Phase.1-1
「え~であるからして~」
何度同じ言葉を言えば済むんだ。そんな空気が月宮学園高等部生徒全員から少しずつ時間を掛けるごとに大きく漏れ出し、全校生徒を収容してもまだ余る程の広さを誇る講堂に広がっていく。
それに引き換え教師陣は壇上で熱弁する高等部の長を崇拝にも似た眼差しを向け、言葉の要所要所で感心するように何度も首を縦に振っている。中には生徒同様いつまで続くんだと顔をしかめ、般若の面のような顔がさらに恐ろしくなっている教師が鏡介の視界の隅に映った。
ああ、この学園には教師陣の派閥のようなものがあるのかと、過去の景色と似たようなそれを見つけて鼻で笑う。
ふと姉から入学祝いとして貰った真新しい時計を見てみれば、校長先生が話し始めて二十分も過ぎている。校長が壇上に上がり、生徒を座らせたのはこの為かと、彼も話が長いことを自覚していることに思わず拍手を送りたくなる。勿論それは皮肉である。
しかし長い。いくら良い椅子を使っていても疲れることには変わりない。座り続けても疲れない椅子はこの講堂には設置されていないようで、時折もぞもぞと動く生徒がちらほらと出て来始める。そんな彼らを忍耐のない奴だと目で訴えているように一瞥した校長は気を取り直して話を続ける。しかし校長もまた足の重心を右に左に変えているのでフラフラと動き、人の事を言える立場ではない。
持参したペットボトルのミネラルウォーターを時折口に含むと、いい加減にしろと生徒からの視線が憎悪を含むものへと変化していく。既に半分以上呑んでいるので空気と水面の境界線が徐々に空気に浸食されているのを見ていると、鏡介は勿体ないと自分の常識でそう判断する。
好きに水を飲むことは出来なかった。味気ない水分を取られるレーションと一緒に渡される水はあまりにも少なかった。ひどい時は殺したばかりの人間の血を水の代わりに呑んだ事もあった。
そんな非常識な校長の姿を見たくなくなった鏡介は椅子を離れ腰を落とし、壁側通路の方へ進み、近くの教師にトイレに行くと伝え、重い扉を押し講堂から出た。
「外には出れないか…」
軽く息を吐く。LEDライトに照らされた通路は汚れや埃が一つもない。病院にある無菌室を思わせるこの空間は綺麗過ぎて自分自身が異物かと錯覚されたのは自分だけではないだろう。入って来た入口の扉は、堅く閉ざされ荒っぽい方法でしか開けられないと物語っていた。
仕方ないのでその辺りをぶらついてみても、意外に行ける場所がない。最上階から講堂内を見下ろした時に見えたのは未だ話し続ける校長の姿。既にミネラルウォータのペットボトルは二本目に突入していた。ハッキリ言って真面目に聞いている生徒が哀れに思えてくる。 何故自分のように抜け出すという選択肢を持てないのか不思議でならない。
いや、彼らは、このような式で抜け出さずに真面目に話を聞く―必ずしも聞くとは限らないが―事が普通であるとそう学習している―もしくはされている―為、彼のような極端な思考には至らない。
「校長って“長”って書く割には対して才能も実力もないんだな」
他の教師をざっと見てみればそれが分かる。
ここの教師はかなりの実力を持っている。
才能自体は人それぞれだが、実力だけを見れば弱国と戦争をすれば恐らく勝てるであろう。
彼は名ばかりの人物であり、ただの傀儡だ。彼自身がその事実に気付いていないのは滑稽である。
俗に言う、日本で一番偉いのは誰と人に聞くと総理大臣と答えるそれに似ている。
本当に偉い人物は表舞台には立つことはない。
しばらくうろついてみたものの目ぼしい物はなく、教師に告げたトイレの個室に潜り込む。
便座の蓋を下ろし、そこに腰を掛ける。何かをするわけでもなく。
「これが平和ってことなのか」
意味があったのかも分からない殺戮をただ繰り返し、生き残ることしか考えていなかった非日常を日常にしていた鏡介にとって、この日常は未だ慣れず、精神をある意味で擦り減らしている。
しばらく何もせずただ時間が過ぎるのを待っていると講堂から足音が聞こえてくる。やっと終わったのか、耳に入ってくる声に覇気がない。静かに個室を出、適当なところで流れる生徒の波に乗る。もうクラスの人間は戻っているのだろうか、となんとなく思ったが、それも杞憂に終わった。3mぐらい後方に一度見たら忘れることの出来ない体型の人物が歩いていたからだ。朝の通勤ラッシュとも言っても過言ではないこの集団でその人物の周りだけ空間が出来ている。周りの雰囲気から避けていることに気付いた鏡介はそこまでいかず、先に自身の下駄箱のある昇降口へ進んで行った。
理解出来ない。昇降口までの道中、周りの人間は誰も彼も、他人を警戒せず笑いながら話している。
親や子、もしくはその逆が、無条件に信頼しようとするのは彼にもなんとか理解できる。しかし、短くて数日同士の他人が警戒もせずに閑談を楽しめるだろうか。
だが、他人と仲良くなる為にはまず会話をしなければならない矛盾に鏡介は辟易する。
友人と言えるような人は彼にもいた。しかし、楽しむ為の会話なんてしたことがない。ただ次の日に互いが生きているということを願い合うだけの存在だった。だが、何度も背中を預け、預けられを繰り返してきた日々の積み重ねは周りの薄っぺらい―と感じる―友情よりも深いと彼は自負している。
しかし、それだけであったのもまた事実。深いだけで密度の薄い関係。
やはり彼にとって心から信頼できるのは凛だけであった。だが、戸籍上の姉となった彼女を家族として信頼できるかは分からない。
「分からないことばかりだな」
誰も鏡介の呟きに耳を貸さず、その音は雑踏に掻き消されていく。
やれやれと肩を落とし、雑踏に紛れ教室へただ歩いた。
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