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4・ 協力

 アリアはどさりとソファに座り、窓の側に立っている昇を一瞥してため息を漏らした。

 結局またマンションの部屋に逆戻りし、おまけに厄介なお荷物つきになってしまった。

 ちょっとからかって刑事の動きに探りを入れようと企んだのだが、失敗してしまった。

刑事達がいてはヒロに会いにいけない。それに、「あれ」がもし刑事の手に渡ったら。なんとかその娘から取り返さなければ。

東十無は昇に室内から様子を窺うよう指示し、自分は車で張り込みを続けている。おそらく、自分が追っている泥棒の部屋にあがりこむことは、さすがに慣れ合いのようで躊躇したのだろう。

「なんだか兄貴の態度が不自然だ」

 窓辺に寄りかかり、外の様子を伺いながら昇は呟いた。

「何が?」

 アリアがそう返すと、昇は腕組をしてアリアを観察するようにじっと見つめた。

「車の中で、兄貴はずっとお前と顔を合わさないようにしていただろう。おまえさ、兄貴と何かあった?」

昇の言うように、十無と色々あったのは事実だ。だが、そのことについて、東十無は絶対に弟には知られたくないに違いなかった。

 東十無の先ほどの態度で、アリアにはそれがよくわかった。 

「……話したら刑事さんが怒るからやめておく」

「ということは何かあったんだ」

それにはアリアは答えなかった。

「ちぇっ。黙秘か」

昇は顔と態度の全てで不満を表現していた。感情がすぐ表に出るようだ。同じ顔でも正反対の態度。

今度はアリアが昇の顔を見つめた。

「なんだよ、人の顔をじろじろと」

 昇が鼻の頭をかいた。

「ほんとに似ているなと思って、でも違う」

「違ったら悪いか」

「わ、悪くはないけれど――」

 初対面なのに、どうしてこんなことを言ってしまったのだろう。

 アリアは声を小さくして俯いた。

 十無と錯覚してしまうせいかもしれない。

「……兄貴がここへ残るほうが良かったか」

 アリアはどきっとした。アリアの気持ちを知っているのかと思わせる昇の言葉は、何もかも見透かされているのではと思ってしまう。

「刑事さんなんかいつも仏頂面で冷たいし、来なくて結構」

アリアは気持ちを隠すように悪態をついた。

「へえ、兄貴の性格をよく知っている。かなり親しいな」

 昇はそう言って苦笑した。

「ぜんぜん親しくない!」

 アリアは強く否定して顔をそらした。

 サングラス越しでも顔が紅潮しているのを見られたような気がしたのだ。

「他意はない。敵のことをよく知ってるなと思っただけだ。ほかに何かあるのか?」

昇はアリアの横に座り、顔を覗き込んでにやりと笑った。

「他にって……」

 急接近した昇に驚いて、アリアは思わず身を引いた。

 頭の中が真っ白になり先の言葉が続かない。

 十無に比べて表情が豊かで、感情が態度に出る昇は言動に裏表がない。

 思ったことをどんどんぶつけてくる駆け引きなしの昇の行動は、アリアには戸惑いの連続だった。

 十無は必ず一定の距離をおき、こんな態度は絶対にとらない。いつもであれば十無をからかって手玉にしているのに勝手が違う。

 十無と同じ顔というだけで、アリアはつい錯覚して動揺してしまい、ポーカーフェイスを保てなかった。

「兄貴とは長い付き合いということか」

 アリアの顔を間近から覗き込んでいる昇。

 長めの前髪の間から嘘を許さない澄んだ瞳が、探りを入れるようにアリアを見つめていた。

 東十無と同じ瞳だ。

 勿論、今まで東十無にまともに見つめられたことなどない。

 だが、錯覚して鼓動が早まる。

 心の奥までを見透かされているようで息苦しい。 

 その視線から逃れたいアリアは、ソファから立ち上がった。

「おい、どこに行く」

「いちいち干渉するな。大人しくテレビでも見ていて!」

 テレビの電源を入れてから、アリアは寝室へ逃げ込んで鍵をかけ、ドアにもたれて胸に手を当てた。

 まだ心臓がどきどきしている。

