10・葛藤
東昇はアリアが立ち去った後も、歩道に立ち尽くしていた。
「あいつ、女にしか見えなかった。可愛い女の子だった。どう見ても男じゃない!」
「昇、ぼーっと突っ立って、どうかしたのか」
昇はあまりのショックに人目も気にせず大声で独り言をはいていた。その背後から、十無がいぶかしげな顔をして駆け寄ってきた。
「どうしてここが?」
「いや、偶然お前を見かけたから……」
偶然だろうか。兄はアリアの行きつけの喫茶店を知っていたのではないかと昇は思った。
「アリアにタクシーで逃げられた。しかし、初めて見たけれどあいつには驚いたな」
昇は動揺を隠さずに話した。
「ひょっとして女装のアリアに会ったのか」
「あ、うん」
と、昇は気の抜けた返事をした。
十無は難しい顔になり、「だめだぞ、あいつは」と呟いた。
「何が。アリアはきっとヒロという奴にそそのかされているだけだ。そうだ、ヒロと縁を切らせてまともな仕事に就けば、きっとあいつは更生できる」
「おい、感情的になるな」
「俺は冷静だ」
口ではそう言ったものの、『可愛いアリア』の女性姿が、昇の脳裏に焼き付けられていた。
昇は探偵という特殊な仕事上、様々な女性と知り合い、裏表も見てきた。が、アリアのような女性は初めてだった。
子供じみた悪戯をしたかと思うと急に大人臭い態度をとるような予想できないアリアの振る舞いに、惹きつけられてしまったのだ。
影がありそうで秘密めいているところも、一層昇を刺激した。どこか危なっかしくて投げやりな感じにも、つい手を貸したくなる。
昇は恋という熱い感情に、すっかり支配されてしまった。
兄貴もあいつに会ったとき、そんな風に感じたのかもしれない。
同じ顔をした兄の横に並んで歩きながら、昇は思った。
冷たいビル風が吹く繁華街を双子はのろのろと歩いた。
「どっちにしてもあいつは犯罪者だ。それに、男だぞ」
釘を差すように十無が言った。
「そ、そんなことわかっている」
すっかり忘れていた。アリアは男だった。昇の頭からそのことはすっかり抜けていたのだ。
でも、可愛いのであれば――。
「本当にわかっているのか」
昇にはその言葉が十無自身に言っているようにも聞こえた。
そういえばこの数ヶ月、兄はいつもより無口で、考え込むことが増えて様子がおかしかった。
兄はあいつに出会ってから、あいつに惹かれていると認めたくなくて心の中で葛藤していたのだろうか。そして今もまだ。
そう思うと、刑事である兄がいたたまれなくなった。
だが、自分は自分。兄のように気持ちを押し殺したりはしない。自分の気持ちに素直に従うまでだ。
昇はそう割り切った。
「あーあ、泥棒がタクシーで俺達は歩きか」
昇は嫌な気分を振り払うように空に向かって大声を出した。