第3話 悪魔の森道中・デーモンオーク戦Part1
悪魔の森へ続く街道は、王都からそう遠くないはずなのに、空気だけが別物だった。
肌にまとわりつくような湿気と、鼻につく土と樹液の匂い。
列は――
俺の隣にティナ。
少し後ろに、ライトとアルナ。
「なあ、後ろのお二人さん」
俺は歩きながら、肩越しに声を投げた。
「悪魔の森って、結局どんな感じなん?
名前だけで敬遠されとるけど、実際のとこ、何が一番ヤバいんや」
ユウトらしく、軽めに。
けど、冗談の余地はあまりない。
「一番厄介なのは“分断”かな」
答えたのはアルナだった。
「視界が悪い。音も歪む。
敵が見えないまま、距離だけ詰められることもある」
「魔獣だけじゃないってこと?」
「ええ。地形そのものが、敵になる」
ライトも頷く。
「油断すると、簡単に隊列が崩れる。
だから今回、この並びは悪くないよ」
……なるほどな。
俺は隣を見る。
ティナは無言で前を見据えていた。
「……ユウト」
不意に、低い声。
「なに?」
「……前より、
ちゃんと周り、見てる」
短い。
でも、はっきりした言葉。
一瞬、足が止まりかけた。
――ああ。
そうか。
前なら、何も言わんかった。
信用してへん、というより、期待してへん感じやった。
今は違う。
俺は何も言わず、歩調を合わせる。
胸の奥が、じんわり熱くなるのを感じながら。
「……ならさ」
ふと思いついて、俺は拳を軽く突き出した。
「士気上げるやつ、やっとこか」
「?」
ティナが首を傾げる。
「グータッチ。
気合入れ直すやつや」
「……こう?」
少し戸惑いながら、ティナも拳を出す。
距離を測るみたいに、ゆっくり。
――コツン。
軽い音。
ティナは、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「……恥ずかしい」
「今さら何言うてんねん」
そう言いながら、俺は笑った。
後ろで、ライトが小声で囁く。
「……いい雰囲気じゃん」
「余計なこと言わない」
アルナが即座に遮る。
その時だった。
森の縁に、影が落ちる。
空気が、重くなる。
鳥の声が、途切れる。
木々の隙間から覗く闇が、こちらを“見ている”気がした。
悪魔の森。
名前負けしない、禍々しさ。
俺は一度だけ、拳を握り直す。
隣では、ティナが静かに斧を確かめていた。
後ろでは、ライトとアルナが魔力の流れを整える。
――覚悟は、揃った。
「行こか」
誰に言うでもなく、そう呟いて、
俺たちは森の中へ踏み込んだ。
──────────────
悪魔の森に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
湿って重い。
呼吸するたび、肺の奥に澱が溜まっていく感覚。
木々は20メートルを優に超え、空を覆い隠す枝葉の隙間から、光がまだらに落ちている。
……なんやここ。
森っちゅうより、胃袋の中みたいや。
隊列は決めていた。
最前線――ティナ。
迷いなく斧を構え、切り込み役を担う。
前線寄りの中盤にライト。
今回の指揮官。
ティナのフォローと、後ろの俺とアルナへのカバー役。
後衛は俺とアルナ。
俺は支援。
筋力増強、魔力出力増強。
――時空間魔法は、まだ使うつもりはなかった。
アルナは火属性の遠距離魔法。
視界が悪い森で、唯一“面”を制圧できる存在や。
「……足跡、新しいわね」
アルナが小声で言う。
「ゴブリンだな」
ライトが即答する。
実際、その通りやった。
ゴブリンはいた。
数もそれなりに。
ティナが前に出て、
ライトが死角を潰し、
アルナの火が逃げ道を焼き、
俺が最低限のバフを回す。
連携は、悪くない。
……悪くない、はずやった。
「……なあ」
小一時間ほど進んだところで、俺は思わず口にした。
「なんや、オークおらんやん」
ライトが眉をひそめる。
「確かに……。
この辺り、縄張りのはずなんだけど」
「奥に行きすぎてる可能性もあるわ」
アルナが周囲を見回す。
俺は、嫌な感覚を覚えていた。
静かすぎる。
ゴブリンの気配すら、薄い。
「一回、引こか」
俺がそう言いかけた、その瞬間。
――ドンッ。
地面が、跳ねた。
「……っ!?」
次の瞬間、
頭上から**“落ちてきた”**。
木の枝。
幹。
それらをへし折りながら、
巨大な影が三つ。
ドゴォォン……!
地響きとともに、着地。
「……は?」
ライトの声が、掠れる。
目の前にいたのは――
オーク。
だが、知っているオークじゃない。
「で……か……」
アルナが、息を呑む。
通常のオークは3〜4メートル。
目の前のそれは――
8、いや10メートル近い。
筋肉の塊。
皮膚は黒ずみ、魔力が漏れているのが分かる。
「……ちょっと待って。
サイズ、完全におかしいでしょ……」
アルナの声が震える。
ライトは即座に叫んだ。
「全員、陣形維持!
ティナ、突っ込むな――」
遅かった。
「……」
ティナは、聞いていなかった。
――いや、聞こえていなかったのかもしれん。
一瞬で、距離を詰める。
巨体のオーク、その左肩付近――
首筋。
斧が、走る。
「……っ!」
俺は、確信した。
取った。
あの角度。
あの踏み込み。
一体目は――落ちる。
……はずやった。
――キィンッ!
金属音。
斧が、弾かれた。
「……なっ」
オークの腕が、動く。
狙いは――
隻腕の、右側。
ガードが、間に合わない。
ドンッ!!
裏拳が、全身にクリーンヒットした。
ティナの身体が、宙を舞う。
「ティナ!!」
誰かの叫び声。
――俺のや。
……嘘やろ。
あのティナでも……?
ライトが即座に判断する。
「全員、退避!!
距離を取れ!!」
だが――
「っ……!」
足が、止まった。
見えない壁。
進めない。
「……結界?」
アルナが歯を食いしばる。
結界魔術。
本来、Aランク以上の魔術師や魔族が使う高難易度魔術。
結界には属性や効果を仕込める。
地形を閉じ、逃げ道を断ち、
戦闘を一方的に有利に運ぶための――
知識としては、知っている。
だが、実物を見るのは初めてや。
「……最初の地響きの時か」
ライトが唸る。
「着地の衝撃に紛れて、仕込んだ……?」
アルナが、震えた声で言う。
「……これ、ただのオークじゃない」
誰も、否定できなかった。
目の前には、
三体の“何か”。
そして、倒れたティナ。
森は、沈黙している。
まるで――
逃がす気がないとでも言うように。
俺は、拳を握りしめた。
……まだや。
まだ、終わらせへん。
――だが、この時はまだ、
本当の絶望を、知らなかった。




