5・同業の女
指定された屋敷は周囲を高い塀で囲まれていた。
郊外の住宅街。といっても、周囲にはかなり離れてぽつんぽつんと家があるだけだった。
車は門の横に停めた。
「二人とも車で待って」
「仕方がないな」
アリアは車を降りて門の前に立つが、重厚な鉄扉は堅く閉ざされており、入ることができなかった。アリアは手をかけてガタガタと揺さぶってみた。
「そりゃおまえの細腕じゃ無理だ」
「探偵さん、待つように言ったのに」
「だって開かないんだろう」
アリアと昇が言い合っていると、門がすうっと開いた。
「もう探偵さんのことも知られたってことだね」
アリアは小さくため息をついた。こうなったら用心しても意味がない。アリアは堂々と入った。昇はその後に恐る恐るついてきた。十無も少し離れて茂みに隠れながら二人に続いた。
「おい大丈夫か」
昇は少し逃げ腰だった。
「別にとって食われりゃしないでしょ」
多分、ヒロの知り合いで危険はないだろう。そんな予想もあって、アリアはどんどん建物のほうへ進んだ。
木々が生い茂る庭の奥に、玄関だけが明るく灯っている。その近くで突然ライトがついて眩しい光で目がくらんだ。
ライトをこちらに向けているようだが、近づいても逆光でライトの持ち主の顔はわからない。長身で長い髪、コートをはおっている女だということはシルエットで分かった。
スリの少女とは明らかに別人だった。
「もう一人いるでしょう。出てきなさい、分かっているのよ」
すごすごと樹の陰から十無が出てきた。
「お伴付きなのね」
ハスキーな声には落胆の色が滲んでいた。
「連絡があった時、聞かれてしまったのでどうしようもなかった」
「いつもアリアちゃんに付きまとっている刑事かしら。仕方ないわね」
「やっぱりヒロの知り合い?」
「……アリアちゃんのことはヒロからよく聞いているわ」
女はふふふと笑ったようだった。
「おまえら仲間か」
双子は声を揃えていった。
「違う、初対面だよ」
アリアは慌てて否定した。
「ヒロという奴は何者だ? アリアの仲間か」
「外野がうるさいわね。……用件だけ伝えます」
「それはヒロに関係あること?」
「いいえ、あなたに関係があるの。ある娘が多分あなたのところへ現れるわ。その娘は私のダイヤを持って行方をくらましたの。で、アリアちゃんにお願いしたいの。何とかそれを取り返して」
「仲間割れか。それに持ち逃げされたってわけだ」
昇が横から口を挟む。
「もう! 外野がうるさいわね」
「ちょっと待って、私のところへ来るって、何のために?」
「なぜアリアちゃんに近づこうとしているのかは分からないわ。そう言っていたのよ、気をつけてね」
「気をつける?」
「何を考えているのかわからない、危険な娘よ」
「でも、取り返すといっても……警察に盗難届を出したら」
ヒロの知り合いであれば、まっとうな生活をしているわけがないとは思ったが、アリアはわざと訊いてみた。
「おもしろいことを言うのね。ふふ、そんなことをしたら私が手錠をかけられてしまうわ」
案の定、女が楽しそうにくすくすと笑った。
「盗品なのか。やっぱりおまえら仲間だろう」
十無はアリアをじろりと睨んだ。
「違うって」
「探している娘というのは、俺達が探している奴と同一人物か?」
十無は女ににじり寄った。
「ただアリアちゃんをつけていた訳じゃなさそうね」
「ある娘に警察手帳と財布をすられたって」
アリアが肩をすくめて悪戯小僧のように告げ口した。
「余計なことを言うな!」
十無が遮った。
「あらあ、それは災難ね。それで刑事さんが血眼になって……」
女は小馬鹿にしたようにくすっと笑った。
「でも、あの娘なら面白がってやりそうなことね」
「お前が手引きしたのか」
そう言いながら、昇も少しずつ女のほうへ近づいた。
「残念ながら私は関係ないわ。アリアちゃんあとはお願いね、これ以上長居はできないの、後日情報をあげる」
そう言ったかと思うと、十無と昇が掴みかかろうとしたところを女は難なく交わして走り抜け、高い塀をするりと飛び越えて姿を消した。
「待て!」
そう言って二人が塀に駆け寄った時には、車のエンジン音がして走り去ったあとだった。
三人が呆気にとられていると、突然、門から黒塗りの外車が入ってきた。
「誰だ! こそ泥か! おい、捕まえろ! 警察につきだしてやる」
