第13話 継承
白い空間に、沈黙が落ちていた。
ゼイトは、静かにユウトを見つめていた。
その瞳は、揺れていない。
だが、どこか――
安堵に、似た色を湛えていた。
「……死後、か」
ユウトが、ゆっくりと呟く。
「死んでからも……ずっとここに?」
「そう」
ゼイトは頷く。
「私の魔力が……あまりにも強すぎてね」
「消えることも、できなかった」
淡々と語る。
だが、その言葉の奥に。
どれほどの時間が積み重なっているか。
ユウトには、想像もできなかった。
「死んでも消えられへん……か」
低く、呟く。
「それは……しんどいな」
ゼイトは、少しだけ目を細めた。
「慣れたよ」
そう言って、小さく笑う。
「……本当に、慣れたんか?」
「さあ」
一拍。
「どうだろうね」
誤魔化すような、でも嘘でもない。
そんな声だった。
ゼイトはゆっくりと続ける。
「思念体になってから……ずっと、探していた」
「魔王を――息子を、止められる存在を」
「強さだけじゃ駄目だった」
「賢さだけでも、足りなかった」
「何百年も、探し続けた」
「……そして」
視線が、ユウトに向く。
「君を見つけた」
ユウトは、目を逸らさなかった。
「俺が……消えかけてた時、か」
「そう」
ゼイトの声が、わずかに揺れる。
「本当に……ギリギリだった」
「思念体の状態で時空間魔法を使うのは、消滅する危険があった」
「でも」
一瞬、間が空く。
「他に、方法がなかった」
「だから――」
真っ直ぐに、ユウトを見る。
「強引に、君の魂を引き寄せた」
「私の魂と、結びつけて」
「……この世界に、転生させた」
沈黙。
ユウトは、しばらく何も言わなかった。
天井のない白い空間を、ぼんやりと見上げる。
「……そうか」
やがて、ぽつりと零す。
「そういうことやったんか」
「怒っているか?」
ゼイトが、静かに問う。
ユウトは少しだけ考えて。
「……正直に言うわ」
息を吐く。
「あの時の俺は」
「もう、全部諦めてた」
拳が、緩む。
「仕事も、人間関係も、自分の将来も」
「大切な人も……失って」
「生きてること自体が、しんどかった」
声に、感情はない。
ただ、事実として。
淡々と。
「死ぬ時も……怖いとか、悔しいとか」
「そういう気持ち、もうなかったな」
「ただ……終わりたかっただけやった」
白い空間に、言葉が落ちる。
ゼイトは、黙って聞いていた。
「せやから」
ユウトは、ゆっくりと続ける。
「転生した最初は……何のために生きてるんか、全然わからんかった」
「ポーション売って、日銭稼いで」
「それだけで十分やと思ってた」
一拍。
「でも」
声の色が、変わる。
「……変わったんや」
「あいつに会ってから」
その名を、口にしない。
でも。
誰のことか、迷いなく分かる。
「ティナが……棒立ちでボード見てるの見た時」
「なんか、放っておけんかってん」
「昔の俺に……似てる気がして」
苦笑が、滲む。
「声かけた時も、別に深い理由なんてなかったわ」
「でも」
「あいつが、初めて俺の後ろ歩いてくれた時」
「……なんか、胸が痛かったんや」
「嬉しいとも、違う」
「ただ……守りたい、て思った」
「初めて」
ゼイトは、静かに聞いていた。
「それから……色んな人と関わってさ」
「シンさんも、ライトも、アルナも」
名前を、一つずつ。
「……ギルドのうるさい連中も」
「みんなに、生かされてたんやな」
「俺」
拳が、ゆっくりと握られる。
「今は……戦いたい、て思ってる」
「誰かに頼まれたからやない」
「ティナを守りたい」
「みんなを、守りたい」
「それだけや」
ゼイトは、しばらく黙っていた。
やがて。
ゆっくりと、顔を上げる。
その目に。
安堵の色が、滲む。
「……そっか」
静かに、笑った。
今まで見せたどの表情とも違う。
柔らかい。
ただ、柔らかい笑みだった。
「なら、良かった」
その一言に。
何百年分の後悔が、少しだけ解けたような。
そんな気がした。
ユウトは、その笑顔を見て。
何も言えなかった。
言葉が、見つからなかった。
ただ、目を逸らさなかった。
⸻
しばらくの沈黙が続いた後。
「……あ」
ユウトが、ふと気づく。
「俺、今……ユウジと戦っとったんやけど」
「大丈夫なんか、アレ」
途端に、現実が戻ってくる。
戦場。
弟。
剣。
「あ、やばい……!」
焦りが滲む。
その様子を見て。
ゼイトは、小さく吹き出した。
「ふふ」
「ここは……君の精神世界のようなものだよ」
「物理的な時間は、流れていない」