 アリアはこの嫌な感情を早く消し去りたかった。

 東十無と同じ顔をしている昇と二人でいることが苦痛だった。

 こんな茶番に付き合っていられない。まずはヒロに連絡を取ろう。

 アリアは寝室の灯りをつけずにベッドの端に腰かけ、ポケットから携帯電話を取り出して待ち合わせにコールした。

 何か気配を感じた。

 携帯電話の呼び出しを切って、アリアはドアのほうを振り向いた。

 ドアがほんの少しあいている。

 アリアは音もなくドアに忍び寄り、勢いよくドアを開けた。

「わっ」

 ドアに背をつけて立っていた昇は、目を見開いて大袈裟に驚いた。

「急に開けたら危ないじゃないか」

「鍵をかけたはずなのに」

「君もこんな鍵、意味がないと思うだろう?」

アリアがベッドに座るまでのほんの短い時間に、昇は鍵をあけている。そしてへらへら笑っているのだ。態度は軽いが油断も隙もない奴。

「干渉するなら出て行ってもらう。別にここにいる必要はない」

 アリアは強い口調で怒りをあらわにした。

「ごめん、ごめん。悪かった。こそこそされると気になるんだ。仕事柄ね」

 昇は悪びれず、笑顔で謝った。

無茶な言い分だ。

「頼むから、大人しく座っていて」

 昇は肩をすくめて仕方ないなあと呟き、渋々戻ってソファに身を沈めた。

アリアも見張るように隣に向かい合わせにソファに腰かけた。

二人は暫し無言でいたが、アリアが思いついたように口を開いた。

「ねえ、あの女子高生は本当にここに現れるかな。……だって、その娘はまたねって言っただけなのに」

「手がかりはここしかない。だから、じっと待つしかない」

やはり帰ってくれそうにない。

 アリアはため息をついた。

 一刻も早く脱出したい。であれば、やるしかない。

「お茶を淹れてくる」

 そう言って、アリアはキッチンへ立った。あることを実行することにしたのだ。アリアがお茶の用意をして居間に行くと、昇は室内をうろうろしていた。

「しかし、生活感がないな。本当に普段ここに住んでいるのか?」

「じろじろ見ないで静かに座っていてよ。協力してるんだから」

「わかってるよ」

 十畳ほどの居間には繊毯もなく、ソファとテーブルがおいてある他に家具はない。テレビは床においてあり、居間に続くキッチンは小さな冷蔵庫がぽつんとあるだけだ。まずいものは置いていないが詮索されるのはあまり気持ちのいいものではない。

 アリアは昇に釘を指してから、ちらりと腕時計を見た。

 午後一時。ヒロとの待ち合わせの時間だ。

 アリアは焦る気持ちを隠し、紅茶をどうぞと言って、昇にマグカップを差し出した。

「ありがとう……でも、そっちのカップをもらう」

 昇はアリアが反対の手に持っていたマグカップを指差した。

「どうして」

「気にしないでくれ。仕事上、色々とあったから、用心深くなってね」

「私が、何か細工したと疑っている?」

「いつもこうしているんだ」

「でも……こっちは口をつけてしまったから」

「別に構わない」

 アリアは仕方なく飲みかけの紅茶を昇に手渡して、ソファの端に座った。

 用心深い。

 アリアは内心舌打ちした。

 その警戒は正解だった。

 アリアは紅茶に睡眠薬を盛ったのだ。

 昇はアリアの隣に腰かけて、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。

 そしてその視線はまたもやアリアの顔に向いている。

 サングラスの奥も透けて、すべてお見通しだとでも言っているような余裕を見せつけている気がした。

 アリアは敗北を感じていた。

 だがここで悔しさを態度に出すわけにはいかない。もう一度、機会をうかがうしかない。

 昇はそんなアリアの感情を逆なでするように口を開いた。

「あのさ、泥棒ってやっぱり割に合わないな。部屋は広いけれど建物は古いし随分質素な暮らしぶりだ。小型の電気ヒーターでしのいでいるとは。絨毯くらい敷いたらどうだ。足元が冷える。温かい紅茶が美味しく感じるくらいにね」

