Phase.2-10
一体騎士である自分の身に何が起きたのか分からなかった。
目の前で起こる現象は何だったのか。
否、彼が魔導を行使した結果だと言うのは分かる。
それだけだった。
だが、それだけだったのだろうか?
自分の中ではそうは思えない。
その結果、自分は季節外れの氷の世界の上に力なく手足を投げ出していた。
何故自分は生きているのだろうか?
何故自分は生かされているのだろうか?
何故自分は殺されなかったのだろうか?
そこに、彼が殺し損ねたという思考は存在しない。
殺す事さえ何も感じない、本当の意味で感情と言う者が存在しないような透明さで自分に向かって来た。
彼は何の為に騎士である自分と戦ったのだろうか?
一緒に踏み込んだ彼らがそんなにも大切だったのだろうか?
いや、それはない。
鏡介が彼らを守ろうとしたのは恐らくは別のもの。
恐らくは彼らを守ることで、守られるのだろう。
「悔しいかな?」
口に出してみたものの、それ程悔しくは無かった。
自分は負けただけ。
次に会った時は必ず殺す。
そう決める。
決意も新たに、手足を動かそうと力を込めても、神経が途中で断絶しているかのように、数mm単位でも動かない。
ため息が漏れ、それに伴い自分の体内で温められた白い気体天に昇っていく。
それはすぐに冷やされ、色を無くしていった。
覗いてみれば死屍累々と評すべき惨状が目の前に広がっている。
活動出来る範囲での極限の疲労は睡眠さえも阻害しているのだが、彼らはどうやら意識を失った口らしい。
だからと言って鏡介は何かをするわけでもなく、自分も洞穴の壁を背もたれにし、目を閉じ仮眠を取る。
久しぶりの魔導酷使に疲れたというのではなく、ただ単に体調管理の為の仮眠だった。
しかし、それでも彼の意識は常に外を向いているので周りからすればちゃんと睡眠を取っているのか不安でしかない。
一時間程で彼は目を覚ますが、状況は仮眠を取る時と取った後で変化は見受けられない。
そこまで疲労していたのかと自分基準で物を考えていた。
四泊五日の内もう既に四日経過している。
とはいえ、次の週はオリエンテーションに参加した学年はまるまる一週間休みになっている。
その理由はこの過酷なオリエンテーションが四泊五日の短い期間で終わるとは限らないからだ。
そうなったのはごく最近だと言われているが、鏡介が気付いて調べても結局は分からないままだった。
この地点から新代宇城までは残り四分の一程のはずだが、このまま何もなしに目的地に付くとは到底考えにくい。
それに首を長くして待っていると言っていたマリーの含みのある声が気になる。
さて、彼らをどう起こすか。
女性陣には気を付けて起こさなければ変な言いがかりを付けられる可能性がある。
逃亡生活の時に、電車に乗っていただけなのに痴漢の冤罪をふっかけられた。
仕事に疲れ果てて立ちながら器用に居眠りをしていた女性が突然起きて、鏡介の腕を取り、
「痴漢です」
と、大きな声で叫ばれた時には彼自身も驚いた。
彼はその時片方の手は手すりを掴んでいた。
もう片方は窓に触れていたので女性に触れる事は、混雑した時に自身のスペースを確保するぐらいの時だった。
他の乗客は信じられない物を見るように鏡介を見ていたが、彼はそれをどこ吹く風と流し、涼しい顔をしていた。
その中で彼にしか分からない程度の表情の変化をした男がおり、鏡介には彼がやったのだと、即座に理解出来た。
だが、それをそうやって証明すればいいのか見当もつかず、ただ被害者の女性と駅員に付いていく。
駅員の部屋に通され、警察と言う組織の人員が到着するのを待たされる。
簡単な質問を幾つかされると、いつの間にか鏡介が痴漢行為を働いたという事にされている。
その内容だけでは彼を犯人仕立てられないにもかかわらず、自身が犯人となってしまっていた。
面倒臭いな。
やった、とも、やってない、とも言わない、それは愚か、何も言わない少年に警察は机を指先で叩き始めイライラしている様子で彼を睨む。
次第に指先ではなく爪で机を叩き始める。
