第8話 竜剣の過去
――爆ぜる寸前。
イデアの全身に集束していく、底の見えない魔力。
黒い奔流が膨れ上がり、空気が軋み、砂が浮き上がる。
その中心で、剣を突き立てたまま、シンは息を吐いた。
(……ああ、そうか)
視界が白く滲む。
意識が、遠のく。
――ならば、少しだけ。
◆
二十年前。
ブレイピア最強の男。
通称――“竜剣のシン”。
王都の広場。
歓声。
「竜剣様だ!」
「また魔獣を一人で討伐したらしい!」
「王国の守護者だ!」
子供が憧れの目を向け、商人が頭を下げ、貴族が宴へと招待する。
花を投げられ、称号を与えられ、名声は欲しいまま。
だが。
(……うるせぇ)
シンは無表情のまま、それらを受け流していた。
最強。
無敗。
敵なし。
だから、つまらない。
剣を振れば勝つ。
斬れば終わる。
命を賭ける理由が、どこにもなかった。
空虚。
王都近郊、岩肌の広がる荒野。
その日もシンは退屈していた。
討伐依頼帰り、魔獣は十分も持たず沈んだ。
(弱い)
剣を振れば終わる。
避ける必要もない。
命を賭ける必要もない。
岩場に腰を下ろし、空を見上げたその時だった。
地面が、揺れた。
ドン。
重い足音。
振り向く。
巨大な斧を担いだ男が、立っていた。
赤銅色の肌。無精髭。獣のような眼光。
だが、口元は笑っている。
「お前が竜剣か?」
名乗りもせず、男は斧を構えた。
次の瞬間。
風圧。
反射的に剣を抜く。
――衝突。
金属音が、鼓膜を破る勢いで響いた。
(重い……!?)
今まで受けたどんな攻撃よりも、純粋な“質量”。
技ではない。
魔力でもない。
ただ、圧倒的な筋力と体幹。
押し返そうとする。
だが、踏み込んでいるのは相手だ。
地面が砕ける。
シンは後方へ滑らされた。
(馬鹿な)
力で押されたのは、初めてだった。
すぐに間合いを取る。
呼吸を整える。
(ならば、速さで上回る)
踏み込み。
一閃。
喉を狙う。
だが――
斧の柄が、わずかに傾いた。
それだけで、剣の軌道が逸らされる。
「いいな!」
豪快な笑い。
次の瞬間、横薙ぎ。
シンは身を低くして躱す。
髪が数本、宙を舞う。
反撃。
連撃。
三、五、七。
斬撃の嵐。
だが、男は笑いながら受け止める。
受け止めるというより――
“耐える”。
刃が肉を裂く。
血が滲む。
だが止まらない。
(なんだ、この男は)
痛みを恐れない。
防御を最小限にし、前へ出続ける。
圧力。
呼吸が乱れる。
剣速を上げる。
死角へ回る。
背後を取る。
完璧な位置。
「終わりだ」
振り下ろす。
その瞬間。
背中越しに、斧が振り上がった。
ありえない角度。
強引な体捻り。
刃と刃がぶつかる。
衝撃。
腕が痺れる。
骨が軋む。
(力任せ……なのに、崩れない!?)
男は足を止めない。
踏み込む。
さらに踏み込む。
間合いが潰される。
剣の長所が死ぬ距離。
「ははっ!」
斧の石突きが腹にめり込む。
空気が抜ける。
一瞬の硬直。
そこへ、振り下ろし。
受ける。
両手で。
だが。
バキッ。
嫌な音。
手首に衝撃が走る。
地面が砕ける。
視界が跳ねる。
気づけば、背中が地面に叩きつけられていた。
空。
青空。
息が吸えない。
斧の刃先が、喉元に止まっている。
「終わりか?」
男が覗き込む。
笑っている。
嘲笑ではない。
純粋に、楽しかった顔。
シンの胸に、熱が走る。
敗北。
理解する。
完全に、押し切られた。
技は自分が上だった。
速さも。
だが――
“前へ出続ける覚悟”で負けた。
差し出される手。
「立てよ」
その瞬間。
シンの胸の奥で、何かが崩れた。
最強であることが、アイデンティティだった。
それを奪われた。
焦り。
恐怖。
認めたくない。
叩き払う。
「……触るな」
荒く立ち上がる。
手首が震えている。
男は目を丸くし、そして腹を抱えて笑った。
「はははは!!」
「いいな、お前!」
それが。
タイゾウとの始まりだった。
それから。
二人は共に旅をした。
魔族を斬り、魔獣を砕き、幾度も死線を越える。
斧と剣。
背中を預ける戦い。
いつしか民衆は、二人を“伝説”と呼ぶようになっていた。
ある夜。
焚き火の前。
タイゾウがぽつりと口にする。
「なあシン。弟子…作る気はねぇか?」
炎が揺れる。
シンは即座に答えた。
「ない」
ぶっきらぼうに。
タイゾウは予想していたかのように笑う。
「だろうな」
少し間が空く。
火の弾ける音だけが響く。
「俺は、作るつもりだ」
静かな声。
それが意味するもの。
――この旅の終わり。
シンは察する。
胸の奥が、ざわつく。
「自分達だけが強くあればいい」
焦りを押し隠すように言い放つ。
「弱者に割く時間などない」
タイゾウは、少しだけ目を細めた。
「俺達だけが強くてもな」
ゆっくりと語る。
「いずれ限界が来る。時間も、命もな」
炎が揺れる。
「でも強さは、受け継げる」
斧を地面に立てる。
「次の世代に渡せる」
シンは俯く。
言い返せない。
理解は、している。
だが認めたくない。
その沈黙を察したのか、タイゾウは笑って話題を変える。
「…まあ、そのうち俺の弟子がお前を超えるかもな!」
軽口。
その時のシンは、鼻で笑った。
「あるわけがない」
本気で、そう思っていた。
◆
時は流れ。
現代。
ギルドのクエストボード前。
ひとりの少女が立っていた。
小柄。
だが背負う斧の重み。
佇まい。
立ち方。
(……似ている)
直感だった。
そして隣には、見慣れぬ青年。
ユウト。
確信を得るため、シンはあえて“オーク討伐”を提示した。
後日。
遠巻きに観察する。
斧の振るい方。
間合い。
踏み込み。
立ち回り。
(間違いない)
タイゾウの弟子だ。
あの男が、遺したもの。
少女――ティナ。
(そうか)
胸の奥に、静かな熱が灯る。
(お前は、ちゃんと繋いだんだな)
ならば。
守る。
必ず。
タイゾウが遺した【想い】を。
この少女と、その未来を。
それが、自分の役目だと。
◆
現在。
黒い魔力が暴走する。
ライトの叫び。
自分の折れた骨。
それでも剣を握る。
イデアの体内へ、最後の魔力を流し込む。
(……これで)
かすれた視界の向こう。
あの焚き火の夜がよぎる。
「……これで……良かったんだろ?」
小さく呟く。
「タイゾウ」
次の瞬間。
世界が、白に染まった。
――膨大な魔力が、辺り一面を飲み込む。