「……え?」
「外では、一瞬も経っていない」
「安心して」
ユウトは、一度大きく息を吐いた。
「……なんや、そういうことか」
「びびらせんといてくれ」
肩の力が抜ける。
「全く」
苦笑する。
だが。
すぐに、眉を寄せる。
「……なら、なんで今更やねん」
「何百年も待っといて」
「なんでこのタイミングで呼んだんや?」
ゼイトは、一拍置いた。
「あ」
「……忘れてた」
「は?」
「本題を、すっかり忘れていたよ」
「アンタが忘れてたんかい!!」
素っ頓狂な声が、白い空間に響く。
ゼイトは少し照れたように咳払いした。
「ごほん」
「……そう、教えることがあったんだ」
改まった声で。
ユウトを見る。
「君の【時空間魔法】についてだよ」
「俺の……?」
「そう」
ゼイトは、静かに告げる。
「今の君が使えているのは」
「時空間魔法、全体の一割にも満たない」
「……は?」
「一割」
繰り返す。
「一割……」
ユウトの顔が、固まる。
「…………いち、わり?」
「そう」
「嘘やろ……」
「本当だよ」
「あの加速神域が……」
「入り口にも、なっていない」
「……」
ユウトは、しばらく黙った。
それから。
「……なら、他には」
口を開きかけた、その瞬間。
ゼイトの手が、静かにユウトの頭上にかざされた。
「今から少しだけ、教えるよ」
「……まるで、俺が何言うか分かっとったみたいやな」
「さあ」
ゼイトは、微かに微笑む。
「どうだろうね」
その掌に。
淡い光が集まる。
白い魔法陣が、空気の中に浮かび上がる。
複雑に絡み合う幾何学の紋様。
それがゆっくりと。
ユウトの身体へと移っていく。
光が、全身を包む。
頭の中に、何かが流れ込んでくる。
言葉ではない。
映像でも、ない。
もっと根源的な何か。
「……っ」
息が詰まる。
身体が、震える。
「力を抜いて」
ゼイトの声が、遠く聞こえる。
「君のものだから」
「もともと、君の中にあったものだから」
その言葉が。
不思議なほど、すんなりと届いた。
ユウトは、目を閉じる。
光の中に。
ただ、身を委ねた。
⸻
やがて。
光が、静かに消える。
ゼイトは手を下ろした。
白い空間に、再び静寂が戻る。
ゼイトはユウトを見た。
「ここで、一旦お別れだね」
「……ああ」
ユウトは、頷く。
「色々……聞かせてくれてありがとう」
「礼を言うのは、私の方だよ」
ゼイトは、静かに笑う。
そして。
「ユウト」
「……なんや」
少し間を置いて。
「弟と……仲直りしなよ」
その言葉に。
ユウトは、少しだけ顔を歪めた。
苦い顔。
だが。
「……わかってるわ」
小さく、呟く。
ゼイトは、それを見て。
ただ、微笑んだ。
温かく。
見送るように。
白い光が、ゆっくりと世界を覆い始める。
意識が、遠のく。
その最後に。
ユウトは、ゼイトの顔を見た。
笑っていた。
百年以上。
誰かのために笑えなかったであろう女が。
ただ、静かに笑っていた。
⸻
瞼が、重い。
「……っ」
意識が、引き戻される。
身体の感覚が戻ってくる。
石畳の感触。
血の匂い。
遠くで響く、戦場の音。
目を開く。
そこは。
変わらず、戦場だった。
「……起きたか、兄貴」
冷たい声。
視線を上げる。
目の前。
ユウジが、大剣を構えていた。
その刃が。
ユウトの首へ。
まっすぐに。
振り下ろされる。
「――ッ」
刹那。
ユウトの姿が、消えた。
「……あ?」
ユウジの剣が、空を切る。
次の瞬間。
背後。
殺気。
「なっ……!」
反射的に身を捻る。
だが。
遅い。
ガキィンッ!!
金属の悲鳴。
鎧の一部が。
ぱっくりと、裂かれた。
「……ちっ」
ユウジは舌打ちし。
距離を取る。
そして。
目の前に現れた存在を。
初めて、まともに見た。
土煙の中。
一本の剣。
魔力で構築された、青白い刃。
それを携えた男が。
静かに立っていた。
「……兄貴」
ユウジの声が。
わずかに変わる。
「ようやくやる気出したんじゃねえか」
だが。
返ってきたのは。
言葉ではなかった。
視線だった。
ユウトの右目が。
碧に、輝いていた。
今まで見たことのない。
深く、澄んだ色。
それがユウジを。
まっすぐに、捉えていた。
「……」
ユウジは、珍しく口を閉じた。
風が。
二人の間を、抜けていく。
ユウトは。
ゆっくりと。
口を開いた。
「……ユウジ」
その声は。
怒りでも、悲しみでも、なかった。
「もう一回だけ……話しよか」
剣を構えたまま。
真っ直ぐに。
弟を、見た。