「あのな、いい加減何か言ったらどうだ?」
声に怒りが交じっている。
気が短いなと思い、鼻で笑うと急に胸倉を掴まれ、
「いい加減、吐けよ、自分がやりましたってな。
こちとら暇じゃねーんだ」
本性を現した目の前の警察に対し、彼は涼しい顔を取り続ける。
徐々にボルテージの上がる警察に被害者の女性の顔は青くなる一方。
「何、熱くなってるの?」
限界まで張りつめた糸が千切れ弾け飛ぶ。
左腕で胸倉を更に引き寄せ、右手を振りかぶる。
そのまま、身体を捻りつつ、彼の顔を狙い拳を放つ。
「Access」
警察はCTの起動までして彼を殴り、自分の言う事を聞かそうとするが、それはもう警察のすることではなかった。
ただ、むかつくから殴る。
女性は必然的に目を閉じてその光景を見ない努力をする。
だが、肉や骨を打つ独特の鈍い音はしない。
代わりに聞こえるのは、別の鈍い音と男の叫び声。
恐る恐る目を開き、視界に映り込むものは、胸倉から手を放し、関節ではない場所を押さえて蹲る男の姿。
よくよく見れば、押さえている部分は曲がるはずの無い方向を向いており、皮膚が青く変色している。
対して少年は先と変わらない涼しい顔で蹲る警察を見下ろしている。
公務執行妨害で逮捕されるのではと考えるが、先に手を出したのは警察の方だ。
この場合は正当防衛になるのではないか。
もう彼女の中では痴漢に遭ったと言う事は目の前で起きた事実に上書きされ忘れていた。
この騒ぎを聞き付けた他の駅員などが集まり、鏡介に非難の視線が飛び交うが、彼女の証言と監視カメラの映像で事なきを得た。
解放された時には双方痴漢の事をすっかり忘れており、彼女が気付いたのは自宅の扉を潜ってからだ。
その事があってから、鏡介は女性にみだりに触れる事はしなくなった。
いつも一緒だった凛にすら基本的に触れたりしない。
凛からすれば、時々のスキンシップを取りたいのだが、彼が間合いに入れさせてくれない。
「どうしたもんか」
時間が経つに連れて気温が徐々に下がってくる。
どうやら夜明けが近いらしい。
どこかの国では死者の目覚めと言う方法があるらしいが、その方法を彼は知らない。
それを行えばどんな者でもたちまち起きてしまうと言われている。
CTで調べてみたもののそれは一家相伝の方法とだけ記されている。
ため息を漏らし、このまましばらく様子を見る事にし、洞穴の外に出た。
薄暗い空の色が少しずつ青みを増していく。
幾度と戦場で見たブルーアワー。
思わず木の上に登り、高い位置からその自然な青い景色を堪能する。
個人的にはマジックアワーよりもこのブルーアワーの方が好きだった。
少しだけの間しか見られないこの景色を見る事が出来る時は必ず見ている。
例えそれが戦場の上であっても、彼の意識のほとんどはこちらに向かう。
「はぁ」
思わず息が漏れる。
ただ、ただこの景色に感動しただけだ。
シンデレラの魔法が解けるように彼の楽しみの時間が終了し、根元付近に誰かの気配を感じたので、下を見ると、栞が起きていた。
今すぐ降りても彼女を驚かすだけなので様子を見てみるとパンツから携帯端末型のCTを取り出し、魔導を起動させる。
鈍い色を放ち、彼女の手元に抜き身の刀身が現れる。
茎がむき出しの刀に懐から取り出したリボン状の布を巻きつけていく。
きつくきつく巻き付けると、即席の柄として握り締めて正眼に構える。
目を閉じ、彼女の呼吸だけが聞こえてくる。
全くの無風状態。
風が無い為に木々の葉が揺れ、こすれ合うこともない。
「フッ」
閉じていた目を開き、刀を上段から振り下ろす。
呼吸と共に振り抜いた軌跡は彼には追えない。
一拍置くと、剣速に追い抜かれた衝撃はが彼女の手元から四方八方と飛び散り、無風状態から一変して葉を揺らし、何枚かを散らせる。
舞い散る、何枚かの葉が自分の間合いに入ると彼女の手が動いたと思ったら葉は木っ端微塵に変えられており、吹き出した風に流されて行った。
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