 昇は大袈裟に首をすぼめて寒さに身を震わす格好をした。

「反論はないのか。何か言ったらどうだ」 

 黙っているアリアを挑発するように、昇はにやにや顔で部屋を見渡しながら続けた。

「質素……いや、違うな。ここは仮住まいといったところか」

 そう言って昇は視線をアリアに戻した。

「答える義務はない」

今まで冷静に対応していたアリアだったが、とうとう声に苛立ちが滲みでてしまった。

「ちぇっ、ガード堅いな」

昇は不満そうに舌打ちした。

 この部屋に入ったことがあるのは今までヒロだけだった。

 他人がいるだけでもストレスなのに、昇は話すときに必ず顔を覗き込むようにして見つめる。そして、矢継ぎ早に話しかけてくるのだ。

 相手に考える隙を与えないようにし、苛立たせて本音が出てしまうように仕向けているのではと思うくらいに。

 そこまで計算高いだろうか。

 へらへらしていて、無頓着で自由気ままに程々に仕事しているような。きっと、行き当たりばったりで思いついたことをそっくりそのまま口に出しているだけなのかもしれない。 

 アリアはそんなふうに昇を分析した。

 それにしても昇のペースになっている。

 アリアは焦っていた。

 ちらりと腕時計を見た。

 待ち合わせの時間はとうにすぎた。ヒロは心配しているだろうか。

 気まずい雰囲気の中、テレビの音がむなしく流れている。

「おまえの紅茶、飲まないうちにすっかり冷めきったな」

 昇はその言葉への反応を窺うようにアリアを見つめていた。

 珈琲テーブルに置いていた口をつけていないマグカップのことを、昇は忘れていなかった。昇に飲ませるはずだった睡眠薬入り紅茶だ。

 昇は何か変だと思ったのだろうか。

「淹れなおす」

 そう言ってマグカップを手にして立ちあがったアリアを、昇が制した。

 不審な素振りだったか。

 アリアは息をとめ、サングラスの奥で顔を強張らせた。

「捨てるのか、もったいないな」

 勘ぐったわけではないのか。

 昇のその言葉でアリアはほっとしたのだった。

「だったら飲んでよ」

 アリアはごく自然に昇の顔の前へマグカップを差し出した。

「温めなおしたらいいだろ」

「貧乏性」

「無駄が嫌いなだけだ」

昇は飲んでくれそうにもなかった。

変にまめなところは十無と似ているのかもしれない。

 兄弟二人で倹約生活をしているのかもしれない。

 そういえば、十無の給料もそっくり掏られたと言っていた。

 仕事の経費の不足分にお金をつぎ込んで貯蓄は皆無だということもアリアは知っていた。

 生活費は大丈夫なのかとアリアは少し気になった。

「あの、刑事さんって今月の給料を掏られたから生活費は全くないってこと?」

「何だ、唐突に」

 昇は訝しげな視線をアリアに返した。

「お金貸してあげようか。百万くらいならあるけれど」

「百万も生活費に? どういう金銭感覚だ。それに泥棒からの金なんか兄貴が受け取るはずがない」

「金の出所を言わなければいい」

「余計なお世話だ。お前にそんなことまで心配してもらう筋合いはない。その金はお前が盗んだ金だろう?」

「違う、ヒロのお金」

「ヒロ?」

「え、と……」

 つい口が滑ってしまった。アリアは口ごもった。

「泥棒仲間か」

 昇は大げさにため息をついた。

「親切心で言ったのに」

 問い詰めるような質問をする昇にアリアは段々腹が立ってきた。

「大口叩いて大丈夫? アパートの家賃払どうするの。二人とも貯金ないよね」

「おまえ、俺たちの貯蓄のことまで知っているのか。兄貴がおまえに話したわけではないだろう」

「そんなこと訊くまでもない。ある程度のことは大体知っている」

 アリアは肩をすくめた。

「油断も隙もない奴だな」

「そっちこそ!」

 どさくさにまぎれて、アリアはキッチンへマグカップを持っていき紅茶を淹れなおすことができた。

 紅茶の件はうやむやになったのだが、出かけられない状態には変わらない。

 アリアは窓際に立って紅茶を飲みながら、どんよりとした暗い空を眺めた。

ずるずると時間は過ぎていく。まだ四時過ぎだというのに街は夕闇に沈み、部屋の中も薄暗くなってきた。朝に積っていた雪はすっかりなくなっていた。

 東昇が居座って何もできない歯がゆさ。会話が途切れ、息詰まる沈黙が続いていた。

 十無は少し前に呼び出しがかかって署に出向いていった。

 後は昇のみ。

 昇は座っているのに飽きたのか、また部屋の中を落ち着きなくうろうろし始めた。

「あの女子高生の心当たりはあるのか」

 昇が長い沈黙を破って口を開いた。

