第9話 師の判断
ブレイビアのギルドハウスの扉が、乱暴に開かれた。
「誰か! 回復魔法使える奴おらんか!!」
血塗れのローブを抱えたユウトが、なりふり構わず駆け込む。
その腕の中には、意識を失いかけたアルナ。
ローブは裂け、腹部は応急処置で縛られているが、血が滲み続けている。
「きゃっ……!? ゆ、ユウトさん!?」
受付嬢が目を見開く。
酒場スペースにいた冒険者たちも一斉に立ち上がった。
「どうしたその傷は!?」
「魔獣か!?」
ユウトは息を切らしながら叫ぶ。
「今すぐ回復を! 頼む!」
数名の神官系冒険者が駆け寄り、アルナを受け取る。
床に寝かせ、魔法陣が展開される。
淡い光が彼女を包み込む。
だが、ユウトの焦りは消えない。
受付嬢が震える声で問う。
「いったい何が……」
ユウトは唇を噛み締め、言った。
「ギルドマスターが……シンさんが、ブレイビアビーチで……」
一瞬、言葉に詰まる。
だが覚悟を決める。
「【三魔官イデア】と戦っとる」
空気が凍った。
「……は?」
「三魔官……?」
ざわめきが一気に広がる。
「魔王軍幹部だぞ……」
「そんなのが、ここに……?」
受付嬢の顔が青ざめる。
「そ、そんな……」
その時だった。
カツ、カツ、と床を鳴らす足音。
赤い長髪を後ろで束ね、片目に黒い眼帯を付けた女が、ゆっくりと近づいてきた。腰には短剣が二本。
鋭い目つき。
纏う空気は、明らかに上位冒険者のそれ。
彼女は何も言わず、いきなりユウトの胸ぐらを掴んだ。
「てめぇ」
息がかかるほど近い距離。
「なんで師匠を置いてきたんだよ!?」
怒気がそのまま殴りつけるような声。
ユウトの背筋が凍る。
「ち、違う……俺は――」
「レッカさん! やめてください!」
受付嬢が慌てて割って入る。
「その方はユウトさんです! ギルドマスターの依頼で動いていたパーティーの方で……!」
レッカ、と呼ばれた女は舌打ちをし、手を離す。
受付嬢が必死に説明する。
「レッカさんは……ギルドマスターの一番弟子なんです!」
ギルド内がさらにざわつく。
レッカはユウトを睨みつけたまま吐き捨てる。
「……アタシが行く」
踵を返す。
「待ってください、レッカさん! 三魔官相手なんですよ!?」
「うるせぇ!」
振り返らずに怒鳴る。
「師匠が戦ってんだぞ!!」
扉が乱暴に開かれ、そのまま飛び出していった。
受付嬢は顔面蒼白だ。
「い、いくらSランク冒険者のレッカさんでも……三魔官相手なんて……!」
絶望の色が滲む。
その空気を押しのけるように、重い足音が響いた。
斧を背負った大柄の男。
短く刈った黒髪。無骨な鎧。
「……すまねぇな」
低い声。
ユウトに視線を向ける。
「さっきのはレッカだ。気が荒いが……悪い奴じゃねぇ」
男は軽く頭を下げた。
「俺はラセツ。あいつのパーティーメンバーだ」
ティナが無言で睨む。
ラセツは一瞬、息を呑んだ。
(……小柄だが)
背負った斧。
立ち姿。
重心の低さ。
(なんだ、この圧は……)
ただ立っているだけなのに、肌が粟立つ。
猛獣と対峙している感覚。
(この嬢ちゃん……強ぇ)
無意識に、手のひらが汗ばむ。
だが表情には出さない。
ラセツは視線をユウトへ戻す。
「案内してくれ。ギルドマスターが戦ってる場所まで」
一瞥。
「お前らも来るんだろ?」
ユウトは一瞬、迷う。
アルナの容体。
イデアの強さ。
シンの姿。
全てが頭を駆け巡る。
だが。
「……行く」
拳を握る。
「案内する」
ティナも無言で頷いた。
ラセツは短く息を吐く。
