第3話 海王クラーケン Part1
それは、海そのものが意思を持ったかのような出現だった。
静かだった水面が盛り上がり、赤黒い巨影がゆっくりと浮上する。
全長二十メートル。横幅も同等。
二十を優に超える触腕が、ぬらりと空気を掴むようにうねった。
吸盤が陽光を鈍く反射し、
中央に鎮座する巨大な頭部が、浜辺を見据える。
十年に一度しか報告されない幻の魔獣。
艦隊十隻を沈めたと語られる、海の災厄。
――Sランク魔獣、クラーケン。
波が押し寄せるだけで、浜辺が揺れる。
存在そのものが圧力だった。
「……全員、戦闘態勢」
ギルドマスターがサングラスを外し、剣を構える。
「ユウト。水中歩行魔法を全員に付与しろ」
「了解!」
ユウトの足元に魔法陣が展開する。
視界に収まる範囲――目の届く全員へ、魔力を通す。
水面が、足場へと変わった。
本来沈むはずの海上で、四人は“立つ”。
水中歩行魔法。
対象者の意思で浮上・潜水を選択でき、速度に制限はない。
海という不安定な戦場を、陸と同等に変える魔法。
さらにユウトは、息をつく間もなく続ける。
「筋力増強。魔力出力増強。反応速度補助――全部いくで!」
淡い光が仲間を包む。
能力値が底上げされ、身体が軽くなる。
「弱点は頭部だ!」
ギルドマスターが叫ぶ。
「まずは俺とティナで道を作る!」
剣を海面に叩きつけ、跳躍。
隣で、ティナが無言で頷いた。
声はない。
だが、呼吸が合う。
二人は一直線に突っ込んだ。
触腕が襲いかかる。
――斬ッ!!
ギルドマスターの剣が一閃。
ティナの斧が唸る。
太い触手が次々と切断され、海へ落ちる。
水飛沫を蹴り、
巨大な胴体を足場にして駆け上がる二人。
だが。
切断面が、蠢いた。
「……再生!?」
ティナが小さく呟く。
瞬く間に再生した触腕が、二人を横殴りにした。
「くっ!」
「――ッ!」
叩き落とされ、海面に激突。
水柱が上がる。
だが水中歩行魔法が衝撃を分散し、致命傷にはならない。
その間。
「……詠唱、完了」
アルナの声が静かに響いた。
隣にはライト。
二人の魔力が重なり合い、圧縮されていく。
「新技――」
アルナの足元に、複雑な魔法陣が展開する。
「ブレイジングアロー!」
ブレイジングシャワーの拡散性を一点に凝縮。
火属性と光属性を融合した、対巨大魔獣特化の貫通術式。
(クラーケンは火属性が弱点……これなら!)
一直線に放たれた光炎の矢が、空気を裂く。
直撃――のはずだった。
だが。
クラーケンの触腕が一斉に海へ叩き込まれる。
海水が巻き上がり、瞬時に分厚い水の壁が形成された。
轟音。
光炎の矢は水に飲み込まれ、蒸気となって霧散する。
「…まじか」
ライトの声が漏れる。
アルナの背筋に冷たいものが走った。
偶然ではない。
今のは、明確な防御。
属性相性を理解しているかのような、最適解の行動。
魔獣らしからぬ、知性。
海上の空気が一段階、重くなる。
ティナがゆっくりと立ち上がる。
ギルドマスターの視線が鋭く細まる。
ユウトの喉が鳴った。
(こいつ……考えてる)
次の瞬間。
クラーケンの巨体が、ゆらりと持ち上がる。
海が唸る。
触腕が空を覆い、影が浜辺を包み込む。
その中央、巨大な頭部が――
まるで王のように、彼らを見下ろしていた。
波が、静かに退く。
嵐の前の、沈黙。
海王クラーケンは、
まだ本気を出していない。




