第7話 決着
砂浜はすでに原形を留めていなかった。
魔力の衝突で抉れ、焼け、凍りつき、砕け散っている。潮風は吹き荒れ、空気そのものが震えていた。
向かい合うのは二人。
魔王軍三魔官「知」イデア。
元王都最強――竜剣のシン。
先に動いたのはシンだった。
砂を踏み砕き、一瞬で間合いを詰める。踏み込みの速度が常軌を逸している。視界から消えたと錯覚するほどの加速。
「昨今、ブレイビア周辺に魔獣を放っていたのは――」
斬撃。
横薙ぎ。
空気が裂け、衝撃波が砂浜を抉る。
「お前か?」
イデアは体を傾け、紙一重で躱す。頬を掠めた刃が血を一筋走らせた。
裂けた口がゆるりと歪む。
「ええ。ワタクシです」
次の瞬間、黒い魔法陣が展開される。足元、上空、背後。三重構造の拘束陣。
だが。
「甘い」
シンは地を蹴り、回転しながら剣を振り上げる。
――《龍閃・裂空》。
斜め上へと走る斬撃が、魔法陣ごと空間を切り裂いた。
爆ぜる魔力。
イデアが後方へ跳ぶ。
「なるほど……噂以上ですね」
「答えになってないぞ」
シンは追撃する。
連撃。
一太刀ごとに風圧が生まれ、砂が竜巻のように巻き上がる。
――《龍爪連牙》。
五連撃。
刃が空を刻み、イデアの両腕、肩、脇腹を裂く。鮮血が飛び散る。
明確な有効打。
序盤は、明らかにシンが押していた。
間合い管理、踏み込み、体重移動、呼吸の置き方。全てが洗練されている。長年の戦場で磨き抜かれた剣技は、理屈を超えている。
イデアは防戦一方だった。
魔力の壁を張る。
結界を展開する。
空間を歪める。
だが、その全てを、シンは“勘”と経験で突破する。
「読める」
短く吐き捨てる。
イデアの指がわずかに動く前に、刃がそこを通過する。
――《龍影踏破》。
低空を滑るように駆け、懐へ潜り込む。
至近距離。
突き。
深く、深く。
剣がイデアの胸を貫いた。
衝撃波が背後の海を割る。
一瞬、静寂。
だが。
イデアの裂けた口が、ゆっくりと吊り上がる。
「痛いですねぇ」
貫かれた胸が、ぐにゃりと歪む。
肉が蠢き、骨が軋み、裂けた部分が音を立てて再生していく。
シンは即座に剣を引き抜き、距離を取る。
「……面倒な体だ」
「魔族ですので」
イデアの指先に黒い魔力が集まる。
次の瞬間、無数の魔力弾が空間を埋め尽くした。
弾幕。
回避不能に見える密度。
だがシンは踏み込む。
退かない。
剣を振る。
――《龍鱗防壁》。
高速で円を描く斬撃が、迫る魔力弾を次々と切り落とす。斬撃の軌跡が鱗のように重なり、即席の防壁となる。
爆発。
砂煙。
その中からシンが飛び出す。
「まだだ!」
跳躍。
高く。
空へ。
イデアの真上。
剣を構える。
魔力が刃に集中し、空気が震える。
「竜牙――」
イデアの目が細くなる。
「突ッ!!」
一直線の急降下。
空を裂き、海鳴りを引き連れて落ちる一撃。
竜が視えると言われた伝説の技。
直撃。
轟音。
砂浜がクレーター状に抉れる。
イデアの体が地面に叩きつけられ、骨が砕ける音が響いた。
明確な優勢。
圧倒。
だが――
砂煙の中。
「……素晴らしい」
声。
ゆらり、と立ち上がる影。
砕けたはずの骨が再生し、裂けた肉が閉じていく。
「これが、かつての最強……」
イデアの目が細められる。
「ですが」
その瞬間。
シンの背後に黒い影が生まれていた。
遅い。
気づいたときには。
――斬。
見えない魔力の刃が、背中を深く抉る。
血が舞う。
シンは踏みとどまる。
だが追撃。
横薙ぎ。
衝撃。
肋骨が砕ける音。
砂浜に叩きつけられる。
それでも立つ。
膝をつき、剣を支えに。
再び踏み込む。
斬る。
刺す。
蹴る。
殴る。
人間の域を超えた技量で、イデアを再び切り刻む。
だが。
時間が経つほどに、差が浮き彫りになる。
イデアの肉体は再生する。
魔力は尽きない。
対して。
シンの呼吸は荒くなる。
肩が下がる。
踏み込みがわずかに鈍る。
そして。
気づけば。
激戦の只中。
シンの鎧は砕け、骨は何本も折れ、肉は深く抉れていた。
左腕は震え、血が止まらない。
それでも剣を握る。
イデアは少し距離を取り、感心したように拍手した。
「……見事デス」
裂けた口が歪む。
「技量では、間違いなく貴方が上」
一歩、近づく。
「ですが」
黒い魔力が周囲を満たす。
「人間の肉体は……あまりに脆い」
シンは荒い呼吸の中、笑った。
「そうか?」
血を吐き捨てる。
「まだ立ってるぞ」
イデアは、わずかに目を細めた。
そこに、ほんの僅かな“惜しみ”が混じる。
「貴方ほどの器が、ただの人間であることが……少し残念です」