「急ぐぞ」
三人はギルドを飛び出す。
背後では、回復魔法の光がまだ揺れていた。
誰もが、嫌な予感を抱えながら。
ブレイビアビーチへ――。
───────
波の音が、やけに遠く聞こえた。
ラセツ、ユウト、ティナがブレイビアビーチへ辿り着いたとき――そこにあったのは、戦場の残骸だった。
砂浜は抉れ、焼け焦げ、巨大な爆心地のような窪地がいくつも残っている。
そして。
その中心。
膝から崩れ落ちた赤髪の女。
レッカ。
その腕の中には――
首の、無い亡骸。
ギルドマスター、シンの身体。
切断面は無惨に露出し、鎧は砕け、血はすでに黒く乾き始めていた。
「……ぅ……あ……」
レッカの喉から、嗚咽が漏れる。
「……っ……ぁ……ぁあ……っ」
肩が震え、歯が鳴る。
抱きしめたまま、動けない。
その光景を見た瞬間。
ユウトの足が止まる。
呼吸が、消える。
「……うそやろ……」
ティナの瞳も、揺れた。
ラセツは無言で目を伏せる。
重い沈黙。
その刹那。
レッカが顔を上げた。
涙と血でぐしゃぐしゃの顔。
その視線が――ユウトを射抜く。
殺意。
次の瞬間。
ギィンッ!!
重い金属音が鳴り響いた。
ユウトの目の前で、火花が散る。
ティナの斧が、レッカの短剣を受け止めていた。
ほんの数センチ先にあった、ユウトの喉。
「……っ」
レッカの歯が軋む。
「お前の……」
震える声。
「お前のせいだ!!」
力任せに押し込む。
ティナは一歩も引かない。
鍔迫り合い。
「なぜ逃げた!? 仲間を! 師匠を!!」
レッカの眼光は、ティナではなくユウトに向けられている。
「捨ててんじゃねえよ!!」
ユウトは言葉を失う。
何も返せない。
その事実が、胸を抉る。
ティナが低く告げる。
「……託された」
短い言葉。
「ただそれだけ。私達とアルナの命に」
レッカの瞳がさらに吊り上がる。
「あぁ!?」
怒声。
「てめえも!!」
短剣に込める力が増す。
「なんで師匠と一緒に前線に出なかった!? 戦士だろ!?」
金属が軋む。
砂がえぐれる。
だが、その首筋に――
冷たい刃が触れた。
斧。
ラセツだった。
背後から、静かに首へ刃を掛けている。
「……そこまでだ、レッカ」
低い声。
だが、揺るがない。
レッカの肩が震える。
「てめえも!!」
叫ぶ。
「師匠がこいつらのせいで死んで!! なんとも思わねえのかよ!!!」
砂浜に怒声が響く。
ラセツは動じない。
「思わねぇわけがねぇだろ」
静かに返す。
「だがな」
刃を押し当てたまま、続ける。
「冒険者が冒険者を斬るのは御法度だ」
一瞬の沈黙。
「それに」
視線をユウトへ向ける。
「こいつらは怪我人を抱えて戻ってきた」
アルナの血の跡が、まだ砂に残っている。
「つまり、師匠は残るのが【師匠にとっての】最善だと判断した」
言葉は重い。
「弟子のお前なら分かるだろ」
レッカの呼吸が乱れる。
歯ぎしり。
ギリ、と音が鳴る。
怒り。
悔しさ。
理解してしまう理屈。
全部が混ざり合う。
やがて。
短剣が、力を失う。
ティナがゆっくりと斧を下げる。
レッカは、その場に崩れ落ちた。
四つん這いになり、砂を握る。
「……っ……くそ……」
嗚咽が漏れる。
「……師匠……っ」
堰を切ったように、声が溢れる。
「なんでだよ……」
号泣。
砂浜に、ただ一人の女性の泣き声が響く。
誰も言葉を発せない。
波の音だけが、繰り返す。
首のない亡骸。
崩れた弟子。
立ち尽くす仲間たち。
ブレイビアの空は、ただ静かに広がっていた。




