第4話 海王クラーケン 浜辺でのタコパ
海が荒れ狂う。
無数の触腕が暴風のように叩きつけられ、海面が爆ぜる。
切断されたはずの触手が蠢き、瞬く間に再生する。
その速度は異常だった。
「再生が速すぎる……!」
ライトが舌打ちする。
ティナとギルドマスターが前線で触手を斬り続けるが、減らない。
一撃一撃が重い。直撃すれば骨が砕ける威力だ。
消耗戦に持ち込まれれば不利。
その最中、ギルドマスター――シンは静かに口を開いた。
「ティナとライトは俺と前線に来い!
アルナは一人でブレイジングアローの詠唱だ!
ユウトは指定のタイミングで俺に筋力増強を重ねがけしろ!」
唐突な作戦変更。
「は、はい!」
「了解!」
「分かった!」
半ば無茶ぶりに近い指示だった。
その瞬間、シンはライトにだけ小さく耳打ちする。
ライトが目を見開いた。
「……無茶ぶりですよ、それ!」
だが、シンは何も言わず、ぽん、とライトの肩に手を置いた。
――信頼している。
その意味が、伝わる。
ライトは息を吐いた。
「……やってやりますよ」
後方でアルナが叫ぶ。
「一人じゃ詠唱はできても、顕現はできないわよ!」
ライトは振り向き、アルナの目を見据えた。
「俺を信じろ」
アルナは一瞬呆れたように頭を掻く。
「……ほんと、無茶するんだから」
だが、覚悟は決まっていた。
数秒の静寂。
「……作戦開始だ!」
シンの号令と同時に、三人が海面を蹴る。
触腕が襲いかかる。
斬る。
断つ。
跳ぶ。
再生を上回る速度で切り裂きながら、巨体を駆け上がる。
だが、触手の群れが進路を阻む。
その瞬間。
「させるか!」
ライトの剣が閃き、道を切り拓いた。
三人は頭上へ到達する。
跳躍。
そして――
シンはライトを蹴り飛ばした。
「なっ――!?」
一直線に吹き飛ぶライト。
その先には、詠唱を終えたアルナ。
空中いたライトと、海面にいるティナが叫ぶ。
「「――ブレイジングアロー!!」」
蹴りの勢いで協力詠唱の範囲へ滑り込む。
魔力が共鳴する。
火と光が融合し、巨大な一本の矢が顕現した。
ライトはそのまま海面へ叩き落ちる。
だが水中歩行魔法が衝撃を緩和し、海面を滑るように着水。
その瞬間。
奥義――ブレイジングアロー。
太陽を凝縮したような光炎が、一直線に走る。
クラーケンは即座に海水を巻き上げ、水の壁を生成しようとする。
だが。
その防御動作の一瞬の隙を――
二人の戦士は見逃さなかった。
「ユウト!」
「今だ、バフを重ねろ!」
「了解や、マスター!」
魔力が爆発的にシンへ流れ込む。
海面を蹴り、高く舞う。
その姿は、まさに竜。
「――竜牙突」
落ちる。
剣がクラーケンの頭部を貫いた。
凄まじい悲鳴。
海が震える。
巨体が大きく仰け反る。
その隙へ――
ティナが踏み込む。
片腕で斧を振りかぶり、雷光を纏う。
「――雷神斬」
蒼白い雷が一直線に奔り、頭部を深く断ち裂いた。
轟音。
水飛沫が空を覆う。
そして――
クラーケンの触腕が、ゆっくりと力を失った。
うねっていた巨体が、ぐらりと傾く。
海面に沈みかけ、やがて――
完全に動きを止めた。
波だけが、静かに揺れている。
誰も動かない。
やがて、ユウトが息を吐いた。
(……終わった、のか?)
