Phase.1-2
教室の前後に黒板があるのはどの世界も共通のようだ。
しかし、各机の上にノートパソコンが備え付けられているのはこの世界だけだろうか。
それとも鏡介は何処か別の世界に移り住んだのだろうか。
自分が教育を受けるときは机の数は生徒の数よりも少なく、早い者勝ちだった。
しかし、その上に置くものを持っているとは限らずただ机と椅子に座れるという優越感に浸りたかったのかもしれない。
紙もペンもない口頭だけで教育を受けるのは実際大変だった。
鏡介自身は教本を持っていたがあまり机と椅子に座る事はなかった。むしろ授業に出る回数も少なかった。
過去と現在を比べても意味がないのにもかかわらず、その時の情景が脳裏に焼き付き、自分はずっとこの光景から目を逸らすことは出来ず、彼らとは違う存在だと認識を強めてしまう。
では窓側から自己紹介をと、教壇に立つ担任教師―多田野 仁志が右手で窓側一番前の席に座る生徒を促す。ハッとして顔をあげると窓側の女子生徒が椅子を静かに引いて立ちあがっていた。
「え~っと、アイン・アーチャメントです。特技は…」
あらかじめ決まっているテンプレートに則った自己紹介。
そういえば自分はちゃんと名乗ったことないな、再度昔いた―生きてきた―世界を思い出し、この世界の温かさにうすら寒ささえ感じる。まるで、寒い場所から急に暖かい場所へ移動してきた時に感じる寒さのように。
「ん?」
教室が静まり返り、鏡介は視線が自分に集まっていることに気付いたが、何故自分に集まっているのか分からない。殺気などであれば即座に反応できるのだが、遊びで殺すぞ、とか言っているような連中に殺気は放てるはずもない。
取り敢えず顔を上げると、社会の荒波に呑まれ沈みかけたような視線が彼に当てられていた。
隣に座る男子生徒がお前の順番だよと教えてくれるまでその視線の意味に気付くことはなかった。
静かに立ち上がり、
「検、いや、白銀 鏡介」
危うく昔の名前を言うところだった。未だに白銀 鏡介を名乗ることに慣れない。
検体№6100。それが彼本来の名前。物心付いた時にはそう呼ばれていた。数字の名前が長かった為、現在の名前である白銀 鏡介と名乗ることにまだ抵抗がある。
数字で呼ばれない時は鏡と呼ばれていた。
ただその言葉に反応したからだと名付けたと研究員は言っていた。
軍に入隊した時に便宜上付けられたのが白銀 鏡介であるが、やはり数字で呼ばれる方が多かった。
言うだけ言って着席した鏡介に周りの生徒はそれ以上を望んでいるようで、一時的に騒がしくなるが、それ以上言えることがそもそもない鏡介は押し黙ることしか出来ない。
もしも、自分は約2年前までは戦場を駆け回って敵兵を殺し、兵器を破壊してましたなんて告げたところで誰も信じないであろう。仮に信じたとしても、そんな過去を持つ彼に好き好んで近付くものはいない。ならば、隠しておいた方がましだ。
それに卒業までにまともな人間関係を築けるとは到底思えないのが本音である。
しばらくすると担任が先を促し、鏡介の後ろの生徒が自己紹介を始めた。
全員の自己紹介が済むと、
「では、一通り自己紹介も済みましたし、ここから本題に入りましょう。
これから検査着と診断表を配りますので、受け取ったら男子は第一検査室、女子は第二検査室に向かって配った検査着に着替えて下さい」
検査着は男女で異なるものではないらしく、袋詰めにされたそれを列ごとに配っていく。手術着に似たそれを受け取った生徒は馬の合いそうな生徒ともに教室を出ていく。
人の仕分けみたいだ。そう思った時にはもう遅い。
自分と同じか似たような子供の命乞い。
肉体が感じ取れる限界の痛みを与えられた時の絶叫。
目の前で処理された先程まで一緒だった仲間が、物として扱われていく過程を有無を言わさず見せられ次は自分の番だと、宣告された時の恐怖による精神が破壊される映像。
それは、あの世界では正しいことであった。
この世界で正しいことではない。
しかし、その所為で今の自分がある。
何かが違えば自分は向こう側で泣きながら、叫びながら死んでいったのかもしれない。
あの時、自分じゃなくて良かった。そんな非常識なことを考えていた。
偉くもないのにその光景を俯瞰していた。
死にたくないと叫ぶ、もしもの自分。
痛いと絶叫する、もしもの自分。
訳も分からず、死んでいくもしもの自分。
痛みを感じていなかった訳ではない。
ただ、人が死ぬのは嫌だなと完全に他人事のように思わなければ精神が保てなかっただけだ。
そして、№6100は唯一の成功体となった。その代償は約6000人の命が犠牲となり、また成功した為に必要のない物は綺麗なはずなのにもかかわらず消されていった。
この検査着は世界共通なのだろう、昔着ていたものと全く同じだ。
これは人の仕分けみたいではなく、仕分けそのもの。
個人の才能、性質を調べ、データとして仕分けする。一応ここは学校機関なので個別指導するという名目で存在するが、やっていることは変わらない。
思い出した地獄を頭を振り消し去ると溜息交じりに立ち上がり、人の流れに乗って検査室へ足を向けた。
検査室に到着すると脱いだ服と靴を一時的に入れておく籠が渡され、早く着替えるように、検査技士の助手らしき人物に促される。検査室の隅まで進み、そこで灰色のパーカーと朝適当に選んだTシャツを脱ぎ、そそくさと道中で袋を開けた新品の検査着に袖を通す。鏡介個人としては、裸を見られても特に気にしないのだが、ここにいる生徒は皆“綺麗”なのだ。
先程の自己紹介で何も言わなかったので、銃傷や裂傷といったものが身体のいたるところにあるそれを綺麗な人間に見せるわけにはいかない。もしかすれば、無意識の内に鏡介自身がそう思っているのかもしれない。
やれやれと首を振り、自分の番を待つ列の最後尾に並び、検査の順番をただ待っていた。
誤字脱字がありましたらご連絡下さい。