静かに告げる。
「もし魔族であったなら。もし魔王様の側に立っていたなら」
指先に魔力が収束する。
「世界は、もっと早く終わっていたでしょうに」
砂浜に、再び殺意が満ちる。
満身創痍のシン。
無尽蔵の魔力を持つイデア。
二人は、なお向かい合う。
上位層同士の戦いは、まだ終わらない。
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砂浜には、血と焦土の匂いが漂っていた。
砕けた地面の中央。
膝をつき、剣を支えに辛うじて立つシン。
その正面に、衣服を裂きながらも堂々と立つイデア。
裂けた口元には、相変わらず薄い笑み。
シンの視界は霞み、片目は血で塞がれている。
(……ユウト達は……)
ブレイビアまでの距離を、頭の中で測る。
馬はある。街道は近い。
ティナが護衛についた。
(間に合っていればいいが……)
その思考を、遮る声。
「心配ご無用デスヨ」
イデアは、わざとらしく肩を竦めた。
「馬は全て処理しておきました。辺り一帯には魔獣も放ってあります」
裂けた口が、ゆるりと歪む。
「逃げ道は、丁寧に潰す主義でして」
シンの舌が鳴る。
「……ちっ」
だが同時に、理解する。
援軍は来ない。
助けもない。
ここは、完全に孤立。
(ならば――)
一人でやるしかない。
シンは砕けた骨を無理やり軋ませ、立ち上がる。
血が足元に滴る。
それでも踏み込む。
剣を振る。
だが――
先ほどのような鋭さは、もうない。
踏み込みは浅く、剣速もわずかに鈍る。
イデアは一歩引くだけで躱した。
「限界デスネ」
無慈悲な宣告。
次の瞬間、膨大な魔力が爆ぜる。
見えない衝撃波。
シンの体が宙を舞い、砂浜に叩きつけられる。
骨がさらに砕ける音。
剣が手から滑り落ちる。
イデアはゆっくりと歩み寄る。
「では、実験終了と致しましょう」
黒い爪が伸びる。
とどめ。
振り下ろされる、その刹那――
ぶしゅり、と。
鈍い音が響いた。
イデアの首元に、剣が突き立っていた。
血が噴き出す。
「……は?」
ゆっくりと振り向く。
そこに立っていたのは――
ライトだった。
片目は潰れ、左目は血で塞がれ、左腕と右足は原型を留めていない。骨が露出し、肉は裂け、全身が血に染まっている。
それでも、立っていた。
「ア……ルナ……みんな……」
潰れた喉から、空気の漏れるような声。
「俺が……守る……」
イデアの瞳が初めて大きく見開かれる。
「貴方は……確実に絶命したはず……!」
激昂。
魔力が爆発する。
ライトごと吹き飛ばそうとする、その瞬間。
背後から。
ずぶり、と。
イデアの腹に、剣が突き刺さった。
シンだった。
片膝をついたまま、残る力を振り絞り、突き立てている。
目が合う。
言葉はない。
だが通じる。
阿吽の呼吸。
シンは剣に、残る全魔力を流し込む。
ライトも、首元の刃に全気力を込める。
「おおおおおおおおおお!!」
「おおおおおおおおおお!!」
絶叫。
命そのものを燃やす叫び。
刃が震える。
イデアの体内で魔力が暴走する。
「やめなさい……ッ!」
初めて、焦燥が滲む。
「貴様ら如き人間が……ッ!」
全身に魔力を集中させる。
「消し飛びなさいッ!! まとめてッ!!」
黒い光が膨れ上がる。
砂浜が歪む。
海が震える。
次の瞬間。
大爆発。
轟音。
白い閃光が視界を焼き尽くす。
数秒。
いや、永遠にも感じる静寂。
やがて、砂煙がゆっくりと晴れる。
そこに――
立っていたのは、イデアだけだった。
片腕は半ば千切れ、胴体の半分は焼け焦げ、再生が追いついていない。裂けた口から荒い息が漏れる。
「……はぁ……はぁ……」
呼吸が乱れている。
初めて。
明確な“損耗”。
足元には、二つの骸。
シンとライト。
イデアはゆっくりと歩み寄る。
「……してやられましたね」
シンの亡骸の前に立つ。
その首を、無造作に掴む。
ぶちり、と音を立てて引き千切る。
「最後まで……厄介な人間でした」
次に、ライトへ視線を落とす。
壊れた肉体。
だが微かに残る魔力の揺らぎ。
イデアは目を細める。
「これは……」
裂けた口が、静かに歪む。
「まだ利用価値がありそうですね」
影が伸びる。
魔力が空間を歪める。
次の瞬間。
イデアの姿は、ブレイビアビーチの砂浜から消えていた。
残されたのは、焼け焦げた大地と、二つの亡骸。
潮風だけが、何事もなかったかのように吹き抜ける。
――だが。
何かが、終わったわけではない。
むしろ。
本当の絶望は、これからだった。




