第5話 三魔官 知 イデア
――
クラーケン討伐の翌朝。
潮風は穏やかで、昨夜の戦いが嘘のようだった。
焚き火の跡を消し、簡易装備をまとめ、一同はそれぞれ「水着」から通常装備へと着替えていた。鎧の重みが戻ると同時に、空気も引き締まる。
「よし、帰るか」
ライトが肩を回した、その瞬間だった。
――空気が、沈んだ。
まるで大気そのものが重く濁り、肺に入る酸素が粘ついたように感じる。
ぞわり、と背筋を這う悪寒。
ユウトの喉が鳴った。
(なんや…これ……)
ティナの肩が微かに震える。無意識に斧の柄を強く握る。
アルナの展開しかけた魔法陣が、ぶれる。
シンはわずかに目を細め、剣の柄に手を添えた。
「……この魔力は、冗談じゃ済まんぞ」
ライトの額に、汗が浮かぶ。
逃げろ、と本能が叫ぶ。
だが、足が動かない。
その禍々しい魔力の中心から――
ぱち、ぱち、と軽い拍手が響いた。
「いや〜お見事でした。皆さん」
砂浜の上に、いつの間にか立っていた。
黒髪長髪、痩せた長身。
片側だけ裂けた口元。
笑っている。だが目は凍てついている。
一瞬きょとん、と首を傾げた後、丁寧に一礼。
「おっと失礼、自己紹介がまだでしタネ」
「魔王軍幹部、三魔官“知”のイデアと申します」
その瞬間。
ライトの姿が掻き消えた。
「てめぇぇぇッ!!」
斬撃が走る。
火花が散る。
だが――
イデアは片腕で剣を受け止めていた。
鍔迫り合い。
「……おや?」
ライトの顔は、今まで見たことのない形相だった。
「俺の村を消したのは……お前か?」
イデアは一瞬、思考するように視線を泳がせる。
「ああー……あの村ですか」
にやり、と裂けた口が広がる。
「お陰様で貴重な【素材】を回収できましたよ。ありがとうございます」
空気が爆ぜた。
「ふざけるなァァァ!!」
二振り目。
だが。
イデアの体から溢れた魔力が、暴風のようにライトを押し潰す。
「がっ……!」
見えない圧力に叩きつけられ、地面へとめり込む。
その魔力量は、常軌を逸していた。
ユウトの顔から血の気が引く。
(……桁が違う)
アルナの指先が震える。
(こんなの……どうやって……)
だが。
「ティナ!」
シンの声。
同時に二つの影が跳ねた。
左右から、斧と剣。
「やれやれ……ワタクシ戦闘は苦手なんですケドねえ……」
呆れたように呟きながら、イデアの魔力が爆ぜる。
――だが。
空振り。
二人は紙一重で躱していた。
「……どうやって……!?」
初めて、イデアの眉が動く。
ティナとシンは、同時に口角を上げた。
「「勘」」
場数。
死地を何度も越えてきた者だけが持つ、反射。
イデアの瞳が細くなる。
「やはり【危険人物】……面白いデスネ……」
戦闘は激化する。
アルナは既に迎撃魔法陣を展開していた。
ユウトも慌てて全員へ筋力増強、魔力出力増強を重ねる。
(あかん……このままじゃ……)
本能が叫ぶ。
――使え。
時空間魔法。
指先に魔力が集まりかける。
その瞬間、シンの視線が刺さった。
昨夜の焚き火での会話が、頭をよぎる。
「二度と使うな」
約束。
ユウトは歯を食いしばり、魔力を引っ込める。
(……くそ……)
戦闘の只中で、イデアの視線が一瞬だけ動いた。
次の瞬間。
――目の前。
「…は?」
ユウトの目の前に、イデアが立っていた。
音もなく、距離もなく。
優雅に一礼。
「お待ちしておりました、ユウト様〜」
深淵のような瞳と目が合う。
裂けた口が弧を描く。
「魔王様がお待ちです♪」
狂気の笑み。
背後で、仲間たちの動きが止まる。
潮風が凍りついた。
ユウトの鼓動だけが、やけに大きく響いていた。
――魔王が、待っている。
砂浜に落ちる影が、長く伸びる。
戦いは、まだ始まったばかりだった。