「ってか、ギルマスあんな強かったんや…」
海中から、ライトが顔を出す。
水を払いつつ、にやりと笑った。
「知らないのか?」
一瞬、言葉を区切る。
「ギルドマスター……いや――」
波間に立つ男を見上げる。
「元・ブレイビア最強の剣士。“竜剣のシン”を。」
静まり返った海に、その名が落ちた。
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海は、静まり返っていた。
雷と剣が穿ち、巨体を貫いたはずのクラーケンは、ぴたりと動きを止めている。波も収まり、空気には勝利の余韻が漂っていた。
「……終わった、のか?」
誰かの呟きが、夜の海に溶ける。
その直後だった。
ぶくり、と不気味な音が響く。止まっていたはずの巨体の内部から、濃密な魔力が噴き出した。海面が震え、周囲の水が一斉にうねり始める。
「まだだ!!」
シンの鋭い声と同時に、海そのものが回転を始めた。
クラーケンの奥義――《渦潮》。
中心から巨大な水柱が立ち上がり、海面を丸ごと巻き込むように回転する。
ティナとシンは頭部から振り落とされるが、その落下地点すら既に渦の内側。ライトもアルナも、抗う暇もなく巻き込まれた。
上下が消える。呼吸が奪われる。骨が軋むほどの水圧。
このままでは、全員が溺れる。
その混乱の中で、ユウトだけが異様な静けさを保っていた。
(通常の加速神域じゃ、間に合わへん……)
視界の端で、波に翻弄されながらもこちらを見るティナの姿が映る。悲愴な目だ。はっきりと「使うな」と訴えている。
あの約束。
ユウトは、胸の奥が締めつけられるのを感じながら、魔力を圧縮した。
(……ごめんな)
魂の奥底が軋む。寿命を削る感覚は、何度味わっても慣れない。
「時空間魔法――加速神域 α」
その瞬間、世界が裂けた。
渦潮の流れが、目に見えて遅くなる。仲間たちの身体だけが異様な速度で加速し、圧倒的な水流を強引に抜け出していく。シンが空気を掴み、ティナが水面を蹴り、ライトが剣を構え、アルナが魔力を収束させる。
ほんの一瞬。だが決定的な隙だった。
四人は一斉にクラーケンへ向かう。再び頭部へ刃と雷と光が叩き込まれ、渦は断ち切られた。巨体が大きく痙攣し、やがて完全に動きを止める。
海は、静寂を取り戻した。
その代償のように、ユウトの口から血が零れ落ちる。膝が崩れ、視界が暗転していく。
(やっぱり……重いな)
──────────────
海へ沈む意識の中で、彼は光のない空間に立っていた。
そこには神々しい女性が佇んでいる。どこかで見たような、懐かしい存在。
女性は近づき、ユウトの頬に触れた。
「あの人を止めて」
優しく、それでいて切実な声。
「ちょっ…待っ┈┈┈┈」
ユウトが手を伸ばすと、彼女は突き放すように距離を取り、視界は白く溶けた。
⸻
目を覚ましたとき、夜の浜辺だった。
波音と焚き火の匂い。身体は重いが、生きている。
「ユウト!」
次の瞬間、ティナが勢いよく抱きついてきた。涙を滲ませながら、震える声で「ばか」と呟く。アルナもライトも安堵した顔をしている。シンだけは腕を組み、静かに見下ろしていた。
少し時間が経ち、焚き火を囲んで座る中シンが口を開く。
「お前の魔法のおかげで助かった」
素直な感謝の後、鋭い視線が向けられる。
「…だが、あの魔法は何だ」
ユウトは観念したように、時空間魔法について説明した。加速神域、そして加速神域α。効果と負荷。
「それだけか?」
低い追及。
ユウトは苦笑し、頭を掻いた。
「……参りましたわ、マスター。
実は…寿命、削ります」
焚き火が爆ぜる音がやけに大きく響く。ライトが息を呑み、アルナが目を見開き、ティナは無言で拳を握った。
シンは重く告げる。
「…今後一切、その魔法の使用を禁ずる。…もちろん、俺たちも使わせん」
全員が頷く。重い空気が流れた。
その空気を断ち切るように、ユウトが手を叩く。
「ところでみんな!タコパ、せぇへん?」
意味が分からず首を傾げる一同に、ユウトは前世の文化――たこ焼きと“タコパ”について説明する。
丸い鉄板で焼く小さな球体料理。外はカリッと、中はとろりとしていて美味。
「でもタコが……」とアルナが言いかけたところで、ユウトは海に浮かぶクラーケンの残骸を指差した。
「これ使うんや!」
焚き火の橙色の光が、夜の浜辺を柔らかく照らしている。
