこまで気にする必要がないと自分自身が思い込んでいた。
彼が普通でないと、義理の姉から聞いていたにもかかわらず、普通の人間として接していたが為に起きてしまった。
綺麗過ぎる瞳には自分の顔が映っている。
子供には彼女のそんな思いはまだ理解出来ない。
出来るのは母親に甘えることぐらいだ。
小さな身体を壊さないように、しかし、その存在を確認するように強く抱きしめた。
◇
自分の身体が死にかけているのが分かる。
何度も死線を潜ってきたとはいえ、死が怖くないわけではない。
それでも、やはり、自分が近いうちに死ぬと分かると諦観とも達観とも思える何かが、確かに息衝き始めていた。
やり残したことも、考え付くものに限っては達成された。
心残りといえば、彼女達のことだろうか。
とはいえ、彼女達にはまだまだ時間がたっぷりと残されているのだ。
自分がいなくなったことで、生まれた傷は時間そのものが癒してくれるはずだ。
◇
彼の身体に接続される機械に表示される彼の反応が日々少しずつ弱くなってきている。
毎日同じ時間に彼の病室を訪れているからこそ分かったことだった。
数ヶ月前までは普通に生活していたように見えた身体も今は筋肉や脂肪が落ちて細くなっている。
握った手にかかってくる彼の力も落ちている。
いつか自分の手をとってくれたときの力強さを思い出し、今の姿を見て涙が零れ落ちそうになる。
ああ、泣きすぎて頭が痛い。
…………………
…………
……
いつの間に眠っていたのだろうか。
泣きすぎからくる頭痛も治まっている。
ただ、変な体勢で寝ていた所為か背中がとにかく痛い。
辺りは暗闇に閉ざされて遠くからの街の明かりが淡く見える。
CTを取り出し、時間を見てみると面会時間はまだ過ぎていない。
母に子供を預けているので、一応遅くなってもいいのだが、自分の子供だからこそ、寝ている時くらいは自分の傍にいさせてあげたい。
「悪かったな」
彼がそんな事を言う。
自分には何が悪いのか理解出来ない。
子供を作るのが絶望的と聞いていたが、自分との間に子供が生まれた。
そして子供には彼のような異常とも思える症状は見受けられなく、至って健康そのものの身体。
自分と結婚したことを後悔するのであれば、もう既にしている。
子供も作らずにそのまま直に分かれていた、もしくは付き合うこともしなかった。
ただ悪いのは、自分が義姉から聞いていた事を眉唾ものとして信じていなかった、信じようとしなかったことだ。
峠と彼の主治医は言っていたが、彼は会話出来るくらいの余裕はあった。
もしかしたら、魔導による補佐があるのだろう。
だが、誰も何も言わない。
彼の身体に負担が掛かると分かっているとは言え、これが最後かもしれないという恩情だった。
「そんなこと言わないで、わたしはそんな風に思ってないから」
自分は幸せだった。
今は悲しくとも、彼と過ごした時間をそんな陳腐な言葉で表して欲しくはない。
それでは、自分と共に歩まなかった方が幸せになったかもしれないと言われているような気がしてならない。
それを彼自身に否定して欲しくはないのだ。
手を握る。
大きな手。
子供が手を伸ばす。
どうやら、自分も彼の手に触れたいらしい。
彼から手を離し、子供を抱き上げる。
ベッドの横に近づいて、
「パパの手だよ」
子供の身体を支えながら、彼の手に触れさせる。
小さな手が彼の細い指を掴む。
生後、新生児室で悪戯に彼が左右の指を子供の指に握らせ、そのまま持ち上げるという奇行を思い出した。
その時には、子供は手を離すことなくしっかりと確かに彼の指を掴んでいた。
それを見て彼が微笑んでいたのが少し印象的だった。
近くを見ているようでどこか遠くを見ているような。
「…ぁ」
言葉にならない言葉。
これを使うのは誰か。
彼かそれとも子供か。
「…ぁ…」
単語にならないただの音であるならば、泣くことで発せられる。
泣くことが仕事でもあるのでこれはいい。
「…ぁぱ」
「うん、パパだよ」
「ぱぁ、ぱ?」
「うん」
最初の言葉が自分ではなく彼というのは寂しくもある。
しかし、単語でもいいから何かを話したのは素直に嬉しい。
「鏡介君、聞いた?」
「聞こえたよ…」
「喋ったよ、喋ったんだよ」
彼の語尾が先程よりも弱々しい。
「最初に喋ったのが鏡介君のことなんて、妬けちゃうな。
だけど、それもしょうがないね、今日は鏡介君の誕生日だもんね」
厳密には違うが、彼の戸籍には今日が誕生日だと記されている。
自分も結婚指輪とは違う、ペアリングを買ってきている。
自分の指に嵌めて、彼の指に興味をなくしたと思われる子供は彼の身体に寄りかかり、甘えているようなそんな動作をしている。
その隙に彼の指に、リングを嵌める。
「これは」
なんて巣晴らしいGiftなんだろう。
何か丈夫な糸が切れたような感覚。
機械がアラートを鳴らし、医師と看護師が飛んでくる。
少し息が切れているのは年甲斐もなく全力疾走してきたからだろうか。
必死に救命措置を施そうとしているが、彼女はそれを阻む。
泣くことも出来ずにただ首を横に振る。
彼はこれ以上生きることを望まないと考えたからだった。
生きて欲しいのは自分の願望ではあるが、そんな押し付けるようなものは彼自身が望まない。
そんな様子を見て医師達は、彼の死を決定付けた。
◇
「ねえ、ママ、パパについて、っていう宿題が出たんだけど、パパってどんな人?」
「鏡介君はね…」
了
思った以上に時間が掛かってしまいましたが、
この話でGiftは完結です。
いかがだったでしょうか。
やはり、面白くないと思われる方が圧倒的に多いのでしょうね。
中にはこういったものが好みと言ってもらえれば個人的には嬉しいですね。
鏡介は死んでしまいますが、一応ハッピーエンドということにしています。
あまりハッピーエンドに見えませんが、彼の視点で見れば十分幸せなのではないでしょうか?
自分自身の力不足に関しては謝らなければなりませんね。
もっと上手くなりたいものです。
この作品を通して何かを感じてもらえれば幸いです。