「だから、何度も言っているよね、知らないって。あの時始めて会っただけ。ねえ、今日はもう暗くなってきたし、探偵さんも帰ったら? それともそんなに暇なの」

「暇なわけがないだろう、兄貴の為だ」

「ふうん、随分お兄さん思いだね」

 アリアの焦りはピークに達し、つい腕時計を見る回数が増えていた。

 ここを抜け出す良い方法はないか。

「何か用事があるのか? 時間を気にしているようだな」

 昇もそれを察知していた。

「ちょっとね。実はデートの約束が」

「生意気に彼女がいるのか」

 昇は素っ頓狂な声を出した。

「いったいどんな相手だ」

 昇は好奇心丸出しの顔をしている。うまく話に乗ってきた。

「そんなこと探偵さんには関係ない。探偵に見張られながら、デートはできないし、何かあったらすぐ連絡するから、また明日ってことで……お願いしたいんだけど」

 一か八か。

「ふうん……」

 昇は何を思ったのか、そう言ってアリアの顔をまじまじと見つめた。

 あまりにもばかばかしい理由づけだったか。

 冷や汗。アリアは言ってから後悔した。

「なあ、おまえ未成年か? というかちっちゃいし線が細いし。そのサングラスはいつもしているのか。とってみろ」

 昇の興味は別のところだった。

「は?」

 予想外。

 アリアはフリーズした。

 その瞬間、昇の手がひょいと伸びてサングラスに手をかけようとした。だが、アリアは辛うじて腕で払いのけサングラスは取られずに済んだ。

 その腕を昇に掴まれてしまったのだが、昇ははっとして直ぐに離した。

「細いな。おい、おまえって……」

タイミング良く携帯電話が鳴り響き、アリアはポケットに手を入れた。

「もしもし、……ちょっと待って、どういうこと? あなたは? あ、きれちゃった」

「誰からだ。用件は」

「聞き覚えの無い女の声だった。ある娘のことで頼みたいことがあるから一人でここへ来いって」

 アリアは住所を走り書きしたメモを見せた。

「知らない女が何故お前の携帯電話の番号を知っている? ある娘って、女子高生のことか」

「わからない……でもあの女子高生とは無関係だと思うけれど」

 アリアの携帯の電話番号を知っているのはただ一人、ヒロしかいなかった。ヒロと仕事をした女からだとすると犯罪絡みに違いない。

 東兄弟に首を突っ込まれるとヒロやアリアにも危険が伴う事態になりかねなかった。

「俺も同行する」

「駄目だよ。一人でという条件がある」

「大丈夫、隠れるから」

 昇は不敵な笑みを浮かべ、強引な態度だ。

 昇は十無にも連絡を入れて、結局三人になってしまった。

 逆らえそうにもなかった。

 昇が運転し、十無とアリアは後部座席に乗り込んだ。

 夕暮れの道を走り出してまもなく、アリアの携帯が再び鳴った。ヒロからの電話だ。

 「――ごめん、急用ができて。今はちょっと立て込んでいて……例の刑事といる」

 アリアは声のトーンを落として応答したが、双子は聞き耳を立てている。

 刑事と聞いてヒロが電話の向こうで驚きの声を上げたため、十無と昇にもその声が聞こえてしまった。

「後でもう一度電話して」

 アリアは二人を気にして、早々に電話を切った。

「男の声だった。おまえの素性を知っているようだったし、同業者か」

 電話を切ったとたん、十無はアリアを質問攻めにした。

「詰問口調はやめたほうがいいよ、友達なくすから」

「いつおまえと友達になった」

 十無が抗議した。

 前にも増して事務的に詰問する十無に、アリアは面白くなかった。

「私だって刑事さんとあまり親しくなりたくないけどね。電話の相手がそんなに気になるなら……誰なのか特別に教えてあげようか」

 アリアは一呼吸おいて、隣に座っている十無の顔をじっと見ながら真顔で「実はカ・レ・シ」と言うと、十無は一瞬、えっ? という顔をして真っ赤になり固まった。

 堅物の十無には、男であるアリアが男性と交際しているという図式は、想像をはるかに超えたことだったに違いない。

アリアは予想通りの反応をした十無がおかしくて、けらけらと笑った。

「面白いねえ刑事さん、素直で。笑いすぎて涙が出てきた」

 からかわれた十無はむっとしている。昇は運転しながらこらえきれずにクックッと笑っている。

「何だよ、昇まで」

 十無はますます不機嫌に口を尖らせた。

 そうこうしているうちに辺りはすっかり暗闇に包まれ、指定された場所へ到着したのだった。


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