中央には、ユウトがどこからか持ち出してきた丸い鉄板。
穴がいくつも空いた奇妙な調理器具に、アルナが首を傾げる。
「本当にこれ、料理器具なのよね?」
ユウトは頷き、シャツの袖をまくって返事する。
「任しとき。今日は俺がプロや、本場の味見せたる!」
ユウトは上機嫌だった。
酒瓶を片手に、鼻歌まじりで生地を流し込んでいく。細かく刻んだクラーケンの身が鉄板の上で弾け、じゅう、と心地よい音を立てた。
ライトは既に杯を傾けている。
「ははっ!巨大魔獣を食うとはな!最高じゃねぇか!」
「お前飲みすぎや」
「今日は勝ったんだぞ?飲まずにいられるか!」
二人は肩を組み、波音に合わせて意味のない即興の歌を歌い出す。
ティナは少し離れた位置で、丸く焼かれていくそれをじっと見つめていた。
「……球体」
「そう、球体よ。これが“たこ焼き”らしいわ!」
アルナが串でくるりとひっくり返す。生地が綺麗な球になる瞬間、ティナの目が僅かに見開かれた。
「……魔術?」
「フフッ…料理よ」
焼き上がったそれを小皿に乗せ、アルナはティナの隣へ腰を下ろす。
「熱いから気をつけなさいね」
ティナは警戒するように匂いを嗅ぎ、箸で突こうとする。
「待って待って」
アルナはにやりと笑い、串に刺したたこ焼きを持ち上げる。
「あ〜ん♪」
「……?」
「ほら、口開けて」
「……なぜ」
「いいから♪」
少しの沈黙。
焚き火の向こうでユウトとライトが「回せ回せ!焦げる焦げる!」と騒いでいる。
ティナは観念したように、小さく口を開けた。
「あー……」
「はい」
口に入った瞬間。
外はほんのりカリッと、中はとろりと熱い。噛むと弾力のあるクラーケンの身と出汁の旨味が広がる。
「……っ」
一瞬、固まる。
「どう?」
ティナはゆっくりと頷いた。
「……美味しい」
その声は小さいが、はっきりしていた。
アルナは満足そうに笑い、もう一つ焼き上げる。
その様子を、少し離れた場所からシンが静かに見ていた。
杯を手に、微かに口元を緩める。
「……悪くない夜だ」
ユウトが振り向く。
「マスター!あんたも食う?」
「…焼き加減が甘い」
「うわ細か!」
ライトが笑いながら鉄板をひっくり返そうとして失敗し、ひとつ砂に落とす。
「おい!俺の戦利品!」
「お前が落としたんやろ!」
酒と笑い声が混ざる。
潮風が柔らかく吹き抜ける。
ティナは、いつの間にか自分から串を取り、たこ焼きを口に運んでいた。
視線の先には、笑っているユウト。
あの渦潮の中で、消えかけた背中。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
アルナが横目でそれに気づき、くすっと笑う。
「……もう一個、食べる?」
ティナは小さく頷いた。
焚き火の火がぱちりと爆ぜる。
戦いの夜は、こうして
笑い声と丸い球体とともに、更けていった。
⸻
その後、アルナとティナは近くの温泉へ向かい、ライトは酒に潰れて眠り込む。焚き火の前にはシンとユウトだけが残った。
「ところで…ユウト、なぜ急に冒険に出た」
ユウトは静かに答える。
「…死に場所を探してた自分と、あいつが重なったからです」
シンは目を細め、何かを噛みしめるように頷いた。
ユウトが今度は問い返す。
「なんでギルドマスターに?」
シンは遠くを見る。
「昔は、自分だけが強ければいい。そう思っていた時期があってな…だが、ある男に出会って……仲間の重みを教わった」
その横顔には、僅かな悲しみが滲んでいた。ユウトはそれ以上聞かなかった。
静寂を破ったのは、温泉からの甲高い悲鳴だった。
「きゃあああああ!!」
ユウトが反射的に駆け出す。
「待て、ユウト!」
シンの制止は、間に合わない。
湯気の向こうにいたのは、全裸のティナとアルナ。その身体にはナマコのような海生物が張り付いている(無害だが見た目は最悪だ)。
「うわああ何これぇ!?」
「と、取れない……!」
ユウトは視線を逸らしながら近づくが、ティナが気づいた瞬間、空気が凍る。
片腕で身体を隠し、真っ赤な顔。
「……ユウト?」
アルナも同時に振り向き、顔を赤く染める。
「見るなあああああ!!」
火属性魔法が直撃し、ユウトは夜空へ吹き飛ばされた。
少し離れた場所でそれを見ていたシンは、呆れたようにため息をつく。
「……若いな」
夜空に爆発音が響き、浜辺に再び笑いと騒ぎが戻った。




