第6話 三魔官 イデア Part2
潮風が止まったように感じた。
「――お待ちしておりましたユウト様〜魔王様がお待ちです♪」
至近距離で囁かれたその言葉に、ユウトの思考は一瞬、真っ白になった。
「……は?」
間の抜けた声が、やけに小さく響く。
イデアは首をかしげ、裂けた口元をわずかに歪めた。
「ああ、失礼。まだご存知なかったみたいデスネ」
意味深な声音。
その“当然知っているはず”という前提が、余計に不気味だった。
「ユウトに……近づくなっ!」
地を蹴ったのはティナだった。
白い砂を巻き上げ、隻腕の少女は迷いなく斧を振り抜く。
風を裂く一閃――だが。
「おや」
イデアの姿は、そこにはなかった。
斧は空を切り、砂浜に深い裂け目だけが残る。
「速い……!」
ティナが目を見開く。
背後。
「危ないデスヨ」
振り向いた瞬間、そこにイデアは立っていた。
だがその肩に、鋭い殺気が走る。
「落ち着け……お前はお前だ」
低く、芯のある声。
シンだった。
その一言で、ユウトの鼓動が正常に戻る。
(そうや……俺は俺や)
魔王がどうとか関係ない。
今は目の前の敵だけを見る。
ユウトは息を整え、瞬時に支援魔法を展開する。
筋力増強。
反応速度向上。
魔力出力補助。
淡い光がティナとシンを包む。
「行くぞ」
「……うん」
二人が同時に踏み込む。
剣と斧が左右からイデアを挟み込む。
さらに背後から、アルナの詠唱が重なる。
「光よ、束ねて穿て――!」
閃光が迸り、砂浜を焼き焦がす。
しかし。
イデアは優雅だった。
剣戟を紙一重で受け流し、斧を爪で弾き、迫る光弾を指先で弾き飛ばす。
「なるほどなるほど……」
砂煙の中、腕を組む。
「少し……面倒ですねぇ……ならば」
その指先が、ゆっくりと伸びた。
爪が異様な長さへと変質し、黒い魔力を帯びる。
次の瞬間。
空間そのものを、引き裂いた。
バチリ、と耳鳴りのような音。
裂け目から、歪んだ魔力の斬撃が奔流のように放たれる。
「散れっ!」
シンが叫ぶ。
剣で正面から受け止める。
ティナも斧を構え、衝撃を受け止めた。
火花と魔力がぶつかり合い、砂浜が爆ぜる。
ユウトは横に転がるように回避した。
頬を掠め、血が一筋流れる。
(今のは……直撃したら終わりや)
だが。
一瞬の静寂。
イデアは、にやりと笑った。
「素晴らしい反応デスネ。ですが――」
視線が、わずかにずれていた。
ユウトの背後。
「え……?」
アルナの声。
次の瞬間、アルナのローブが裂ける。
鈍い音。
イデアの魔力斬撃は、彼女の腹を深く抉っていた。
鮮血が砂浜に散る。
アルナの身体が崩れ落ちる。
「アルナッ!!」
ユウトの叫びが響く。
イデアは指先の血を見つめ、愉快そうに目を細めた。
「ワタクシの斬撃は、軌道を“ずらせる”のデスヨ。避けたつもりでも、意味はありません」
裂けた口がさらに歪む。
「後衛が動揺すると、盤面は崩れやすい……良い実験デシタ」
砂浜に広がる赤。
ティナの呼吸が荒くなる。
シンの瞳が、獣のように細まる。
そしてユウトの中で、何かが軋んだ。
――使うな。
昨夜の約束。
だが、目の前には倒れた仲間。
イデアは、ゆっくりと両手を広げた。
「さて……次はどなたにしましょうか?」
禍々しい魔力が、再び膨れ上がる。
───────
血の匂いが、潮の香りを塗り潰していた。
砂浜に崩れ落ちたアルナは、必死に意識を繋いでいる。ローブは裂け、腹部から滲む血が止まらない。
「アルナ! しっかりせぇ!」
ユウトが駆け寄る。
「……ユウト……」
か細い声。
その瞬間、シンが叫んだ。
「ユウト! アルナを背負え! 今すぐブレイビアまで走れ!」
一瞬、ユウトの思考が止まる。
「な、何言うてんねん! 俺が抜けたら――」
「いいから行け!!」
怒鳴り声が、空気を震わせた。
イデアの魔力が再び膨れ上がる。
「逃がすとでも?」
黒い爪が閃く。
だが――
ガキィンッ!!
斧がそれを弾いた。
ティナだった。
「ユウトに……触るな」
斧越しに、イデアを睨みつける。
その背を、ユウトは見た。
歯を食いしばり、アルナを背負う。
「すまん……絶対、生きて戻る」
シンは素早く状況を判断した。
「ティナ!」
「……!」
「ユウトを護衛しろ。ブレイビアまでだ」
一瞬、ティナが揺れる。
「でも……シンは……」
シンは静かに近づき、彼女の肩に手を置いた。
「俺の命より、お前の命の方が大事だ」
低く、真っ直ぐな声。
「なんせ【あいつ】に頼まれたんだからな」
ティナの瞳が、見開かれる。
タイゾウ。
その名は出ていない。だが、意味は十分だった。
数秒の沈黙。
やがてティナは、小さく息を吐く。
「……分かった」
覚悟を決めた目で、ユウトの方へ駆け出す。
その瞬間。
イデアの爪が、背後から伸びる。
不意打ち。
だが。
キィィンッ!!
剣が割って入った。
火花が散る。
「背中を狙うなよ、三魔官」
シンが低く言う。
「狩りをするなら、正面から来い」
イデアは目を細めた。
「良かったのですか? 唯一の【勝ち筋】を逃がしてしまって」
ユウトの時空間魔法。
それが最大の脅威であることを、イデアは理解している。
シンは鼻で笑った。
「勝ち筋? 違うな」
剣を構える。
風が止む。
「勝つのは――俺だ」
空気が震えた。
魔王軍三魔官「知」イデア。
元王都最強「竜剣」シン。
砂浜を挟み、二人が向かい合う。
イデアはゆっくりと腕を広げる。
「では……実験と参りましょうか」
シンは一歩踏み出す。
「来い、魔王の犬」
次の瞬間、二つの魔力が激突した。
――三魔官イデア vs 元最強シン。
砂浜が爆ぜる。
戦いは、ここから本番だった。