後部座席の太り気味の男が怒鳴りちらし、見るからに屈強な運転手に命令した。
屋敷の本当の主が帰宅したのだ。
女が勝手に利用していただけで、関係のない建物だったのだ。
「私たちは警察……」
十無が言い終わらないうちにアリアが腕を引っ張りながら門へ走り、昇もそれに続いた。
「刑事さん、今は警察手帳持ってない! 逃げるが勝ちだ」
門を抜け、三人は男の怒鳴り声が聞こえない所まで暫く走った。
「ふう、ひどい目にあった、あっ……まずい、車を置いてきた」
十無は息を弾ませながら言った。
「そういえば車が見当たらなかった」と昇。
「あの女の人が、乗っていったのかな」
くたびれてしゃがみこみながら、アリアが言った。
「俺の車、まだ新車だぞ!」
十無は泣きそうな声を出してうなだれた。
「歩いて帰るには遠すぎるし……タクシーを呼ぼう」
アリアが携帯電話でタクシーに連絡した。
空は星も見えない暗闇。周囲には家がなく、雑木林が広がっていた。街灯が点々と続き緩やかに蛇行している道が照らされている。
「静かだな」
「ああ」
「これからどうしようか」
「どうするかな」
双子は脇のガードレールに寄りかかり、気の抜けた短いやりとりをした。アリアもその側にたたずんだ。
「タクシー、遅いな」
昇はコートに両手を突っ込みじっとしている。冷え込んできて、吐く息も白くなってきた。
「少し時間がかかるかも。ちょっと遠いから」
アリアは腕時計を見ながらそう言った後、しばし沈黙があった。視線を感じたアリアは顔を上げた。昇がアリアを凝視していた。
変に興味をもたれてしまったようだ。部屋でもみ合った時、何か感づかれたのか。女だとわかってしまったのか。
アリアは居心地が悪く感じ、「なに?」と昇に声をかけた。
「夜なのにグラサンはずせ」
「やだよ」
「おまえって男だよな」
「何か問題でも?」
やはり、女に見えてしまうのか。それとも、刑事さんから何か聞いたのか。
「いや、そうじゃなくて、うーん」
十無の方をチラリと見た昇は、言葉が見つからなかったのか黙ってしまった。
昇は混乱している。アリアのことを女性だと断定できているわけではないようだ。
もっと混乱させてやろう。
アリアは立ちあがって高い声音で意味ありげに笑い、昇のほうを向いて「女性の方がいい?」と言ったのだった。
「えっ?」
その言葉に反応して声をあげたのは十無のほうだった。
予想外のことにアリアは戸惑い、悪ふざけはそれ以上できなかった。
昇は十無とアリアの間で変な緊張感が漂ったのを敏感に察知したようだった。
「そういえば兄貴がこいつと初めて会った時、こいつが女装していたと言っていたが、その時何かあったのか」
「何もない」
昇の質問に十無は即答した。
「それならいいけど、女と間違えて惚れたなんていうなよ」
昇が冗談めかして十無に耳打ちした。
「ふざけたことを言うな」
十無が語彙を荒げて否定した。アリアはその声に驚いた。
「探偵さん、怒らせるようなことを何か言ったの」
「別に。ちょっと冗談を……」
「冗談にもほどがある」
十無は昇を睨みつけていた。
「そんなにむきになるなって。でも、まさか兄貴……」
十無の過剰な反応に昇は目を丸くしていたが、アリアには今一つ状況が分からなかった。
「寒いなあ……だいぶ冷え込んできた」
これ以上逆鱗に触れるのが怖いのか、昇は手をこすり合わせながらさらりと話をそらした。
確かにじっとしているのが辛い寒さになってきた。薄っすらと息も白い。
アリアは背中を丸めてその場に屈んだ。すると十無が正面にすっと屈み込んで自分が使っていたマフラーを黙ってアリアの首にかけたのだった。
「いいよ、刑事さんも寒いのは同じだから」
マフラーを返そうとしたアリアの手を、十無はぎこちなく掴んで「いいから使え」と、硬い表情でぶっきらぼうに言った。
「……ありがとう」
困惑の表情を浮かべ、アリアは礼を言った。
十無と初めて会った時にかなり印象を悪くしているはずだった。だから、冷たい目で見られても当然なのだ。あのとき、女性の姿なんかで会わなければ良かったとも思う。
十無はいつも苦虫をかみつぶしたような渋い顔だ。それなのに……十無の態度は優しいのか冷たいのかアリアには計りかねた。
「冷静沈着な兄貴が……本気なのか」
二人に聞こえないほどの小声で、昇が不安そうに呟いた。